サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

災難さん有難う、苦難さん今日は

2015-05-29 00:00:59 | 日記
“人々は私に、困難と損失を全て取り除いてくださいと祈願します。
それは完全に誤った祈願です。
困難を歓迎し克服しなさい。
困難を乗り越えてこそ、神を体験することが出来ます。2/9/91”

ポニョ:昨日の続きやけれど、地震の前に熱が出た話をした事があったな。

ヨシオ:四十年前の唐山の大地震やろ。地震の十時間前にどういう訳か四十度の高熱が出たんや。それで、歩けなくなって歩道に座り、頭を押さえていたら、その頃珍しいマツダのルーチェというピッカピカの新車が俺の横に止まり、俺を最寄の病院へ連れて行ってくれたんや。マツダから、試乗車を貸してくれたので乗り回しているって言ってたな。そして、木造の病院の二階の個室で、というのも、その病院は産婦人科しかない病院なので男は急患の俺一人だけだったんや。

ポニョ:それで、個室って訳か。でも、その車はババが手配してくれたんやろな。

ヨシオ:とにかく、熱を下げるために点滴注射をしてもらっていたんやけれど、夜中の三時ごろに突然、地面を龍が這うような大きな音がしたな、と思った瞬間、夜中で、真っ黒であるはずの空が一面突然光って一瞬の間、まるで昼間のような明るさになったんや。俺は、一体何が起こったのかなと思った瞬間、座っていた鋼鉄製のベッドが、踊っているように飛びまくり、大きな音とともに天井が落ちて来て、壁の窓ガラスが割れ、鼓膜が破れるような大きな音がしたんや。俺はベッドから転がり落ちたので、、そのままベッドの下にもぐりこんで、助かったんや。不思議な事に、地震と共に熱も引いていたんや。俺は、近くの広場に避難したけれど、周りは瓦礫の山で、生き埋めになった人の呻き声がそこら中からしていたな。

ポニョ:木造の病院やから助かったんやろな。煉瓦造りやったら、お陀仏やで。光は地震の前に見られる発光現象やろな。大きな地震の前に時々見ることが出来るんやぜよ。

ヨシオ:そのあと、粉塵を含んだ黒い雨が降って来たんや。広島に落とされた原爆の後に降って来た雨も黒かったなと思って、自分の腕が黒い雨に打たれて濡れているのを見ていたんや。

ポニョ:でも、どうして地震の十時間前に熱が出たんやろうな。その病院に行かすためか?

ヨシオ:そうやろな。でなかったら、その日は友達のアパートに泊まる予定やったんや。後でアパートを見に行くと、ひどく潰れていたな。

ポニョ:それはすごい体験やったな。危機一髪やぜよ。神様が守って下さっているって感じるのは無理ないわ。

ヨシオ:そうやろ。誰でも、こんな体験を繰り返したら俺のように思うよな。でも、本当は自分は身体じゃない。と信じることが出来れば、どんな災難に遭っても乗り越えることが出来るんや。それが、ババの教えなんや。

ポニョ:そうか。自分は身体じゃないっていうことを信じれば良いのか。そう言えば、ラーマがランカ島にシータを取り戻すために攻め入った時に、矢の雨を射ったんやけれど、そのうちの一本の矢が、逃げまどっていたお母さんが抱きかかえていた赤ちゃんに命中したんや。お母さんは、その即死状態の抱きかかえていた赤ちゃんを放り投げて、矢の雨を避けようと、また走り出したんや。それを見ていたラーマの弟のラクシュマナは、ラーマに「兄者よ。今のを見ましたか?母親が自分が助かりたい一心で、矢で射られた子供を放り投げて、逃げ去りました。ラヴァナという悪鬼が支配している国は人心さえも、あんなふうに荒廃しているんですね。」と言ったんや。ラーマはそれを聞いて、「私はそうは思わない。お前が言ったことが正しいかどうか、その子供を放り投げて逃げた母親をここに呼んで、どうしてそんな事をしたのか聞いてみよう。」と言ったんや。そして、連れて来られた母親に「お前はどうしてそんな子供を放り投げるような事をしたのか」と尋ねると、その母親はこう言ったんや。「私がこの世に生を受けたのは、ヴィシュヌ神の化身であるラーマ様にお目にかかり、そのダルシャンを受ける為なのです。私の子供はそのラーマ様の軍勢の矢に当たり死んでしまいましたが、その子のカルマでございます。肉体はいつかは滅んで行くものでございます。それが、若いうちか、それとも年取ってからかは、私どもには知る由もございません。全ては、ラーマ様の御意志通りに世の中は動いて行くのでございます。私は、その宇宙を統べる神、ラーマ様のダルシャンを得る事だけを思い、魂が抜けて肉体だけになった我が子の抜け殻を放り投げて逃げたのでございます。おかげで、こうして私どもは、生き延びてラーマ様にお目にかかり、あなた様のダルシャンを得ることが出来ました。本当にありがとうございました。」と言ったんや。

ヨシオ:それは、すごいお母さんやな。でも、もし同じような状況やったら多分、俺も同じ事をするやろな。

ポニョ:本当に出来るんか?

ヨシオ:もちろんやるさ。だって、この世の中のゴタゴタに巻き込まれるのは、自分が肉体やと思い込んでいるからなんや。一旦、自分自身を自分の肉体から切り離し、少し離れたところから自分を見るようにしたら、ゴタゴタに巻き込まれないんや。

ポニョ:つまり、ゴタゴタに巻き込まれている自分を、そっと横から見ている自分になれって事やな。

ヨシオ:それが、この世界のゴタゴタに巻き込まれない秘密なんや。何があっても、第三者的な立場に自分をいつも置いておくんや。

ポニョ:でも、自分のミステイクで人や会社に迷惑をかける場合だってあるやろ。そんな場合はどうするんや。

ヨシオ:二度とそういう間違いを犯さないように反省しながら、この間違いも、神様が自分のエゴや無知に気づかし、それを是正されるためのプレゼントやと思ってありがたく受け入れたら終わりや。人に迷惑をかけた事を一旦反省して二度と間違いを繰り返さないと心に誓ったら、いつまでもその事を、思い悩むことなんて必要無いんや。全ては神様がコントロールされているんや。俺たちがその日に、どういう間違いやミステイクするのかは、神様がこの世界を創造される前から、もう想定済みなんや。

“あなた自身を罪人とみなしてはいけません。
罪とは単に過失に過ぎないものに誤ってつけられた名前です。
心から後悔し、二度と再び悪事を働かないと決心するならば、私はあなたの一切の罪を許します。あなたが無知だった時、あなたを誘惑した悪習を克服する力を与えたまえと神に祈りなさい。真、善、美part2p111”

ポニョ:つまり、大きな神の創造のドラマの中に、おいら達が、いつ、どのような間違いをするかという筋書きが既に書いてあるんやな。

ヨシオ:神様は、今、目の前の道を小さな砂糖の小さな粒を運んでいる蟻が、何歩、歩んで自分の巣に戻るか知っておられるんや。俺たちの心臓の鼓動が死ぬまでに何回打つのかも知っておられる。ポニョが生きている間に、何回オナラを落とすのかも知っておられる。

ポニョ:なんで、そこで、おいらのオナラの数が出て来るんや。もちろん、あんたも知っているように、おいらは芋が大好きやから、人一倍オナラはするぜよ。でも、その事を例に出して神様の創造の神秘の話をしないでくれますか?せっかく今まで、格調高い話やなと思って有難く聞いていたのに、突然レベルが落ちたやないの。

ヨシオ:人は誰でも、このいくつも荒波の押し寄せる人生で、大きな間違いを一つや二つ犯すけれど、一番覚えて置かないといけないことは、間違いを犯した時に、それを反省し、後悔して悩んでいるのは、自分がポニョだと思っている自分だ。ということなんや。本当の自分は、いっぺんの曇りもなく純粋で、常に喜びに満ちていて、その間違いを犯したポニョという肉体を自分だと思って勘違いしている自分を、静かに優しく見守っているんや。でも、実はそっちが本当のポニョなんや。

ポニョ:でも、極端な話、自分の不注意で事故を起こして人身事故を起こしたりしてしまうと、後悔してずっと悩んでしまうぜよ。

ヨシオ:たとえ、そんな極端な場合でも、その人身事故で亡くなった人は、その時に、その場所で亡くなるように、宇宙が創られる前から既に決まっているんや。だから、自分が不注意で事故を起こしたと思っているポニョは、それを機会に事故を起こさないように反省して、気を付けてこれからの人生を送って行けば終わりの話なんや。

ポニョ:そんなに簡単に割り切って人生を送ることが出来るかな?

ヨシオ:さっきも言ったように、一概にポニョというけれど、ポニョには、ポニョの体をポニョだと思っているエゴに覆われたエゴポニョと、「ポニョはいつまで自分とタヌキのようなポンポコ肉体とを同一視してるんや。」と思って、エゴポニョを暖かくいつも見守っているアートマポニョの二人がいてるんや。エゴポニョはそのエゴ、つまり、自分と肉体を同一視しているから、事故を起こしても、それは肉体である自分が起こしたと思っているんや、また人に迷惑をかけたりしても、それは、自分が人に迷惑を掛けたと思い込んでいるんや。でも、エゴポニョは、そういうふうにして、始めてエゴポニョからエゴを取り去って行く事が出来るんや。だって、そういう災難を通じないと、人って反省して自分のエゴやプライドを小さく出来ないやろ。だから、そういう人生での試練の時は、自分が本当のポニョである、アートマ、神様に近づくことが出来るチャンスなんや。その機会を上手く捉えて、自分というエゴを小さくし、いつも自分の横で、見守ってくれている本当のアートマポニョのレベルにまで昇華させたら、二人のポニョゲームが終了するんや。そのレベルに達するまで、いろんな災難や困難が人生に付きまとうんや。そして、その災難というのが、実は神さんからポニョへのプレゼントなんだ、と最後に気付くんや。だって神さんは、決して、帰依者が乗り越えられないような、耐えきれない、きつい困難を与えられられないから…。その帰依者がエゴを無くして行く上で、その帰依者に合った、最高の災難や苦痛を用意されているんや。それが、神様の恩寵なんや。そしてそれこそが、二元の世界から不二一元の世界へ行くための切符なんや。

ポニョ:そういうことなんや。災難さん、ありがとう、苦しみさん、ありがとうと言って生きていかなくてはいけないんやな。だから以前記事にしたように、人としての生の終わりに、神様と一緒になる前に、その人の口から出て来る最後の言葉は、「ありがとう神様」しか無いんやな。毎日どんな事があっても感謝の気持ちを忘れたらいかんという事やぜよ。なんか、分かったような気がして来た。要するに、人生に何があってもジタバタせず、ハッピーでいましょうって事やな。それなら簡単、簡単。チョー簡単。よく分かったぜよ。ああ腹が減って来たぜよ。難しい話ばかり聞いていたら…。あんたは、簡単な話を難しく説明する能力に長けているぜよ。

“あなたは私が理由もなくあなたに痛みを与えると思いますか。
あなたが今楽しみに対して心を開いているように、痛みにも心を開きなさい。
というのもその痛みは私の意思であり、あなたのために私が与えたものであるからです。
痛みを歓迎することをあなたの課題としなさい。
それから逃げてはいけません。
内を向いてそれに耐え、そこから恩恵を受ける力を引き出しなさい。
それらは全て私が計画したことなのです。
願いが叶えられないという苦しみを経て、私の声を聞くことを切望するようにあなたをし向けているのです。
私の声が聞こえれば、あなたのエゴや心も消え去るのです。サイババと精神科医c16”