「おくりびと」

2009年02月23日 | 雑感 -
このところ(この数ヶ月)、この作品について論じてきた。

ロードショー公開前から、一部の関係者や試写を見た人からの噂で、
「良い!」と聞いてきたからだ。

しかし、私は躊躇していた。

公開しても、まだ「死」や「死者」を扱った題材に触れることができず、
映画館には足が向かなかった。
大切な人の死や、身近な人の死を乗り越えきっていない私が、
ただ直感的に選んだ選択(結論)だった。
「まだ、観るのには早いかも・・・。DVDで観るかな・・・」
その程度の感覚で、たった一つの映画さえ、観る勇気も余裕もなかったのだ。
(昨秋は、まだ忙しかったし、この作品に思い入れも執着もなかったし……)


しかし、昨年12月、時間ができたときに、
やっと意を決したように出かけて、この作品を観た。
ユーモアあふれる箇所が随所にあったので、救われたが・・・
やはり、いろいろと考えさせられる部分があった。
たくさん感じた。
そして、当然、泣いた。

うまく「死」を描きながら、「生」を描ききっているし、
現代社会の背景や、人の偏見・差別などの思い込みも入って、
非常にバランスよく“まとまっている”と思った。
田舎の風景がさりげなく、昔の雰囲気があって癒されたし、
残された「見送る人々」の悲喜こもごも、人生の機微も描かれていた。
何より、納棺師の所作が美しく、ラストのエンドロールが印象に残った。
それは、日本社会から消えていく悲哀を秘めた「文化」のようにも感じられ、
そういうものが、こうした作品を通して残された(描かれた)ことが、
何よりも貴重なことのように思われ、素晴しい作品だと思った。


ついに、本日「アカデミー賞」受賞である。
日本がつかない「アカデミー賞」である。
受賞するような予感がしていたが、「やはりね~」と感じた。

日本アカデミー賞会員の私も、今年は7~8割は「おくりびと」に
投票をしたので、密かな期待感もあった。
ぶっちぎり・・・という感想の日本アカデミー賞を経て、
アメリカでも評価されたことは、一人の日本人として、大変嬉しいことである。
スタッフの嬉しそうな顔と、受賞にわくマスコミ報道に、笑みがこぼれる。

「良かったですね」
「おめでとうございます」

暗い話題ばかりの昨今だったので、余計に、素直に喜べた。



ときめき感

2009年02月21日 | 自分 -

最近、すごく思う。

なぜ、ときめかないんだろう。
ときめきが感じられないのは、なぜなんだろう・・・・・・と。

仕事でもプライベートでも、めっきりと「減った」。

恋や愛などの浮かれた話ばかりではなく、
生活全般に「ドキドキ感」がなくなってしまったのだ。


たとえば、頑張っていた仕事が、昨日決まった。
大きなバゼットの仕事である。
正直言って、うれしかった。
その結果を手にしたとき、はっきりと気づいたことがある。
昔とは確実に違う感覚に・・・。
「やったぁ~」と、胸がバクバクになって、「今日はお祝いに何しよう」なんて、
あれこれ想いをめぐらせていた頃が・・・とても懐かしい。
今は全くそういう感覚が手にできないし、
(たとえどんなに)努力してもたどりつかないような気がする。

これまで“いくつもの経験”を積んだことが原因か、
はたまた、自分自身が(多少は)“枯れてしまった”のだろうか。
何か虚しいものを感じる。



心と頭では、そして人に対する言葉でも、
「情熱」や「活き活きとした生活」を目指していることを掲げて、
いつも「ときめき」と「後悔のない(ほどのよい)一生懸命さ」を目指して
生きているつもりなのに・・・・。

やはり、昔と違う感覚なんだということを、(昨日)感じ取ってしまった。

勿論、今、状況がよくない時期だし、自分を取り巻く環境そのものも
あまり健全とは言いがたい。
実際、何度も経験してくると、新鮮さなどというものは無くなってくる。
それが原因であれば、何の問題もないのだが・・・。

私も、一つ一つを経験するたびに、
(それなりに)大人になっているということか・・・。

たとえば・・・
「禅」のように、何がおころうと全てをありのままに受け容れることができる、
ある意味で“ぶれない自分を確立する”ための過渡期であるかもしれない。
・・・・・などと、(口が裂けても)おこがましくて言えないが・・・。

とにかく、「理論」よりも、
また、「分析する」ことよりも、
この現実を受け容れるのが、今の私にとっては、一番なのではないだろうか。



とにかく、「うれしい」にも、いろいろあるんだ。
      (うれしかったのは事実だから!)
そう思って、「今」を見つめている。

「今の私自身」を味わっているところである。





田舎からの電話

2009年02月15日 | 出来事 -

田舎の人から連絡が入った。
両親が仲良くしていたお宅のおばさんだった。
田舎では有名な家で、農業と共に、漬物屋を営んでいる。
年齢は、おそらく70代半ばぐらいだろう。
しっかりとした口ぶりで、半時間ぐらい携帯で話をした。
本当に世間話で、何の中身もない・・・なぜ電話がかかってきたのかと思うぐらいの内容だった。

去年早くにご主人が亡くなられ、それを知らなかった私は、両親の代理として
昨年秋「ご香料」を送った。
それは、私にとって当然のことだったので、全く意に介していなかったが・・・
それが非常に強い印象を残したらしい。
それで、電話がかかってくるようになった。


私が子どもだった頃、きっと何度も会って、かわいがってもらったのだろう。
しかし、大人になってから、お目にかかった記憶は、たった1回しかない。
父が、当地で暮らすようになってからも、田舎を恋しがるので、3ヶ月に一度
帰省をしていたのだが・・・
そのときに「漬物(梅)」などを、その家に買いに行っていた。
父にとっては、それもまた口実で、そのお宅に行きたかったのだろう。
当時、ご主人はベッドで寝たきりになっており、何度行っても会うことなど
決してかなわない状態ではあったが・・・
帰るたびに、名前を出していたお宅ではあった。
おばさんは、入院している病院で、ご主人の看病に追われていた。
だから、いつも縁のない(あまり知らない)お嫁さんが対応してくれた。
何の話もしないで、ただ梅を買うだけだったが、父はいつも満足顔だった。



電話をくれたおばさんが言う。
家族が、たくさんいても、昼間は家で一人ぼっちで・・・
こうしていたり、ああしていたり、近所でつきあっているのは一人しかいない、
私ももう齢だからね、ところで梅でもおくろうか、などと、・・・・・
本当に、いろいろな話をした。
決して「ぼけている」とは思わないが、何度か電話をもらい、同じ話を繰り返す。

「さびしいのかな」
ふっと、そんな印象がして・・・

年齢の全く違う、それも血縁関係の全くない人なのに、
何故か情がわく。
私自身が、さびしいからかもしれないけれど、
言葉の端々に、「何か」を感じてしまう。


誰も彼も人間は、いつか必ず死んでいかなくてはいけないし、
それを思うと、無常観におそわれる。
家族がいても、そういう話は、あからさまに言うわけにもいかず、
おもしろおかしく話したり、さりげなく話したりするものだろう。
齢をとった人間の感情など、若い人には完全に理解することは難しいとも思う。

普遍の摂理には、誰も、はむかうことができない。
ただ、それを受け入れるだけである。


私は時間つぶしのお相手だとしても、おばさんの脳裏には、
私の両親が必ずいるようだ。それだけの長い歴史がある。
今もまだ「私の両親が生きている」ような関係で話している。
だから、情がわいてしまうのだろうなぁ。

昔と変わらない感覚で話してくださるので、そのいたわりの心が有難く、
また、いとおしく聞こえてくるのだろう。
不思議な感覚だな~と思った。


「帰郷したら、必ず顔をみせてね」と言われた。
有難いことだ。
心が、あったかくなった。



労働審判

2009年02月02日 | 出来事 -
頑張っているつもりはないが、許せないことは、許せない。


昨年12月、1年以上契約して労働を提供した会社を相手どって、
やっとの想いで、地方裁判所に申し立てを提出した。
労働審判である。

不当な扱いを受けて辞めていった若者達の苦労を思うと・・・
自分が長年身を置いてきた業界の衰退(横暴)を許せない。
相手は、会社の一方的な「漢字ばかりの契約書」に印を押させて、
過酷な労働を強いる上場会社である!


今日は、弁護士さんと打合せ。

私の申立書に対する答弁書を読んで、あきれて、あきれて、
話にならない「嘘」を並べ立てていることに、本当に腹が立った。
でも、興奮した方が負けだから、嘘も“ねじまげられた現実”も、
「冷静に裁判官に話しましょう~」と弁護士さんと話した。

何故か弁護士さんからは、
「貴方はしゃべれない人ではないので・・・安心です」とほめられたが、
「かえって、言わなくても良い事まで言わないように」と釘をさされた(笑)。
「聞かれたことだけ、答えればよいのですね~。はい、わかりましたぁ~」
「余計なことを言いそうだったら、とめてくださいね」と言って、二人で大笑い!
シリアスな状況にもかかわらず、大笑いで閉められた本日の打ち合わせ。



これまで、この件があって非常に気持ちが落ちつかず、
ストレスをかかえる日々だったが・・・
やっと腰がずしんと落ちて、今、腹がすわったような感覚を覚えている。
いらいらしないし、どきどきもしない。
意外と落ちついている自分がいる。
「不思議だな(笑)」
かえって、明日は「相手側は誰が来るのか」楽しみでもあるぐらいだ。


泣き寝入りをしてきた多くの人々の心を代弁するかのように、
明日は(しっかりと)弱い立場の労働者として、我が主張を通してきたい。

わたしが、この数ヶ月の間に経験して、収集した情報を週刊誌に持ち込んだら、
大変なことになるだろうな・・・なんて思いながら、明日を楽しみに迎えたい。
相手次第では、もっともっと「腹をすえてやる」という気持ちもあって、
私の中に、強く、大きく、燃え上がる炎を感じている。


へたに、何十年も生きてきていないし、
同じ業界で、何十年も一線で仕事してきていない。
その自負だけはなくさないように、明日は、「頑張るぞ!」

※労働審判は、平成18年に施行されたものである。
 3回で、裁判官からの審判がでるので、短期(三ヶ月)ですむことや、
 最近申し立てをする人も増えている。
 昨今の「派遣切り」でも、あったような・・・記事を読んだ記憶がある。