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小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

岡山御坊跡 (前編)

2017年10月25日 00時30分47秒 | パワースポット
 今回はパワースポット編です。
 
 ただし、今回紹介するのはパワースポットと呼ぶにはちょっと違うかもしれません。
 何しろ、今回は史跡だからです。
 
 それで今回取り上げるのは大阪府岸和田市にある岡山御坊跡。
 岸和田市にある、ため池としては大阪府最大の面積を誇る久米田池。その東側に岡山と呼ばれる丘陵地が
あります。この岡山に岡山御坊は造られました。
 
 ↓ 久米田池の西側にある久米田寺から岡山方面を望む。
 
 
 
 ちなみ久米田池は東大寺の大仏を造った聖武天皇の命により、奈良時代の高僧、行基が造ったものです。
 行基と言えば、前回採り上げた、大阪府堺市の土塔を造った人でもあります。
 
 
 この人。久米田池以外にもたくさんため池を造っています。お坊さんなのにどうして土木工事に精を出していた
のかというと、ため池は農業用水の水源として利用されるものですから、今でいうところの慈善活動の一環な
わけです。
 
 まあ、そんなところで、まずは岡山御坊の「御坊」の説明からしなければいけません。
 御坊とは浄土真宗における、門首が住職を務めるお寺のことです。もちろん、門首は浄土真宗の本寺にあたる
本願寺にいるので、御坊には不在で、実際には従来の住職が御坊のお留守居として住職を務めていました。
これを御坊お留守居と呼称します。
 
 久米田池から岡山御坊の向かう道。ここに「極楽通り」と書かれた道標だか碑だかがあります。信仰の名残と
いうやつでしょうか。
 現在でも信仰の跡が残っているのでしょう。
 
 ↓ 極楽通りより久米田寺方面を望む
 
 
 
 
 
 そして、岡山丘陵を登るとちゅうにある、今度は地獄坂なる名称。
 
 
 
 戦国時代から安土桃山時代にかけて、本願寺(この頃はまだ西本願寺と東本願寺には分れておらず、本願寺は
ひとつでした)は、現在の大阪城がある場所に存在しました。これを石山本願寺といいます。元々この場所は古代
よりパワースポットで、石山本願寺がここに築かれたのも、その後に秀吉が大阪城を築いたのもその辺に理由が
あったのではないでしょうか。
 
 11代門首であった顕如の時に、石山本願寺は織田信長と10年間に渡って戦いました。これを石山合戦といい
ます。
 この戦いは天正8年(1580年)、和睦によって終結し、顕如は石山本願寺を退去し、和歌山市の鷺森御坊
(本願寺鷺森別院)に遷りました。ここで3年間を過ごした後、天正11年(1583年)、貝塚御坊(願泉寺)に遷り、
さらにその2年後の天正13年(1585年)に新しくできた大坂の天満本願寺に遷るまでの5年間は和歌山と泉州が
浄土真宗の中心だったのです。
 ちなみに
 貝塚御坊は司馬遼太郎の『城塞(下巻)』にも登場するので、司馬遼太郎ファンの方は知っておられるのでは
ないでしょうか。
 また、貝塚御坊は貝塚市の北に位置しており、岸和田城は貝塚市に隣接する岸和田市の南に位置するため、
両所は歩いて行ける近距離にあります。参考まで。
 
 ↓ 貝塚御坊(願泉寺)の山門
 
 
 そんなところで岡山御坊です。
 岡山御坊の建立は文亀3年(1503年)、顕如が石山本願寺を退出して鷺森御坊に遷る80年ほど前です。
建立された理由は、浄土真宗の泉州南部への進出の拠点にするため、と伝えられています。
 そんな岡山御坊ですが、天正8年、顕如が石山本願寺から鷺森御坊に遷った同じ年に、織田信長の家臣で
岸和田城代を務めていた寺田又衛門によって焼き討ちされました。
 その後再建計画もあったそうですが、結局再建されないまま岡山御坊は消え去ってしまったのです。
 ちょうどこの頃、織田信長は和泉国や紀州の平定に取り掛かっていたのです。
 
 ↓ 岡山御坊跡。住宅地の角地にあります。
 
 
 ↓ 正面から。
 
 
 
 ↓ 地獄坂より久米田寺方面を望む
 
 
 現存する鷺森御坊や貝塚御坊に比べると、岡山御坊は消失してしまっているだけに、かつて存在したという
ことすら知らない人も多いかと思います。
 
 そして、岡山御坊を襲った災難が久米田の戦いだったのです。
 
 (つづく)

堺市の土塔

2017年09月20日 01時54分36秒 | パワースポット
 塔って何?と尋ねられたなら、みなさんは何と答えますか?
 高い建物?英語で言うところのタワーですかね?
 日本語において塔とは高い建物、っていうのは、まあ間違いではないです。
 ただ高い建物なら何でも塔というわけじゃないんです。
 あ、今日本語において、と言ったのは、塔って言葉、実はサンスクリット語のストゥーパが語源だか
らです。つまり塔という言葉は外来語なわけですね。
 それでストゥーパ、塔とは何かと言うと、本来は仏舎利(お釈迦様の遺骨)を納めたものを指します。
日本のお寺によくある塔がなぜあんなに高いのかと言うと、遠くからでも仏舎利を拝むことができる
ように高い建物にしてあるからです。もっとも正確には、日本のお寺にある塔のスタイルは中国仏教の
塔の影響を大きく受けているわけですけどもね。
 
 
 で、今回取り上げるのは大阪府堺市中区土塔町にある土塔。
 土塔とは書いて字のとおり、土でできた塔。
 ここには現存する最古の土塔が存在しているのです。
 
 この土塔は大野寺の仏塔だったもので、今も土塔と道路を挟んで隣に大野寺があります。
 大野寺は、現在では小ぢんまりとしたお寺ですが、奈良時代の有名な高僧、行基(668~749年)に
よって建立された由緒あるお寺で、創建当時はかなりの大寺院だったと伝えられています。
 
 ↓ 現在の大野寺
 
 
 
 では、その土塔に行ってみましょう。
 土塔の周辺は、現在は整備されて公園になっています。
 
 
 
 
 
 門をくぐると・・・。
 
 
 なんだか日本の仏教建築らしからぬものが見えますが、これが土塔です。
 
 
 すぐ近くまで寄ってみます。
 一辺が53.1メートル 高さ8.6メートル 五重の塔なんぞをはるかに凌ぐ十三重の塔です。
 表面は6万枚の瓦が葺かれていたことがわかっています。
 
 
 今の姿は往時をおもわせるものに修復・復元されているけど、昭和の頃の状態はほとんど放置状態と
言ってもいいくらいでした。
 修復・復元と言っても、それは本来十三重だった土塔の十二層まで。
 十三層目は仏舎利を納めた建物があったと考えられていますが、とうの昔にそれが消失してしまって
残っているのは十二層までだからです。
 その代りかどうかわからないけども、土塔の前に復元模型が置いてありました。
 
 
 ちなみに、今言ったように十三層目は古い頃に消失してしまったために想像で、こんなんじゃないかな~、と
考えられて造られたようです。
 写真じゃわかりづらいかもしれませんが、仏舎利を納めた建物が八角形です。これは土塔のてっぺんに
土台と思われるものが残されていて、それが円形だったことから、八角形の建物だったんじゃないか、と推測
されたそうです。
 
 今でこそアレですが、昭和の頃までは表面も土と草で覆われて、ほんと、ピラミッド型をしたただの小高い丘
にしか見えませんでした。ありがたみも何もあったもんじゃない。
 門の反対側に廻ると、今もその当時の姿のまんまです。
 
 
 創建当時の姿と昭和の頃の姿の両方が見られるようにしてあるわけですね。
 横の廻ると、あしゅら男爵かよっ、ってカンジなんですが・・・。
 
 
 それにしても、ありがたい仏舎利は一体どこにいってしまったんでしょうね・・・。
 もっとも、日本だけでも数多くの塔があるので、世界中にある塔すべてに本物の仏舎利が納められている
わけではないんです。
 さっき言ったように、仏舎利とはお釈迦さまのお骨ですので、当然のことながら数がかぎられているわけです。
 だから、本物の仏舎利の代わりに経典などが納められていることが多いそうです。
 
・・・ しかし、この大野寺の土塔、もっと有名になってもいいような気がしないでもないです。
 

美具久留御魂神社②

2015年05月12日 00時01分56秒 | パワースポット
パワースポット 美具久留御魂神社②

 それでは、参拝するとしよう。
 まずは拝殿。



 鳥居のその向こうに拝殿。



 神社の説明文では、二礼四拍手一礼。さすが大国主をお祭りする神社ですね。
出雲大社と同じです。
 けど、説明文には二礼二拍手一礼でもいいと書いてある・・・。



 拝殿のその向こうに本殿がある。



 本殿に至るまでには石段を登っていく。本当は拝殿の横から回る道が参道と
なっている。
 実は、この上の山こそが本来の御神体。



 これが本殿前の拝所。



 ↓ 左手前が拝所で右手奥が本殿です。



 しかし、どうして出雲や丹波から離れた大阪府の富田林市にこのような神社と
伝承があるのでしょう?
 明治時代に、全国に数あった神社がそれぞれの地域にある1つの神社に統合
された。
 美具久留御魂神社の場合、ここに統合された神社に大伴神社があり、また、
郡天神社や利雁神社などの、元は羽曳野市にあった神社もここに統合されている。
 この羽曳野市に隣接した藤井寺市には、伴林氏神社(ともはやしのうじ神社)が
あり、伴林氏は大伴氏の一族なのだ。
 大伴氏は天忍日命(アメノオシヒノミコト)の子孫と『古事記』は伝えているが、
この神は『古事記』の中では、天津久米命(アマツクメノミコト)とともに、天孫
降臨で日向に降り立つホノニニギの先導をする役目を担っている。
 出雲国造神賀詞では、アメノヒナトリノミコト(『古事記』ではタケヒラトリノ
ミコトという名前)が天孫降臨の使者となった、とされている。
 アメノヒナトリ(タケヒラトリ)はアメノホヒ神の御子神である。
 出雲大社の宮司の千家家はタケヒラトリの子孫だと『古事記』に書かれている。
 そして『日本書紀』には、出雲フルネの神宝とは、「武日照命(タケヒナテルノ
ミコト)が天より持ち来れる神宝」と記し、さらにタケヒナテルとはタケヒナトリの
ことだとしているから、出雲フルネもタケヒラトリの子孫のようだ。

 伝承としては、出雲と大伴氏は密接な関係にあり、そのことからこの地に美具久
留神の祭祀が生れた可能性も考えられるのである。

 それに、『新撰姓氏録』によれば、河内国の氏族のひとつに出雲臣の名が見える。
 河内にも出雲臣を称する氏族がいたのである。
 出雲フルネや出雲大社の千家家はアメノホヒの子タケヒナトリの子孫だけども
河内の出雲臣は、『新撰姓氏録』に、アメノホヒ12世の孫、吾田片隅命の子孫と
なっている。



 さて、次は近つ飛鳥風土記の丘だ。
 ちなみに、奈良県の明日香村は「遠つ飛鳥」という。
 なぜ、大和王権が奈良の飛鳥を「遠つ飛鳥」で大阪の飛鳥を「近つ飛鳥」と呼ん
だのかはよくわかっていない。

 スタート地点に建つ近つ飛鳥博物館では「古代出雲とヤマト王権展」をやって
いたけど、春奈が早くハイキングしたいと言うので後ろ髪をひかれつつパス。


 丘、と言っても、風土記の丘の奥にある平石城跡まで登っていけばちょっとした
ハイキング気分である。



 道もハイキングできるよう整えられています。



 風土記の丘は一須賀古墳群の史跡公園である。
 古墳の数は120基。そのうちのいくつかは中に入ることができる。体験型の見学が
できるわけだ。



 ↓ 中に入ることができますけどライトを持っていた方がいいです。



 展望台。河内平野を見渡せます。なお、平石城跡へはここからまだ上に登って
いきます。



 ちなみに春奈は登り始めて10分後に早くも「もう帰りたい」と言い出し、途中
ヘビに出くわして半泣きになるなどしながらも、平石城跡まで登り、風土記の丘を
一周しました。

(おわり)

美具久留御魂神社①

2015年05月10日 23時25分43秒 | パワースポット
パワースポット 美具久留御魂神社①


 先日から春奈が「山登りしたい」と熱くリクエストしてきた。
 じゃあ、金剛山でも行きますか、と思ったけど、体力を使うことをハンパなく嫌う
春奈が本当にハイキングなんて無謀なことに挑んで大丈夫か?と、不安だったので
大阪府河南町の近つ飛鳥風土記の丘に行くことにした。

 せっかくなので、風土記の丘に行く途中に富田林市の美具久留御魂神社(みぐくる
みたま神社)に寄り道することにした。



 美具久留御魂神社を訪れるのは3回目だ。



 これは、美具久留御魂神社のゆるキャラみぐくるん。頭に二上山を載せてます。
 もちろん、これには意味がある。


 神社の正面には二上山が見える。



 春分の日と秋分の日には、二上山の雄岳と雌岳の間から朝日が昇るそうだ。
 それも、鳥居を額にしてその中に二上山から昇る朝日を拝むことができる。





 とろこで「みぐくる」とはどういう意味なのだろう?

 『日本書紀』には10代崇神天皇の時代のこととして次のようなことを記している。

 天皇(崇神天皇)は、出雲大神の宮にある神宝を見たいと望まれたので、矢田部造の
遠祖、武諸隅(タケモロスミ)を派遣した。
 出雲の神宝は、出雲臣の遠祖、出雲振根(イズモフルネ)が管理をしていたが、ちょうど
その時筑紫に出向いており不在だった。
 それで、イズモフルネの弟、飯入根(イイイリネ)が代わりに勅命を承り、弟のウマ
シカラヒサとその子のウカヅクネに神宝を献上させた。
 その後、筑紫から戻ってきたフルネは、このことを聞き、
 「なぜ神宝を渡したのか!」
と、激怒し、その怒りは収まることなく、ついには弟を殺してしまおうと考えた。
 フルネは、真剣そっくりの木刀を作らせると、イイイリネを、
 「近頃、止屋(やむや)の淵に藻がたくさん発生した。それを見に行くのだがお前も
一緒に来てくれるか?」
と、声をかけて誘い出した。
 二人で止屋の淵まで行くと、
 「淵の水は清らかではないか。せっかくだから、ここで一緒に沐浴しよう」
と、フルネが言った。
 二人はともに沐浴をして、先にフルネが水中から上がると弟の太刀を佩き、剣を抜いた。
 イイイリネは驚いて兄の太刀を手にしたが、これは本物に似せて作った木刀であった
から、フルネに斬り殺されてしまった。
 このことで、人々は、

 八雲たつ イズモタケルが 佩ける太刀 黒葛(つづら)多(さわ)巻き さ身なしにあわれ

と、歌った。
 ウマシカラヒサとウカヅクネは朝廷に参上し、事の次第を伝えた。
 天皇は、吉備津彦(キビツヒコ)と武渟川別(タケヌナカワワケ)を遣わしてイズモ
フルネを討たせた。
 この一件以来、出雲臣たちが大神を祭祀することをやめてしまった期間が生じた。
 時に丹波の氷上郡の人で氷香刀辺(ヒカトベ)が、皇太子活目命(イクメノミコト=後の
11代垂仁天皇)に、次のような訴えをした。
 「私には子がおり、まだこどもなのですが、それがこのようなことを言い出したのです。

「 玉藻鎮石 出雲人の祭る 真種の甘美鏡 押し羽振る 甘美御神 底宝御宝主
 山河の水泳る(みくくる)御魂 静かかる甘美御神 底宝御宝主 」

 皇太子は天皇にこのことを報告し、天皇は出雲の大神の祭祀を復活させるよう勅命を
出した。

 氷香刀辺の子に降りた神託に「水くくる御魂」なる一文が登場する。

 美具久留御魂神社の社伝によると、この神社の由来は氷香刀辺の子の神託をうけて
崇神天皇が活目皇子を遣わして美具久留御魂の名を贈り祀らせたもの、となっている。

(つづく)

出雲大社34 エピローグにかえて

2014年03月16日 23時14分58秒 | パワースポット
パワースポット編 ―出雲大社34 エピローグにかえて―


 出雲大社の訪問記事も前回で終了です。
 ここまでお付き合いくださった方、本当にありがとうございました。
全部で33回も書いてしまいました。この回を入れると全34回です。
うち、出雲大社の訪問レポートそのものが14回までだから、国譲り神話を扱った回が19回
ということですね。本編よりもおまけの方が長くなってしまった・・・。

 出雲大社の訪問レポートだけで終わりゃあいいものをなぜ国譲り神話まで取り上げたのか、と
言えば、そこには「人が存在するから」だ。
 当たり前のことだけど、神話だって最初から存在していたものじゃない。
 人が生みだし、人が伝えてきたものだ。
 だから、時の流れとともに神話も変化しているはずなのである。
 今、私たちの知っている神話も、元々の姿とは違うものになっていると思ってよい。
 それなら、神話の本当の物語を知りたい、そして、変化していった過程にはどんな人たちが
て、また、どんな人たちが伝えて来たのかを知りたい。
 そんな気持ちからここまで続けて来た。
 もっとも自分自身としては、もっと書きたいこともあったけども、それだとあまりにもマニ
アックすぎるものになってしまうから、かなりの量を削った。

 とりあえず最後に、参考にさせていただいた資料を紹介させていただこう。
 2014年3月現在、ニュースなどでは、大発見と言われた細胞の研究者の博士論文が他の
論文の流用だの参考文献のリストも流用だの揉めている。
 まあ、これのような一素人のブログなんぞに疑惑の目を向けるような人はまずいやしないだろ
うけど、念のため。


   


↑ 参考にさせていただいた本。藤村由加『古事記の暗号』だけは、ただ今、人に貸している
のでここにはありませんが。


 参考文献一覧(順不同)

 大阪府編纂『大阪府史 第一巻 古代編Ⅰ』
 日本古典文学全集『古事記 上代歌謡』(小学館)
 岩波古典文学大系『古事記 祝詞』(岩波書店)
 岩波古典文学大系『風土記』(岩波書店)
 岩波古典文学大系『古代歌謡集』(岩波書店)
 岩波古典文学大系『太平記 四』(岩波書店)
 岩波古典文学大系『日本書紀 上・下』(岩波書店)
 国史大系『續日本紀』(前篇・後篇)(吉川弘文館)
 米沢康『日本古代の神話と歴史』(吉川弘文館)
 大和岩雄『神社と古代王権祭祀』
 大和岩雄『神社と古代民間祭祀』
 志田諄一『古代氏族の性格と伝承』(雄山閣)
 岡田精二『古代王権の祭祀と神話』(塙書房)
 直木孝次郎『日本古代の氏族と天皇』(塙書房)
 三谷栄一『日本神話の基盤』(塙書房)
 松前 健『日本神話の形成』(塙書房)
 松前健『古代信仰と神話文学』(弘文堂)
 大林太良『日本神話の構造』(弘文堂)
 水野祐『古代の出雲と大和』(大和書房)
 谷川健一「鶏型土器について」(松前健 / 白川静 ほか『古代日本人の信仰と祭祀』所収)(大和書房)
 谷川健一『青銅の神々の足跡』(集英社)
 土橋寛『古代歌謡全注釈 古事記編』(角川書店)
 千家尊祐「出雲大社のすべて」(歴史読本「謎の古代出雲王朝」所収)(新人物往来社)
 門脇禎二『古代の出雲』(NHKブックス)
 門脇禎二『葛城と古代国家』(教育社)
 井上辰夫『古代王権と語部』(教育社)
 鶴岡静夫編『古代王権と氏族』
 西郷信綱『古事記注釈 第一巻』(平凡社)
 藤村由加『古事記の暗号』(新潮社)
 山上伊豆母『神話の原像』(民族民芸社)
 阿部眞司『大物主神伝承論』(翰林書房)
 井上光貞『日本古代国家の研究』(岩波書店)
 柳田國男『柳田國男全集 第九巻』(筑摩書房)
 折口信夫『折口信夫全集 第一巻』(中公文庫)
 折口信夫『折口信夫全集 第十七巻』(中央公論社)