文質彬彬

2009年06月30日 | 言葉 -


文質彬彬―――――――人間は、どちらかに偏りやすい傾向がある。
(ぶんしつびんびん)


子曰く(しいわく)、
質文に勝てば即ち野。
文質に勝てば即ち史。
文質彬彬(びんびん)として、然るのち君子。       【雍也】



  孔子(子:し)は、
  人間は外形と内容がつりあっていなければ、立派な人間ではないと
  説いている。
  人間は、文(外面)と、質(内面)が、バランスよくそなわった人を
  君子と呼ぶことができると言うのだ。

 「質」は「質素」の質で、心根が素朴で純粋なことだろう。
 「文」は「文節」の文で、言葉を飾り立てるようなことを言う。
 「野」は野卑なことで、「史」は国家の官名のことである。




あまりに誠実すぎても、世渡りはうまくいかない。
すごく理論的過ぎても、人の信頼は手にしがたい。

「内面」と「外面」のバランス感覚を持ち、それを常に意識しつつ・・・
自分の精神性を社会で実践していくことで、学ぶことも多いのかもしれない。



愚痴

2009年06月29日 | 人物 -

「人の悪口を決して言わなかった」という三沢光晴さん。

私には、貴方のようになれないよ。

雑念・邪念・悪口が、頭の中に渦巻いていて・・・
「どうして、こんな簡単なことができないの?」と、他人に思ってしまう。
それも、年上の人に向かってもだ。

本人には悪口を言う人はいないだろう。というか、少ないだろう。
面と向かって、「貴方のここが悪い。変だよ。私は嫌い。」とか・・・
どう考えても、想像はできない。
私だって、そんなことは、今まで一度も“したことがない”。

でも、他人(第三者)には・・・
悪口(?)を言える自分がいる。
仕事のできない人に対しての「やるせなさ」や「もどかしさ」が中心で、
自分では「愚痴」だと思っていても、結果的には「悪口」に聞こえる内容かも。
第三者の人にとってみれば、そういう意味合いにもとれるかも・・・。

たとえ自分では「正当的な意見を発言している」と思っていたとしても、
(もし第三者に)その人を攻撃していると受け取られるのだとしたら・・・
後味は、すこぶる悪いよ。

三沢さん、私は、貴方のようにはなれないよ。
サバッとした性格で、楽しい横顔もあった三沢さんだったらしいから、
だからこそ、心の切り替えができて、コントロールもできたのだろうか。
人に心配をかけないように、いつもカラッと明るく対応していたと聞く。
自分自身の身体を使ったリング上の「闘い」が“すべて”だという、そういう
“明確で、厳しい世界”に生きていたからこその結果だろうか。
言い訳のできない世界だもんね。
でも、やっぱり、結局は、その人の「倫理観」「哲学」「生き方」だよね・・・。
とにかく、私には・・・難しいことみたいだ。
我慢できない時があるもの。
急に、バクハツしたくなる!「吐き出したくなるんだよね!」。

「吐き出すこと」は決して悪いことではない。そう思うけれど、
その吐き出し方が“自分自身”を表しているように感じるし、同様に、
周りからも、評されるように感じる。
私はまだまだ、人間が「できていない」のかもしれないね。
与えられた環境の中で、せいぜい居心地がよくなるように、もっと、
もっと努力しなくてはいけないね・・・。

距離感もあり、判らないことが多すぎるからだろうか・・・。
貴方のことが、まだ恋しい。
何かあると、思い出すよ。


姓名判断

2009年06月28日 | 自分 -

「姓名判断」をやってみた。
なかなか、面白く、興味深い結果が出てきた。

私は、これまで一度も結婚しないで、生涯をすごしてきた。
生まれながらに背負ったものを、背負い続けたまま生きてきた。
おそらく、これからも、そうだろう。
それを意味する「天画」というものが、姓名判断では「大凶」なのだ・・・。
総画は「大吉」ではあるものの、名前だけで、これだけの占いが出るとは?!
やはり、長年にわたる統計からくる理論だと(勝手に)推察しているが、
やってみると興味深いものである。
実際、私は・・・生い立ちからくる「家族」の“運命”とやらに、かなり
影響を受けて、これまで生きてきたからだ。

私の姓名判断を、以下、ご披露します~!

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【基本性格】
基本性格 太陽のように明るく快活。
ふだんはのんびり屋だが、仕事に対する責任感は非常に強いでしょう。
頭も良く責任感も強いため、若い頃から社会に出て活躍でき、
何かと忙しい人生になりそうです。
質の高い教育を受けることが、社会で成功するポイント。
運気は中年以降にさらに飛躍し、晩年は社会的な評価を得られることでしょう。


●天画: 「大凶」 12   
●地画: 「中吉」 11
●人画: 「小吉」 13
●外画: 「中吉」 10
●総画: 「大吉」 23
  
【五運の持つ意味】
天画: 姓の画数の合計。生まれる前から既に決まっており、
    家族が持つ先天的な運命を意味します。
地画: 名の画数の合計。その人の基盤を表し、
    本来持っている性格や肉体的傾向などを意味します。
人画: 姓の最終文字と名の最初の文字の画数の合計。
    その人の才能や社会における輝く姿、家庭運、仕事運などを表します。
外画: 姓の最初の文字と名の最終文字の画数の合計。
    環境からくる特性や社会から受ける影響などを意味します。
総画: 姓名の画数の合計。
    その人の運勢の総決算的な部分で、
    人生を大局的な見地から判断するものです。

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ところで、話題は変わって・・・
最近、仕事上、あまりにもトラブルが続くので・・・という理由により、
会社が(明日)10時から、地元の神社の氏神様をお呼びして、社内で
お払いをすることになった。(総務部担当者の発案により)
会社のメンバーは、とても多いし、その時間に仕事をしている人もいるし、
宗教上の個々の都合もあり、希望者だけ参加するということになっている。

「はぁ~?!」
「そういうことを、するんだなぁ~~」というのが、私の率直な感想だった。

“いざという時の神頼み”とはよく言ったもんで、神にもすがりたくなる
人間の心理は理解できる。
神というか・・・(極論からいえば)なんでもいいのかもしれない。
救ってもらえるのであれば、何でも・・・。




人は、「何か」に頼りたくなる時があるものだ。
強靭な精神力や信念を持っている人は別だろうが、まるで変動する天候のように
人間の気持ちや感情は、流動的で・・・・時として大きく揺らぐ時があるのだ。
それは、誰にも起こりうる現実だろう。
言い換えれば、人間が人間たる神秘の一つであるとも言える。
だから、「人は一人では生きられない動物」であり、
他人を受け容れ、理解しあい、共に助け合う精神がなければ、おそらく
孤独を突き詰めていかなければならないのかもしれない。

「調和する心」――環境や社会に適応しながら、“生き抜いていく姿勢”が、
今の私には、一番必要な要素かもしれない。


伝説の人

2009年06月26日 | 人物 -

世界のスーパースター(マイケル・ジャクソン)が、今日、逝った。

ひと昔のように、才能にあふれ、集中した人気を独占できるような人材が
少なくなってきた現代において、20世紀を牽引してきたスーパースターが
消えていってしまうのは、非常に淋しいことである。

また、様々な「伝説」が一人歩きしそうな、「伝説の人」が逝った。

とても、ショックである。

世界中の人々に、夢をあたえ、ショービジネス、エンターテイメントの
醍醐味を教えてくれた人だった。


実は・・・
父をなくしてから、はまっていたのが、「マイケル・ジャクソン」・・・
特に「ジャクソン5」時代の歌曲だった。
彼の類まれなる才能に魅せられて、子ども時代の動画をよくみていた。
毎晩のように、観ていたから・・・、一時期は「ジャクソン5」の動画が、
寝る前の癖のようになっていた頃もあった。
特に、「ジャクソン5」時代の歌曲は、明るくて華やかだったので、
さびしく落ち込み気味の私にとっては、最高の動画だったのだと思う。
マイケルの“けなげな笑顔”もかわいらしくて、とても和んだし・・・
何よりも透き通るような美しい声と、子供らしからぬたよやかな身体の動きは、
本当に(観ていて)心地が良かったのだ。
「BEN」は歌詞もよく(映画も思い出して)、時々涙ぐんだりもしたが・・・
あの頃は、とても癒されていたのだと、(今だからこそ)そう思う。
決して古くも感じないし、いつ観ても本当に素晴しいステージングだ。

「マイケル・ジャクソン」
声変わりの時代を除いて、30代前半ぐらいまでの彼は、魅力的すぎる。

当時、あまりにも毎晩「ジャクソン5」の動画を観ていたからだと思うが、
一度だけ「マイケル」が、私の夢に出てきたことがあった。
これが、おかしい夢で、私は彼と一緒に本屋に行き、本を買いにいくのだ。
ところが、やっぱり「夢」だから・・・・・突拍子もなくて、
次から次へと奇想天外な“大笑いのシーン”が続くことになり、
私はマイケルの行動と言動、夢の中の現実に、ひときわ驚かされて・・・
・・・ついに・・・目が覚めた(笑)。
自分の抱いていたイメージがそうさせたのだと思うが、すごく面白い夢だった。
(現実ではありえないことが、いとも当然のように起こっていく夢だった。
 たとえば、移動手段などは、マイケルと手をつないで、空を飛ぶんデスョ。)
スーパースターが「夢」にでてくるなんて、大変珍しいことなので、
すぐに友人にメールで報告したのだけれど、あれから・・・まだ・・・
そんなに時間がたっていないのが、本当に虚しいことである。


子ども時代から、スーパースターで、人々の目にさらされる日々を送り、
金銭トラブルと、常人からは“かけはなれた常識観念”と“現実の生活”。
30代を過ぎてから徐々に変貌していく彼の容姿、果たしてどのような現実や
精神的背景があったのだろう。(これについては一人でよく考えていた)
また、「病気だった」ということだが、肌の色が徐々に白くなり、そのたびに
タブロイド誌にも頻繁に取り上げられるようになってくる。
マイケルが抱えていた病気の状況よりも、常にマスコミはオモシロ・オカシク・・・
彼を奇怪な変人として、書きたて続けた。 彼は、とても傷ついていただろう。
いつしかマイケルは、ステージからは徐々に離れてしまい、そのために余計に・・・
母国ではスーパースターの奇行と疑惑で持ちきりになった。
その情報は、他の国にも「マイケルの謎」として発信され、伝達されていき・・・
世界の人々が憧れる人だったからこそ、その注目は尋常ではなかった。
言われなき疑惑の渦中に連れ出され、無実の罪によって、かなりの時間を割かれた。

マイケルは、憶測やゴシップに、事欠かず・・・本人はかなり神経質になってしまい、
生活のすべてにベールをかけざるをえなかったのではないかと感じてしまう。
この10年間ぐらいは、切ない気持ちがついてまわる。
マイケル自身が自分で選択し、決断した・・・ゆるやかな孤立への道。
(それは、悪く言えば・・・「破滅」に近づいていく道だったかもしれない)



アメリカのメディアは、スーパースターの私生活には、常に不親切だった。
私のイメージは、「虚像」と「呪縛」以外のなにものでもない。
誰にも真似ができない独創性に満ちたエンターティナーだったのに・・・。
彼には、きっと「自由」というものはなかったのだろう・・・と思う。

お金目的の“コバンザメのように集まってくる人々”をかきわけながら、
それでも誰よりもピュアに生き、人種問題を常に意識しつつ、苦しみながら、
その壁を(さらっと)打ち破っていったのもマイケル・ジャクソン。

彼を越えるパフォーマンサーは、もうでてこないかもしれない――と、
心から思えるぐらいの足跡を残した人だった。


もし、10代から20代の多感な時代―。
彼の初恋が実っていたとしたら、彼の人生はどうなっていたのだろう。
(彼の目の前には、常に人種差別という壁が、立ちはだかっていた!)
せめて、心の底から「愛することが出来る女性」や「信頼出来る人」が、
ず~っと、ずっと、側に居続けてくれていたら、どうなっていたのだろう。
実際とは違った30代、40代のマイケルが存在しただろうか。
まだまだ発揮できたはずの才能を駆使し、素晴しいパフォーマンスが
見れたのだろうか。
そして、老いても尚、素晴しいステージングが、実現しただろうか・・・。



大人になった彼自身も、自分の子ども時代の動画を頻繁に観ていたようだ。
その理由は、どこにあったのかと思ってしまう・・・。


生い立ちからくる「人気」の裏に隠れた、彼の波乱万丈な人生・・・・
マイケルの「苦悩」や「不幸」、そして「数々の問題」や「パッシング」を考えると、
この結果は・・・・
本当に、言葉にならない。


世界は、また一つ貴重な“大きな宝”を失ったような気がする。
  
 RIP


2009年06月22日 | 自分 -

「めぐり合わせ」と言うべきか、大げさに言うと「運命」なのか(?)。
「縁がない」というべきなのか、誰かが会わせなくさせているのか(笑)。

「会いましょう~」と約束して、その人のためにプレゼントを買って、
急な理由で会えなくなって・・・・また、約束して、また会えなくなって・・・
何度か、同じようなことを繰り返して・・・

部屋の片隅に、数年前に買った「プレゼント」が、うっすらほこりをかぶって、
「いつになったら日の目をみるのか」と“嘆いている”ように感じられた。

「次にあったときに・・・」そう思いながら、随分な年数が過ぎた。

20代からずっと多忙だった私には、こういうことは、よくあることだった。
次なる約束を取り付けない限り、(果てしなく)ご無沙汰してしまうものである。
そして、いつしか・・・より“会いづらくなってしまう”ものだ。




このところ、仕事に時間的な余裕ができてくると(意図的につくっている)、
「休みたい」「やっと休養がとれるぞ」と思っていた途端に、まるで・・・
私をいじめるかのように、「心を揺さぶられる出来事」が続いた。
また、休めない個人的事情が重なったり、出費が突然押し寄せてきたりと、
「心を揺さぶられる出来事」は、今も“続いている”ようだ(笑)。


あまりに精神的に「へこんだ」ので、カードで「一人占い」をしてみた。
なんと、私にもらえたキーワードは、「歓喜」だった。
遊びや気休めだとは判っていても、これにはビックリした。

「よろこび」・・・私は、神性(こころ)が「歓喜」に向かっているらしい。

「歓喜」といえば、ベートーベンの「歓喜の歌」。
我が実家近くの独捕虜収容所で、日本で初演されたことでも有名だが、
それがとっさに頭をよぎった。
いやぁ~全く「歓喜」とは・・・現実とは反対の言葉に、意表をつかれた。
しかし、大好きなベートーベンのメッセージも、受け取れたような気がする。

私の感想としては、単純だが“励まされた”。
そして、楽になった・・・。
結局「こんな辛いことや面倒なことは、そう長くは続かないものだよ」という
根拠なき自信が、自分自身の中に芽生えてきたからだ。

仕事先での自分の立場、仕事の質、他人とのコミュニケーションのあり方、
・・・いろいろと「心が乱れる」ことがあるのが、日常である。

「バランスがとれているということか!?」
「忙しい時期に、このようなたくさんの事態が重ならなくてよかった!」と
素直に受け容れて、そう考えるべきだろうか。
そんな“短絡的で、安易な発想”さえも忘れていたことに気づかされた。

思っているだけでは何もはじまらないし、実績の対象にもならない。
やはり、「気持ちを伝えること」と「行動で示すこと」が何より大切だと思う。
その「行動」こそが、私を「歓喜」へ導いていくポイントかもしれない。




会えない人たちにも、連絡をしてアポを取り付ける「行動」で、また再び、
「縁がつながる」こともある。
この「縁」が、単なる「めぐり合わせ」や、避けられない「運命」だとしても、
自分の“あきらめない行動”によって、「縁は結ばれる」のである。


にぎり寿司

2009年06月20日 | 食事 -
昔から好きだった寿司! 今も、大好きである。


20代の頃は、お金がなく、いつも回転寿司に入っていた。
10皿近く食べる内、7皿が「イカ」だった時期もあった。
その後、「若いわりには、どうしてかしら?」と、「コレステロール」の
異常値(多さ)を、健康診断で指摘されていた。

今は、イカ狂い時代も過ぎ去り、青物狂い時代の後半にさしかかっている。


回転寿司は卒業して、カウンターで食べられるようになったけれど・・・
卵物(うに・いくら)は変わらず大好きで、「コレステロール」という言葉が
一瞬だけ脳裏をよぎる。
最初に頼むのは、だいたいが「アジ」。
あとは、その日の気分で決めていくことが多い。


寿司は、本当においしい。
しかし・・・やはり、お店は厳選しなければ、お金を払う価値のない気分に
なってしまうので、特に最近は気をつけるようにしている。
どうして、あんなに「味」が違うのだろう。
ネタの鮮度からはじまり、酢飯とのバランス、わさびの量・・・
にぎり寿司は、本当に奥が深い。
美味しい寿司を食べたとき、「生きていて良かった!」と感じる。
直感で「ダメだろうな」と思う店に入るぐらいならば、寿司を食べるのは
あきらめているのが、昨今の傾向である。
ちなみに、「うなぎ」も同様で、私にとっては“同じ価値基準で食する”
特別の食べ物になっている。


伝説

2009年06月17日 | 雑感 -

「伝説になる人」は、俗に言う「選ばれた人」かもしれない。
そんな気がする。


ジェームス・ディーン、 ジョン・レノン、 マハトマ・ガンジー、  
エルビス・プレスリー、 ジョン・F・ケネディ、 ベニグノ・アキノ、
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)、 ブルース・リー、
赤木圭一郎、 尾崎豊、 美空ひばり、などなど。
(この数十年の“伝説の人”を、思いつくまま列挙してみたが・・・
 その他にも、まだまだたくさんいるような気がする。)



これまで“伝説になった人”には、必ず人並みはずれた存在感があり、
人々が愛してやまない“何か”があった。
あるいは、その人の中には“一本の軸のようなモノ”があった。


実際には、それぞれに、それぞれの残した「確固たる財産」がある。
      (財産とは、金銭的なことを言っているのではない)
また、伝説の人には、その魅力や偉業や噂などの「語り草」が事欠かない。


そして、「もし生きていれば・・・」
ということを想像できなくさせてしまう事実によって、完全に時間が止まり、
はじめて「伝説の人」になるのである。

ある意味で、まだ“やり残したことがあるのではないか”と想像できる人が、
私にとって「伝説になり得る人」かもしれない。


プロレスラー:三沢光晴もまた、生前の軌跡と偉業と共に、
リング上で「壮絶死」したプロレスラーだという現実によって、
確実に「プロレス界の伝説の人」になったと、私は思っている。


MISAWA

2009年06月14日 | 人物 -

私にとっての「思い出の時代」が終わったような気がしている。

三沢光晴 ⇒ 広島のリングで心肺停止!
その後、死亡が確認(6/13)されたという。
すごくショックだ。 46歳だった。
2300人の観客が見守る中、「ミサワコール」が沸き起こる中・・・
彼は静かにリング上で逝った・・・・。


「業界を牽引してきたスーパースター・レスラーの壮絶死!」


しかし、正直に言うと、こんなにショックをうけるとは思ってもいなかった。
この事実に、私自身が一番びっくりしている。
そりゃ、そうかもしれない。
私の幼少期から青春時代には、いつも「プロレス」があった。
そして、三沢光晴は、(私にとって)「特別な存在だった」のも事実だ。



田舎の実家に、隣家よりも早く、テレビジョンというものがあったのは、
決して裕福なわけではなくて、「プロレス」を観るためだったようにも思える。

毎週末の夜は、両親が大声を出しながら、テレビの前で、応援していた。
その側でプロレスを観ながら、まさに「脳細胞にすり込まれたプロレス」が
私にはあったのだ。
自分の意志に関係なく、よちよち歩きの頃から、プロレスを観せられていた。
「子どもは、親の背中を見て育つ!」とは、よく言ったものである。
両親の趣味(喜び)が、いつしか私にも自然と移っていた。

田舎の体育館に興行に来た時には、母は許す限り、子供の私も連れていき、
今も忘れられない“楽しい思い出”がたくさん残っている。
「キャー」と叫びながら、必死に応援する母の姿が、非常に面白くて、
(子供心に)かわいくみえて、仕方がなかった。
母の日常の素顔とは違う“言葉にならないもの”が、(今も)思い出される。





私は、特に「ジャイアント馬場」が社長を務めていた「全日本プロレス」が
昔から大好きで、東京に着てからも、後楽園や武道館には良く通った。
生の臨場感は、たまらなくて、テレビで観戦するのとは熱気が完全に違った。
人徳あるジャイアント馬場さんも、子どもの頃から大好きなレスラーだった。
ボランティアに積極的に取り組みながらも、決して宣伝には使わなかったし、
義理・人情に厚い馬場さんの人柄に、私は魅せられていたように思う。

あの頃の「全日本」は、ジャンポ鶴田もそうだが、他の団体を圧倒するだけの
威力ある(激しい)レスリングをリング上で、くりひろげていたと思う。
思い出すと、本当に、感慨深い。
「意識をなくし、身体だけが動いていた」という試合後のコメントは頻繁で、
多くのレスラーが怪我をしていたが、それをおくびにも出さず、闘っていた。
三沢たち全日本のレスラー有志は、本当に真摯に頑張っていたと思う。
テレビ中継があっても、なくても、手を抜くことがなかったために、常に
「満身創痍」で闘うことになってしまったのだろう。


鶴田越えを目指す三沢の果敢な挑戦は、私を“とりこ”にしたものである。
当時の三沢光晴を録画したVHSテープは、ダンボール一箱にもおよび、
我が家の二階の片隅に眠っている。
今は、それを取り出す気力もないぐらい、悲しみにくれている私がいる。


若手が輝いていたあの頃・・・
選手大量離脱を払拭し、盛り上げるために、「全日本」の選手達が一丸となり、
必死に頑張っていた頃が懐かしい。
常に満身創痍でありながら、三沢はいつもリングでは「ヒーロー」だった。
そして、とても美しいレスラーだった。
スマートな返し技などをみせられた折には、三沢自身が“持って生まれた”と
思われるような「レスリング・センス」を感じさせられた。


あえて、距離をおいた「三沢光晴」という存在は、私にとっては、かなり
特別な存在だったし、何にも変えがたいレスラーだったと、本当に感じる。


彼の一言は、「しんみり、深く、しみわたる言葉が多い」。
哲学者のような、人間学のような、達観した言葉も多い。
その一方で、現実を的確に指摘して、自分流の考えをもっていた。
これらは、彼が突き詰めた「レスラー道」の経験から準ずるものだとは思うが、
相当の覚悟と、相当の深みを感じる。そして、優しさも・・・・。
だから、魅力的だったのだろう。
人もそれを感じ、誰からも慕われる存在になったのだろう。
やっぱり、「あの人は、すごい人だったのだ」と、あらためて思う。




馬場さんには子どもがなかったので、三沢さんを養子にしたがっていたくらい、
三沢光晴にはあらゆる才能と魅力が兼ね備わっていたと思う。
彼は、「全日本プロレス」の中では、一番好きなレスラーだった。
華があり、技術があり、(若き三沢光晴は)誰よりも立ち姿が素敵だった。
クールな中に、秘めたる“男気”があり、それがリングにも見え隠れした。
スイッチが入るのが、私にもわかり、そうすると会場には声援が沸き起こる!
誰もが皆、その瞬間を“待っていた”ようにも感じられる。
表情が変わったり、声が出たり、技の切れが一段と冴えわたったりした。

私は、ひところは、三沢光晴のテレホンカードを収集するぐらい大好きで、
今も(その頃のテレカは)手元に何枚も残っている。


    <一番お気に入りの三沢光晴テレホンカード>


彼は楽しいトークもできるし、人徳も馬場さんの後を引き継いだようにあって
(馬場さんと個性は違えども)非常に魅力ある人だった。
人望があり、面白くて、あったかくて、真摯で、リーダー的な存在だった。


彼が、「ノア」をたちあげたことに対して全く異論はないが・・・私は・・・
三沢光晴は、本来「全日本プロレス」の社長であるべき人だったと思う。
それが、ごく普通の流れであり、馬場さんの願いであり、遺志でもあった。
その「全日本」の社長の椅子をあえて離れ、「ノア」を創立した理由と理念に、
(私個人としては)三沢さんに心から尊敬の念を抱いている。なぜならば・・・
彼自身の内面性をあらわした“勇気ある、そして意味ある行動”だったからだ。
誰よりも、総合的な「プロレス」の躍進を願い、レスラーの待遇面などにも
最大限配慮しながら、力を尽くしてきた“愛情あるれる人だった”と思う。
だからこそ、彼は、新団体を立ち上げる必要性があったのだ。
誰もができる、簡単な「行動」ではない。
また、業界から「ノア」は常に注目され、いつもトップを走り続けてきた。
しかし、やはり、この現実が、今となっては、すごく「切ない」・・・。
とてもたくさんのことが、彼一人の肩に乗っかって、“いい人”だからこそ、
背負い込まなければならなかった責任や問題も多かっただろうと思う。
三沢ファンとしては、複雑な想いで、いっぱいになってしまう・・・。
彼が・・・(もしものことだが)・・・問題も抵抗勢力もなく、従来どおり、
歴史ある「全日本プロレス」を率いていれば、どうなっていたのだろう・・・
「全日本」の看板を有効的に使って、どんな改革をしていったのだろう・・・
・・・・・なんて、馬鹿な想像をしてしまう。
なぜならば、やはり「全日本」には、それ相当の“孤高なイメージ”がある。
その歴史は、馬場さんから始まり、三沢たち有志が積み上げてきたものだ。
それは、何にも変えがたい偉業の一端を担っていたと思う。
レスリングスタイルしかり、団体の歴史しかり・・・・・「全日本」には、
全日本独自のカラーが、私の中に確固としたものがある。
その全日本のイメージの中心には、いつも「三沢光晴」―この人がいる。
それは、今でも変わらない。


しかし、全日本と内部紛争があった時も、決して悪口を言わなかったのが、
「人間:三沢光晴だった!」という。
ジャイアント馬場さんの教えを守り、その一方で、毅然とした誠実さを感じる。
だからこそ、「全日本プロレスの社長でいてほしかった」と思ってしまうのだ。
勿論どうしようもないけれど、とても切ない感情が、私の中には残っている。
三沢さん自身は、「プロレスは人生そのもの、自分のためにやっていた」と
おそらく言うだろうけれど・・・そういう人だと思うけれど・・・・・
数十年間の長い年月を「全日本」のためにささげ、身体がボロボロになるまで
激しく闘い続けたのに、彼が手にしたエースとしての待遇や評価はどのような
ものなのかと感じてしまう。(勿論、三沢さんだけではないけれど・・・)
悪くたとえれば、まさに「豪農の家で、安価に働く小作人」のようなものである。
世の中には、無常なことも多いし、既得権益に固執するのが通常の社会構図だ。
「報酬」をもらっても、それが「相当なる対価」であったのかが論点となり、
最近は(科学発明:特許などで)多くの裁判が行われているのが「現代」だ。
当然ながら、時代の流れによって、世の中の評価基準もかわる。
昔当然だったことが、今は当然ではなかったりもするし、通用しなかったりする。
三沢さんら有志たちの「全日本」に対する功労は、言葉では表現できない。
永年「満身創痍」で闘い続け、その果てに、劇的な最期を迎えざるをえなかった
三沢さんの死を無駄にしてほしくない。
プロレス業界も、どうにか新しい共同体として、現場の人間を大切にしながら、
稼動していけるように変わってほしいものである。
彼が具体的に描いていた「未来図」のように・・・。


昔から多くの団体が生まれ、いつの間にか消えていく、はたまた分裂していく。
それがプロレス業界人の「エゴ」や「自意識」に彩られた現実だったが・・・
決して三沢さんは、そのような価値基準で動いていた人ではなかったと思う。
昔から、この業界には、いつもドロドロとした人間模様がうずまいていたが、
三沢さんだけは自己を中心に判断する人ではなく、そういう意味合いにおいては
全く稀有なレスラーだった。
だから、皆が彼を慕い続けるのだろう。
私自身は、「人の人格は、その人の風貌や言動に表されている」と思っている。
何の確証もなく、彼に魅せられたのにも、ある理由があったと、今は感じている。

 <業界の皆様:生意気な感想で恐縮です>


夜中には、You Tube で、90年代の「三冠戦」(三沢光晴戦が中心)を、
ただ、ぼ~っと観ながら、 悲しみにくれている。
三沢のテーマ曲「スパルタンX」が流れると、身体の血が逆流しそうだ・・・。



「ジャイアント馬場」・・・・「ジャンボ鶴田」・・・・「三沢光晴」・・・。
相手を輝かせて、観客を楽しませ、会場を沸かせる「王道プロレス」が、
(私にとっては)子どもの頃からの「プロレス」だったように思う。

この三人をなくした今、私自身の「ある時代」が完全に終焉を迎えたと感じる。
自分の“熱く燃えた若き時代”に、謹んで別れを告げたい。

これまでの感謝の気持ちをこめて、三沢さんのご冥福を心からお祈りします。


悪夢再び!

2009年06月12日 | 出来事 -

私は、借家に住んでいる。
一戸建ての「のどかな場所」にある古い家だ。
丁度4年前に、父と一緒に、マンションから、この家に引っ越してきた。
それは、すべて田舎育ちの父のためで、少しでも快適にと思ったからだった。

その後、父を見送り、先月に二度目の契約を更新したという状況である。


4年前を想いおこせば、引っ越してきた当時に、大家さんとかなり“もめた”。
(大家さんと言っても、高齢の奥さんで、だんなさんも耳が悪い高齢者。)
近所でも評判の「大家さんの奥さん」は、毎日のように電話がかかってきて、
事実無根の意味不明なことを繰り返し、私を罵倒した。
電話では、金切り声で、叫びとおす!
「お料理しないと聞いたから、台所をきれいにしたのに、う~そ~つ~き~」
「庭の木を切れというから、きったのに、あんたの言うとおりしたのに~~」
などなど、たくさんの「事実と違う言いがかり」をつけられ・・・
精神的に疲れ果ててしまった。
父には、わからないように、心配させないようにするのが一番だったので、
(当時は)余計に困ったのを覚えている。
ある晩には、自宅に電話があり、「う~そ~つ~き~~」と怒鳴って、
突然切れたり・・・。それも、一晩に、三度、四度と繰り返される。
その後は、(注意されたようで)無言電話が、ずいぶんと続いた。
相手は誰かはわからないが、たぶん・・・彼女だと思った。


弁護士さんにも相談したり、仲介した不動産屋さんにも相談して、
県の直轄部署に相談に行ったりもした。
もともと精神的にトラブルを抱えているようで、近所の人々も噂をしていた。
大変ストレスフルな日々を過ごしたのだった。
それ以来、周りの説得もあって、私との直接交渉を避けてもらうということで
決着したはずなのに・・・。
 (近所の人には、また変な言いがかりをつけて、もめていたらしいけれど)
それ以降は、私には連絡がなかったのに・・・。



今夜も、また・・・
大家さんの奥さんからの電話である。
私にとってみれば、「悪夢再び!」である。
以前よりも、多少まともになっているが・・・
近所の精神系の病院に入院していたことを、だらだらと勝手に話し始め、
契約更新にいたっての諸事情についての連絡である。
最後は、「もう、あなたも、そこを考えてもらってちょうだい!」
わかりづらい言葉を繰り返すので、その意味を問いただしてみると、
そうするに、「出て行け」ということらしい。
そういった途端、またガチャンと電話が切れた・・・。
意味不明だ。


春先だから・・・
高齢だし、もともと精神的トラブルの「根」をもっている人なので、
わかってはいるものの、まさに“困ったものである”。


最近は、精神的なバランスを壊した人が、非常に多い世の中だし、
それは「どうすることもできない」。
被害をこうむらないケースも多いが、我が家の大家さんは「攻撃性」があり、
その点が大変悩ましいところである。
近所の噂では、去年引っ越してきた「我が隣家」のご家族3人もそうらしい。
(家族3人全員が、何らかの精神的トラブルを抱えているということのようだ)
それを聞いて、昔のように、安易に窓をあけることを、ためらうようになった。
私は、どういう状態の方達なのか判らず、ただ「大丈夫なの?何もない?」と
近所の人から聞かれるだけなのだが・・・それだけでも不安は募るものである。


精神的にトラブルを抱えている人&家族には、いつも過剰な噂が絶えないし、
当人達にとっては“不名誉なことだろう”と思う。
病状や症状によって様々だし、一言で片付けるのは、あまりにも失礼なことだ。
だが、社会環境が悪く、原因不明の殺傷事件も多くなっている現状を考えると、
用心することに越したことはない。
今は、何があってもおかしくない不安定な状態だと感じるから・・・。



のどかな場所なのに、のどかではないこともあって、
私はいつも一人なので、心配事も増えてくる。
たとえ、ささやかな不安でも、用心して避けられるのであれば、
それが一番である。
しかし、「我慢」するということは、意外に負担なことなのだと
また今日も感じた。
相手の感情を逆なでしないことも、また「我慢」である。


管理をまかされている不動産屋さんに、現状を報告しておこう。
無言電話に悩まされるのは、もうこりごりだ・・・。


摩天楼

2009年06月11日 | 社会 -


見上げるほどの高層ビルが建ち並び、人々は足早に行き過ぎていく。

いつの頃から、こんなに高層ビルが、あっちにも、こっちにも(?)に
なってしまったのだろうか・・・。
写真の高層ビルには、向かいに建ち並ぶ高層ビルの影が写っている。

これは「なんじゃぁ~い!」と思う。
自分を取り巻く360度が、高層ビルなのだ・・・。




「人間」という生き物(動物)は、足を「地」につけて生活するのが、
一番自然で、健康的な姿なのに・・・。
このあたりには、何度来ても、異様な風景に、度肝を抜く。
私自身は、不可思議な感覚を感じるし、快適だとは思えない。

30階の高層マンションに住んでも、動機となった「夜景の美しさ」なんて
「たった3日で飽きてしまう」という感想を、知人から聞いたことがある。

“都会人は、いったい何を求めて、何を失いつつあるのだろうか?!”





「いやぁ~、全く話にならないですよ~」
「この度の人事異動で、変わり果てて、本当に疲れましたよ~」
「海外出張するな!とは・・・仕事にならないですよ~」

「状況は、全く“悪い”ですねぇ、もう~」

笑い話のような、同じような愚痴系の話題が続く。止らない(笑)。
今日は、4社の会社が集まっての会議!なかなか本題に入れない。
誰かに“聴いてほしいんだぁ”というような“話しぶり”ばかりである。
その裏には、「オタクの会社はいかが?」的な興味も垣間見える。
私は、ただ、その言葉と気持ちを慰労しながら、ひとしきり雑談していた。




東京のど真中の高層ビル。
「地」よりも「天」に近い会議室で、人ごとのような話題に付き合いながら、
これからの企業体の“有り様”が、全くかわってしまうような錯覚に陥る。
企業の形態や、体制、理念、構造、重要にしていたポイントまでが・・・
新しい価値基準によってしか成り立たないのではないかという時代が・・・
いつかやってくるのではないか・・・とさえ感じてしまうぐらいだ。

ただ、私の感想を正直に言うと、<大変申し訳ないですが・・・>
「大企業は、これまで(あらゆる状況に)相対的に甘えていた部分も多々あり、
 現況の抱えている現実が(ある意味で)当然の流れではなかったか・・・」
ということを感じたりして・・・。
だからこそ、これから皆で知恵をしぼり、新しいことに挑戦していく機会が、
必要ではないかと思える。
世界的な不況や、経済状況に、ただ愚痴っていても何も変わりはしないし、
実際、今までの成功体験や事例等は通用しない状態が押し寄せてきている。
今後・・・10年、15年のスパンで想像していくと・・・
企業体の規格や、定義さえも、変わっていくような印象がする。


私もまた、同様に、これからの時代を「生き残る」ために、
知恵をしぼり、より前向きに、生きていかなければならないのだろう。
今の「時代」に一層、適合していきながら・・・・。



行動力

2009年06月07日 | 仕事 -

人を動かすために必要なこと!
人を動かすための方法と言っても良い。

「自分がやるべきこと」
「自分がしたいこと」
「自分ができること」

この三つの要素が重なって初めて、人は動き、成功という二文字を手にする。
そういうものだと思う。


どんなに高く険しい山だと思っても、登ろうと思えば登れるし、
どんなに厳しい道だと思っても、「目的地に行きたい」と強く欲すれば、
いつかは、たどり着けるものである。

ただ、大切なのは・・・この三つの要素を、常に自分が意識し続けている
状態を維持できるかどうか・・・ということだと思う。
そして、達成するためには、自分自身が心から納得できる「仕組み」を
構築することも大切ではないかと思えてならない。

最近の私は、その「仕組み」とやらばかりを、考えている傾向がある・・・。


何らかのトラブルが起こったとき・・・
自分の能力の限界を感じたとき・・・
認識の甘さを突きつけられたとき・・・
その対処方法は、「人間力」の限りを適切に発揮しなければならない。


この齢になっても尚、チャレンジすることを恐れないことだけは、
心しておきたい。
しかし、不惑の齢を過ぎると・・・よいことばかりでもない。
新鮮さを失い、結果が自然とイメージできる経験を得てしまっているし、
“全てを失うこと”にも不安を感じないくらい強気に交渉してしまう時もある。
性質か、性格か・・・
正直言うと、「私ってかわいくないなぁ~」と冷静に感じるときがあり、
仕事上、不利益になることも多くなった。

それだけ、「正直」になって、「わがまま」になったということだろうか。
自分の主義・主張を尊重する生き方になってきたということなのだろうか。
とにかく、社会や権力者に対して、安易に折り合うことはなくなった。
(これまで背負い続けてきたものが無くなったことが大きいのだろうか)


・・・率直なところ・・・
自分を知り、自分と向き合うと、時折、自分の恥部を思い知らされる。

そして、「私を活かす」ということは「リスクを背負うことでもある」ことを、
最近、特に“強く感じるようになった”。
しかし、そういう自分と周囲との構図を感じることになっても、大切なのは、
常に「自分を活かす」ことを意識し続けること・・・だと思っている。
なぜならば、もしそうしなければ・・・シアワセや達成感を感じられないから。
自分を殺し、納得できない人生を送りたくないから・・・である。

心を強く持ち、信念を忘れず、自尊心を損なわない自分でいたいものである。

      

変容

2009年06月03日 | 雑感 -

パソコンのデスクトップ画像を、久々に変えた。
気分を変えたかったのだと思う。

  先月に長野で撮影した写真だが・・・
  新緑の青葉ではあるが、
  秋には真っ赤に変化する紅葉(もみじ)である。



人には、時として気分転換が必要だと思うし、
基本的に“その現実に触れたい”と欲するものである。


「まぁ、いいか」「どうでもいいや」で過ごしていた日々を、
デスクトップの画像変更に例えるのではないが・・・
実際に「行動してみる」ということが、どれだけ大切なことかと感じる。

小さな喜びや、小さな発見に出会える機会は、そう多くはない。
偶然を待っていても、そう経験できるものでもない。

現実を知り、自分の感覚と“出会うこと”は、シアワセなことだ。
そうして、自分が根ざす「真実」とやらに(もし)たどりつけるとしたら・・・
実際に「行動に変えていかなければならない」のだと思う。
人々が「勇気」と呼ぶモノを携えて、一歩、一歩、ゆっくりと・・・


「人は、必ず変わることができるんだ!」



ウイルス感染中

2009年06月02日 | マイブーム -

今、ワタクシ・・・カンマエに、「はまりんこ~」です。
韓国ドラマ「ベートーベン・ウイルス」です。
 (わかる人にだけしか、わからないでしょうが・・・・スンマセン)


私が“特別な存在”だと思う“大好きな「ベートーベン」”の名前が出てきて、
「クラシック音楽」だの、「第九」だのが、
ドラマの中に、頻繁にででくるのが“きっかけ”で・・・

また、私自身が、不幸なことに・・・
性格破綻者的要素をもった人格に、興味を抱いてしまう性質から・・・
まずカンマエに興味を抱き始めたのでした。
勿論、カンマエは“性格破綻者ではありません”。
とても、すばらしい芸術家でした。そして、何よりも人間的でした。


ドラマ「ベートーベン・ウイルス」で、カンマエを演じたキム・ミョンミン氏の
実姉は米国でプロとしてパイプオルガンを弾いており(ピアニストの説も有)、
そのご主人は(同様に)アメリカ在住の合唱団の指揮者だそうです。
キム・ミョンミン氏が、音楽に対して卓越したセンスを発揮したことと、
実際にも、とてもピアノが上手な理由がわかったような気がしました。


ミョンミン氏の指揮する姿は、本当に素晴しい姿で、ある芸術的世界観がありました。
マエストロを演じるにあたって、実姉夫婦のアドバイスもあったようですネ。
しかし、何よりも、彼の努力が積み重なって、あのカンマエが成立したのです。


彼は、デビューからずっと(数年前ぐらいまでは)脇役が多かったそうです。
下積み生活は、おそらく10年近くになるということになります。
苦労人であり、俳優という仕事について、あるいは自分の存在について、幾度となく
葛藤を繰り返してきたに違いありません。
主役を演じるスター役者として考えると、完璧とは言えないルックス(?)や、
低くてハリのある美声が、返って脇役としてコンプレックスになったそうです。
そういうことが「演技派俳優」として(彼を)開花させることになったことに、
少なからず影響しているように思えます。
テレビドラマでも、これまでに(まだ)数えられるぐらいしか主役をしておりません。
とにかく、キム・ミョンミン氏は、久々に出会った素晴しい俳優です。
「ベートーベン・ウイルス」でも、リアルに、世界的指揮者を演じています。
私個人としては、やっと名声を得たことで、これからの作品が楽しみでなりません。
良い作品企画が、彼の元にオファーされる可能性が高まったからです。



また(話題は変わって)、最近の(次世代を担う)有名指揮者には、
ほれぼれするルックスが欠落しているようで・・・(私見です)・・・
ひと昔前の「セクスィー・マエストロ」という存在が少なくなりました。
業界や世間に決してこびない素晴しい音楽性のうえ、カリスマ的な逸材で、
ただ「舞台にたっているだけで惚れてしまうような」雰囲気があり、存在感がある・・・
そんな音楽世界を描き出せる若手のマエストロが、少なくなりました。
衣装もタキシードで演奏するマエストロも少なくなりました。

たとえば、マリンスキーのゲルギエフも(予想していたとはいえ)、
ついに“河童のようなヘアースタイル”になってしまったようですネ。
(指揮をしている最中の光景とは別の次元の話題で、申し訳ないのですが)
会場を巻き込む力以外に、存在感や崇高さを、私は期待してしまいます。
崇高さを導き出すのは大変なことで、様々な要素がかみ合ってのことです。
禿には抵抗がない私も、ひと昔前の黄金時代を想いおこしては、さめざめと
「カンマエが実在したらなぁ・・・」と、しみじみ感じた次第です。
人は、誰しもが老いていきます。
だから、クラシック界にも、「新しい解釈と、素敵な存在感を兼ね備えた若い
才能の出現」を、常に望んでしまいます。

(クラッシックを生業としている皆様:生意気で恐縮です)

しかし、最近のマエストロにかかわらず、皆さんお腹がでっぷりとでていて、
“まんまる”して、肥満手前の方も多いように思います。
食生活が充実しているからでしょうが、やはりご自身の健康面と同時に、
見栄えにも配慮してほしいものです。

※私は、主にDVDやTV中継で、世界のオーケストラを鑑賞することが多いので
 このような「感想」になってしまうのでしょう。
 会場にいて、生の音楽が一番の判断基準になっていないところが、失礼で、
 このうえなく申し訳ない「私見」であります。
 しかし、クラシックと言えども、いわゆる「芸術パフォーマンス」なので、
 必然的に“エンターテイメント”を求めてしまう傾向が、私にはあるようです。