野菜摂取

2009年09月30日 | 食事 -

すぐ忘れてしまうのだが、毎日「野菜ジュース」を飲むように心がけている。

「健康のため」とだけは言えないが、日々の食事がどれだけ大切かを思い知り、
その後、コップ一杯でも・・・という意識で飲んでいる。
結局は、栄養のバランスなのだろう。
私は、昔から不規則なスケジュールに、何よりも偏食気味(偏食だ!)なので、
そろそろ気をつけなくちゃ!

最近は、大好きなラーメンにも、「野菜ラーメン」を頼むようになった。
蕎麦屋に入ったら、「おかめ蕎麦」(かまぼこや卵焼き、ほうれん草など)。
トッピングで、少しでも、「栄養」をとろうという“さもしい根性”である。

長生きをしたいとは思っていない。
だが、苦痛を伴う病気にはなりたくない。
野菜を食べたからといって、病気にならないというわけではないが・・・
やはり少しだけ気をつけようと思う。
ほんの少しの心配りで、安心できるのであれば、そうするに越したことはない。


経営者の品格

2009年09月25日 | 仕事 -

「経営者」は、“孤独だ”という人が多い。
仕事に打ち込めば、打ち込むほどに、目の前の問題を払拭するためには、
大きな試練がのしかかり、「経営者」がその役割を担うことになるからである。
それも、たった一人で背負い込むことに追い込まれることが多いと聞く。



才能、才覚、決断力、統率力など、あらゆる要素がどんどん浮かんでくるのが、
立派だと言われる「経営者」の姿である。

一般の基準で「超有名」で、革新的な経営者(ある意味で風雲児的な存在)は、
(なんとなく)近よりにくい感じを与えるほど立派で“威厳がある人”が多い。
実際、目の辺りにすると、言葉が出てこない此方側が萎縮した関係になるのは、
そういう人に遭遇した時に、確実に“起こる”ものである。
何よりも、緊張するし、持論や未来構想を聞き始めると、ただ聴きほれて・・・
当方が、自然と“のめりこんでしまっている説得力”がある。




経営者でありながら、経営者が“やるべきこと”を放棄して、他人にまかせ、
(まかせるだけばかりでなく)そのチェックさえもしない経営者もいる。
この時世・・・・・「Money」は大切だとは思うが・・・・これが重要な位置に
陣取っている経営者には、(私は)魅力を全く感じない。
実際、そういう経営者の多くは、自分の価値観や理論を一方的に通すことで、
部下の話に耳をかそうとしない人が多い。
大きな問題である。結果がついてくるはずがないからだ。

私にしてみれば・・・(恐縮ですが)・・・・
おごましくも何ともなく、「品格」の欠片もない経営者である。
そういう人達は、見かけ(外見)だけで、その雰囲気が伝わってくることもある。




また、60歳を越えても元気な人が多い中で、年齢など関係ないと言いながらも、
やはり脳細胞や体力の低下に逆らえず、仕事の質が大きく変化している人もいる。
 (当然、そういう人は、世の中の定年の年齢を超えていることが多い)
自分の仕事に熱意がなく、いや、情熱が冷めてしまっているために・・・・・
面と向かっているだけで、相手に「やる気」を低下させる経営者の典型である。

こういう問題のある「経営者」は、相手の話を真摯に聴かない。
相手の気持ちを察して、その先を読む能力がない。
弁明や弁解、言い訳などが多い。
そして、自己中心的である。
だから、信頼できないのだ。
ついていく気力もわかない。
誰かが引導を渡すか・・・・・、あるいは、自分で身を引くか・・・・、
どちらにしても、KYであれば、難しい現状があるのが容易に想像できる。

こういう「経営者」の元では、本当に、働きたくないものである。
今日、しみじみと、そう感じた・・・。



だから、やはり、「私は、私の生き方を貫いていく」べきだと痛感した。
これからは、私の価値観と人生観で、「自分の人生を選択していく」ことを
テーマとして、生きていきたい。



Misawa DVD

2009年09月24日 | 人物 -

三沢光晴さんのDVDが三冠達成という文字をポータルサイドで見つけ、
心が躍って、すぐさまクリック!!

16日に発売になっていたDVDが売れに売れ、すごい勢いらしい。
(実は、私は、そんなDVDの存在さえ知らなかった)


■DVD「三沢光晴 DVD-BOX~緑の方舟(はこぶね)~」
格闘技DVDでは、「最高位記録」「初動売上記録」「累積売上記録」の
“3冠”達成だという。


すぐさまネットで、DVDの内容を調べてみると、全日本時代の映像も多く、
デビューから、節目の試合は、収録されているようで、かなりのモノである。
6枚組みのDVDBoxなので、(当然ながら)お値段も張るが・・・・
(ファンにとって)彼の軌跡を手元に置けるということは、誠にありがたい。

我が自宅のVHSテープも、きっと「とろとろ」になっていることだろうし・・・
「一考の価値あり」と見た!!
(しかし、あのVHSには多くの貴重なお宝映像が眠っている


しかし、DVDが“バカ売れ”とは・・・
私のように、きっと熱狂的なファンが多いのだろうなぁ。
(今、MJのライヴDVDが手に入らないのと同じである)
ネットで調べてみると、三沢さんの特集雑誌が、次々と発売されるようである。
「えっ、今頃?」と感じながら、財布の中身をチェックしている私。(Why?)

ただ、思い出の日本武道館の追悼公演(9/27)には、行くつもりはない。
答えは、至極、簡単。――「そこに、三沢さんは、いないから」――。


いろいろとメモリアルが続くけれど・・・
さすが、三沢さんは「不世出のプロレスラー」と呼ばれるだけのことはある。


紫が好きな人

2009年09月23日 | 出来事 -

今日も、70歳になる“とても近しい人”のお見舞いに行った。

昨日とは、全く違う方向で、東京都内を縦断している感じだ。
今日は、私にとって「お父さん」みたいな人の“病気見舞い”である。
私は何の連絡もしなかったので、本人はとてもびっくりしていたが・・・
とても喜んでくださったので、良かったぁ、ホント・・・。
ベット脇の掃除をして、ごみを捨てて、紫の好きな人にアレンジの花を置いて、
一緒に「草もち&大福」を食べて、たくさぁ~ん話をして、帰ってきた。
その“紫の好きな人”は、寝巻きの上に紫のジャケットを羽織っていた(笑)。
いたるところに置いてある小物にも、紫が使われている。


“その人”は、発展途上国に、頻繁に行く人で、もし今回がそうだったら・・・
「ボクは、確実に、死んでいただろうなぁ」と、しみじみ語っていた。
根っからの「ジャーナリスティックな視点」をもった“素晴しい人”である。
民主党の改革に期待しながらも、世界の飢餓状態について「誰も何もしない」と
発奮しながら、話していた。
この話については、お互いかなり盛り上がって意見交換した。


今年の3月3日のおひな祭りに、お食事デートをした人で、今回の入院と
手術は、はじめての経験だったそうで、かなり辛かったようだ。
ダンディで、スマートな、いつもの様子とは違って、10キロもやせた様子は
とても切ない感じだったが、脳細胞が「元気モリモリ!」なので、安心だ!
鼻から細い管を差し込みながらも、病室にPCを持ち込んで仕事をしていた。
だから「本当に病人?」っていう印象だった。


私が好きな人には、いつも元気でいてほしい。
そして、その人が辛い時には、ちょっとしたことでも、お手伝いができるよう、
あるいは自分の気持ちが伝わるような行動を、率先してやっていきたい。

「自分は、自分の人生を生きる」
何よりも、「正直に生きる」・・・というのが、今の私には重要なことである。
行きたい場所には行って、会いたい人には会うように、これからは努めて
日々の生活を判断していきたいと感じている。

元気になったら、また、「ご飯を一緒に食べようね」と約束して、帰ってきた。

「私は、今日、私自身の一日を生きた」という感覚があるのが、何よりである。



再会の感動

2009年09月22日 | 出来事 -

今日は、20年以上前に、数年間お世話になっていた恩人に会いに行った。


その人(女性:67歳)は、2000年に脳出血で倒れた。
そのため、現在は人の手を借りて、不自由な車椅子生活をしいられている。
それでも、仕事はきちんとこなし、家事もこなしている気丈な人である。
仕事では、飛行機に乗って、地方にも頻繁に出かけていく・・・。
しかし、数日前に、転んで、骨折して、軽い手術を受けて、今は入院中だ。
家族は皆「男ばかり」で、今回も退屈な思いをしているのではないかと、
(昔からの)近しい友人がアレンジしてくれた。

これも不思議な縁で、たまたま友人と連絡をとったことからはじまったことだ。



私が父の世話(介護生活)をしていた頃のことだ。
「また、脳出血したらダメだから・・・会える人には会っておきたい」と、
会いたい人/6~7名の人を指名したらしい。
友人から連絡があったが、24時間体制の私は、出かけていくことができず、
心が残ったままの状態だった。
「随分前に、短期間のお付き合いだったのに、この私を指名してくれるなんて」
そう想いながら、(その時は)残念でならなかった。



「時は来た!」
今日、20年以上ぶりに会いに行った。
この“ものすごい経過した時間”の間、話もしていないし、電話もしていない。
もちろん、会ってもいない。
友人を介して、お互いの話を聞いていただけである。


当時の“その人”は、とても輝いていて、みんなに「お母さん」と呼ばれていた。
私も当然、そう呼んでいた。

私には、お世話になったという思いしか残っていない。
10代から数年間の「私の気持ち」を伝えられたら・・・と思っていたが、
実際に会ってみると、ただ「涙」「ナミダ」で、言葉にならなかった。
「お母さん」は、私のニックネームを呼びながら、手を差し伸べてくれて・・・
手を握り合い、一緒に泣きながら、長いこと抱き合った。

それでも、そういうことは、ただ最初だけで、あまりにも強い彼女の意志力に
私は圧倒されるばかりだった。
不自由な状況に陥って、落ち込むことが多いだろうに、かえって私たちに
気を遣い、暖かい言葉をかけてくれる。
本当に、嬉しかった。
そして、「お母さん」は、逞しく、強い生命力を持った人だった。
三回死の淵を彷徨い、今尚、生かされているからこそ、伝わってくる言葉がある。


20年間、音信不通で、たよりも書かなかった私自身を、どんなに悔いたか!
彼女が病魔に侵されてすぐに、どうして連絡をしなかったのか・・・と、ただ、
後悔の念にさいなまれながら会ったのに・・・・。
そんな申し訳なさなど微塵も感じさせない度量の大きさで、私を包んでくれた。

半身不随だが、片手の自由に動く方で、ずっと抱きしめてくれて・・・
それだけで、私はナミダがとまらなかった。
「元気そうだわ」
「頼もしい顔をしている」
「しっかりと生きているのね」
「これから、もっと幸せになれるわよ」
「ご両親のことでは、聞いていたけど・・・本当によく頑張ったわね」
いろいろと、私のことを気にしてくれていたことが、なんとなく伺えて・・・
そして、また、20年も前のことを(私さえ忘れていることを)気にしてくれ、
そのことをまだ覚えていて、「あの時は大変だったわね」・・・と。

もう、私の中のすべての“黒くよどんだものが落ちていく感覚”を感じた。

なんだろう・・・この感じは・・・・。



「お母さん!」
今日は、さすがに、昔のようには呼べなかったけれど・・・
次は言えるかもしれない。(そんな気がする)

「また、会いましょう!」
つないだ手を離すのが、名残惜しいくらいな気持ちで、泣く泣く病室を後にした。


なんという感動だろう。
あれだけの不自由な状況にもかかわらず、口からは次々と希望の言葉が出て、
私たちを勇気付ける。

「人は皆、自分自身の弱さに負けてしまうものなのに、
 なぜ、そんなに強くいられるのですか? 何がそうさせているのですか?」
私の愚問には、「私って馬鹿だからね(笑)」と、軽く答えた後、
「やっぱり責任感かしら? そうねぇ」と、過去を想いおこすように、
何かをかみしめるように、静かにつぶやいた。
その横顔には、第一線で活躍してきた実績に裏打ちされた強さを感じた。
いろいろなことがあった人生だっただろうに・・・。
ある意味で、達観した部分を持っている。
すごい人である。


今夜は、ちょっとばかり興奮して、寝られそうもない感じだ。
あるいは、すごく安心して、ぐっすり寝られるか・・・どちらかだろう。
でも、確実なのは、「私の心が晴れ晴れとしている」ということ――。
それは、ひとえに、再会の感動が覚めやらず・・・
人の「生きる力」を、リアルに、感じ取ることができたからだと思う。



物質氾濫

2009年09月21日 | 社会 -

私の周りには、あまりにも「モノ」があふれている。
整理して、処理しようと思うと・・・果てしがない。
どこから手をつけようかと、悩んでしまうほどだった・・・。



はじめて携帯電話を、電気量販店で購入した時には、8万円以上したと思う。
それほど多くの人が持っていない頃だったので、価格も群を抜いていた。

今は、その時に購入した携帯電話と、第二携帯としてauのプリペイド携帯を
用途に合わせて使い分けているが・・・時代によってサービスもどんどん変わる。
プリペイドは使い始めて、すでに5年近くなるが、身分保障(登録制度)になり、
現在は機種も提供されない“ひどい扱い”になってしまった。
auのプリペイド携帯に対する“誠意のないサービス”に幻滅する。
(一方的に切り捨てるのであれば、最初から販売しなければよいのに!)

携帯電話を二種類使い分けていること事態、奇妙なことかもしれないが・・・
私はWebにアップする番号は、個人の電話番号を使いたくなかったのだ。
現在、HPは三つ(仕事用やボランティア等)を自分で製作し、管理している。

また、NTTの通常電話に関しては、二回線を所有している。
購入した時は高額だったのに、今は価値もなく、使う余地もない。
現在、一回線はNTTに預けてある状態である。

一人暮らしの私の自宅には、PCは四台あり、プリンターも二台ある。
デジタルカメラは二台、ムービィカメラは一台持っている。
リビングの音楽ステレオコンポの他、小型CD再生デッキも、3台ある。

昔の資料書類、経理書類、数年前の服、お付き合いのために頂いたプレゼント、
埃を被った電化商品、いつか必要かもと思ってキープしているモノまで考えると、
脳細胞がパンクしそうだ。  (まだ、まだ、ありそうだぞ・・・)




「物資」にあふれた“この生活”を、いかように整理して、管理していくのか、
今は頭の痛いところである。
私の日々は、非常にシンプルで、節約しながら、質素に暮らしている・・・
(自分で言うのもなんだが・・・)。
モノを買いあさった若い頃もあったが、それが捨てられずキープしているのが
この現状を引き起こしている要因かもしれない。
マイブームも数年で変わり、過去の思い出の品も、数多く残っている。
過去の写真などは、アルバムにしているので、膨大な量となっている。



「整理する」ことと、「捨てる」ことは、非常によく似ているが・・・
自分の感情の中には異なるニュアンスがある。
「捨てる」前には、「判断する(区別する)」という行為(感情)があるのは、
判っているものの、その行為が、「整理する」ことを妨げているようである。
だから、いつも行動に移せないでいるのだ。




もっともっと“シンプルな生活”を、あらゆる意味でしたくなった私は、
我が家でも同様に、それを求めている。

今、自宅は(私自身の小さな決意の果てに)各部屋に「ごみ袋」が散乱している。
一つ一つを確認しながら、(心で思い出を復唱し、ささやかに御礼を念じて)
ごみ袋に移動させている。

すべてを整理するのには、数ヶ月かかりそうな勢い(計画)になってきた。



しかし、考えてみれば・・・・・日常で使うものは限られており、
“「それ」がなくても死にはしないモノばかりに囲まれた私の生活”は、
今や、無駄の宝庫だと感じてしまうようになってしまった。
資本主義(物質主義)の温床が、ここにある。
そして、今となっては、「ごみの山」と言えなくもない場所さえある。
たとえば、化粧品などは、3年以上経過したものは、もう使うには及ばず!
ただ化粧台の上にのっていても、自分が使う意志がなければ全く意味がない。
そういう類のものが、我が家にはたくさん存在している。



私が、とても残念に感じるのは・・・、
社会の規格変化におどらされ、影響され、受け容れざるを得ないために、
残しておきたいものを捨てなくてはならない物たちである。
ある意味では、自分だけではなく、社会的にも貴重なものがあったりもする。

庶民は、いつも・・・こうして・・・・
勝ち残った“社会の規格”に適合して生きていくしかない。
「大事な映像だけ、VHSからDVDにコピーするしかないのだろう」・・・と、
膨大なVHSテープを見上げながら、今・・・感じている。


「 5S 」

2009年09月17日 | 言葉 -

日本人には、もともと「素晴しい慣習」や「社会の仕組み」があったことを
日頃感じることがある。
しかし、そのようなものは、今や忘れられ、引き継がれることなく・・・
埋没してしまっていることが多い。



今日、お世話になっている方から連絡をもらった。
その人は、いつも外国へ思い立ったら出かけていく医師である。
年齢は若くないが、とてもバイタリティーがある。
  <今日も「カナダにいっていたのよ~」と、電話があった(笑)>


少し話をしていて、その医師がスリランカでのエピソードを聞かせてくれた。
今年、スリランカに(社会貢献の活動のために)出かけて行った時、
その場所で、昔の日本人が残した“素晴しい言葉”に出会ったという・・・。

それが、「5S」―
            「整理 (Seiri)」
            「整頓 (Seiton)」
            「清掃 (Seisou)」
            「清潔 (Seiketu)」
            「躾  (Situke)」

この五つの頭文字Sをとったもので、整理から整頓、清掃と、躾に向かうほど
実践と継続度(定着化)の難易度が上がる。

スリランカの山の上で、この言葉に出会った“その人”は、非常に感銘を受け、
帰国するなり、自宅マンションのごみ置き場の掃除を率先して呼びかけて、
活動を始めたそうである。



調べてみると、「5S」は、日本に限らず、世界中に広がっているらしい。
「もったいない」と同様に、今や世界に通用する言葉にもなっているようだ。

5Sが徹底されている職場は、管理レベルが高いと思われるし、
5Sが実践されている家庭は、理想的な家族像を連想させる。



だから、私は・・・
思わず、今夜は、念入りに「お風呂掃除」をした。
そして、このシルバー連休は、外出日以外は「5S連休」と決めた!!


新型インフルエンザ

2009年09月16日 | 出来事 -

新型インフルエンザの猛威は、留まるところを知らず、死者は増える一方だ。
日々、拡散しているような印象がしているのは、私だけだろうか。
免疫力の弱い病歴者だけではなく、元気な人にまで「死」は襲ってくるほどだ。

学校の閉鎖、会社の徹底した対策の呼びかけ・・・
9月末がピークだと報道されているものの、このままで終息していくのだろうか。
小学校の閉鎖数は多く、会社のメンバーのお子さんが感染したという例が多い。
また、実際、39度の熱が数日続いた経験者から話を聞いたが、それは非常に
厳しい状況だったようだ。
(看病してくれる人がいなければ、きっついだろう―と、マジに感じた)


知人から聞くそれぞれのインフルエンザ対応も様々のようだ。
毎朝、全員が体温を測り、総務に連絡する徹底した会社もあるようである。


二週間近く前に、わが社にも、「インフルエンザ対策」が出回った。
徹底した「手洗い」と「うがい」だそうで、「へっ?!」という感想を抱いた。
やっぱり、その程度しか、対策方法はないのだろうか・・・・と。
「体調が変だ」と思ったら、休むというのが諭されていたが、「それだけ?」。
基本ガイドラインなどがメールには添付されていたが、まじめに読むこともなく、
ただ仕事に没頭していた。(変わりばえのしないガイドラインである)


あの「人ごみ」を毎日経験していると、どこで感染してもおかしくはない。
特に、窓が開けられず、空気交換できない環境にある(高層ビルにある)弊社では、
すでに天下をとっている「ダニ」や「カビ菌」と同様に・・・・ウイルスだって、
(一度入ったら)はびこることを誰も止められないだろう。


昨日は外出したが・・・・・今日、私は自宅で仕事をしている。
仕事に必要なDVDは、自宅に宅急便で送ってもらうように指示をした。
今日の午後には、それが届くことになっている。
必要な時だけ出社して、必要な時だけ外出するようにしようと、今は思っている。
仕事は、自宅でやるのが一番!
着替えなくていいし、お化粧しなくていいし、あぐらかいてPCできるし・・・
今のご時世では、PCと携帯電話があれば、仕事のほとんどがこなせる。
フレックスタイム制と、フリーランサーとしての立場を如何なく発揮して、
“自由に仕事をしていこう”と思っている。
度重なる人身事故被害からくるダイヤの乱れはストレスをためることになるし、
インフルエンザ対策として「人ごみの脅威」から避けられるのが何よりである。


でかカップ

2009年09月15日 | ナンセンス -


よく行く喫茶店である。

これは、コーヒーだが、普通のコーヒーカップの3倍の量がある。
値段は、300円。 ・・・・・「安い~~~!」「異常に安い!」
ミルクも、同じように、デカカップ(珈琲1杯分)で出てくる。

値段の設定や、カップの大きさなどについては、本当によくわからないが、
仕事を持ち込んだりするときには有意義な喫茶店だ。

珈琲は、食後に飲むと、消化を助ける作用がある。
おかげで、胃がムカムカ~~~。
胃液が分泌「大」レベルだったのだろう。



    ※でかカップ加減を明確にするため、
     シャープペンシルを横に置いた。


病の果てに

2009年09月15日 | 人物 -


「あぁ、この人にして、この病あり!」
「あぁ、この人にして、この病あり!」

孔子は、門人の病に際して、二度も同じ言葉を繰り返して、嘆いたそうである。
人情に厚く、門人を愛する孔子ならではのエピソードで、情が厚い証拠である。
そして、何よりもどんなに徳が高く、前途有望な人にでも、悪い病気はとりつく―
ということだろうか・・・。
周囲の“見送る人々”の想いたるや、いかばかりであろう。




人種の壁を越えていったマイケル・ジャクソン!
彼に、肌が白くなる皮膚病がとりつき、肌の色は劇的に変わっていった。
 (これは、ひとえに整形や肌の漂白などという単純なゴシップとは違う)
そして、数々の事故や困難と闘い続けたマイケル・ジャクソン(MJ)に、
「全身性エリテマトーデス」という難病が(24歳時に)発覚してしまったが、
決して公表することなく、密かに闘い続けていたことも・・・。
(これは、全身のいたるところに原因不明の炎症が起こるという難病である)
「なぜ死因となったのが鎮痛剤だったのか」が、私には判らなかったのだが・・・
この難病が影響していたのかもしれない。
関節の激痛に耐え、日々生きていたのかと思うと、知らずに気持ちが沈んでくる。
とても疲れたであろうコンサート後でも、ずっと踊り続けていたというのは、
「身体の痛みがやわらぐからだよ」という彼の言葉も残っている。
児童虐待裁判の際にも、これまで有り得なかったパジャマ姿で出廷する彼の姿が
見受けられたし、当時はかなり重篤な体調だったということが、後になって発表
されたりした。彼の情報の信憑性は、常に測りかねたが、今となっては・・・
現実味を帯びている。この難病は、様々な影響を与える病気だからである。
特に、ストレスを抱えたMJにとっては、一時期「肺移植が必要な状態だった」
という情報まで流れたぐらいである。
マイケルが抱えていた難病にとって、ストレスは大敵である。
精神状態の平衡感覚がすぐに乱れて、不眠やうつなどを簡単に引き起こしてしまう・・・。



時として、世の中には“無常な現実”が待ち受けていることがある。
「なぜこの人に、このような病がとりつくのか?」・・・と。
そして、「美人薄命」だったり、才能豊かな人は早く逝ってしまったり・・・。



この絵画はカラフルで、「肌の色なんて関係ない」ような印象を受ける。
まさにMJが言っていたことと同じである。
笑顔が(今となっては)哀しい切なさを誘う。
MJは、本当に「いいパパ」だったようだ・・・。
7歳の末っ子のプリンス君は、毎夜、MJを探して泣いているという。


ポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルが描いたマイケル・ジャクソンの画は、
7000万円で落札されたという。(2009年11月12日のニュースより)


Congratulations!

2009年09月14日 | 人物 -
             
本当に、すごい人だ。

華奢な身体で、常に(変わらず)努力を重ねるイチロー。

「あなたは、日本の誇りであり、世界の宝です」。

彼は、常にプレッシャーと闘いながら、自分自身とも競い合っている。

「意識のもちどころ」に焦点をあてて、彼を紐解いていくと、かなり深い部分が
見えてくるのが、彼の魅力である。
そして、同時に、彼が持っている「底力」だと思う。
シャイで、繊細なのに、懐の大きさと、腹のくくり方が、とにかく“すごい”。
「覚悟してやる」「納得してやる」という姿勢が、顕著に伝わってくる人だ。


今年は、WBCの余波を受けて、大リーグに復帰してから胃潰瘍で休場した。
WBCでは、“打てない(不調の)イチロー”を目の当たりにして、心が痛み、
挙句の果てには「人間イチロー」の横顔を感じ、真骨頂も見せてもらった。
また、少し前は、これまで経験しなかった負傷(左ふくらはぎ)もあった。

今年は、体調不良(休場)が続き、本当に心配することも多かった年だった。
しかし、やはり期待したとおりに、イチローは達成してくれた。
数日前から、いそいそとしながら、ニュースに気をとられるのも、もう終わり!
イチローが、会見で話したように、私自身も「解放された気分」だ。


世界のイチローは、次々に記録を塗り替えていくが・・・
今日の新記録もまた、海を渡った“かの国”では、すごいものだった。
108年ぶりに破られたという大リーグの「9年連続200本安打記録!」
今日は、政権交代にゆれる中、この話題で盛り上がった・・・。
号外も出たし、各局の報道番組では必ず取り上げていた。
このところ、イチローのCFが頻繁に流れていたのにも意味があったのだろう。
NTTは、すぐにCF冒頭部分(テロップとナレーション)を変えて放送した。
いやぁ、なんというか・・・すごい信頼度だと思う。

久しぶりに、嬉しいニュースで、私も、すごくすごく嬉しかった。



☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆
 

最後に、彼が以前に語った「イチロー語録」である。

  「苦悩というものは前進したいって思いがあって、
   それを乗り越えられる可能性がある人にしか訪れない。 
   だから、苦悩とは、飛躍なんです」


甘味

2009年09月12日 | マイブーム -

直感があたった!

近所の歴史あるケーキ屋さん。
美味しいケーキも多いのは事実だが・・・その一方で・・・
ここでは、時々“期待を裏切られる”。

今回は、大当たりである。
マロン一個まるごとが埋め込まれた「オリジナル・マロンケーキ」だ。

クリームも、モンブランと違って、品がある。
都内で買ったような風合いに、ちょっと癖になりそうな予感がしている。


人あたり

2009年09月12日 | 雑感 -

仕事は、(いつもどおり)こなしながら、なんとなく感じていた。

「・・・なんで、こんなに、疲れているのだろう?!」
「いつもと違う。まさか、新型インフル?!(しかし、今だ兆候なし)」

いろいろと考えをめぐらしてみると・・・(近所のWさんが田舎に引っ越すので)
「お別れ会パーティ」を(数日前に)したのだが・・・
「それが自分にとっては、非常に疲れるものだった」と、後から気がついた。


要するに、「人あたり」である。
Wさんは、決して悪い人ではない。
ただ、“人とは違う反応を常にする人である”ことは間違いない。
長いこと、夫婦仲が良くなかったということで、それが原因かもしれないが、
5年以上前に奥様をなくされるまで、隣人には挨拶もしなかったらしい。
もっぱら「ツンと御高くとまっている夫婦」という印象だったようだ。

有名病院勤めだったために、お金に苦労することはなく、(子供も居ないので)
かなり(経済的には)余裕があったらしい。
それも原因かもしれないが・・・毎晩、飲み歩いては夫婦の会話はない状態で、
3度ほど離婚を考えたと言っていた。
奥さんも毎晩お酒を飲んで、カラオケをし、料理など作ったことなどなかったと
Wさんが(切なそうに)愚痴をこぼしていた。
(はじめて聴くプライベートな吐露ばかりだった)

Wさんにとっても、あまり、幸せな結婚生活ではなかったのだろう。



そういう経緯のためだろうか。 長時間に及ぶWさんの話は・・・・
とにかく、すべてが「愚痴」と「マイナス思考」で満たされているので、
私は、その一つ一つに反応してしまい、“かなり疲れた”ようなのである。


私の感覚は、相手の言葉や雰囲気から、その人そのものの「人となり」を感じ、
より密なる感情を受け取る訓練をしていた頃があったので、その癖がついている。
Wさんの「マイナス思考」に付き合いながら、その先にある感情と向き合うのが、
(今から思えば)かなり負担だったようである。
ただ、聴いているだけでも、私は、常に「感じている」。
それもシリアスな話になれば、なるほど、相手の立場にたって感じてしまうので、
長時間の会話には疲れてしまう。
そのフィーリングが絶え間ないので、やはりどっぷりと疲れてしまったのだろう。

当然ながら、私には、相手を否定することもできず・・・正すこともできず・・・
未来に向けた第二の人生を歩むため引っ越すWさんなのに、口からでる言葉は、
気持ちのすっきりとしない“過去の出来事”や“否定的な言葉”ばかりである。
ご本人が乗り越えていない事実がたくさんあり、そのことにも気がついていない。

ご高齢(68歳)のため、知らない環境に越すのは不安もあるだろうと思うので、
あえて厳しいことも言えず・・・楽しく勇気付けて、彼の話に付き合った・・・。
そして、私が感じているWさんの性質にかかわる事実に関しても、今となっては
指摘するに及ばずと判断したので、ただ「時がすぎる」のに流された時間だった。
オモシロおかしく、「もう、悪い方にばっかり考えて(笑)」とか・・・
要所、要所には、ご本人に伝えたものの・・・やはり、はっきりとは言えない。
もし言ったとしても、すぐに“性格”や“思考の回路”が変わるものではないし、
(変える意思もないだろうし)ご本人にとっては無意味なことだと思う。
もう人生の最終局面にさしかかろうとしている人だ。


高齢者の「孤独」や「不安」というものは、はかりしれない。
また、生活レベルの豊かな高齢者は、特に「プライド」だけは、かなり高い。
その二つのギャップだけでも、大変なことである。
それに加えて、Wさんが元々持っていた性格と生い立ちなどが加味して、
言葉の一つ一つが、あまりにも(私にとっては)ヘビーだったのだろう。


また、時間が長かったぁ。
途中で帰れない厳しい“近所付き合い!!”
「寂しいね」「これが最後かもしれないね」と、皆が言っているのに・・・
私一人が若いパーティで、後は高齢者ばかりである。そんな中・・・
私一人が「じゃ、これにて失礼します!」なんて、席を立てるものではない。
(悪口ではないが)高齢者の皆さんは、もうゆるぎない感覚回路を構築している。
そして、様々な不幸体験や壮絶な戦争(戦後)体験なども経験してきているので、
一言でいうと「神経が強い」のだと思う。
私のように、感じやすい人は、誰もいない。
自分の話を一方的に話し、聞きたい話を一方的に聞いて、会話は成立している。



私にとっては、まさに「人あたり」である。
高齢者が3人集まると、あそこの誰々さんは「介護1」だとか・・・
「今はどうなのよ」とか、近所の噂話になってくる。
私は、一人おいてけぼりで、目の前のフルーツ「巨砲」をつまむだけだった。
それぞれが個性的だから、それにまだまだ元気なので、話題も激しく入り込む。


今回の件で・・・
「人あたり」するパーティには、できるだけ早く“おいとまする”のが、
自分のためにはベターなのだと悟った。
このようなパーティは、初めてだったので、改めて学ぶこともかなり多かったが、
気がつかないところで、充分ストレスをためていたようである。
これからの私は、「わが身を守る」ことも、必要な年齢にさしかかってくる。
“小さな注意”、“ささやかな配慮”で、生きていきたいものである。


お別れ会

2009年09月09日 | 出来事 -
我が家の隣の隣の家が、Wさん。
奥さんが5年前に亡くなられ、子どもがいないので・・・
かなり孤独感を感じたらしく、このたび郷里の新潟に帰ることになった。


今日は、Wさん(68歳)のお別れ会。
隣の街に引っ越しした89歳のおばあちゃんが、ちらし寿司をお重で持参し、
皆がそれぞれに、いろいろなものを持ち寄った。
参加者は、6名。


私は、田舎から送られてきた「すだち」と「さつまいも」。
それに、個人的に、Wさんには、オリジナルの(私がブレンドした)アロマを
プレゼントした。
「すだち」も、アロマも、柑橘系のさわやかな香りのものである。


Wさんは、「あっ」という間に決断して、現地(新潟)にマンションを購入。
気を遣うが、近くに兄弟がいるので、安心だ・・・ということらしい。
将来は、兄弟の家族:皆に迷惑をかけないよう、購入したマンションを売って、
「介護ホームに、一人で入るつもりだ」と、Wさんは静かに語った。


我が家の右隣も、ひとりぐらしの高齢者。
話題は、老後の生活と、健康と、未来に向けた注意事項ばかりだ。
一人で「生き抜いていく」というのは、“なかなか厳しいものだ”と
(高齢者の立場の心情を受け、詳しく聴いて)本当に、切実に感じた。
私には、人事ではない現実がある・・・。


私が一番若いパーティは、久しぶりだ。
Wさんには、これからも、元気で居てほしいものである。


懐かしの友とパフェを!

2009年09月07日 | 食事 -
              
本日、中学から高校の同級生、「ぽっち」が来訪!
長年の友である。嬉しかったなぁ。
中学はバスケットボール部、高校は登山部で、一緒に「釜の飯」を食べ、
数多くの逸話と伝説(笑い話)を残してくれた個性派だが・・・
今や、立派なお母さんだ。
いや、立派なおばさんだ。
群馬県の草津から、お嬢さんのアパートに来たついでに、食事を一緒にした。


ほんの少し会わない間に、環境は変わるので・・・・
それに、(お互い)いつ何が起こるかわからないので・・・・
今のうちに、会える人には、(いつも)会っておきたい・・・・・
・・・と、今の私は思っている。

「ぽっち」のニックネームの由来は、もう忘れてしまったが・・・
諸説あって、「ららら~~ぽっち~~」からだとか、そうではないとか、
もう昔のことなので、ほとんど覚えていない。

「ぽっち」は草津に住んでいながら、「温泉にも入る機会が少ない」と言う。
草津の温泉は、(もう一度行きたくなる)忘れられないほどの名湯なのに、
“もったいない”ことである。



60㎏を越え、貫禄とかわいさを、あわせ持つ「ぽっち」は、昔から変わらず
腰まわりに存在感がある。

二人で、「ダイエット」の話をしながら、濃厚な「デブの素」を食べた。
ときには我慢することなく、「デブの素」は楽しみながら食べたいものである。
今日のも、なかなか“ユニーク”な組み合わせで、個性的なお味でしたよ。
 ※無添加ミルクムースにバナナ、カステラ、ドライフルーツ、
  それに、ラズベリーソースに生クリームと小豆という奇妙なパフェ!
 (スプーンでいじっていたら、何がでてくるかわからないバクダン的カフェ)



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イチロー!
おめでとうございまぁ~す。
日米通算2000本安打達成! 
米大リーグ/前人未到の記録、9年連続200本安打にも、あと5本!