「一人で生きる」 とは・・・

2015年07月30日 | 雑感 -
時々 「 私は、一人で生きていける 」 と発言する人に会うが、
実際 「 その通りだねぇ 」 と思える人に出会ったことがない。


精神的に気丈ではない。
自律もしていない。
やるべき仕事は、第三者に押し付けても、
その行為に対して 客観的に判断していない。

生きてきた経緯の中で、「 自分の力でやってきた 」 と思い込んで、
サポートしてもらっている人たちへの配慮と感謝が足りない。
最初から 「 やってもらって当然 」 という意識には、好感が抱けない。


そういうサイクルを基にした 「 一人で生きていける感 」 は、
何の意味もないし、説得力がない。
そして、そういう人の背景は、おぼろげに見えてしまうものだ。
なにげない行為の流れで、その特徴や個性は垣間見える。



しかし、これらは、決して批判などという感情ではない。
私は、単に・・・「 幸せな人なのだろう 」 という印象がする。
正直に言うと、うらやましいぐらいだ。

「 一人で生き抜くこと 」 や、「 一人で子供を育て上げること 」 の
本当の意味での “ スゴさ ” は、人を頑なにするような厳しさがある。
もちろん、全員に当てはまるものではないにせよ・・・
そういう側面は無視できないものだ。

だからこそ・・・
周囲のサポートがあるということは、何よりも幸せなことであり、
そうさせている本人に魅力がなければ、周囲も手をかしたりはしない。
そこが、うらやましいと感じる点でもある。

自慢げに、「 私は一人で生きていける 」 と言われると・・・
苦笑は否めないが、それは羨望の気持ちを含んだ複雑な感情なのだ。


私自身は、
おこがましくて・・・決して言えない。
そんな言葉だと感じている。




干からびゆくイメージ!

2015年07月30日 | 出来事 -
連日、「33°」「34°」という数字が並ぶ天気予報欄。

干からびていく印象が絶えない・・・お天気の状態!

暑いっす!

最近、愛車の冷房の状態が悪くなり、熱風を感じると・・・
運転意欲は 完全に喪失してしまいます。

日中の時間は、特にクラクラ。
昨日は、「いちご氷」を、仕事時間中に がっつりと食べました。
イカンとは思いつつ・・・。

亜熱帯が近寄ってきています。
「あっちへ行け!」と言っても、我が声は届かず。

熱中症で病院行きのニュースが続きます。
私は、二年連続でしたので、今年はしっかりと程よいケアをして、
熱中症にならずに今夏を過ごしたいです。

それにしても、「あっついすぅ!」





うなぎを食べに行ったら、大混雑で、忙しすぎて、
「30分以上待ちますよ。」と、雑に対応されました。
女将さんも、大変そうでした。
すごすごと帰ってきては、「 残念! 」 と・・・。

ウインブルドン 2015!

2015年07月13日 | マイブーム -
ロジャー・フェデラー が、
もしも1セット目を先取していたら・・・
そんなことを悶々と考えながら、一日を過ごした。

  深夜に、抹茶アイスを片手に、何度も決勝戦を見直して、
  今年のウインブルドンを堪能した。  
    タイブレークは 無情だ。  おかげで、寝不足の一日だったょ。



彼にとっての一年は、とても貴重だ。
トップアスリートして、活躍できる期間というのは、
ある意味で “ 限界のようなもの ” があるはずで・・・
そういうことを想起した時、応援している私としては、
ウインブルドンの期間は、特に 力が入る!

昨年、爽やかな表情で 「 来年、また会いましょう 」 と
コメントしたフェデラーは、再びの準優勝という結果に
少しばかり落胆しているようにも見えた。

   

実際、ジョコビッチは、パワフルで、絶好調だった。
それに、今年のウインブルドンは体力温存で、良い状態で
決勝戦を迎えている。
世界ランク一位というシードは、それだけ恵まれているし、
それに見合うだけの結果を出し続けているということだ。


けれども、私にとっては、フェデラーが一番!
どんなことがあっても、彼を応援する。

彼が、ラケットを置く決心をするまで、応援し続ける。

できれば、グランドスラムの勝者になる姿を、もう一度・・・
この目に焼き付けたい。 
見てみたい。
この数年の活動を慮ると、本当に心からそう思う。

  

今日一日の憂鬱を吹き飛ばして、また次の勇姿を待ち、
彼の美しい佇まいを思い描いていきたい。

夏を象徴するモノ!

2015年07月11日 | 食事 -
水の代わりだ と思って、摂取していると・・・

夜中に、何度も 何度も トイレに 駆け込まなければならない。

 

それでも、こやつの誘惑には、負けてしもう・・・。

「 かわゆいやつ じゃ のう! 」


ウインブルドン2015 決勝!

2015年07月11日 | マイブーム -
昨年同様、決勝戦は フェデラージョコビッチ

予想通りの結果となった。

二人共、ストレート( 3-0 ) で、準決勝を勝利したが、
同じストレートでも 内容は 若干違う。
四強のマレーを相手としたフェデラーの方が、
どちらかというと負荷のある試合を競り勝ったと思うし、
試合そのものも、非常に観戦者にとっては面白いものだった。

英国代表のマレーが、ウインブルドンの芝に登場すると、
スタジアムは対戦相手にとってアウェーとなる。
そんな雰囲気の中でも、芝の王者 は 揺るがなかった。

今年のフェデラーは、とても安定している。
サービスゲームを落とさず、エースも多く、そのうえ
リターンもキレがある。
年齢を重ねても尚、進化した攻撃を繰り返して、
ポイントを重ねた。
グレイトショットを、いくつも見せてもらい・・・
夜中に声を枯らしての応援は、ぐったりと私を疲れさせた。
でも、こんなに幸せに 盛り上がれる時間は、本当に素晴らしい。


  

大好きなフェデラーの渾身のプレーは、私を奮起させる。

プレーも華麗だが、身体のライン&バランスも とても美しい。

明日は、( すでに今日 ) 早起きしなければならないが、
それさえも 元気に こなせる気分に 包まれている。

「 蓮の花 」 が咲く季節

2015年07月09日 | 出来事 -

佛の悟りの時、蓮の花開く

なんとまぁ、想像できない・・・
      二千年の時を超える植物である。


泥の中よりいでて、清楚な花を咲かせる蓮は、
お釈迦様の尊い姿・・・とも言われている。

    如来像の台座は蓮。


かつて は 日本人にとって 身近な花だった。



暑い盛りに、日本各地で咲く花。

気高い印象がするが、 佛の花 というイメージが強い。

そして、「 天上の花 」 だとも感じるけれど、
蓮は 「 泥の中にしっかりと根を張る頑丈な植物だ 」 ということを
忘れてはいけない。




 知人の家族を通して、命の重たさを感じた今日、
 私は 「 見知らぬ人 」 のために、涙を流すことになった。
 反射的に反応する現象は、抑えられないし・・・
 理性で がんじがらめになっている人と違って、
 私は 自分の感情を隠さない。
 セーブするタガをはずしたら、誰の前でも泣くことができる。
 そのために、たとえ他人に変人だと思われようと、知ったことじゃない。
 私は、私自身の感情に、常に正直に生きている。
 時には、爆発したって良いじゃないか・・・と、思っているし、
 実践することにも抵抗がない。
 そういうことに気恥ずかしさを感じても、それはそれでいい。


「公的扶助制度」を考える

2015年07月01日 | 雑感 -
何かがオカシイのではなくて、
誰かが狙って 作り出した仕組みが 
今の社会構造なのだろうか。

そんな印象を持ってしまうほど・・・
私は “ やるせない感情 ” が 抑えられない時がある。



そもそも、日本国憲法25条 には、下記のように示されている。
すべての国民は、
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する


この憲法でうたっている生存権を保障するため、
社会保障制度がある。
年金保険、医療保険、介護保険、雇用保険、
労災保険、そのほかにも、
障がいを持つ人をサポートする制度や、
低所得の困窮者を対象とした生活保護制度もある。



しかし、現実には、どうだろう・・・。

すべての社会保障制度とは言わないが、
これらの多くの制度には、複雑で 様々な盲点があり、
万能ではない現実を感じている。 

法律によって定められた対象者は、強制的に加入するが、
加入者が負担した保険料は 将来の自分に充てる積立方式とは
異なっているので、意図的に加入を拒む人もいる。

基本的に、個人の生活を支える 公的な責任 があるために、
社会保障制度の財源は 「 保険料 」 となっているにもかかわらず・・・
どれぐらいの人々が これらの背景や目的を理解した状態で、
“ 加入者としての責務 ” を果たしているだろう。

これらの仕組みは、一部の人に対しては、
基本的に 信頼 を無くしてしまっているのではないだろうか。



私たちの日々の生活・・・
私たちの老後の生活・・・
多くの種類のリスクを背負い、同時に不安を抱きながら、
毎日を暮らしている人々。
そして、自分だけでは備えられないし、そのすべも解らず、
困惑することも珍しくはない。



本来、社会保障制度は、
社会全体で備える仕組みなのに・・・。

実際は、どこまで機能しているのだろう。




もしも 不安をあおることが多い社会保障制度であるなら、
これは、本当に、国民のために 公的な責任 を持って、
機能しているとは言いがたい。

国家が行うべき公的扶助制度なのに、リアルに 説得力がないのは
何故だろう・・・。
そんな風に感じているのは、私だけ・・・?


      


何度でも言いたい。
個人だけでは対応できないことに対して、社会全体で備えるのが
社会保障制度である。