私は、生まれてからずっとの「人生史(自分の歴史)」をつけている。
これは、起こった事柄の整理で、年度、自分の年齢、その月に何があったか・・・
という簡単なものから始まった。
きっかけは、20代中盤頃に購入したシステム手帳に、そういうコーナーがあって、
「こりゃ、いいやぁ」と、短絡的に感じたからだった。
当時は、記録としての“メモ的な意味合い”しかなかったように思う。
その後、エクセルを使って、より詳しい内容の「人生史」をつくり始めた。
「年度」、「月日」、「起こった出来事」、「その時、感じた気持ち」を
整理して書き付けている。
そして、進化系としては、追加で「現在の気持ち」を書き綴るようになった。
隣の備考欄に、時間を経て「気がついたこと」「今だから冷静に感じること」を
冷静かつ端的に、記している。
それは、読み返して、追記することもできるようになっている。
こうして、自分の「人生」を残しているのである。
この「我が人生史」は、今や貴重な存在になっている。
暇な時に、数年ぶりに取り出しては、時間のあるときに書き記していくのだが、
過去の自分自身が非常に理解できるし、対処方法も考慮できる。
そして何よりも、忘れていた感覚と感情や人間関係が、当時を生々しく
思い出させてくれる。
まるで、フォトフレームのように・・・・。
昨日、久しぶりに、簡単な方の「人生史」に書き込もうと手帳を出してきた。
そのシステム手帳は、もらいもので、日常で使っているものではない。
昔の手書きのアドレス帳などを眺めながら、懐かしく想いにふけっていた時、
たまたま手帳のポケットをあけてみた。
すると、思い出のテレホンカードが出てきて、「いやぁ~なつかし~~」
裏側のポケットに手を伸ばしてみると、懐かしい文字が目に飛び込んできた。
それは、私の母が最初に入院した時、直接、手渡されたものだった。
病院の朝食カードの裏に、自宅の権利書や実印、大事な書類を管理している
場所と、そのカギのありかを絵に描いて、私に手渡したメモだった。
すっかり忘れていた感情が、一瞬の内に、この胸にぶり返してきた。
母は、このメモ書きで、あの時、すべてを私にゆだねたのだ・・・。
“どんな想いだったのだろう”と慮ると、やはり母の「不安」と「覚悟」しか
感じることができない・・・。
それなりの強い気持ちからの行動だったのだと推察する。
「思い出の品」が秘めているパワーは凄いものである。
十年以上の時間を、飛び越えて、あの時の私に、戻ってしまった・・・。
やはり、物質に固執するのは良くないが、思い出の品は残しておくべきだ。
そんな甘すっぱい気持ちになる「母のなぐり書き」。
気がついたら、感傷的になってしまっていた。
私は母を非常に頼り、とても愛していたので、まだこういうものを目にすると
泣いてしまう。
病院で話したことなどが・・・・思い出されて、また泣けてしまう。
“おやおや、どうした?”と思いながら、すぐに「母のなぐり書き」をポケットに
しまいこんで、またシステム手帳を戻した。
このメモを、「人生史」のポケットに入れたことなど、全く覚えていないのに、
入れたという事実は、当時の私にとって“重要なことだ”と感じたからだろう。
再び、目にしてみて・・・それは、同じ事を感じた。
何か・・・うまく言葉に出来ないが・・・・
母から「目にみえないメッセージ」を再びもらったような印象を受けた・・・。