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■2005年 日本 106分
■2007.6.3 GyaO
■監督 森川時久
■出演
渡瀬恒彦(宗石大))
賀来千香子(宗石綾子)
忍成修吾(藤原健祐)
七海まい(宗石美佳)
前田吟(武市量樹)
ガッツ石松(尾崎喜作)
竹中直人(中西秀勝)
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「一番がおれば、ビリもおる。あたりまえやん。」
「勝ち負けよりも、今日の笑顔」
高知競馬の調教師宗石は、不況の中で厩舎の経営に苦しんでいた。それでも、老いた馬を牧場に売ることができず、馬への愛情を注いでいた。妻の綾子は家計が苦しく、家族より馬を思う宗石を置いて、娘と家を出てしまう。そのころ、北海道から新しく入った梅にハルウララと名付けられ、調教の技術を学びたいと健祐がやってきた。ハルウララは連戦連敗。ついに87連敗。それでもがんばるハルウララrを高知新聞が記事にしたことから、全国に知られるようになる。武豊が騎手となっても優勝はなかった。しかし、負けても負けても走り続けるハルウララに、声援は大きく広がっていった。
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一時、ニュースでも騒がれたから知っているよ。負けてばかりの馬を応援したくなる気持ちはよくわかる。でも、それはだれかがそういう方向に目を向けたから。そうでなかったら、絶対に負けてばかりの馬は、バカにされ中傷され、捨てられるだけ。それはそれは冷たい世の中。崖っぷちの犬だって、だれかがそこに救おうという目を向けさせたからであって、そうでなかったら人知れず死んでいく犬であっただろう。もしかしたら、バカな犬として、下から石でもぶつけられたかもしれない。何でもあっても人間は勝手なものだ。
映画として、負け続けた馬と自分を同化させ、応援したくなる明快さは好きだ。ラストで優勝したらものすごい感動があっただろう。そこまではドラマはできなかった。調教師の宗石さんが、ほんとうに負け馬をそこまで大事にしたことが真実なら、私も大いに学びたい。今の世の中「負ける」ということがどれだけ心の傷になるか、負けは少しでも自分の弱みを見せることであり、自分をいつも強く見せていなければならない。それはしんどいうものだ。
単純明快に、ハルウララを応援し、夢と希望をいつも抱いて、負けても負けても、一歩でも前進してくことを求めて、走り続けることができる限りがんばろう。
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「わたしたちの教科書」では、いつも腹立たしく思いながら見てしまう。いじめはいやだ、するのもされるのも。死んだことを笑っていられることに怖さを感じる。あの笑顔の下に、少しでも自分を責める気持ちはないのだろうか。
私は今でも夢に見る。いじめたこと、いじめられたこと。そのことが学校で問題になったことはない。だれかから注意を受けたことも、注意したこともない。いじめについて話し合った記憶がない。忘れているだけなのだろう。だったら、あのドラマの女の子の笑顔と同じじゃないか。あの子たちの笑顔は不思議でも何でもない。昔からある現実。心の奥底に、隠れた自責の念が、苦い思いが、きっと隠されている。いじめたことも、いじめられたことも、今でも鮮明に覚えている。