小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

482 難波と大和と神婚譚⑪

2016年02月23日 01時03分15秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生482 ―難波と大和と神婚譚⑪―
 
 
 しかし、ここでひとつの疑問が生じるのです。
 タケミカヅチと結びつく4氏のうち、物部氏、中臣氏、尾張氏はいずれも連(むらじ)の姓(かばね)を
持つ氏族なのですが、三輪氏のみ君(きみ)の姓を持つ氏族なのです。
 連姓の氏族が結びつくのは、允恭朝以来の、臣姓氏族の滅亡とそれと替わるように天孫降臨神話に
与する連姓氏族が台頭してきたことを考えると理解できるのですが、ここに三輪氏が加わったのは
どういった理由があったのか、ということです。
 
 もっとも、これについては先に紹介したように、後の欽明朝時代や用明朝時代に物部氏、中臣氏、
三輪氏が仏教に反対した経緯があり、これが、三輪氏が物部氏と中臣氏と結びつく理由になった、と
考えることができます。
 
 ただし、『先代旧辞本紀』を見ると、三輪氏と尾張氏との関係もうかがうことができるのです。
 まず、建稲種命が、邇波縣君(にわのあがたのきみ)の祖、大荒田(オオアラタ)の娘の玉姫を妻に
した、という記述に注目したいと思います。
 この大荒田という名ですが、これはオオタタネコがいた陶邑に比定される地に陶荒田神社が鎮座
すること、『播磨国風土記』の、道主日女命(ミチヌシヒメノミコト)が盟酒を造るための田を作り、酒を
造った以降田は捨てられので「荒田」と呼ばれるようになった、という伝承に共通したものがあるので
はないでしょうか。
 この『播磨国風土記』では、道主日女命の夫は天目一命(アメノマヒトツノミコト)となっていますが、
見逃せないのは、『先代旧辞本紀』では、道主日女命は天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊の妻で、
その間に天香語山命が生まれたことになっているのです。
 つまり、尾張氏の始祖である天香語山命の母は道主日女命である、というのです。
 
 次に、注目したいのは、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊の三世孫(曾孫)についての記述です。
 
 「三世孫。天忍人命。この命は異腹の妹の角屋姫、またの名は葛木の出石姫を妻として、二男を
お生みになった。
 次に天忍男命。この命は葛木の国つ神・剣根命(ツルギネノミコト)の娘・賀奈良知姫(ガナラチヒメ)を
妻として、二男一女をお生みになった。
 妹に忍日女命」
 
と、あるのですが、天忍男命の舅にあたる剣根命は、陶荒田神社の祭祀氏族である荒田氏の始祖
なのです。(ちなみに、陶荒田神社の社伝では、陶荒田神社の初代神主はオオタタネコで、当初は
オオタタネコの祖霊を祀っていたといいます)
 
 天忍人命と天忍男命の兄弟はともに葛城とゆかりのある女性を妻にしているわけですが、この他
にも『先代旧辞本紀』には尾張氏の家系に葛城とゆかりのある人物名が多々登場しています。
 そこで三輪氏なのですが、『古事記』と『日本書紀』がともに記すところでは、オオタタネコは三輪氏と
鴨氏の始祖とあるのです。
 この鴨氏は鴨君のことで、たびたび登場する鴨縣主の鴨氏とは別系統なのですが、鴨は葛城にある
地名です。
 それに、鴨県主の方の鴨氏もまた、葛城が発祥であると「山城国風土記逸文」に記されています。
(ただし、鴨県主の発祥については、山城国葛野郡とする説など、異論を提唱する研究者たちもいます)
 
 この鴨県主と小子部氏がともに秦氏と関わりを持ち、その秦氏は養蚕に従事していたことはすでに
お話ししました。
 さらに、小子部氏が三輪氏や太氏と同じく大物主の子孫であることも。
 尾張氏は養蚕に関係していたのかもしれないのです。