ファミレスでフリードリンク

2013年03月31日 | 食事 -
「集中しなければいけない・・・」 と思っていても、
自宅で “ 複雑なことをする ” のは、難しいことがある。
PC以外の場所では、リラックスするという反応が
出てしまうのだ。

“ 習慣的なもの ” なのかも しれない。

ファミリーレストランで (恥かしくもあったけれど)、
書類やノートや電卓を持っていき、フリードリンク制で、
お腹が どぶ どぶ になるぐらい オーダーしては・・・・
朝から カンヅメになって、・・・全部、整理を終わった。


ファミレスのテーブルは 大きく、満席ではないので、
長時間 居座っても、無事に 居座れるところが 快適だった。



気分は すっきり。

なれど、お腹は、 どぶ どぶ ~ と 水分一杯で、
脳は糖分摂取で、 むか むか ~ の 一歩手前だ。

しかし、やはり珈琲などのカフェイン系ドリンクは、
飲むと直後に 「きりり」 とするのが、よくわかる。




少しずつ、整理していても、一期に まとめるというのは、
集中力を要するものである。

・・・というか、単に、私が怠惰なだけだったりして(笑)。

「会社人間」 という 「勤労者」

2013年03月30日 | 社会 -

仕事の件で、頻繁に 連絡をとっているのだが・・・
ずっと 返事がもらえず、無視をされている状態である。

相手は、某大企業に勤める 「プロジェクト担当者」 である。
最近、世間に 社名が良く出て、雑誌にも取材される会社で、
まさに 大企業と言えるだろう・・・。
明らかに(びっくりするほど)正社員の割合が少ない企業で、
数十年の間に 大躍進した会社だ。


話を戻せば・・・
誠意ある人ならば、返事ができない理由が提示されるべきで、
何も回答や反応がないまま 放置するのは、失礼な行為である。
仮にも、ちゃんとした 「 仕事の内容について 」 の案件だ。



私の感想としては、理由はどうであれ・・・・ これは、
仕事人として、“ 何かが足りない ” という 印象がする。

相手の担当者本人は、会社のために、良く働いている。
時間の限り、まるで “家庭を泣かせているのではないか” と
思えるぐらいの “ 過重労働 ” をしていると感じる。
しかし、それは、今回の件とは別のことだと思う・・・。





日本の経済発展を支えたのは、「 会社人間 」 と 呼ばれる
多くのビジネスマンである。
しかし、その存在価値や、アイデンティティを持ちえたのは、
就寝雇用制度や企業内労働組合を軸にしながら・・・
「 会社と社員は運命共同体だ 」 と思えた環境が 成立していた
からだと思う。

現在は、企業への資本蓄積だけが進行して、“個々の労働者” は
「豊かさ」や「働きがい」 を実感できずに、時間だけが 過ぎて
いっているように感じる。

企業の業績向上が、個々の勤労者の生活水準の向上に結び付かず、
一部の上位幹部だけに恩恵が与えられているというのが・・・
私の “成りあがってきた大企業” の印象である。
まるで、発展途上国の政治資金の流れのような仕組みを連想する。



企業は営利追求だけの存在ではない。
社会の様々な課題を解決して、「 社会的貢献をする役割 」をも
担っている自覚を持っていただきたい。

そして、何よりも、企業の営利追求を背景とした無情なルールに
おびえながら働いているような・・・自己を見失った勤労者を
つくりだしてほしくはない。

ビジネスをする上での常識観念と、相手を尊重する交渉術だけは、
まずは企業が教えるべきではないかと思う。


事実、私は、上記の件で、某大企業が 「しっかりとしていない」
と、感じるようになった。
一人一人の勤労者は、会社の名前を背負い、その名前が入った
名刺をばらまいていることを忘れないでほしいものだ。

「特定健康診査」は今月末まで

2013年03月27日 | 出来事 -
一年に一度、
市町村から送られてくる「特定健康診査受診券」。
期限は、3月末日まで・・・。

これを逃すと、次の年度となり、送付は6月ぐらいだ。

私は、これまで一度も利用したことがない。


いつもは主治医が定期的に血液をとって、必要な項目を
検査してくれていたし、その検査結果を聞くために
わざわざ医院に行くことも、これまではなかった。
「 問題があったら、電話するよ 」
こんな関係など珍しい。
だから、何も気にせず、仕事に没頭してきた。


引っ越しをして、はじめて 「特定健康診査」 をした。
国民の権利だし、所得税で大金を支払っているから、
「当然だ」 と考えて、近所の医院に飛び込んだ。
昨日と今朝一番で、二度に分けて・・・。
  (血液検査と尿検査は、食事制限があるため)
    ※昨夜のヨルダン戦後の興奮状態に、
     “何も食べない” というのは、
     意外とキツイものだった・・・。



友人が、婦人科に一度もかかったことがないことを
否定的な意見をふくみ、丁寧にアドバイスをくれる。
いつかは、いかないとなぁ・・・・と思って、
何年も過ぎた。

このまま、ずっと過ぎていきそうな気もするが、
それはそれで「私の生き方」 だから、
良いようにも感じる。
世捨て人ということではなく、私の生きる基準だ。

思い出の 「 北海道旅行 」

2013年03月25日 | 自分 -

母の親友の女性とは、今もつきあっている。
昨年、「早過ぎたよね、一緒に温泉旅行ができるのに・・・」
と言われたが・・・。

私は、旅行する楽しみよりも、ただ 生きていてほしかった・・・。
そして、話を もっともっと濃密にしたかった と思う。
今なら、女同志になって、言えないことも言える気分だし、
母の愚痴も何もかも 受け止められそうな気がする。

笑顔ばかりの母の背景に、実際には “言葉にできない苦労” が
あったことを、私は知りながら、ずっと見ないふりをしてきた・・・。
誰もが抱えている“込み入った感情” と、自分を取り巻く環境が、
その人の「価値観」や、「生き方の術」を、根本的に形成している。
母にも、そういうものが、歴然とあったと思う。

今の私の心情としては、たくさん対話をして、対:人として
もっといろいろなことが知りたかった。
それが、心残りと言えば、心残りである。
おそらく、母が多くの人から愛された理由の幾つかが、
もっと体感できたかもしれない。



家族旅行は、頻繁に両親を招待し、三人旅をしていたので、
後悔はない。
しかし、旅だけで、絆を深める旅だったか・・・という想いでは
私の中に、物足りない気分がある。
やはり、対話不足ではなかったか と 自分で感じるからだろう。
 
旅の場所は、東京見物、日光、鬼怒川温泉、箱根温泉旅行・・・、
東京ディズニーランドがメインの旅もあった。
その中でも、50万円と限度を決め、北海道1周旅行をしたが、
とても楽しかったし、思い出深い。
いつもの(週末込み)3~5日ではなく、私も長期休暇をとって、
12日間以上は北海道にいた と 思う。

ただ、網走で気分がわるくなった父は、体調が回復せず、
知床へ向かったのに、斜里の病院へ入院して泊ることに・・・。
点滴をしている父に付き添っていた母が、「申し訳ない」 と言い、
私に「宿へ帰れ 」 と言った。
諭された言葉は 「二人一緒にいても仕方がないから」・・・と。

母の気遣いの中には、私に対する複雑な想いがあったと思うし、
仕事が待っている私に “疲れないようしてあげたい” ・・・と。
けれど、私にしてみれば、あの気遣いが、寂しい言葉に聞こえ、
“一緒にいたい” という気持ちの方が強かった・・・。
   「いつも父の世話を、母だけに押し付けて
     ごめんなさい!」
    本当の私は そう感じていた。
    でも、口に出して、母には伝えられなかった。 
あの時の感情は、鮮明に覚えている。 今も複雑だ・・・。

結局、斜里町の病院で、三人ともずっと過ごして、
知床には、行かずしまい・・・。
斜里町でUターンだった。

見せてあげたかったなぁ、あの雄大な知床の自然を ― 。
北海道の先端の地を ― 。
だから、何故か・・・思い出の斜里町。




父の七回忌が近く、このごろ、いろいろなことを思い出す。
東京に連れてきて、最初のマンションのオートロックのキ―が
さしこめず、30分近くも玄関口でいた父のことや、
「この風呂はいいなぁ」 と気に入ってくれた大きな風呂窯のこと。
近くの桜並木に花見に言って、見上げて笑った父の声。

今年、早くも七回忌なのか・・・と、感慨は深い。
その分、“自分も年をとっている” ということなのだけれど・・・
人よりも 早く始まり、長くかかった介護生活を 振り返り、
いつも思うことがある。
「年若く始まってくれて有り難かった!」 ということだ。
今からだったら、あんなに過酷な状況を生き抜いていけなかった。
心底、そう感じる。

私は、「お一人様」 だから・・・ 余計に、そうなのだ。
母の介護生活の時には、親戚さえも、誰一人、助けてくれなかった。
そんな状況の時に、たどりついていく先は、途方もない世界だ。
私に体力がなければ、あのようには できなかっただろう。
若かったから、(やみくもであっても)突進していく勇気があった。

私に残された時間・余裕(人生)があるとしたら、今後は 「 社会のため、
人のために、何かをしていきたい 」 と、強く思う。




両親を思い出す時 「あの北海道旅行は楽しかったなぁ」 と常に浮かぶ。
母と一緒に入った露天風呂や、美味しかった小樽の寿司の味も・・・。
それらに対する両親の反応や言葉が、強く残っているのだ。

摩周湖で 母が買った土産の 「まりも」 は、叔母宅で 今も生きている。
その 「まりも」 は、とても 大きくなっているらしい・・・。

「花」の香りに包まれて

2013年03月24日 | ナンセンス -

私は、「自然」 と、自然の中に存在する造形美が、大好きだ。

特に「花」 の 生命力は、素晴らしい。

力強く、穏やかなパワーを与えてくれるのが、何より素敵だ。

自然の造形美は、想像を絶する美しさである。

そして、緑の中にこそ、「花」 は 映える。





今日は、桜が見どころということで、出かけて行った。
お天気が悪く、灰色の空が、少し明るくなったけれど、
青く気持ちが良い空にはならず・・・終日、曇っていた。

だから、桜の薄いピンク色が、さらに薄く感じたけれど、
すでに花弁は散り始めており、来週末には かなり 様子も
変わると思う。

すぐ横で、大きな集団が、酒盛りをしていて、日本情緒の
典型的な「お花見宴」をしていた。
そのバカ笑いに、和みつつ・・・ ソメイヨシノを愛でた。
サーモン巻き、シーチキン巻き、ねぎとろ巻きで、お花見!
こういう時に、お酒が飲めないのは 寂しいものだなぁ・・・。



タンポポが、咲いていた。  鮮やかな黄色だった。

濃い色のマグノリアのつぼみが、 開きかかっていた。
ヨーロッパで鑑賞した数種のマグノリアは、素晴らしかったからか・・・
最近、「桜」よりも、「木蓮」が好きになってきた私は、みつけたら
その花を存分に感じるため、ゆっくりと 立ちどまるようになった。

花は、いつ見ても、美しい・・・。
 

ザックJapan W杯にむけて

2013年03月23日 | マイブーム -
「ドーハの悲劇」 が頭をかすむけれど・・・
26日のヨルダン戦に勝利すれば、ザックJはW杯決定となる。

今から 1時間後に、直前試合:カナダ戦の試合が中継される。
それも場所は、ドーハだ。

夜中の一時すぎぐらいのキックオフだ。

昼夜逆転生活が何だというの? 今夜は、ちゃんと観ましょう!



甘いものを二つほど摂取して、心して 画面の前に座るため
準備をしているところだ。
この 「結果がわからない状態」 は、ワクワク感があって、
いいよねぇ・・・。

まずは、ヨルダン戦でW杯の切符を手にするための前哨試合 !

本田選手・長友選手が怪我で欠場のため、香川選手に期待が
かかるけれど、いつも考えすぎて本来の力が発揮できない彼が
ヨルダン戦に向けて、ザックジャパンで「いかに闘うか!」が
興味どころデス。


    

過日のマンチェスターU、香川選手のハットトリックの試合は、
試合全部を録画をしてあるが、まだ観戦できていない。

 < 保存してあるから、いつでも見られるから、問題ない >

自然に優しく、安心な日用品

2013年03月20日 | 社会 -

アレルギー体質の人間にとって、“身体と折り合いの悪い物質” が
まざり込んでいる物品は、非常に心地よくない。
肌が荒れたり、かゆくなったり、少なからず体調が悪くなったりと、
影響がでるものである。

特に、花粉が飛び交っている時期は、過敏になっていることも・・・。




様々な日用品の中に、そのような化学物質が混ざっている場合、
私たちは、どのように対応していけばよいのだろう。

現在、一部の商品には、薬事法で全成分表示が義務付けられているが、
その成分はカタカナだらけの “聞いたことのない固有名詞” ばかりで、
自分の害になるかどうかは、わかりづらいものである。
一つ一つをインターネットで検索しても、なかなか判別することが
難しいケースもあるだろう。

また、医薬部外品や、日用品には、成分表示の義務がないため、
もっとわからなくなってしまう・・・。

本当は、「全ての日用品に成分表示が義務付けられていないのか」 、
また、「もっとわかりやすい表示方法にしないのか」 という疑問が
いつも私の中にはある。
何故なら、“命にもかかわる切実なこと” だからである。

食品アレルギーなどは、ほんのちょっとした成分を摂取するだけで、
大きな拒否反応や発作をまき起こすこともあり・・・
安易に受け入れられないものなのだけれど、最近になって やっと
アレルギー表示をしている加工食品が出てきた。



私は、 「合成化学物質が入っている商品は、買いたくない」 と
希望しているが・・・そうすると、生活に支障がくることもあり、
極力 負担の少ない商品を 購入している。



歴然とアレルギー反応が、私に出てきたのは5年ぐらい前からだが、
一般的に どんどん(年ごとに)発症する人は増えてきている。

大気汚染問題の現状を考えても、このような現実は当然のことだ。
人によれば、化学物質に反応をおこすアレルギー体質の人も多い。



日本では、戦後60年以上にわたって、山や川、海などを汚し、
それを改めることなく続けてきたから、このような現実がある。

私たち一人一人が、日々の中で原因をつくっているということを
強く認識し、安心して買うことのできる安全な商品を、世の中に
出すように メーカーは 目指してほしいものだ。
せめて、そういう商品をないがしろにすることなく、開発して
商品化して頂きたいと心から願う。

体内に摂取された化学物質の一部は、発がん性を持っていたり、
免疫力を抑える効力があったりして、体調を悪くする要因がある。



成分表示などについては、今後 行政の徹底した動きを期待したい。
そうして、アレルギーの自覚を持って、自分の体質を加味して判別し、
折り合いをつけながら、害のない “安心な日用品” を使いたいのだ。

私の 「 シュガーレス生活 」

2013年03月18日 | 食事 -
我が家には、「砂糖」がない。

訪問客に珈琲をだして、砂糖を求められた時、
困ってしまう。
時々、珈琲用スティックの砂糖もきらしている。


煮物は、「日本酒」を使うことで、深みのある甘みをだす。
その時に使用する日本酒は、ちゃんとしたものを使うと
さらに美味しくなる。
私は、お酒が飲めないけれど、「みりん」から日本酒に
変えたことで、和食系の料理が甘辛系ではなくなった。
身体によいバランスを保つことができる調味料だ・・・。



また、カレーや、洋風の煮込み料理や、ヨーグルトには、
「はちみつ」を使っている。

はちみつ独特の味があって、これがまた、さらに・・・
美味しさを増していると思う。

朝食のフルーツの後、脳が糖分を欲しがった時には、
「はちみつ」を大さじ三杯ぐらい、お口に放り込む。
これで、内臓や身体全体が、“カーッ”と燃えるのが
手に取るように感じられる。
糖分だけではない、はちみつの効力は、非常に 奥が深い。


という生活なので ・・・本当に、我が家には・・・
理屈ぬきで、「砂糖というものがない」のである。


「ナダル」 の 完全復活!

2013年03月17日 | マイブーム -
テニス界には、怪我をかかえて闘う選手が多い。
錦織圭選手もまた、一つ一つ、身体の変調と向き合っている。

ほぼ八ヵ月・・・休んでいた「ラファ」こと、ナダルが復活して、
久しぶりに ロジャー・フェデラ―と対戦した。

 <BNPパリバオープン 準々決勝>
  

早過ぎる二人の一戦は、ナダルの勝利。
フェデラ―は、腰を痛めており、ミスが続いた。



ナダルの復帰を 祝って、
また二人の「(笑える)CF撮影時の映像」 を 見返した。




早過ぎる二人の対戦 (準々決勝) だったけれど・・・
二人とも万全ではなく、怪我をかかえていたのが、
プロテニスプレイヤーの辛いところだ。

しかし、プロの勝てる選手は、怪我にも勝ってきている。
上手に怪我と折り合いをつけてきたし、勝敗が明確がゆえに
すっきりと 相手をたたえ合う潔さがある。
これこそ 「スポーツマンシップ」 だ。

フェデラ―とナダルは、お互いの対戦を大切に思っている。
だから、次の二人の対戦は、(記念すべき第三十回目となるし、
私的には)できればグランドスラムの決勝戦で見たいものだ。

男子フィギュアSワールド

2013年03月16日 | マイブーム -
カナダのロンドンで開催された狭いリンクの「ワールド 2013」。

パトリック・チャン選手の三連覇は すごい と感じるけれど、
やはり「デニス・テン選手」 が、新鮮で、素晴らしすぎた。
その存在と演技で、(私の中では) 全部 持っていかれた感じだ。

デニス・テン選手を初めて見たのは、バンクーバー五輪のSP。
ちょうど高橋選手の直前の滑走で、何の情報もないままだったが、
印象的な箇所が二つあった。
ビールマンスピンをしたことと、SPの後半のステップ辺り(?)で
両手をぶんぶん振り回して、高速の振付を音楽ノリノリでやったこと。
その感性が「いいなぁ」と感じたのが、最初の出会いだった。
SPの曲は「シング・シング・シング」 だったと思う。
今から思えば、あの時は 16歳だったのか・・・・と。
彼の黄色いジャケットは今も覚えていて、第一印象が強く残った。
その「両手ぶんまわし高速アクション」 は、音楽との一体感で、
彼の可能性を見た気がした。
バンクーバーオリンピックでは、無表情で、下唇が切れて血が滲み、
「リップクリームを」 と 変に気になったのが、デニス・テン選手だった。

それから、何年か、彼のプログラムをいくつも見てきたが・・・
今回の演技は、過去最高だった。
「アーティスト」 は、音楽で描いていく “素晴らしい映画” だったし、
FSでの曲は、とても気持ちの良い音楽だから、観ていても最高。
映画の世界観を、上手に表わしていたと感じた。
プログラムの細やかな表現と、キャラクターが合致していたと思う。



最近は、たった一年で、スケーターの存在感が がらっと変わる。
また、プログラムの選曲・振付で、大きく影響すると思う。

四回転は必須となってしまい、ジャンプが大きく左右されるように
なったことで、選手の競い合いも 「 ジャンプ重視 」 になった。

たった一年でも、・・・ 一年あれば、的確なジャンプコーチがいたら、
四回転を自分のものにできるスケーターも多い。



ワールドや五輪などは、「メンタル」と「経験」が命だと思うが・・・
精神力の強い選手が出てきたことで、新しい経験値が出来上がる可能性がある。


ソチまで、あと一年。
其々の選手が、精一杯の設計プランを掲げて、進んで行くだろう。


今から、ソチ五輪が、とても楽しみになってきた。
日本は三枠ゲットなので、三選手が参加できることになったので、
何よりである。
頑張ってくれた日本男子三選手に、心から 「ありがとう」 と言いたい。

 



高橋大輔選手を応援している私としては、今季はいろいろなことを
感じてしまった。 私自身にとっても参考になることが多かった。
彼の最終目標は「ソチ」だから、今回は通過点として考えるとしても・・・
ワールドの高橋選手のスピンは とても良くなったと感じたが、
課題を抱えてしまった最終結果を手にしたのは事実だ。
新しい環境と新体制、ルーティンの練習のあり方、迷子になりやすい3A、
四回転ジャンプの成功率のあげ方、競技会に向けたメンタルコントロール、
コーチングと自主性との折り合いのつけ方・・・・。
何が正解か わからないからこそ、慎重に、全てを設計していく必要がある。
現実をちゃんと正視して、進んで行かないと、ソチでの結果はついてこない。
彼のポテンシャルは、まだまだトップをねらえる位置にあるからこそ、
これからの一年が大切になるだろう。
これらは、今日の 「ワールド」 に向かう高橋選手から、感じたことだ。


ご本人の性格から、「勝ちたい」 と思うのは当然だと思う。
しかし、決して 思いすぎないで (プレッシャーにすることなく)、
ソチの結果にも 過剰に固執せず、ただ 納得できる時間を過ごしてほしい。



「言霊」 というからに・・・ 一般的に (人間の精神構造的には)
公に口に出した途端に、自分自身の潜在意識に深く根付いてしまって・・・
気がつかない部分で、全てを支配されてしまう「潜在意識の強さ」 がある。
意識も、言葉も、強く言い聞かせて、感情と折り合いをつけて、整理して
行動につなげていかないと、影響を阻むことができなくなる・・・。
本来、心の中にあるものと、行動というものに、矛盾が起こることは避けたい。
すべて、無意識の中で影響が出てくることがあるので、極力 ポジティブに
己の意識につなげていくことが好ましい。


本当の意味での自主性! 
・・・・・自主的に、且つ、・・・ポジティブに、
80%近い自己の潜在意識をコントロールできるのが、何より大切なのだ。

コーチングの自主性は、コーチの手中にあり、コーチの手のひらの上で
コントロールされていたり、自分以外の何かを潜在的に頼ってしまったり、
ここぞという時に「我」の力量を発揮できないことがある。
その要因は、本当の意味での自主性が基軸になっていない。
自滅する理由の多くがこれだ。
自分独自で、モチベーションを維持していけないパターンでもある。



    


とにかく、全日本のフリーは圧巻だったけれど・・・
相対的な総括では、あらゆる調整が、微妙に うまくいかず、負荷がかかり、
高橋選手の今季シーズンは、学ぶところが多かったのではないだろうか。
今後、修繕すべき部分は改善し、納得の最終現役シーズンを迎えてほしい。


27歳のバースディから、「ソチへの道」は、はじまった・・・。

雨降る日も、油断大敵!

2013年03月13日 | 出来事 -

今朝から 凄い風だった。
部屋の空気交換には最適だったけれど、歩くには大変な風力。


友人からのメール。
  「 母が入院したの。
    私がインフルエンザで病気だったのに、
    落ち着いたら、すぐに母が入院―。
    ホント、いろいろあるねぇ・・・ 」

 
そう、ホント、いろいろあるねぇ。

こういう時、相手の立場になって、言葉をかけて、
力になってあげたいけれど・・・
“ 疲れ果てた自分 ” を 感じたら、臆病になる。
何かあったら、すぐに連絡をしてね~と伝えた。
みんな、何かを抱えながら、頑張って生きている。


やはり、常に、余裕のある「自分」でいなければ・・・と、
とことん思い知らされる。
 


暗闇の帰り道。
雨が降っていた。
久しぶりに、空気が気持ちよく感じたけれど、
背中を押す強い風に、傘が吹き飛ばされそうになった。
きき手の左指が完治していなくて、ぐぐっっと
筋に痛みが走る。

 「 養生・養生・注意・注意・・・」


ちゃんと息を整えて、しっかりとあがっていかないとネ。

季節の変わり目は、体調をこわしがちになるから・・・。

いろいろなことに思い悩まず、不安にも押しつぶされず、
ただ、「今」を見つめていくこと。

自宅で 「 ひきこもり日 」

2013年03月10日 | 出来事 -

この数日間は、鼻がムズムズ。
花粉症の季節になったことを痛感した。
外から帰宅しても、ティッシュが 離せなかった・・・。
またPM2.5や黄砂が、多く飛来するらしく、
中国の影響が出始めたようだ。
また、汚染物質PM2.5と黄砂が一緒になることで、
状況は悪くなるそうである。


「 空が青い 」 ということは、
とても 大切な “ 視覚的要素だ ” と感じる。

  ♪ 東京の空、灰色の空
    
高村光太郎の「智恵子抄」が思い浮かぶ。
本当の空が見たいと言っていた智恵子の言葉―。

夕方頃までは、(怖いくらいに) 曇って、
くすんでいる空だった。



  

今日は、明日で震災から二年目ということで、
東北の被災地と、原発問題についての番組が続く。
「思うように進んでいない復興作業」と、「自宅を離れ、
暮らす人々の思い」 が 被災地の現実と共に綴られていく。
いろいろなことを感じる。
二年は、長いようで短く、短いようで 本当はとても長い。



私は、今日、洗濯物を、部屋の中に干した・・・。
そして、明日のマスクを用意&確認をした・・・。

朝に 「 瞑想 」 を やりたい

2013年03月07日 | 雑感 -

朝は、論理的思考よりも、感情的な側面が より働く。

日の出にパワーをもらうと同時に、ため込んだ自分の中の
ストレスを発散して、フラットな状態にしたい・・・
そんな思いではじめた瞑想を、数年前に辞めてしまっていた。

理由は、簡単だ。
続かなかったからだ。

何故、続かなかったか。
忙しくて、たった20分、30分の時間が管理できず、
疲労を理由に、袋小路にはまっていった・・・。
意志力の弱さと甘え・・・そして、もう必要ないという
当時の判断があった・・・。


  


人が、「シアワセでいたい」 と思ったら、
その人自身の「心」を 度外視できない。

日々、ため込んでしまった「あらゆるモノ」を、毎日、
少しずつ吐き出すことは、とても大切なことだ。

「やりたい」 と思っていても、
実際に実行して、やらなければ、何も意味がなく・・・
かえって、やれない自分に 否定的な感情が まとわりつく。



現実的に できないのなら、しばらく時間をおいて、
時期が来たら、必ずやることを、自分に約束してみる。
それは、強制的な強い思いではなく、
あくまでも 淡く ユルイ気持ちで・・・・・。


  


怪我をした左手に痛みが残り、気分も生活も「快適」には ほど遠く、
最近の私は 「 心 」 を持て余している時がある。

また、昼夜逆転生活から、一日の規則的なスケジュールが壊れ、
今 体調が芳しくないのも、よくない傾向だと感じている。



本当は、瞑想なんて必要がない生活がしたいけれど、
まだできないから、しばらくの辛抱だ。

それまで、自分の「心」が暴れないように、
仲良くしてあげなくてはいけない。

中国の 「 深刻な大気汚染 」

2013年03月05日 | 環境 -

お隣の国のことだ。
もし万一 何かがあったら、余波を受けてしまう地理関係ゆえ、
最悪の事態がおきれば、日本は即座に対応措置ができない。

隣人を敬い、仲良くするというのが当然のことだと理解していても、
過去の歴史問題や、領土問題等の 「課題となっている政治交渉」 が
双方の間には、たくさんある。

現在、中国で、大きな健康弊害としての大気汚染問題が深刻化してきた。
これは、美しい草原で、深呼吸をしていると、真隣で煙草をぷかぷか~と
吸われているような状態――を、私は イメージしてしまった。
煙草なら、数分で終わってしまうけれど・・・
中国の大気汚染は、そういうわけにはいかない。
先のケースでは、煙草を吸う人が、ひっきりなしに(絶えず)火をつけて、
自分の周囲360度を囲んでいるようなものだ。
近隣諸国ということは、そういうことだと思う。



1ヶ月前に、日本の国立環境研究所では、全国の観測地点155ヶ所のうちで、
「48ヶ所で基準値を超えるPM2.5(微小粒子状物質)を観測 」 と発表!
特に、中国に近い西日本地域において 高い数値を確認したようで、これは・・・
中国本土からの 「 越境汚染が原因だ 」 との見解らしい。
しかし、実際には、西日本のPM2.5数値は、前年の同時期と大差はなく、
しかも“過去のデータを超えていない” ということのようでもある。
詳しくは、私もわからない・・・。


    実際、東京都と愛知県名古屋市は、PM2.5濃度値が
    数年間連続で基準を超えている。
    1990年代、東京都の喘息患者と慢性気管支炎患者は、
    東京都と自動車メーカー7社を相手取って訴訟を起こし、
    2007年にようやく和解した。
    環境省は、以前に、日本国内のPM2.5について、
    発生原因は不明だと釈明している。


過去に国内で発生した原因を不明だとしながら、最近になって、その責任を
すべて中国に押しつけることは、中国の対応と同等レベルになってしまう。
根拠のない事実だと言われかねない。

もちろん、隣国ゆえに、影響がないとは断言できない・・・と、強く思う。
今後、日本各地で、大きな影響を伴ってくるだろう。
測定数値も、明らかに違ってくるに違いない。
そんな確固たる想像も容易だ。

すでに、中国の余波を受けて、充分なる注意をしている地域もあるし、
隣国からの濁った大気の流れに、確実に弊害を被っている地域もある。
黄砂などもそうだが、本当に 心が痛い現実だ。
だからこそ、慎重なる現状把握が必要だと思う・・・。



  


日本の学者は 「東京都内でPM2.5が発生する原因は2つ」と分析している。
1つは「関東6県の自動車排ガス量の多さ」である。
そして、もう1つは「工場の大気汚染」だ。

中国ほど酷くはないが、東京の大気は、明らかに汚れている。
事実、地方から帰った時の空気の匂いや曇り具合・・・「清々しい」とか
「空気が美味しいか」 ということを考えれば、結果は歴然としている。

東京の空は、濁っているように見える。


 


日本のメディアは大騒ぎのようだが、中国の大気汚染だけを理由として、
隣国を非難するだけにとどまらず、原因を究明し、問題を解決するべく、
もっと取材をして、具体的に報道をしてもらいたい と 思うばかりだ。
現実は現実として 事実だとしても、そのニュアンスと、厳密な現状は、
全ての国民が知っておきたい情報だ。


近い将来、隣国では、「水」のシリアスな問題もでてくるだろうし、
環境汚染は歯止めをかけるのが、大変難しい。


地球は、繋がっているから、・・・空も海も、境界線などない。
たとえ、あったとしても、無意味なものとして存在する。
国連が環境会議を開催しても、全ての国が賛同してくれるわけでもなく、
経済成長が第一だと判断する国にとっては、目先のことしか問題にしない。


地球は、ひとつ!
大気、海水(水蒸気)、微生物や放射線も、常に循環して、流れていく・・・。
全ての国が繋がっているということを、改めてイメージしてほしいものだ。