小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

547 製鉄の人々の伝承と出雲の神 その2

2016年11月15日 01時11分01秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生547 ―製鉄の人々の伝承と出雲の神
 
 
 ここで改めて「伊勢国風土記逸文」にある伊勢津彦の伝承について見てみますと、天御中主命
(アメノミナカヌシノミコト)十二世の子孫天日別命(アメノヒワケノミコト)が神武天皇から「東の
国を平定してまいれ」との命令を受けて、伊勢に赴き、伊勢津彦に
 「汝の国を天孫に献上せよ」
と、言いますが、伊勢津彦が、
 「吾は長きにわたってこの国に住んでおる。その命令をきくわけにはいかない」
と、拒否したので天日別命は武力でこれを制します。
 敗れた伊勢津彦は、
 「わが国は天孫に献上いたす。吾はこの国を出て行く」
と、誓い、大風を起こし、波を打ち上げ、太陽のように光り輝きながら伊勢を去ってきます。そして
信濃の国へ遷った、というものです。
 
 この伝承が古事記』が伝える、大国主の御子神の一柱、建御名方命(タケミナカタノミコト)の
神話に酷似していることに気づきます。
 建御名方命は、高天の原からの使者が大国主に国譲りを迫った時に、これを拒否し、建御雷神
(タケミカヅチ神)と戦って敗れて信濃に諏訪まで逃げて、「今後はこの諏訪から一歩も出ない」と
誓って許されます。
 
 この建御名方命の奇妙なところが、この神話が『日本書紀』には登場しないこと、また『古事記』
でも国譲りの段では大国主の御子神と記されながら、大国主の御子神たちの系譜の項には
建御名方命の名が記されていないことです。
 よって、『古事記』にも建御名方命の母神については記載されていないわけですが、『先代旧事
本紀』では、高志(越)の沼河比売(ヌナガワヒメ)が母神とされています。
 
 建御名方命を祀る神社のうち、もっとも有名なのが信濃の諏訪大社ですが、諏訪大社では
建御名方命とともにその妻である八坂刀売神(ヤサカトメ神)も祀っています。
 
 八坂刀売神は、信濃国安曇郡に鎮座する川会神社の社伝に、
 
 「建御名方命の后は海神の娘なり」
 
と、あります。海神とは綿津見命(ワタツミノミコト)のことで、川会神社はこの神を祀っています。
 
 信濃には八坂刀売神の他に、綿津見命の御子神たちを祀る神社が鎮座します。
 穂高見命を祀る安曇野市の穂高神社、玉依比売(タマヨリヒメ)を祀る長野市の玉依比売神社
などです。
 
 ただし、八坂刀売神は天八坂彦命(アメノヤサカヒコノミコト)の御子神という伝承も存在します。
 天八坂彦命は、『先代旧辞本紀』で、尾張氏らの祖である天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマホノニニギノミコト)が天下りする時に付き従った
三十二柱の神のうちの一柱で、伊勢神麻績連の(いせかむおみのむらじ)の祖、と同書は記します。
 
 その麻績氏の分布地なのですが、麻績氏が居住していたものであろうと思われる麻績の地名が
数ケ所あります。
 伊勢国多紀郡の麻績郷、信濃国伊那郡の麻績郷、信濃国更級郡麻績郷です。
 阿波国麻殖郡も関係があるといいます。『古語拾遺』によれば、天富命が、伊勢国造の祖である
天日鷲命の孫を率いて阿波国に赴き、麻の種を植えたのが麻殖郡の地名の由来であるといい
ます。
 
 このように麻績の地名が伊勢と信濃、そして阿波に存在するわけですが、つながる地名は麻績
だけではないのです。
 天日鷲命は阿波の忌部氏(いんべ氏)の祖でもあるのですが、阿波国には員弁郡(いなべ郡)が
あり、伊勢国にも員弁郡があり、信濃国には伊那郡(いな郡)があります。
 言うまでもなく、「いなべ」も「いな」も忌部から来ている地名で、とりわけ信濃の伊那郡には今でも
伊那部(いなべ)の地名が残っています(現在の伊那市伊那部)。
 また、伊勢の員弁郡は朝明郡の隣にあります。この地理的条件も伊勢船木氏の祖が伊勢津彦と
される理由のひとつかもしれません。なぜなら、忌部氏の祖である天日鷲命(アメノヒワシノミコト)と、
伊勢津彦を負かした天日別命(アメノヒワケノミコト)は一字違いであるため同神ではないか、という
説があるからです。
 
 そして、タケミナカタもまた信濃と阿波にその信仰を有します。
 言うまでもなく信濃におけるタケミナカタを祀る神社は諏訪大社が代表格なのですが、『延喜式』
には健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけ
神社)の名も記載されています。
 健御名方富命彦神別神社の論社が、長野市長野、長野市信州新町、飯山市にそれぞれある
健御名方富命彦神別神社です。
 
 一方の阿波国名方郡にも「元諏訪」と呼ばれる多祁御奈刀弥神社(たけみなとみ神社)が鎮座
します(現在の住所は徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪)。
 なお、社名がタケミナトミなのは、タケミナカタの「カタ」が抜け落ちたものであろう、と言われています。
 信濃の神社の社名が健御名方富命彦神別神社ということから、タケミナカタの本来の名はタケ
ミナカタトミであったと考えられています。
 
 タケミナカタの名を冠した神社が存在するのは信濃と阿波にのみなのですが、伊勢国にも、
四日市石諏訪栄町、桑名市多度町、桑名郡木曽岬町の三か所にタケミナカタを祀る諏訪神社が
鎮座します。
 そして、諏訪神社以外にも三重県にはタケミナカタを祀る神社が数社鎮座するのです。