小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

481 難波と大和と神婚譚⑩

2016年02月21日 00時56分24秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生481 ―難波と大和と神婚譚⑩―
 
 
 新嘗を穀霊の生誕を意味するという柳田國男のこの考察は傾聴に値します。
 なぜなら、稲穂を授けられたホノニニギは、『古事記』や『日本書紀』が伝えるところでは
生まれて間もない嬰児だからです。
 
 岡田精司(『古代王権の祭祀と神話』)も柳田國男と同意見で、稲実公等屋について、
 「稲実公が斎屋の傍で、奉斎しつつ物忌みした建物の名残りであろうか」
とし、
 「稲実卜部は神祇官であるから、稲実公とは違った役割が考えられる。後世の大嘗祭
では、収穫直前の八月に斎国に下向する定めになっているが、これは種稲分与が実施
されなくなった後の変化であろう。本来はやはり、予祝=年祈い祭において大王から授け
られたい種稲を持って下向し、大王の直轄領=屯倉に伝達する任務をもったものであろう」
と、説きます。
 
 また、『延喜式』の「祈年祭祝詞」にある「御年初将賜登為而」という一節は、「御年初め
給むとして」と訓まれていますが、岡田精司はこれを、
 「御年、初めて賜むとして」
と、訓んで、
 「御年=稲種を本年初めて下賜するという意味にとれないだろうか」
と、考察します。
 
 稲種公が屯倉と関係するという意見は、井上辰夫(『古代王権と語部』)もまた同じ考察を
しています。
 井上辰夫が注目したのは、『熱田大神宮縁起』にある、天火明命十一世の孫、建稲種公
(タケイナダネノキミ)という人物です。
 『先代旧辞本紀』にある、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアマノ
ホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)の十二世の孫、建稲種命(タケイナダケノミコト)とあり、
その両親と妻の名については両書とも一致します。
 すなわち、建稲種命(建稲種公)は、乎止与命(オトヨノミコト)と尾張大印岐(オワリノオオ
イミキ)の娘の真敷刀俾(マシキトベ)との間に生まれ、自身は邇波縣君(にわのあがたの
きみ)の祖、大荒田(オオアラタ)の娘の玉姫(タマヒメ)を妻にして二男四女をもうけた、と
あります。
 
 健稲種命の母である真敷刀俾ですが、この名は『日本書紀』の安閑天皇二年の記事に
登場する真敷屯倉との関係をうかがわせます。
 それに、妻が邇波縣君の娘というのも、尾張国丹羽郡の縣を指していると考えられます。
 つまり、建稲種命は天皇や朝廷の直轄地とゆかりが深いことになり、そのことから稲種公と
関係があり、尾張氏に、新嘗祭の神事まつわる伝承が存在していた可能性がある、と井上
辰夫は指摘するのです。
 
 ところで、尾張氏の系図を『先代旧辞本紀』に求めると、尾張氏の始祖は、天照國照彦天
火明櫛玉饒速日尊の子、天香語山命(アメノカゴヤマノミコト)とあります。天香語山命は、
物部氏や穂積氏らの始祖である宇摩志麻遅命(ウマシマヂノミコト)の異母兄になります。
 その天香語山命について、『先代旧辞本紀』は「またの名を高倉下命(タカクラジノミコト)」
と記します。
 高倉下といえば、タケミカヅチが自分の分身とも言える霊剣、布都御魂(フツノミタマ)を預け
られる役目を担っています。タケミカヅチは、神武天皇を助けるためにこの霊剣を降下させた
のですが、直接神武天皇には与えず高倉下を経由させているわけです。
 なお、この伝承は、『古事記』、『日本書紀』、『先代旧辞本紀』がともに記しているものです。
 
 そうすると、タケミカヅチを通して結びつく三輪氏・中臣氏・物部氏の三氏に尾張も加える
ことができるのです。
 すなわち、
 
 三輪氏。タケミカヅチ(建甕槌命)の子オオタタネコを始祖とする。
 中臣氏。タケミカヅチの祭祀を司る。
 物部氏。タケミカヅチの分身布都御魂を管理する。
 尾張氏。タケミカヅチの分身布都御魂を預かり、神武天皇に渡す。
 
と、いう結びつきになるのです。
 
 しかも、天香語山命の父の天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊はホノニニギの兄です。
 まさに尾張氏は天孫降臨や斎庭の稲穂と関係していると見てよいでしょう。