小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

625 物部氏と出雲 その13

2018年04月02日 00時38分22秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生625 ―物部氏と出雲 その13―


 ここで話を一旦、阿久刀神社(あくと神社)と長幡部神社に話を戻します。
 この両者は服(はた)の他にもつながりがあるかもしれないのです。
 と、言うのは阿久刀神社の本来の祭神については、調連阿久太(つきのむらじあくた)と
する説の他にも第3代の皇后、阿久斗比売(あくとひめ)とする説があるからです。

 もっとも安寧天皇の皇后については『古事記』と『日本書紀』で異なる内容を載せています。
 まず、『古事記』では、安寧天皇の皇后は今しがた紹介したように阿久斗比売で、この人物は
師木県主羽延の娘となっています。
 対する『日本書紀』では、安寧天皇の皇后は、神渟名底仲媛命(ヌナソコナアツヒメノミコト)で、
事代主の孫、鴨王の娘としているのです。

 『日本書紀』が事代主系として、さらに皇后の父の名が鴨王というのも、鴨氏のことを考え
ると非常に興味深いところではあるのですが、今はそのことは横に置いて、問題は阿久斗比売
です。
 『古事記』では安寧天皇と阿久斗比売との間には三人の皇子が生まれたとあります。

 常根津日子伊呂泥命(トコネツヒコイノネノミコト)
 大倭日子鉏友命(オオヤマトヒコスキトモノミコト)、
 師木津日子命(シキツヒコノミコト)

の三人です。
 このうち大倭日子鉏友命が次の第4代懿徳天皇(いとく天皇)として即位するのですが、
弟の師木津日子命について、『古事記』は次のような内容のことを記します。
 師木津日子命には二人の皇子がおられ、ひとりの皇子は、伊賀の須知の稲置、那婆理の稲置、
三野の稲置の始祖、と。
 伊賀はいうまでもなく三重県の伊賀、那婆理とは三重県名張市のことで三野は美濃ですから、
ここでも三重県や岐阜県が関係してくるのです。
 それからもうひとりが和知都美命(ワチツミノミコト)で、この人は淡道(あわじ)の御井宮
(みいのみや)に坐してふたりの皇女をもうけたとあります。
 姉の方が蝿伊呂泥(ハエイロネ)、またの名を意富夜麻登久邇阿礼比売命(オオヤマトクニ
アレヒメノミコト)、妹の方が蝿伊呂杼(ハエイロド)です。

 このふたりの姫はともに第7代孝霊天皇の皇后と妃となり、蝿伊呂泥は吉備上つ道臣の始祖、
大吉備津日子命を生み、蝿伊呂杼は吉備下つ道臣と笠臣の始祖、若建日子吉備津日子命を生み
ます。
 さらには、若建日子吉備津日子命の娘、針間之伊那毘能大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)は
第12代景行天皇の皇后となり、大碓命(オオウスノミコト)、小碓命(オウスノミコト)すな
わちヤマトタケルを生むことになります。

 では次に長幡部神社です。
 長幡部神社の祭神、多弖命(タテノミコト)が神大根王と同一視されていることは先に紹介
したところなのですが、神大根王のふたりの娘が大碓命(オオウスノミコト)の妻となっている
のです。
 神大根王のふたりの娘については、『古事記』では、

 「三野(美濃)国造の祖、大根王の娘、兄比売と弟比売「
 
 一方の『日本書紀』では、

 「美濃国造、名は神骨(かむほね)の娘、姐の名は兄遠子、妹の名は弟遠子」

となっています。神骨(かむほね)が神大根(かむおおね)のことであることは説明するまでも
ないことだと思います。
 そして、記紀ともに共通して記すところは、当初、オオウスの父、景行天皇が、神大根王の
ふたりの娘が美人だと聞いて妃に迎えようと、オオウスを使者として神大根王のもとに送った
ものが、ふたりの媛を見たオオウスが自分の妻にしてしまった、といういきさつです。

 ところで、天皇が妃に迎えようとした媛を皇子が自分の妻にしてしまうというエピソードは、
これの他にも見ることができます。『日本書紀』の「応神紀」です、

 『日本書紀』応神天皇十一年の記事には、

 「人ありて(天皇に)奏して曰く、『日向国に嬢女(おとめ)あり。名は髪長媛。諸縣君
牛諸井(もろがたのきみうしもろい)の娘なり。美人なり』。天皇は悦(よろこ)んで、宮中に
召そうと思われた」

とあり、応神天皇十三年に髪長媛は日向より召されて桑津邑に遷りますが、媛を見たオオサザキ命
(後の仁徳天皇)はぜひ自分の妻にと望み、父の応神天皇より媛を賜ります。

 桑津邑は大阪市東住吉区桑津に比定されていますが、東住吉区桑津の地名の由来は
かつてこの地では養蚕が盛んで、蚕のエサとなる桑がたくさん植えられていたことから来て
いるといいます。

 ここにも服(はた)のつながりが見られるわけですが、この伝承で、もうひとつ見過ごしては
いけないことが、オオウスの伝承と共通している点です。いや、このふたつの伝承は同源のもの
である可能性もあるのです。ともあれ、記紀に見られる応神・仁徳天皇の恋話とオオウスの伝承、
これらには吉備が関係しているという共通点が存在するのです。