秋の色づき

2009年10月25日 | 環境 -

今年は、夏に雨が多かったので、紅葉の風景が「もうひとつ」である。
森の中の「きのこ」のはえ具合も、「もうひとつ」である。

過日、知床の自然が、例年とは違う異様な状況だというニュースを聞き、
そのことを思い出した・・・。

全国的に、異常気象は、現実的な問題を、これからも引き起こしていくのだろう。

今回の一番綺麗な「紅葉ショット」は、これかなぁ・・・。

赤い色と、黄色い色と、白樺の木が、なんとも素敵な雰囲気で、
ちょっぴり絵画的な感じを受ける。

自然の心配をしながら、自然にはいつも「癒されている」。


山荘の夜

2009年10月25日 | 自分 -

この週末は、知人の山荘に “こもった”。 

こもった理由は、“一人の時間を大切にして、自分と向き合うこと!”。

誰の目も気にせず、他人の評価も気にせず、自分自身の行動に対しても、
誰からも何も言わせず、・・・ただ「自分とつきあう時間を大切にする」ことが
大きな目的である。


お天気は気になったが、お蔭様で天気予報は外れ、雨のなかった場所に出向き、
昼は気の向くまま「森」に入り、地元の人と触合い尽し、心と身体の“のび”を
するかのような時間を過ごした。

「素の自分」で、他人と付き合うことは、また一つの開放感がある。
自分を知っている人とでも、当方の心持ちを変えれば、全く違った付き合い方が
目の前に広がっていくことも、しみじみと感じた。




夜は・・・暖炉に火をつけて、音のない世界を、ただのんびりと楽しんだ。
燃え盛る火を、何時間もの長い時間、ただ和みながら見つめていると・・・
頭の中が“からっぽ”になった。
暖炉に足を投げ出して(暖をとりながら)、紅茶を入れて、ただぼ~っとした。
本当に、充実した時間だった。
一人で薪を燃やすのも、一人で火を見続けるのも、「豊かな時間」だった。




次の夜は、同じように暖炉の前で火を見ていたら、音楽が聴きたくなった。
前夜の静寂とは全く違う欲求が、突如として、噴き出してきたのである。
クラシックCDを5枚、“からっぽ”の頭で、聴き終わったところで、
触発されたのか、刺激されたのかわからないのだが・・・・
芸術意欲がくすぐられ、突然、音楽を奏でたくなってしまった。
その山荘には、質のよいグランドピアノがあったので、その前に陣取り、
(幼稚園から中学校まで習っていたので)記憶に残るピアノの旋律を思い出し、
鍵盤を慎重にたたきながら、(思い出しつつ)メロディーに神経を傾けていた。
そのような状態を、最初は、しばらく続けていたら・・・・
その内に、それさえも“どうでもよくなって自由にやってみたくなった”ので、
まるで、ジャズセッションのように、和音や心地の良い音だけを選んで、
頭は“からっぽ”にしたまま、心のままに、ピアノと対峙しはじめていた。
緩急をつけ、ペダルも操作しながら、たった一度しか弾けない心の音楽!
すべてが、自分の“想いのまま”にまかせた行動である。

おそらく、1時間近く、ピアノの前には座っていただろう。
その後に訪れた感覚は、「自由」と「満足」・・・そして、「達成感」だった。

音楽は、やはり素晴しい。
クラシックの歴史が長い理由も、次々に新しいリズム曲がでて発表されるのも、
また、人が美しい音楽を聴いたり、大好きな音楽を聴いたりしている時に、
人の脳に心地の良い脳波がでてくるのも、すべてが理解できる気がした。




そして、何よりも重要なポイントは、自分の“心のままに行動する”という
非常に簡単でありながらも、とても大切なこと。
他人の目を気にしないことが、どのような予期せぬ行動を導きだすのか・・・
本当に想像もつかなかった。
他人に気遣うこともなく、さびしい感覚も感じず、ただ「自分の時間を過ごす」。

そして、その経験から見えてきたのは、私を抱きしめてあげるということ!!
心の底から、迷わず、しっかりと、抱きしめてあげるということ!!
今、言えることは、ただそれだけだけれど・・・
思い切り(自分で)自分自身を抱きしめてあげると、自然と・・・
周りの人が愛おしくみえるのは、とっても不思議で、心地の良いことである。