そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

バッシング

2007年06月17日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 日本 82分
■2007.6.10 wowow
■監督 小林政広
■出演
   占部房子(高井有子)
   田中隆三(高井孝司-父)
   香川照之(支配人)
   大塚寧々(高井典子-継母)
   加藤隆之 、本多菊次朗 、板橋和士

 《story》

「ひとりの女性が日本を捨てた。
         彼女が彼女であるために」


北海道の海辺の町。有子は自転車で仕事場に出かけた。中に入ってあいさつしても返事がない。仕事中に支配人に呼び出され解雇される。有子は、外国で武装グループに拉致、監禁され、その後解放された。帰国後も自己責任を問われ、非難されていた。その波が仕事場にも押し寄せ、雰囲気が悪くなるからという理由だった。
帰りがけ、コンビニでおでんを買った。しかし、店先で、わざとぶつかられ、落ちたおでんを踏みつけられた。家では無言の電話、抗議の電話がかかる。父は、「お前はいいことをしたんだから」と、有子を慰めたが、その父も会社をやめざるを得なくなった。家でぶらぶらしていた父が、ベランダから飛び降りて死んだ。継母の典子は有子を責めた。しかし、有子は涙ながらに典子に訴えた。もう一度、あの国に行かせてほしいと。

 これはいじめだ
小泉総理がこのいじめの元を作った。それに軽く乗ってしまう浅はかな国民。そんな腹立たしい映画だ。だいたいいじめの構造そのものを政府が作っている。この国の中心に人を大切にする土壌はない。いつも裏が見え隠れする。いい言葉の裏には、だれかが儲かる話がきっとある。そしてそのことが見えないように、誰かに目を向けさせる。この映画の中では、彼女を励ます人はいなかった。父母だけ。まるで隔離されたようなアパート。別世界に追い込まれたかのような煙に覆われている。これが現実なんだろうか。ボランティアなんてだれもしなくなる。
おでんをひとつひとつ分けて入れさせ、つゆをいっぱい入れてもらう。この行動は、バッシングと切り離して考えたい。彼女の特性はそれ。おでんをそうすることに何の意味があるのか考えてしまう。好奇な目と非難の目があるときに、こんなことをしてしまうと、感情を逆撫でしてしまう。今まで自分が生かされない人生を送ってきた気持ちはよくわかる。自分を求めてくれるときの喜びも、まるで自分のことのようにわかる。自分に自信がない。その上、非難ばかりされる。よく耐えてがんばっていると思う。結局追い出されてしまうけど、自分から求めていくのだろうけど、果たして再び自分を喜びの目で迎えてくれるのだろうか。外国に行っても、ひとりで活動できるわけではない。仲間がいる。自分が生かされる場、それが見つかることを望む。

公式サイト「バッシング」

 ちょっと期待してました 2007.6.17
うれしいこと。福岡にいる息子が、先月の母の日に花を贈ってきた。父の日なんてあってないようなものだけど、もしかしたらって少し思っていた。そうしたら、ステーキの肉を送ってきた。気持ちがいれしい。会社の人に言われてかもしれないけど、自分が稼いだお金で買って送ってくれるその気持ちがうれしい。身体に気をつけて、無理をしないで、毎日をこつこつと送ってほしい。

  『うらなり与右衛門』 藤沢周平 新潮文庫 【BOOK】 2007.6.16
大きな感動があるわけじゃないけど、「ほーっ、そうなんだ」と小さな感嘆の声をあげてしまう。どの時代も謀略はある。でも、正義もある。そして、正義がきっと感嘆の声を作る。与右衛門がわなにはまり、そしてわなにはめた伊黒伴十郎が、与右衛門にやられてしまう。大ぴらな敵討ちではなく、彼から刀をぬかした。まるで闇の仕置き人のような、いやだれにも彼にもわからぬようなまるで罰が下るような感覚。彼も敵討ちされているなど夢にも思っていないだろう。与右衛門の心の内はわからぬが、どの時代も正義が通るすがすがしさだ。

パッチギ! LOVE&PEACE

2007年06月17日 | 人間/社会派ドラマ


2007年 日本 127分
2007.6.9 シネツイン1  with r,t
■監督 井筒和幸
■出演
   井坂俊哉(アンソン)
   中村ゆり(キョンジャ-妹)
   西島秀俊(野村健作-芸能人)
   藤井隆(佐藤政之-元国鉄車掌)
   風間杜夫(ビョンチャン)
   キムラ緑子(オモニ-母)
   手塚理美(キョンスン)
   キム・ウンス(テオさん)
   今井悠貴(チャンス-息子)
   米倉斉加年(長老)
   馬渕晴子(ホルモン屋のおばさん) 村田雄浩(朝鮮将棋のおじさん)
   ラサール石井(三浦プロデューサー) 杉本哲太(根本映画監督)
   麿赤兒(大物俳優) でんでん(ライトエージェンシー社長)
   寺島進(船長) 国生さゆり(お志摩)  田口浩正(南プロデューサー)
   すほうれいこ(なおみ)  宮川大輔(アイドル水中運動会のAD)
   山本浩司  松尾貴史(ギャグ好きのおじさん) 清水優(ヨンギ)
   桐谷健太(近藤好夫-不良の親分) 田中要次(国鉄運転手)
   浜田学(錦宏次郎)  菅原大吉(舞台あいさつの司会者)
   長原成樹(相手の船長)  田中哲司(取調官)
   愛染恭子(スナックのママ)  木下ほうか(ヤクザ役の俳優)
   ソン・チャンウィ(若い日のジンソン)
   新屋英子(故買屋の女店主)  中村有志(宇野重吉)
   温水洋一(居酒屋のマスター)  木村祐一(済州島の船長)

 《story》

「生き抜くんだ。どんなことがあっても」

1974年アンソンは京都で大暴れしていたとき、桃子との間に生まれた息子のチャンスが病気になり、東京に移り住んだ。ある日、駅で宿敵近藤率いる応援団と朝鮮高校の乱闘に巻き込まれる。そのときの国鉄職員佐藤が首になり、アンソンの家族と親しくなっていく。佐藤は、アンソンの妹のキョンジャに想いを深めていく。チャンスの病気は、筋ジストロフィーで、多額の費用が必要だ。キョンジャは、偶然声をかけられた芸能プロダクションに入ることを決意する。地道に仕事をしていく中で、自然体のタレントの野村に惹かれていく。アンソンは、治療費を作るために、金の密輸に手をかけるなど暴走していく。キョンジャの恋、突っ走るアンソン・・・その背景に、朝鮮から日本に連れて来られた父の姿が入り交じる。

 どうしてけんかばかりするんだ
「パッチギ1」もそうだったけど、なぜこんなに暴力のシーンが必要ななのかわからない。それ以外はすばらしいと思うんだけど、題が「頭突き」だから・・・。この暴力に何らかの主張があるんだろうか。「負けてはいられない」という気持ちの、前進を意味する「頭突き」ならわかる。しかし、このままだと、ただの暴力の連鎖にすぎない。過去の出来事に大きな起因があるが、今のままではどうにもならない。暴力にはさらなる強大な暴力の返しがやってくる。決して結ばれることはない。

 望む平和って
自分の県を自慢するように、国もそんな感覚で受け入れることはできないのだろうか。日本人と言っても、3000年前は、大陸からやってきただろうし、渡来人もたくさん来ただろうし、反対に日本からさまざまな国に行っているはず。それぞれの県の文化を大切にするように、ただそれだけで完全に区別することなく、同じ人類としての土台を持つことはできないのだろうか。この映画を見て、過去を知ることの大切さ、現実をしっかり見ていくとの大切さはわかるが、本当に平和を望んでいるのかどうかは疑問に思ってしまう。日本人だとか朝鮮人だとか、言わないでいっしょにいられる平和。もちろん過去を忘れるわけじゃないけど、もういがみ合うことなく、これからのことを一緒に考えていける、同じ目線でいられることが、平和への道じゃあないのだろうか。

公式サイト「パッチギ! LOVE&PEACE」

 まとめて見てしまう 2007.6.17
「日本人は・・・」 「朝鮮人は・・・」
ついまとめて見てしまう。身近なところでも、○○学校は・・・男というものは・・・
パッチギのレビューを見て悲しくなった。朝鮮というだけで、ただ批判する。どんな作品でも一長一短。いいなあと思う部分とそうじゃない部分がある。それを冷静に見ることができる心がほしい。ツチ族だから、フツ族だからとただそれだけで分けてしまうから争いは起こる。同じ人間として見ていくことができる力がほしい。そんな言い方や、外見だけに囚われて、中身を見ることができなくなってしまわないように。

 『エイジ』 重松清 新潮文庫 【BOOK】 2007.6.16
ドラマのように、通り魔となったタカちゃんの心の奥底を考え、タカちゃんの支えとなるのだと思った。どうしてタカちゃんが、こんな事件を起こしたのか、その真相を探り、世の中に一石投じるのだと思っていた。そうなるだろうと思いながらそうならないのでいらいらもしてきた。そんな単純なものじゃなかった。私自身は、単純明快であることを望み、そんな支え合う理想的な結末を夢みていた。
だれもが犯罪者のとなりに立つことはありうる。また、だれもが犯罪者自身になることもありうる。自分自身がそうであって、自分はちがう。そのちがいが何であるかわからないけど、たぶん人とのパイプ。パイプが切れる。そう、「切れる」その心に際限なく近づくことは、きっと今の時代は容易になりつつある。いや、自分自身が近づいているのかもしれない。最近読んでいる本がそんな種類の本だけに、自分の中にある「その気」を身近に意識してしまっている。そうでなかったら、ツカちゃんのように被害者の意識に近づくことが当然だし、タモツっちゃんのように、冷淡に見る者は非難されてしまう。彼は自分のことで精一杯で、だれとも同化しようとしていない。
「エイジ」は、どこにでもいる少年A・・・・ただ彼には岡野がいて、ツカちゃんがいて・・・相沢志穂がいた。タカちゃんには・・・・
学校に登校したタカちゃんが、つい自分の子どもの姿と重なった。きっとだれかの声を待っている。