「 年越しうどん 」

2015年12月31日 | 食事 -
日本では、「 細く、ながぁ~く 」 という願いを込めて、
年の瀬には、「年越し蕎麦」を食べるのが習慣です。

四国でも、年越し蕎麦は定番。

特に、我が故郷では、名物「祖谷そば」があり、
それなりに美味しい蕎麦が、山間部では収穫されます。


けれど、私は、あえて「年越しうどん」です。

父と一緒に通った小さなうどん屋さんが、今は・・・
場所を変えて、大きなうどん店になっています。

装いだけではなく、味も変わりました。





   
薬味(天かす)の手前の黒いものは、ダシで使った昆布を
煮つけて美味しいおかずにしてくれています。
これが、なかなか美味しいのですょ。

写真の薬味は、ネギ、削り節、大根おろし、天かす、生姜。
その他、すだち汁や、ゆず汁、みまから等、多数あります。

いくらでも自由に食べられます。

セルフサービスで、うどんの汁は「おかわり放題」です。
存命中の父は、よくおかわりしていましたね。
今は、おかわりするぐらいの汁ではなくなりましたが、
他の店よりは、まだマシではないかと思います。


「 マイナンバー制度 」

2015年12月30日 | 日乗考察 -
今秋、私にも 書留で 「 マイナンバー 」 が 届いた。
国民一人一人に振り当てられた12桁の番号のことである。
正式名称は、「 社会保障・税番号 」 と言うらしい。

誤解もあったり、きちんと認識されていない現状の中、
制度だけが進んでいる感じがする。

TVでは過剰情報が提供され、将来に対する不安を抱いたり、
疑問が噴出している最中で、何かと問題があるように感じる。


来年の1月から 番号の利用が始まるので、仕事先から
マイナンバーの提示を求められている人も多いだろう。

現時点での使い方としては、社会保障と税の分野なのだが、
いろいろと誤解をしている人もいるようだ。



「 便利だなぁ 」 と思えるとしたら、それは ( おそらく )
2017年夏ぐらいからで、国と自治体がネットワーク化され、
個人情報をマイナンバーで照合するので、あらゆる手続きが
簡単になる時からだろう。
また、同様に、2017年1月からは、個人用のサイトである
マイナーポータル 」 が始まるようだ。
そこでは、自分が収めた税金や、将来もらえる年金などが、
自宅のパソコンでチェックできるようになる。



マイナンバーの目的としては、効率化と公平・公正な社会の
実現ということを謳っているが、これを具体的に言うと・・・
「 社会保険料 」 と 「 税金の徴収強化 」 なのだろう。
企業の年金未納対策など、末端の人間には衆智されていない
ことなどもある。 
会社が従業員の給料から天引きしていても、国に収めていないと
その従業員は ( 将来 ) 年金を受け取れなくなる。
そんなことは、あってはならないことだ。



とにかく、多くの人が 「 わかりにくい 」 と感じている制度が、
マイナンバー制度。
新しい仕組みなので、戸惑うことが多い。
そういう私も 通知カード を目にしながら、大掃除の途中で、つい・・・
見入ってしまった・・・。


国の思惑で進み、行政の都合のいい状態が優先されたため、
国民にとっては 複雑な制度 に なってしまっている。
理解できていない現実こそが、情報漏えいの元凶となるからこそ、
慎重に伝えなければならないのに・・・
私の印象からすると、「 丁寧に説明すること 」 が できていない。
もしかすると、来年、様々な問題やトラブルが起こる可能性がある。


    


将来に向けて拡大する可能性がある仕組みであるならば、
尚更、その都度、国は きちんと説明するべきだ。
それを怠って、一方的に実施しても、現場は問題回避には
程遠いのではないだろうか。

今からでも遅くない。
きちんと 説明をする姿勢 を、心から希望する。

理解できていない状態を放置するのは、一番よくないことだ。

今年の “ 不意打ち的に通した安保法案 ” のようなことは、
“ 本来は 許されるべきことではない ” と、私は 思う。



サーロイン200g ペロリ!

2015年12月29日 | 食事 -
仕事収めをした後に、精肉店に飛び込み・・・
牛肉 サーロイン 200g を 購入しました。

牛肉のひとかけらの値段が、
いつものランチ予算の2~3倍以上でしたが、財布の紐を ゆるめました。
「元気をつけるため!」



自分で 家用のフライパン使用。
塩コショウで、両面を強火で焼き、中身はレアにしました。
ソースは、無添加のハンドメイド。
フルーツを練りこんだ醤油+味噌+にんにくたっぷりの
なかなかのソースです。

お肉が上等すぎて、私には脂身が強すぎましたが・・・
とてもおいしくいただけました。

これからの忙しさに対応するためのエネルゲンです。



先週、レストランでいただいた顔つきとは全然違います。

お肉だけの値段で、このプレートの二倍以上でしたので、
脂が綺麗に入った牛肉200gの威力は 存分にありましたね。



月に2度ぐらいは、お肉生活したいという気分になりました。
今の私には、闘争するパワーが必要だと思うし、何よりも
底力をつける大事さを痛感しているからです。
上等肉の焼き方も、もっと上手くなりたいですし・・・。
精肉店主と仲良くなって、サービスしてもらえるぐらいの
付き合い人にもなりたいものです。

来年は、パワーを補給しながら、元気に生活したいです。


「 エンディングノート 」

2015年12月29日 | 日乗考察 -
私が ( 生まれて初めて ) 「 遺言書 」 を書いたのは、
母が亡くなって、父の見守りを はじめた頃だった。
そして、その後、介護人生活になった際には、より詳しく
遺言書を 書き直したのを 覚えている。
それらは、まだ開封されることなく、我がタンスの奥に
しまわれている・・・。




人は、予期せぬ事故 に巻き込まれてしまうことがある。
若くても、病気 になってしまうこともあるし・・・
もしもの時 」 というのは、ある日、突然にやってくる ものだ。


自分に関する情報や財産、意思、希望などを明確に記して、
周囲の人に書き記すことを目的とした 「 エンディング ノート 」。

最近は、適切に 編集された万人向けのノートが 売られており、
このたび 参考程度に 手に入れてみた。

そのノートの中には、あらゆる法律情報が盛り込まれていて、
自分が 自主的に書き込んで 仕上げるようになっている。

私の情報としては、住所や生年月日などの個人情報から、
保険証番号 ( 保管場所 )、年金番号 ( 保管場所 )、パスポート、
運転免許証、マイナンバー、趣味、好きな食べ物、服装、余命告知の有無、
手元に置いておきたいもの、して欲しくないもの、呼び名など。
「 知っておいて欲しい自分のこと 」 も 書くようになっていた。
すごく丁寧で、細やかに整理して明記するようになっている。



エンディングノートの項目は、多方面にわたっていて、
自分を取り巻く情報、生い立ち、ペット、家系図、親戚、友人、
どのような治療を受けたいのか、介護は誰に(どこに)託すのか、
介護費用の捻出方法、財産の意思表示、葬儀のやり方 や お墓、
その他、「 残された人にお願いしたこと 」 においては、
身の周りの物品整理から パソコンのデータをどうするかまで
書き記すように、既成のエンディングノートは 編集されていた。
なかなか詳しくできており、ページをめくるたびに、
「 なるほど 」と唸る項目が 幾つも あったりした。



母の時には、財産や登記簿謄本の在り処を 教えてもらった。
父の時には、私が管理をして、全てを 私に委ねられていた。
若くして身体を悪くし、両親共に はやく逝ったために、
私はひとり残されてしまったが、あらゆる経緯の中で
介護人として貴重な経験をさせてもらったと思っている。


次は、私の番だ。
このような 「 エンディングノート 」 を仕上げるまでには、
膨大な時間がかかりそうだ。
友人の住所や連絡先を書いて、葬儀には知らせるべきか否か、
そんな細かいことも 全て 明記するようにできているからだ。

「 医療・介護 」 「 財産 」 「 葬儀 」 「 お墓 」 ・・・
現在の私の想定外のことばかりだが、可能な限り、
少しずつ考えていかなければならない。
延命治療 や 尊厳死 などについても、しっかりと考えて、
自分の最期をイメージしながら、希望を整理していきたい。



家族であれば甘えられるようなことであっても・・・
他人の手を借りて お願いしなければならない私にとっては、
慎重に、明確に、書き記すことが良いのかもしれないと感じる。

普段は、話題にもできないようなことが多いし、それでいて、
重要な情報や事項なので、大切な 自分の伝言 となるだろう。


書き記すためには、心を決める必要があるので、その過程の中で
“ 私の人生を振り返ること ” が 多少なりとも できるかもしれない。


自分の裸の心の想いを残しておくことは、大切なことだと思う。
そんなことを感じながら、この 「 エンディングノート 」 を眺め、
押し寄せてくる新しい感慨を 今 かみしめている。


こういうことは 「 尊重されるべき意思表示となる 」 だろう。
そして、私自身が、将来、本当の “ 高齢者 ” になる前に、
日常の判断が難しい人格になってしまう前に、
少しずつ意識して 整理しておくべきだと思っている。
( まだまだ 前向きで 元気なうちに・・・ )


私が生きた証としても、大切な最後のメッセージとなるはずだ。



  
それにしても、
「 まだ10~15年先でも充分大丈夫かなぁ 」 と
思ってしまうことが、
「 もしもの時 」 には 困ることになるのかなぁ。

「 まだ早いんじゃないかぁ? 」 と思いたい事実 を
自分自身の中で 確認している・・・。



「思考」が影響を与えるもの

2015年12月27日 | 言葉 -


 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


       < by マザー・テレサ >


      

最近、この言葉の意図することを、実生活で経験しています。

思 考 」 の大切さを感じ始めてから数十年。
心の中に浮かぶ様々な想いは、すべて思考によるものであって、
これをコントロールすることは大変なことだと思います。

この思考の質や傾向が、人となりを形成しているように
感じることが度々あります。
そうではない人もいるけれど、そう感じる人が多いのは
歴然とした事実だと思っています。

この私自身もまた、そうだと感じることがあるのです。


冬は「牡蠣フライ」でしょ!

2015年12月26日 | 食事 -
以前は、生牡蠣 を頻繁に食べていた。

磯の香りがする 「 生牡蠣 」 は、大好きだった。

「 海のミルク 」 は、とにかく美味しい。




「 牡蠣フライでしょ? 」 とは言ってみても・・・
油にあたることがあるし、今は そう頻繁には食べない。

お店で注文をした後で、テーブルに運ばれてきたものが、
小さな小粒の牡蠣で、ひどい油に揚げられていたりしたら、
食べるのが切なくなってしまうからだ。



それでも、やっぱり、牡蠣は美味しい。

だから、食べるよね。
食べたいよね。


メリークリスマス!

2015年12月25日 | ナンセンス -
メリークリスマス!

今年も、慌ただしい 師走 となりました。

また、一年が、 という間に、過ぎていきましたねぇ。



たまごの殻を使ったクリスマスツリーです。

よく見ると、ツリーごとに、飾られているものが
少しずつ違うのがわかります。
造花などの他、まつぼっくりや、ハッカクなども(笑)。




背景の緑に映えて、
ちょっとばかりユニークなクリスマスツリーでした。

Merry Christmas  and  Happy New Year!


「 逝き方 」 を考える

2015年12月25日 | 雑感 -
突然、友達から電話が、かかってきた。
東京から脱出したい。
  どこでもいいから。
  とにかく離れたいのよねぇ
 」



母親の介護をしながら、一人で専門的な仕事をしつつ
頑張っている友達は、 ・・・ 現在 ・・・
とても疲れているのかもしれない。
そう感じた。
私には、単なる旅のお誘いには聞こえなかったからだ。

彼女は、現在独身の 「 天涯孤独(予備軍)の女性 」 だ。

その一人娘を高齢出産したお母様は、老人ホームで今、
しっかりとした脳細胞のまま、元気にされている。
娘である彼女は、定期的に顔を見せに行っているらしい。


   


彼女には、高収入を得られる仕事があるので、
経済的に困ることはないが、自分の老後に関しては
少しばかりの不安があるようだった。

高額収入を維持していても、
いつまでも働けるわけじゃないし、
何時どうなるか わからない。

預貯金がたんまりあるとはいえ、老人ホームにおける
毎月の支払い金額が20万円相当はかかるので、
いつまで続くものやら・・・(本人談)。






高齢者の半数が、「 最期を迎えたい場所 」 として
自宅 を選んでいる。

終末期医療については、いろいろなケースがあり、
ご本人の選択も多種多様な場合があるようだ。
しかし、結局は、「 長く生きる 」 ことよりも、
「 どのようにして生きていきたいか 」 ということが、
人生の終末期の貴重な時間を過ごす際には
大切な要素になるのではないだろうか。


晩年の生き方は、「 逝き方 」 でもある。

「 生きたいという意欲 」 や 「 おぼろげに感じる幸福 」、
「 手応えのような生きがい感 」 などは、日常生活の中で
意識しておくべきポイントかもしれない。
それらを感じられなくなった時、「 自力で楽しく生きる気力や
体力が低下した 」 と判断してもよいのかもしれない。

     
         


親を看取るのは、子供の役目だと、私は思う。
親は、その死に様を、子供にちゃんと見せて、
人生の先輩としての役割を果たすべきだ。

親と子の「 切っても切れない関係 」 だからこそ、
たまに ものすごい疲労感を感じてしまうのだろうが、
親子は ( やはり ) 特別な関係だと思う。

気持ちがあれば悲哀に満ちてくるし、負担に感じていたら
悲壮感が満ちる。

健康的で、建設的な終末期医療を考えた時には、
毅然とした高齢者の 「 死生観 」 が成立していないと
なかなか難しい。



現状、親の最期を、子供が決めているのが多いようだが、
もうワンステップあがって、「 逝き方を決めた親 」 が
出てきてもいい頃だと思うし、そのような形態が 自分も
納得 ( 満足 ) できるのではないかとさえ感じる。

簡単なことではない。
だからこそ、早めに心を決めておくことが
後になって違いを産みだすように思えてくる。

決して暗く淋しい話ではなく、人生の終末にむけて、
準備や覚悟ができることで、残された時間を安心して暮らし、
心穏やかに暮らせる可能性があるように思う。
尊厳ある最期 こそ、人として有意義に生きられる要素では
ないだろうか・・・。

      


今年は無理だから、来年は彼女のプチ旅行に付き合おうと
思っている。
私も、リフレッシュしたい。

そして、時間をかけて、これまでの “ あれやこれや ” を
ゆっくりと聴いてあげたいものだ。


condolences ( 哀悼 )

2015年12月22日 | 出来事 -
今日もまた、 訃報 が届いた。

師走の “ 慌ただしく、寒々しい時期 ” に、
またひとつの命が 逝ってしまった。
つれあいを亡くして、一年もたたない人だった。




この訃報を知らせてくれた知人から、
不思議な話を聞いた。
今年お父様を亡くされ、家族葬をしたのだけれど、
その命日が( お父様の )母親と姉と同じだというのだ。
「 偶然というのには、あまりにも不思議な現実! 」


母親・娘・息子の命日が、同じ日 だなんて、
これまで聞いたことがない。
まさしく呼ばれて逝ったのではないか と・・・
家族の皆が噂をしていたようだ。


世の中には、思いもよらない現実があるものだ。


不義理をしたくない我が心

2015年12月16日 | 自分 -
仕事上のことで、大変お世話になった方。

その人の訃報が届いた。


    


感謝 の気持ちがあふれてくる私にとって、
それを冷静に受け止め、かなり冷酷に感じ取れる言動が ( 感謝よりも )
先に口にでる人の意識には ( 壁のような ) 隔たりを感じる。
彼女自身も、同じように お世話になった人の訃報なのに・・・。

複雑な想いは途切れず、ずっとモヤモヤとしている。

   冷水を浴びせられたような衝撃だった・・・。



社会は、違う個の集まり ( 集合体 ) で、
多様な個性や価値観を 認めあうものではあるが・・・
お互いを尊重しあうことで、理解も深まり、
より良い人間関係が 築けるものである。
だから、ちょっとした矛盾を感じたり、現実的に
理想的ではない自分の感情を受け止めることに対して
複雑な想いに かられる。


       


ちょっとした言葉の端々に、その人自身の本性を感じ取った時、
私自身の心模様も こういう形で感じ取られているのかと・・・
そんな風に思う。
            他人は、自分の鏡のようなものだ。

私は、他人の評価を気にするタイプではないけれど、
社会や人様に対して 「 不義理をしたくはない 」 と強く思う。

だから、お世話になった人には、どんなことがあろうとも、
心から 感謝 して、心の底から 哀悼 の気持ちを捧げたい。

    そう思うんだ。  純粋に、そう思うだけなんだ。 
    誠意を尽くしたい。


過去に囚われる思考回路

2015年12月16日 | 出来事 -
私が焦点をあてようと努力しているのは 「 」。
常に、「 今を生きる 」 ことを意識している。

しかし、一部の人の思考回路では、( 現在の話なのに )
「だから、これまで・・・してきたんじゃないの?!」
という過去の事実を前面に出して、交渉や説得を試みようと
する人がいる。
5年も6年も前のことは、「 過去 」 でしかない私には
会話の途中で 確認をしなければいけないことが多々ある。


変えられない 「 過ぎ去った過去 」 を引き合いにだされても・・・
の話をしている私にとっては、ひとつの過去事例としてしか
受け入れられない。

しかし、このような会話は 繰り返される。
その人自身の思考回路が変わらない以上、会話の流れは
いつも同じことになるからだ。


過去の成功した結果は リスペクトしつつも、
現状の課題・議題は 「今、起こっていること」 。

決して相手を否定しているわけではないが・・・
この事実は、なかなか理解してもらうことは 難しい。

手順を踏みながら、丁寧に話し込むことに限る。



しかし、諦めることはしたくないので、「 まただ 」 と
小さな嘆息をひとつ。
そして、瞬時に、「 前に進もうとする私 」 と出会う・・・。



「お金」の威力

2015年12月15日 | 雑感 -

ミハエル・エンデの「お金に関する概念」に初めて触れたとき、
ある種の衝撃を受けた。
それは、とても強いものだった・・・。

当然のように感じていた金融サイクルや、お金の存在価値が、
まるで違ったモノに感じられたからだ。


いつの世も、「お金の存在は大きい」のは分かっているし、
何かと価値観の指標になることが多く、人びとの生活からは
切っても切れなくなっている。
だからこそ、見失う・・・本質論






「お金」は、どれぐらい大切か。

そもそも、「お金」とは、何なんだろう・・・と。


お金自体よりも、使った後に得られるはずであろう感覚や
感情などが大切なのに、現代社会に生きる人々の常識内では、
お金そのものに焦点があたりすぎている。

そういう価値観でいる人が多いために、「お金」というものを
想起させるような発言をすると、相手の判断の範疇では・・・
直裁的な理解に繋がることになり、本質的な意図が伝わりにくい。
細やかなニュアンスさえも 誤想されてしまうことがある。


私も、お金は欲しい。
ほしいよ!

でも、人生の価値は、お金だけではない。
すべてのバランスや、トータル的な環境や条件などを優先して
主張したとしても、それが100%伝わることは皆無である。

ぐいと、引き止める自分がいるが、
こだわる自分もいる。

自分の働きに対する「相当なる対価」だからこその“こだわり”。





莫大な資金を操る海外の投資家にとって、お金という存在は
庶民の“それ”とは、完全に違うものとなっている。

お金の数字だけが独り歩きして、今や信じられないマネー額が
売り買いされ、「莫大な利益」や「気の遠くなる損失」を産む。



  今、もし存命していたら・・・
  あのミハエル・エンデは、この時代の仕組みを、
  どのような想いで受け留めるだろう。

そんなことがフッと頭をよぎり、再び厳しい現実世界に戻され、
「お金の威力」と「おそろしさ」を感じずにはいられない。

人の幸せは、お金だけでは測れない。
けれど、お金を(過剰な精神力で)追い求める人がいるし・・・
お金だけが指標だと思い込み、他人の気持ちさえも勝手に判断し、
当然のごとく決め付ける人もいる。

人それぞれ・・・。
お金との対峙方法も、それぞれ・・・だ。

しかし、お金は、その威力がゆえに、人を惑わす。
助けてくれた直後でも、すぐに奈落に突き落とす冷淡さがある。
それが、「お金」だ。



自分の価値観の中で、お金の存在意義を、あらためて見極め、
人生の中で「どのように付き合っていくべきなのか」を考え、
我が人生観の要素の一つに加える必要がある。

「お金」は・・・
避けては通れない、現代社会の魔力であり、権威でもある。



選択の猶予期間

2015年12月10日 | 雑感 -
熱を帯びている時には、焦って結論を急がない方が良いが、
熱が冷めても・・・納得できないことがある場合は・・・
非常にストレスフルな状態になる。

今の私は、いろいろなことに、困難案件を抱えている。

とりあえず、今のところは・・・
気丈に、そして 前向きに、瞬間 瞬間を 大切に
生きているつもりだ。

けれども、唐突に「やるせない感情」に 襲われて、
コントロールすることが、面倒に思うことがある。






投げやりになってはいけない。
削ぎ落とされた状態を考慮して、邁進しなくては
無駄骨になる。






私の性質上、不可解な言動や行動に直面した際には、
「おかしいんじゃないの?!」という感情が消えない。

自分に嘘をつくことは難しい。
かわいい嘘ならいいけれど、シリアスで切実な嘘は
自分自身がスルーできないからだ。






あぁ あぁ あぁぁ 、 
かくも 「 人生 」 とは奥深いものか と、
しみじみと感じる。

こういう “ 選択しなければならない時期 ” には、
かならず、しばらく心を休めてから結論を出すべきだ。
けれど、今回は、そういう猶予期間がない。

先ほどの連絡で・・・その事実を知る。
あと一週間ぐらいの間に、ひとつの大きな決断を下し、
来年から再来年の仕事の選択を迫られている。


大きな選択ではないが、小さなことでもない。
充分、慎重に、心を落ち着かせたいとは思っている。

まずは、「 冷静になる 」 ということが、
一番の入口ではないだろうか・・・。