小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

堺市の土塔

2017年09月20日 01時54分36秒 | パワースポット
 塔って何?と尋ねられたなら、みなさんは何と答えますか?
 高い建物?英語で言うところのタワーですかね?
 日本語において塔とは高い建物、っていうのは、まあ間違いではないです。
 ただ高い建物なら何でも塔というわけじゃないんです。
 あ、今日本語において、と言ったのは、塔って言葉、実はサンスクリット語のストゥーパが語源だか
らです。つまり塔という言葉は外来語なわけですね。
 それでストゥーパ、塔とは何かと言うと、本来は仏舎利(お釈迦様の遺骨)を納めたものを指します。
日本のお寺によくある塔がなぜあんなに高いのかと言うと、遠くからでも仏舎利を拝むことができる
ように高い建物にしてあるからです。もっとも正確には、日本のお寺にある塔のスタイルは中国仏教の
塔の影響を大きく受けているわけですけどもね。
 
 
 で、今回取り上げるのは大阪府堺市中区土塔町にある土塔。
 土塔とは書いて字のとおり、土でできた塔。
 ここには現存する最古の土塔が存在しているのです。
 
 この土塔は大野寺の仏塔だったもので、今も土塔と道路を挟んで隣に大野寺があります。
 大野寺は、現在では小ぢんまりとしたお寺ですが、奈良時代の有名な高僧、行基(668~749年)に
よって建立された由緒あるお寺で、創建当時はかなりの大寺院だったと伝えられています。
 
 ↓ 現在の大野寺
 
 
 
 では、その土塔に行ってみましょう。
 土塔の周辺は、現在は整備されて公園になっています。
 
 
 
 
 
 門をくぐると・・・。
 
 
 なんだか日本の仏教建築らしからぬものが見えますが、これが土塔です。
 
 
 すぐ近くまで寄ってみます。
 一辺が53.1メートル 高さ8.6メートル 五重の塔なんぞをはるかに凌ぐ十三重の塔です。
 表面は6万枚の瓦が葺かれていたことがわかっています。
 
 
 今の姿は往時をおもわせるものに修復・復元されているけど、昭和の頃の状態はほとんど放置状態と
言ってもいいくらいでした。
 修復・復元と言っても、それは本来十三重だった土塔の十二層まで。
 十三層目は仏舎利を納めた建物があったと考えられていますが、とうの昔にそれが消失してしまって
残っているのは十二層までだからです。
 その代りかどうかわからないけども、土塔の前に復元模型が置いてありました。
 
 
 ちなみに、今言ったように十三層目は古い頃に消失してしまったために想像で、こんなんじゃないかな~、と
考えられて造られたようです。
 写真じゃわかりづらいかもしれませんが、仏舎利を納めた建物が八角形です。これは土塔のてっぺんに
土台と思われるものが残されていて、それが円形だったことから、八角形の建物だったんじゃないか、と推測
されたそうです。
 
 今でこそアレですが、昭和の頃までは表面も土と草で覆われて、ほんと、ピラミッド型をしたただの小高い丘
にしか見えませんでした。ありがたみも何もあったもんじゃない。
 門の反対側に廻ると、今もその当時の姿のまんまです。
 
 
 創建当時の姿と昭和の頃の姿の両方が見られるようにしてあるわけですね。
 横の廻ると、あしゅら男爵かよっ、ってカンジなんですが・・・。
 
 
 それにしても、ありがたい仏舎利は一体どこにいってしまったんでしょうね・・・。
 もっとも、日本だけでも数多くの塔があるので、世界中にある塔すべてに本物の仏舎利が納められている
わけではないんです。
 さっき言ったように、仏舎利とはお釈迦さまのお骨ですので、当然のことながら数がかぎられているわけです。
 だから、本物の仏舎利の代わりに経典などが納められていることが多いそうです。
 
・・・ しかし、この大野寺の土塔、もっと有名になってもいいような気がしないでもないです。
 

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