■2006年 韓国 124分
■原題「OUR HAPPY TIME」
■2007.9.22 サロンシネマ2
2007.12.23 DVD
■監督 ソン・ヘソン
■出演
カン・ドンウォン(チョン・ユンス)
イ・ナヨン(ムン・ユジュン)
カン・シニル(イ主任)
ユン・ヨジョン(シスター・モニカ)
キム・ジヨン(パクおばさん)
チョン・ヨンスク(ユジュンの母)
チャン・ヒョンソン(ユチャン=ユジョンの兄)
オ・グァンノク(死刑囚2896)
《story》
「死刑囚の男と自殺願望の女。
人生の果てに訪れた、奇跡のような“幸せな時間”」
貧しい少年時代を過ごし、殺人を犯した死刑囚のユンス。裕福な家庭に生まれながら、叔父に暴漢を受け、それを見てみぬふりをした母を許せない、3度も自殺未遂したユジュン。ユジュンは叔母のシスターに連れられ、刑務所の囚人を慰問する。「愛国家」をかつて歌手として歌ったユジュンに会いたいというユンスの願いをかなえたかったからだ。しかし、ユンスは心を開こうとしない。ユジュンも素っ気ない素振りを見せる。ユジュンは、シスターに頼まれ、毎週木曜日にユンスに会いにいく。初めは離れていた二人は、少しずつ近づき、お互いの胸の内を語り始める。そして、ユジュンは写真や手作りの弁当を持っていくおゆになり、ユンスもこの時間を楽しみにするようになる。二人の幸せな時間は、彼らにもっと生きたいという気持ちにさせた。しかし、その終わりは突然やってきた。ユンスの死刑の執行が決まった。
限りがあるから幸せと感じる
もうないんだということが、それまでのことをどんなに幸せに感じさせてくれることか。制約があればあるほど、それを越えようとする心の結びつきは大きい。貧乏でもお金持ちでも、心の傷は不幸を思わせる。幸せは、だれかと心がつながったときに感じることができる。こんな幸せな時間は、たとえどんなに短く限りがあろうとも、とても貴重だと思う。「生きていたい」「生きていてよかった」と思える時間。自分の存在が輝く時間だと思う。きっとだれにでも幸せな時間はやってくる。それは永遠には続かない。儚い時間だから幸せを感じることができる。1枚の写真に、決しておいしいとはいえない弁当に・・・。
劇場は女性が多かった。私は誰かを見にいくような映画は見ない。内容がよければ、その俳優も好きになる。カン・ドンウォンは「1%の奇跡」で見た。あの雰囲気は全くない。ラストの執行の場面は涙がいっぱいあふれてくる。彼の恐怖が伝わってくる。執行の前の最後の食事で、ごはんをつまらせ、「死ぬかと思った」というジョークは、笑えないどころか悲しみが大きく広がった。
2007.12.23 DVD
反省の心で罰を受けること
自分の罪を悔い改めて死刑になるとしたら、それは安らかに受け入れられるかもしれない。でも、自分の罪を心から反省し悔い改めている人を死刑にするとしたら、それはもしかしたら犯罪かもしれない。いや、あのボタンを押す人のことを考えたら、簡単に死刑にはできなくなる。良心がある人ほど、あのボタンは押せない。合法的な殺人だからだ。今まで、死刑はいいとか悪いとか軽く意見していたけど、実際にその死刑を宣告する人、死刑執行を命令する人、連れ出す人、準備する人、ボタンを押す人、後始末をする人・・・そんなことを考えたら、そこに関わる人の心の中がどれほどのものか見えてきて、いたたまれなくなる。言うは簡単、実際に実行する人の苦悩は計り知れないもの。まるで戦争と同じ。戦争を起こさせるは簡単、実際に前線で実行する人の苦しみは莫大なものだ。
心が通じ合えた二人なのに、それが引き裂かれる悲しみは、これからも続くのだろうか。それとも通じ合えた幸せをいつまでも感じ続けることができるのだろうか。
公式サイト「私たちの幸せな時間」
ご迷惑でしたらお赦しください。
自分が日頃から考えていることですが
人は一体、何のために生きているのでしょうか?
人はどこから来て
何のために生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
神の存在、愛とは何か、生きる意味は何か、死とは何かな
どの問題などについて、ブログで分かりやすく聖書から福音
を書き綴っています。ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
(聖書のことば)
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところ
に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
(マタイの福音書11:28)。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛
している。」(イザヤ書43:4)。