サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

コーヒーと人間羊

2015-05-25 00:00:48 | 日記
“心をきれいにするには、高貴さを養い、神聖な思いを身につけ、多の人々に奉仕しなくてはならない。誰も他の人々を傷つけず、人類同胞に対して愛情や同情を持つ人は偉大な人である。SNN1995p18

ポニョ:昨日までニュージーランドの話や、ログハウスの事を記事にしたけど、久々に肩が凝らない話題でやったな。

ヨシオ:肩が凝るで思い出したけれど、今日久々に嫁さんと息子と三人でフリーマントルという街に出かけたんや。息子は夜勤明けで筋肉痛やし、嫁さんはひどい肩こり症でリューマチも少し患っているんや。それで二人でマッサージをしてもらいに行くっていうので、俺は運転手をして付いて行ったんや。

ポニョ:フリーマントルって、以前、飛鳥という船がやって来た港町やろ。

ヨシオ:そうや。その話を確か記事にしたよな。それ以来、俺も街の中をウロウロする機会も無かったので、本当に久々に街を歩いたんや。その街は、昔からイタリヤ系やポルトガル、東欧の人たちがたくさん住み着いている街で、食文化が豊かで、美味しいレストランも多いし、人々もとてもフレンドリーな街なんや。

ポニョ:それは良さそうな街やな。

ヨシオ:俺が、バス停に立っている時も、見知らぬ人同士が直ぐに話し始めるし、大きな掛け声がマーケットの方から聞こえて来るし、なんて言うか人の匂いがする街なんや。嫁さんたちがマッサージをしている間、俺は時間があったので、お惣菜屋さんに行って、お多福豆を買いに行ったんや。

ポニョ:お多福豆はあんたの大好物やもんや。おいらが滞在している時も、いつもボリボリ食べていたよな。

ヨシオ:ポニョが紹介してくれたヒマラヤの海塩を上からかけて食べると、とても美味しい味がするのでやめられないんや。でも、ババは一年に一つ、自分の大好物な食べ物をガネーシャに捧げなさいと言っておられるので、今年は俺の大好物であるお多福豆を捧げようと決めたんや。それで、三ヶ月ほど前に食べるのをやめたんや。でも、お多福豆をガネーシャに捧げて以来、体重がどんどん減って来たので、嫁さんが心配して、また、お多福豆を食べなさいと言われたので、仕方なしに買いに行ったんや。俺としたら、もう神様に捧げたので、もう食べたくはなかったんやけれどな。

ポニョ:自分の大好物を毎年神様に捧げるって、おいらにとっては嫌な習慣やぜよ。オクラを捧げるなんて絶対出来ないぜよ。

ヨシオ:そこのお惣菜屋さんはトルコ人が経営していて、自分たちが選定した物を輸入して、大きな袋ごと店に並べているので、安いしフレッシュなので、とても人気がある店なんや。

ポニョ:お多福豆なら、家でアクアポニックスで育てていたやろ。

ヨシオ:でも、出来る数が少ないから食べるスピードに追っつかないんや。一日当たり、二十個ほどの豆を収穫しているけどな。でも、それは生で食べるから、嫁さんか俺かどちらかの胃袋に、収穫したその場ですぐに入ってしまうんや。

ポニョ:生が一番やぜよ。とても甘みがあって香ばしい香りもするし、どうして人は生で食べた方が美味しい野菜がたくさんあるのに、火を通したり、煮えたり、蒸したり、炒めたりして食べるか理解出来ないぜよ。

鳥や獣は人々を悩ませる心臓病や消化器の疾患にかかりません。
その理由は、味覚の奴隷となってあらゆる種類の揚げ物や調理食品を摂る人間と違って、鳥や獣は自然物を食べているからなのです。21/1/94

ヨシオ:俺も、ポニョのおかげで、毎日新鮮な野菜を自分のところで収穫出来るので、とても喜んでいるんや。ちょっとお腹が空けば、新鮮な野菜を直ぐに口に入れることが出来るやろ。ポニョのチャクラが胃袋から抜け出る事が出来ないはずやなって思ったな。

ポニョ:あんたのアクアポニックスは、魚の数を増やしたので、そのうちもっとたくさん野菜を作ることが出来るぜよ。来年が楽しみやな。

ヨシオ:もう、ショッピングセンターに行って、野菜を買いに行かなくてもええようになるな。俺は、ショッピングセンターが嫌いなんや。フリーマントルで嫁さんたちがマッサージをしている間、俺はお多福豆を買い、時間が余ったので待ち合わせたショッピングセンターの前のベンチに座ってお客さんたちを見ていたんや。するとショッピングセンターにレジが無いのに気付いたんや。買い物客たちは、自分で小さい機械の前に立ち、自分たちのカートから一品ずつ品物を出して来て、スキャナーを通してカードで金を払い、自分でバッグに入れてそのまま帰って行くんや。俺はそれを見て少し驚いたな。だって、今、そこに行くまでに買い物をして来たお惣菜屋さんとえらい違いなんや。お惣菜屋さんでは、常に大きな声が飛びかっていて、賑わいもあるし笑いや、怒鳴り声も聞こえて来ることがある。そこには人の感情や人情が渦巻いているんや。でも、俺が座っていたショッピングセンターには、ただの買い物をする人の列とスキャナーが読み取った時のピーッという甲高い音しか聞こえて来ないんや。買い物客の顔も無機質で、私は誰とも喋りたくはありません。欲しいものを買って帰ります。という感じで、なんか、ポニョがいつも言っているような、上手く飼いならされた人間羊の群れを見ているような気になったな。

ポニョ:特にあんたはお客さんと店主の交流があって、いつも賑やかな天神橋筋商店街で育ったから、ああいう大きなショッピングセンターを見ると無機質で感情も無く、人間味を感じないんやろな。

ヨシオ:それに、俺が嫌やったんは、見張りの人がいつも横に立っていて目を光らせているんや。まるで、監視人のようやったな。初めからお客がズルしてるんと違うかなんて目をして、人々がスキャナーをしている様子を伺っているんや。監視カメラもたくさん天井から見張っているんや。それって、オーソンウエルズの1984の世界やなって思ったな。

ポニョ:チョー管理社会やな。大体、おいらに言わせれば、ショッピングセンターであろうがお店であろうが、人様が自分のところの品物を買いに来て下さっているから、その店やショッピングセンターのオーナーは、その買い物客に対して感謝の念を持たないといけないやろ。なのに、あんたが言ったように、頭から、お前たちに物を売ってやるんだ。他の店より大量仕入れ、大量販売、自社ブランドで安く売ってやるから、ありがたく思え。レジも人件費を節約するのでお前たちが金を払って、自分でビニール袋に詰めろ。ごまかすなよ。俺たちは、お前たち人間羊がきちんと金を払っているかどうか、監視カメラで見張っているんだぞ。監視人の目は誤魔化せても、監視カメラは誤魔化せないぞ。24時間録画しているんだ。お前たちを養っているのは、俺様なんだ。ありがたく思って買い物しろ。なんて感じやろうな。

ヨシオ:今、ポニョが言ったような事を、俺も思いながら買い物客を見ていたら、一人の腰が90度に曲がったお爺ちゃんが、ブレーキの付いている押しぐるまの上に、今買い物したばかりの品物を詰めたビニール袋を満載にして、俺が座っていたベンチにやって来て腰かけたんや。俺は、「たくさん買い物をしたんやな」って声を掛けると、「二週間に一度年金が入った時にしか買い物が出来ないんや。もう冷蔵庫の中は空っぽなんや。」なんて言って、それらを、ビニール袋から取り出して自分のリュックサックの中に詰め直していたんや。でも、手が滑ってコーヒーの粉が入っているガラス瓶を落としたので、パーンという大きな音がして、粉が床一面にガラスのかけらと共に散らばってしまったんや。お爺ちゃんは、「なんてこった!コーヒーを飲むのが楽しみだったのに!」と言って頭を抱えて大声で嘆いていたんや。それに、これだけ大きなガラスが割れる音が店の前でしたのに、店の人は誰一人店から飛び出して来ないんや。それどころか、お爺ちゃんが大声で嘆いている間も、何事も無かったように、スキャナーの甲高い無機質な音だけがピーピー響いていたんや。俺は地べたにしゃがみこんで、コーヒーの粉を手で集めていたんやけれど、ガラスのかけらが混じっていたし、これはもう飲めないやろなと思ったんや。お爺ちゃんも、「もうええよ。そんなにしてくれなくても。大好きなコーヒーが次の年金支払日までの二週間飲めなくなってしまったけれど、そんな事より、あんたの手がガラスのかけらで切れたら大変やから…。」と俺の事を気遣ってくれたんや。二人でショッピングセンターのフロアーにしゃがんでバタバタしている時に、地元の金持ちの子弟が通う私立男子高校の下校時間だったので、たくさんの裕福そうな家庭の高校生たちが、談笑しながら俺たちの前を歩いていたんや。何人かの高校生たちは、床に散らばっているコーヒーの粉と、嘆いているお爺ちゃんを見て、「あーら、あらあら、この爺ちゃんたち、なんてたくさんのコーヒーを無駄にしたんやろ。」なんて言いながら仲間と笑って歩き去ったんや。昔の俺やったら、その高校生の胸ぐらつかんで、もう一度言ってみろ、俺のハンマーパンチを食らわすぞ。なんて言ってたんやろうけれどな。高い学費を払って立派な校舎で教育を受けているのに、他人の悲しみや苦しみが分からない子供を排出する教育を受けて、この子が大きくなったらどんな大人になるんやろうかって思うと少し悲しくなったな。

ポニョ:今の教育制度から、子供達が憐れみや同情心を学ぶって難しいやろな。金、金、金の世界やからな。

“子供は金や金銭で売買するということに対して信仰心のようなものを持ち、同情心や愛といったものを養う代わりに、残酷さやずるさのようなものに対してあこがれるようになります。
それ故、家庭、学校、そして社会という三つの領域においてこの偉大な国の将来の為に、こういうことに対して戦わなければなりません。SS5p362”

ヨシオ:俺は、体の不自由なお爺ちゃんに、一人で機械を相手に金を払わし、自分で買ったものをビニール袋に入れさし、店の誰もが、こんなに腰が曲がって買い物一つするのも大変なお爺ちゃんを助けないという、大きなショッピングセンターというシステムに対して、なんかムカついてきたんや。それで、俺はお爺ちゃんに、「お爺ちゃん。あんたまだ、コーヒーを買った時のレシート持っているか?捨ててはいないか?それやったら、一緒に店に文句言いに行こう。店長を呼んで俺が直談判したげる。体の不自由なお爺ちゃんが一人で買い物に来て、誰も店の人が助けないから、こんな事になったんや。買い物をしたお客さんの品物をリュックサックに無事に入れるところまでを見届けて、お客様を店の外までお見送りするところまでが店の義務やないか。金を払ってくれたらそれで終わりじゃないんや。さあ、一緒に俺と行こう。」と言って嫌がるお爺ちゃんの手を引っ張って店に直談判したら、マネージャーは快く、新しいコーヒーの瓶を持って来てくれたんや。お爺ちゃんは満面の笑顔で、俺に抱きつきながら「ありがとうございました。Sir」って何度も言ってたな。俺は、「Sirなんて言葉を使わんとってな。同じ街に住むものが助け合うって当たり前やないか。気をつけて帰りや。」と言ってそのお爺ちゃんの背中を見送ったんや。俺は、一極だけに富が集中し、効率や利益だけを追求する世の中になって、弱いもんが住みにくい世界になってしまったなって痛感したな。

ポニョ:毎日、コーヒーを飲むのが楽しみやったんやろな。その爺ちゃんは。おいら達は、もうそういうシステムに飼い慣らされていて、あんたが指摘したような事を感じなくなってしまっているもんな。あんたのように、人里離れたところに住んでいて、たまにしか街に買い物に出て来ない人しか、そういうことに気付かないんやろな。でも、その店長さん、あんたが日本から来たヤーさんかもしれんと思って、怖くなって新しいコーヒーをくれたんと違うか?年取っても、あんたの顔はヤクザみたいに人相が悪いし、怒ったら眉毛が思いっきり吊り上がって迫力あるからな。

ヨシオ:じゃかーしー!ええ加減な事抜かすな!この、ぽんぽこポニョタヌキは!

人に三つのタイプがあります。
鈍性の人は鉄の塊のように、心を柔らげようとする如何なる影響も受けません。
激性の人は綿のように、何でも吸い取りますが本性は決して変えません。
浄性の人は他の人の喜びや悲しみを見たり、至高神の栄光を耳にすると、バターのようにすぐ心を溶かします。
浄性の人々は同情心の泉に深く沈潜します。
怒り、嫉妬、貪欲、短気はツボに開けられた多くの穴です。
平安と幸福と満足という水はその穴から漏り、ツボは空になります。
ツボは修繕し水漏れを止めなければなりません。27/9/60