趣味の日記

観劇・歴史・小説・漫画などなど、思いつくままの語り日記

チューリップ

2019-03-17 21:23:51 | 歴史散策
先日、仕事から帰宅してふとベランダを覗くと、いつの間にやらチューリップちゃんがペケッと咲いている!



びっくりしました…まだ茎も大して伸びていないのに。
そういう種類なのか。

ほかのチューリップちゃんは相変わらずなかなか伸びてこない…。
ほんとに咲くのかな(汗)。


月末、両槻会の定例会で高取城に登るのですが、中世山城ということで、久々に歴女してます。
南朝方の越智氏がつくったとされる高取城は、飛鳥から吉野へ通じる芋峠の至近距離。
この芋峠を、吉野へ攻め入る高師直が通ったのでは?という話がありまして、実際どうだったのかをシュミレーションしつつ検証中。
四条畷で楠木正行を破ったあとの、高師直の動きを拾い集めているところです。
ネットサーフィンだけだと出典がわからない記述も多く、実際が定かではない事柄も多くありますが、こうだったら面白いな~とあれこれ妄想しています。

四条畷→平田荘→→吉野→風の森峠・巨勢河原→平田荘→京へ帰還

この流れはほぼ間違いないようですが、平田荘から吉野へのルートがはっきりしない。

平田荘→橘寺→芋峠→吉野

これが確かに一番、理に叶っていて最短距離、と思うのですが。

河内には高師泰、平田荘には佐々木道誉を置き、師直本隊で吉野を突いたとすれば、最短で吉野の行宮へ到達できるのは芋峠が妥当じゃないか。
その際の、高取城の守りはどうだったか。越智氏はその時、どこを守っていたのか。
越智だけでなく、南大和の武士団そのものが、どこでどう動いていたのか。
カギは、平田荘から御所、五条地域の動きですね。
楠木が四条畷まで攻め上ったにしても、後詰の四条隆資率いる吉野勢本隊がいたはず。
本隊はどうしたのか。

まとめられたらいいなと思います。

コメント
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