そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

ハルウララ

2007年06月09日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 日本 106分
■2007.6.3 GyaO
■監督 森川時久
■出演
   渡瀬恒彦(宗石大))  
   賀来千香子(宗石綾子)
   忍成修吾(藤原健祐)
   七海まい(宗石美佳)
   前田吟(武市量樹)
   ガッツ石松(尾崎喜作)
   竹中直人(中西秀勝)

 《story》

「一番がおれば、ビリもおる。あたりまえやん。」

「勝ち負けよりも、今日の笑顔」


高知競馬の調教師宗石は、不況の中で厩舎の経営に苦しんでいた。それでも、老いた馬を牧場に売ることができず、馬への愛情を注いでいた。妻の綾子は家計が苦しく、家族より馬を思う宗石を置いて、娘と家を出てしまう。そのころ、北海道から新しく入った梅にハルウララと名付けられ、調教の技術を学びたいと健祐がやってきた。ハルウララは連戦連敗。ついに87連敗。それでもがんばるハルウララrを高知新聞が記事にしたことから、全国に知られるようになる。武豊が騎手となっても優勝はなかった。しかし、負けても負けても走り続けるハルウララに、声援は大きく広がっていった。

 明快でいいよ
一時、ニュースでも騒がれたから知っているよ。負けてばかりの馬を応援したくなる気持ちはよくわかる。でも、それはだれかがそういう方向に目を向けたから。そうでなかったら、絶対に負けてばかりの馬は、バカにされ中傷され、捨てられるだけ。それはそれは冷たい世の中。崖っぷちの犬だって、だれかがそこに救おうという目を向けさせたからであって、そうでなかったら人知れず死んでいく犬であっただろう。もしかしたら、バカな犬として、下から石でもぶつけられたかもしれない。何でもあっても人間は勝手なものだ。
映画として、負け続けた馬と自分を同化させ、応援したくなる明快さは好きだ。ラストで優勝したらものすごい感動があっただろう。そこまではドラマはできなかった。調教師の宗石さんが、ほんとうに負け馬をそこまで大事にしたことが真実なら、私も大いに学びたい。今の世の中「負ける」ということがどれだけ心の傷になるか、負けは少しでも自分の弱みを見せることであり、自分をいつも強く見せていなければならない。それはしんどいうものだ。
単純明快に、ハルウララを応援し、夢と希望をいつも抱いて、負けても負けても、一歩でも前進してくことを求めて、走り続けることができる限りがんばろう。

公式サイト「ハルウララ」

 いじめはあった 2007.6.9
「わたしたちの教科書」では、いつも腹立たしく思いながら見てしまう。いじめはいやだ、するのもされるのも。死んだことを笑っていられることに怖さを感じる。あの笑顔の下に、少しでも自分を責める気持ちはないのだろうか。
私は今でも夢に見る。いじめたこと、いじめられたこと。そのことが学校で問題になったことはない。だれかから注意を受けたことも、注意したこともない。いじめについて話し合った記憶がない。忘れているだけなのだろう。だったら、あのドラマの女の子の笑顔と同じじゃないか。あの子たちの笑顔は不思議でも何でもない。昔からある現実。心の奥底に、隠れた自責の念が、苦い思いが、きっと隠されている。いじめたことも、いじめられたことも、今でも鮮明に覚えている。

ヴォイス

2007年06月09日 | ホラー

2005年 韓国 106分
■原題「Whispering Corridors 4 : Voice」
■2007.6.3 wowow
■監督 チェ・イックァン
■出演
  キム・オクピン(ヨンオン)
  ソ・ジヘ(ソンミン)
  チャ・イェリョン(チョア)
  キム・ソヒョン(音楽教師ヒヨン)
  イム・ヒョンギョン(キム・ヒョジョン)
  チョン・ジエ(ファジョン)

  《story》
放課後、歌の練習をしていたヨンオンは、誰かの気配を感じ、廊下をさまよっているとき、何者かの投げた楽譜が喉にささり死んでしまう。翌日、ヨンオンは、級友たちに声をかけるがだれも返事をしない。そればかりか自分の身体を通り過ぎてしまう。親友のソンミンだけが、ヨンオンの声を聞くことができた。二人で、ヨンオンの死の真相を探り始める。そして、かつて音楽教師のヒヨンにあこがれ、ヨンオンと同じ声で歌を歌っていたヒョジョンを知る。

 すっきりしない
何となくわかったようでよくわからないストーリーだった。ヒョジョンの嫉妬からくる殺人。音楽教師も声を聞くことができた? どうして殺された? 相談にのっていたチョアも殺されたよね。どうして? 最後はどうなったの?
この女子校怪談シリーズでよくわからないシリーズなのかな。怖そうで、意味不明ですっきりしないので、その怖さが伝わってこない。やっぱり映画は、見終わったあと内容が頭に入って、幸せな気分になったり、悲しさがじーんと残ったり、恐怖の全容があきらかになったり、そうでないと欲求不満が残ってしまう。声しか聞こえない、その意味が、目の前が開けるように発見でき、そうだったのかと整理できたらいいのに。死んでいるのに影があったり、鏡に写ったりと、不自然さに目が言った。もったいない作品だと思った。

 昔はあれほどこわかったのに  2007.6.9
テレビで吸血鬼やフランケンシュタインの映画をやるときは、ワクワクしながら見たものだ。怖い場面では手を顔に当てて、手の隙間から見ていた。どうしてあんなに怖かったのだろう。今考えると不思議だ。あまり見る気にもならない。怖さって何だろうか。ホラー映画は、今でも好きでよく見るけど、何かもの足らない。子ども時代のような、ワクワク感がない。でも、よく考えると何にワクワクするのだろう。首が一回転すること。目が飛び出すこと。手が切り落とされること。それがワクワクするホラーなのかな。何かちがうような気がする。リングには少しあった。目に見えない、不思議なものへのワクワク感。ホラー映画に求めているもの。