インターネット頼りの生活

2011年11月27日 | 出来事 -

数日前から、自宅のインターネット環境が壊滅状態になった。
頻繁に行っていたメールを使ったやりとりや、
情報収集のためのインターネット検索が使えなくなり、
これまで「どれだけインターネットに頼っていたのか!」と
いうことを思い知らされている。

現在、とても不便である。

フリー仕事用アドレス「ne.jp」と、契約会社アドレス「co.jp」を、
フツーは(ほとんど)使用していない携帯アドレスに転送をかけた。
12月10日ぐらいまでは、日々のメール通信で、諸々が
動いているために、メールチェックはかかせない。


しかし昨夜もそうだったが・・・時差のある場所からのメールは、
早朝4時ごろに入ることもあって、「ピ、ピ」という連絡音で
すっかりと目が覚める。
「現地は、夜の9時か・・・」。
そう思うと、「不謹慎な・・」とも言えない時間だ。



情報収集は、インターネットがなくても、それほど困らない。
いくらでもツールはあるし、必要もない情報のためにわざわざ
動いていた自分の行動癖を、冷静に自覚することができた。
一種のインターネット依存のような形ではないだろうか。
連続して、毎日使用していると・・・使用しないことに対する
物足りなさのような気分になっていたのだろう。
「今日のヘッドラインは?」「使って当然」という意識か・・・。


自分の必要な情報と、やりとりの経緯が、相手様に失礼が
なければ、本当は何ら問題はない。
ただ、残念なことに、今まで余暇時間に楽しませてもらっていた
無料動画サイトや情報交換サイトなどは、少しばかり
さびしい部分もある。

そういうときは、こうして、休日出勤している最中に
アクセスしかないかなぁ。
ドラマも、夜中までため見するかぁ~。


12月に向けて、田舎に手紙を書いたり、それを今朝、
投かんしたりしたが、昔ながらの「手紙」という方法もまた、
相手に対しては、情感あるものかもしれない。



「私の人生」を生きるために

2011年11月19日 | 自分 -

窓から見下ろす景色が、変わっていた。
木の葉っぱの色が、黄色やオレンジ系茶色に・・・。
この部屋に引っ越しをして、初めて過ごす秋。
庭には、こんなに多くの種類の木が植わっていたんだと
初めて気づいた。
曇っていても、空気は清々しい。



今年・最近の私を思い返すと・・・
不規則な毎日、精神的な抑圧感、過剰労働、
体内時計の混乱、緊張を強いられる環境、
納得ができない自分の労働環境、・・・・
書いていくときりがなく、マイナスな言葉が続く。

私自身が疲れているのだ。
心も身体も、極限の一歩手前だという印象がしている。
田舎にも帰っていない(帰れない)。
旅もできていない。
友達とも会えない。
美味しい食事が食べられるのが、ごくまれで、
食べられても、美味しいと感じられない。
だから、「一歩手前だ」と感じるのだ。



今、私は・・・生涯を通して、一番太っている。
“体重が増えている”という意味である。
それと同時に、肩コリや頭痛もあったりするし、
朝は気持ちよく起きることができなくなった・・・。

人は、「悲しみ」が多いと、食べられなくなり、
痩せていくらしい。
そして、「怒り」が多いと、食べてしまって、
どんどんと太っていくらしい。

実際、今の現状に満足していない私が・・・
一番我慢できないのは「労働環境」だろう。
改善することが難しい大きな団体の中で、すでに
出来上がっている問題(体質)を改善するというのは、
大変厳しいことだ。
多くの人の賛同と、同意がなければ、実現できるわけがなく、
正社員という立場を守ろうとする人たちにとっても
快いことではないだろう・・・。
しかし、聞くところによると、彼らには彼らの悩みと怒りが
あるようだ。

最終的な結論は、「経営者が経営者足らん」ということ!
実際、私が怒りを覚える要因も、その経営者(社長)からの
発言、行為、要望がほとんどである。
そして、その経営者が作り上げた会社の哲学や社風(雰囲気)、
全員に広がっている“暗黙の了解”の全てが、納得いかない。

人をまとめ、人を引っ張っていく経営者の目に、
「人」がうつっていないのが、一番 おぞましいことだ。

人間である患者をみて、病気を治す医者の目に、
「人間」という「人」がうつっていないのと同じだ。

決して、「人」は「労働の歯車」ではなく、
ましてや「実験材料」でもない。

商売人が、お客様を一番に考えるのと同じように、
経営者は「利益」優先ではなく、まずは会社の長として、
労働する人たちのモチベーションをあげる努力が必要で、
総合的にバランス管理をしていくべきだ。
結果は、必ずあとからついてくるというものなのに、
まず「利益」ばかりに執着して焦点があたっていると、
やる気も萎えていってしまう。

そんな構図は、周囲の人に見透かされてしまっている現実に、
気がつかない愚かな経営者・・・。

何か勘違いをしていたり、一方的に思い込んでいる経営者に
従って、ついていくことは、激しいストレスをもたらす。
なぜならば、私は「常人」であり、「人」だから・・・。


まるで自分を酷使するように、無理に納得させようとしても、
感情がストップをかけて、定期的に噴出してしまいそうになる。
人間の心というのは、あまりにも正直だ。
感情を尊重しているからこそ、私は「常人」でいられる。

無理強いは、適度にしなければ・・・と、いつもながら、
冷静に自分に言い聞かせている。
そして、深呼吸して、心を落ち着かせてから・・・
一歩一歩を進むようにしている。
しかし、実際には、こんな毎日が、楽しいはずがない。



本質的に仕事は楽しい。 それなのに・・・
社長の(その場しのぎの)勝手な介入が度を越した時、
私は不満が たまってくる。
余波を受けて、苦労するのも、結局は「私」だから・・・。

“大人げない”と反省する自分と、「自分をすり減らし、
自分自身の人生を活かしきれていない」と思う 私がいる。



今、こうしていながらも、来年の課題が大きくふりかぶってきて、
「“私の人生”を生きるために、努力しなさい」 と・・・
自分が自分に呼びかけているようだ。

とにかく、最終的な到達点をイメージングしながら、
まずは、問題を的確に把握してくことから始めよう。



潜在的に植え付いた意識

2011年11月16日 | 雑感 -


夜明け前の・・・、まだ太陽がお出ましになる前に、
着替えもそぞろに外出した。
その頃の大通りは、大型トラックが全速力で走り、
一般車やタクシー、バスなども通っていない。
昼間とは全く違う、深夜の様子だ。
朝なのに、深夜・・・。



昨夜は目覚まし時計をかける前に、疲れ果てて、
気がついたら爆睡してしまい・・・
早朝起床が必須だったのに、実は、
とんでもないことになってしまっていたのだ。

ところが、それでも潜在的に危機感があったのか、
早朝4時ごろに、何故か・・・目が覚めた。

「うわぁ~、ラッキー!」

起きなければいけない・・・そう心に言いきかせていたことが
このような奇跡のようなことを引き起こす。
緊張感が続いていたからだろう。

これまでも、目覚ましをかけても、
その起床時間の5分や10分前に目覚めることが多く、
「性分なのだろう」とは感じていたが・・・
今日は、本当にラッキーだった。

  「もし、遅刻していたら??」
   そう思うと、ぞぉ~っとする。
  「恐ろしや」


脳や潜在意識に植えつけられた“強い意識”というのは、
本当にすごいものだと、たびたび感じることがある。
強く念じて、強く感じていると・・・
こういう現実が起こるものなのだろうか。
言い訳のように「やっている」と言っていても、
実は“心からやっていないことも多い”現実を自覚する中で、
“本音の自分”の 行動系統が明らかになると・・・
「自分自身には嘘がつけない」ことを、あらためて感じる。



誰にでも出来る 「挨拶」

2011年11月14日 | 仕事 -


これでも(私は)プロジェクトのトップを まかされている立場だ。
だから、面倒な仕事も増えてくる。
今日は、部下の査定を提出しなければならないという・・・
やりたくもない書類が、突然、舞い込んできた。

いくつかの項目にわかれ、書き込まれるようになっている査定表は、
いずれ幹部にわたり、それらは「ボーナス」に反映されるという。
社員さんには、「ボーナス」があるんだなぁ。
羨ましいことだ。
どんなに頑張っても、また、社員と同等のことをしても、
あるいは、社員以上の立場で、社員以上の仕事の成果をあげても、
わたしたちには「ボーナス」というものなどない。
そのために、査定するのか・・・と、何か・・・無常で複雑な関係性を
感じつつも、会社の方針には従わなければいけない。

“フリーランスのたわごと” だ。



夏からの数ヶ月間、社員である部下の これまでの仕事ぶりを振り返る。
こういう書類を送りつけられると、いろいろと冷静に感じることも
出てくるのだが・・・・
とても、とても、基本的な「挨拶」ができていないことを、
まず第一に「私は指摘したい」と 強く感じた。
会社内であれば問題なくとも、外に出て、外部者と仕事をする時に
挨拶ができないのは とんでもないことだと思う。
恥ずかしいことでもある。
これは「能力」とかの問題ではなく、その人個人の基本的姿勢と
習慣の問題である。
その背景には、社会(&社会人)に対する礼儀があるし、
個人としての自覚もあるように思う。



どんなに偏差値の高い大学を卒業していても、挨拶ができなくて、
人に信頼してもらえず、社会常識観念が欠落しているようでは・・・
未来は厳しいと感じる。
挨拶なんて、あっという間に改善できるものだ。
誰もが出来る習慣である。
フツーであれば、ごくごく当然に “社会人の行為”に属している。

こんな何でもないことができない30代にもなる大人が・・・
この日本社会にはゴロゴロいることが・・・切ない現実である。
こういう基本的なことぐらいは、社員研修でやらなかったのか!
家庭では しつけられなかったのか!
そんな素朴な疑問にかられて、ついぞ、強く書いてしまいそうだ。

コミュニケーション能力や、統率力、洞察力・・・・そんなものは、
「能力」に属するものだが・・・
挨拶は、それ以前に属する“人としての基本的な行為だ”と思う。



まずは、書類を一読して、時間がたってから、再び・・・
頭が冷静になった頃に、書き込むこととしよう。

このところ、仕事の関係で、毎日、六本木辺りに外出している。
熟考しながら、査定表に書き込む時間もない。
来週か、今週末に、ゆっくりと作成することにしよう。



GPファイナルへの期待!

2011年11月13日 | マイブーム -


堪能しました「大ちゃんフィーバー!」。

昨年からの流れと、今年のボルト抜き手術を経て、
氷にあがってからの彼の時間が、勝手に浮かんできて・・・
とても感動的でした。


高橋大輔選手!
GPファイナル、カナダ行きが決定しました。
また、私の12月の楽しみが一つ増えました。 


短時間での調整は大変だっただろうに、よくぞ
この状況の中、ここまで仕上げてくれたと感じました。

豊かな表現力に磨きがかかり、努力してはじめたバレエや
日々のストレッチの効果が、歴然と出てきていました。
ストイックに、そして、前向きに、毎日練習に取り組んだ
からのことでしょう。
目に見えない部分で、きちんと努力を重ねた結果です。
身体全体のフォルムが綺麗で、流れるような繋ぎでした。

精神的なコントロールも本番では重要な要素ですが、
練習から もたらされる自信があれば、それなりの状態を
維持したままで 本番を迎えられるというもの・・・。
丁寧な練習時間は、確固たる強靭な心育てをしてくれますし、
「天」はそれほどおバカな現実を与えたりはしないものです。



フィギアスケートは、スポーツでありながらも、同時に、
芸術的な要素が とても強い競技です。
(だからこそ、私はずっと子供の頃から見続けているのです)

ジャンプばかりに焦点があたっている昨今のマスコミ報道は
間違いだとは思いませんが、4回転ばかりが全てではありません。
キモになっているというのは、至極当然なことではありますが、
フィギアスケートは、総合スポーツという点において、
そのプレイヤーの素晴らしい要素が「どれだけ競技大会で
活かされて、評価されるか」ということがポイントだと思えます。
ジャンプは、その要素の中でも、重要な筆頭の位置にあり、
柱になる“避けては通れないもの”です。
しかし、四回転をとんだか、とばなかったかだけではなく、
ジャンプをどのようにしてとんだか・・・も大切だと思います。

全体的なプログラムの完成度・・・
そういうことを考えると、高橋大輔選手を追いかけている
この想いと時間は、私にとって幸福で貴重な経験でもあります。


彼の演技は「芸術」や「エンターテイメント」の領域であり、
私にとっては、心を掴まれるパフォーマンスだからでしょう。
単なる氷の上の競技ではないと感じ入る部分が、たまりません。
それも、彼だからこそ・・・かもしだせる雰囲気と世界観は、
オリジナルカラ―(彼自身のもの)です。
その総合芸術性と、プログラムごとに変化していく“生きざま”の
傍観者になれることが、私個人の楽しみでもあります。
固定観念や、年齢という限定した状況に阻まれたり、
個人的に囚われたりすることなく、前向きに進もうとする姿勢!
共感を覚えますし、感動的です。
結果にかかわらず、とても素敵です。
元気のない日本と、厳しい現状を抱えている日本人にとって、
勇気をあたえてくれる存在だと思います。

私個人としては、人間的な性格・・・ある意味で・・・
等身大で、いつもスノッブではない部分もまた、魅力的です。



今シーズンのスタートを見極めてきた限り、
「一つ一つステップアップしたい」という気持ちが伝わってきます。
そのことが、さらに応援したいと思える根源的な要因だと感じます。
彼の真摯な気持ちの断片だけでも、共有したいのかもしれません。

高橋選手には、後悔のない時間を過ごしてほしいです。
「今シーズンは、あなた自身が思い描いている今年の目標を達成して、
 あなた自身の“未来”を変えて下さい。
 ずっと応援しています 」。



台湾風の「薬膳火鍋」

2011年11月11日 | 食事 -

かぁ~っと身体が熱くなる「辛さ」と、
女性に人気の「コラーゲンいっぱいの食材」。
魚介類から野菜類、キノコに練りもの、
初体験の薬膳の数々がスープの上で
おどっていた・・・。

おやじさまたちは、お酒を飲み飲み、
お嬢さんたちは、コラーゲンとつみれを探す。


銀座のはしごは、店の選択で全てが決まる。
お腹いっぱいの二次会は、おしゃれなバー。
選択肢が広い銀座という土地は、相変わらず、
おしゃれで面白い街だ。
常に変わる店の生き残りさえもが、刹那的ではあるが、
お客側にとっては刺激的な変貌にもみえる。
そぞろ歩きのさながら、「次はここにしよう」と、
店舗を見ながら雑談にも華が咲く。




ハイリスク・ハイリターン

2011年11月09日 | 仕事 -

この数日で、バタバタとしたやり取りと、密度の濃い時間を
過ごしているという自覚がある。

おそらくは、現在の私にとって、
「ハイリスク・ハイリターン」の仕事に着手したからだろう。


新しいことにチャレンジすることは、常に、「大きな不安」を伴う。
しかし、安全や安穏を求める自分の思考性は、必ずしも「平安」だとは
言えないように思う。
冷静に考えてみると・・・、安全志向の自分は心地よくはないし・・・
同様に、安定に偏った志向性は、成長を求めづらいと感じる。

「挑戦する」という行為は、未来の自分に対して、最高の成果を
もたらす可能性がある。
年齢や境遇にかかわらず、自己達成をしようと望んだとしたら、
時には「リスクを恐れず、挑戦してみることも必要だ」と思うからだ。


リスクに伴って付いてくる「不安」を乗り越えた時、 あるいは、
冷静に先行きを予想して、真剣に考えて、判断していくと・・・
そこにみえてくるのは、「大きなチャンス」や「飛躍」だったりする。

リスクを恐れて、“上を目指して チャレンジしない人” が 多い中で、
果敢に「努力していくこと」は、結果として「成果」をもたらしたり、
自分にとっての「大いなる収穫」を手にすることがあったりすると思う。
これは、あらゆるケースに言えることで・・・・
私自身、本当に多くの現実を体験してきたので、冷静に分析しても、
納得できる世の中のセオリーのような気がする。
だから、今・・・ 私は、あえて「挑戦すること」を 選んだ!


大変な仕事が終えた後だからこそ、「またかぁ~」という気もしたが、
それを理由にして、常識的に判断して実行しないのは・・・
私的には “後ろ髪がひかれる行為” である。



このような場合、 ・・・そう、やると決めた後は・・・
もう「覚悟」を決め、自分が未来に求めるビジョンを描きながら、
「結果がでるまでやる!」ことだ。

迷いが出ても、途中で投げ出さず、「やりきることが大切だ」と思う。


リスクを選択した後に求める理想像は、そのような毅然とした姿だ。
失敗しても得るモノは多いだろう。

自分にとって、このようなリスクある選択ができること自体に感謝し、
前向きに時間を過ごすことを第一に考えたいと思えるようになった。
日々、悩みながら、流れに身をまかせていると・・・・
結局は、このような「選択」の末に、このような「覚悟」ができ、
自分のために、再び「頑張ってみよう」という気持ちになってきた。

我が「可能性」と、数か月先の「明るい自分」と出会えるように、
まずはより良き成果を目指して、努力していくようにしたいと思う。


このような「ハイリスク・ハイリターン」の境遇にいられる自分に
非常に期待しながら、無理なく、ほどなく、頑張っていこうと思う。

現実を受け入れ、そして、それを直視しても尚、挑戦する自分に、今は・・・
「頑張れ~~」と、心から言いたい気分だ。



日本テニス界初の躍進

2011年11月07日 | 出来事 -

21歳の錦織圭選手が、世界ランクをまた更新した。

スイスの大会で決勝まですすみ、王者フェデラ―と
試合をして、準優勝したのだ。
早朝(深夜)のニュースでは、映像も・・・。

今までの日本男子テニス界では考えられない快挙だ。
この数日のスポーツ欄を見ながら、「まさかね」と
思っていたことだったので、さらに驚いた・・・。

日本人選手が、フェデラ―と一緒に優勝杯をはさんで
並んでいること自体「すごいことだ」と、私は感じる。

圧勝だったとはいえ、試合の全てを最初から最後まで
ゆっくりと観たいと、ニュースに心が躍った。


駅伝、野球、サッカー、そしてフィギアスケート・・・
やはり、スポーツ観戦は楽しい。



子供の頃から格闘技を観てきた私は、生の臨場感が
忘れられない人でもある。
それは、まさに一度きりの“その場所、その時にしかない
記念すべき貴重な機会”だ。
生で観戦するからこそ、体験できるものがあり、
それはテレビ観戦とは全く違うものである。
エンターテイメントもしかり・・・。
舞台も、コンサートも、生が一番だと、私は思う。

現在は、生観戦はできる状況ではない。しかし、
映像をみるときも、あの生の臨場感を想像しながら、
観ていると・・・ なんとなく得した気分。
このごろは、スタートしたフィギアスケートにも大注目! 
心そぞろに、毎週のように開催されるGP大会を追っている。