大晦日の独り言

2010年12月31日 | 雑感 -


時間の概念が「バタバタだった」というのが、今年の印象だった。

元旦に決めた抱負のうちで、達成できたのはできたが・・・・
できなかったものもある。
予約はしていたが、仕事の都合でキャンセルして以来、抜けなかった「親不知」。
楽しめそうな楽器を選んで購入はしたが、忙しくて、二度ほど手にした以来、
ほったらかしの「ケーナ」。

言い訳のように「忙しかったので」という言葉がついてくる。

来年は、もう少し余裕がほしいと思うようになった。

バタバタして自分を追いつめてしまうよりも、もう少し時間をコントロールして
自分の楽しいことに時間を要したい。
まずは、このことから、来年は始めたいと、しみじみと感じる。

年末のお仕事も、お掃除も、なんとなく片付いたが・・・
心底の想いとしては、もう少し極めて「模様替え」をしたかった。
唯一、たくさんの服を処分して、亡父の荷物も整理して、
リビングのカーテンを一掃したのが、なんとなく「満足」している。

来年は、こういう密かな「満足」を、一つでも増やしていきたいと思う。



クリスマスは大忙し?!

2010年12月24日 | 出来事 -


今朝、8時に自宅の電話が鳴る。
昨夜、予約した宅急便が「指定時間までに取りにうかがえません」とのこと。

全国のクリスマスのプレゼントが殺到しているらしく・・・
非常に忙しいとのことだ。
いつも田舎からの野菜を届けてくれる方の声だった。

私は、午前中から外出予定があり・・・・
仕方がないので、(亡父の荷物なので)日程を変更した。



クリスマスは、日本人が大騒ぎする現象には違和感があっても、
思い起こせば・・・・家族がそろって、ご馳走が食べられて、
毎年「大きなクリスマスケーキ(ホール)を買ってもらえる」という
思い出に詰まった懐かしい日でもある。
子供の頃には、自分の「お誕生日会」や「お正月」と肩を並べて、
うれしい日だったかもしれない。
それは・・「プレゼントがもらえるから」。
こんなに単純で、いじましく、ストレートで、いたいけな子供心は・・・ 
なかったかもと・・・思い出すことがある。



最近の子供たちは、こまっしゃくれて、大人の顔色を見ながら
ほしいものを強要するらしく、「サンタさん」の存在もどこへやら・・・(笑)。
それもまた、夢のない話ではあるが・・・
大切な「思い出」というものは、大人になってから貴重になってくる。
また、家族団欒の時や、両親への感謝へつながる気持ちも芽生え、
それはそれで・・・よい思い出になってくれるとよいのだと思っている。


そういえば、昨日も街には人があふれ、賛美歌を歌う人々もいて・・・
とても賑わっていた。
イルミネーションは影をひそめても・・・今夜も、きっと混雑していることだろう。

私は、楽しい「私なりのクリスマスイブを過ごす」予定なり~~~!


亡父の荷物の整理

2010年12月23日 | 出来事 -

今日、私は、「行動を起こしている」。


何年もの間、「封印してた箱」を開けて、
やっと・・・・私自身が、亡父の荷物の整理をしているのだ。

間際まで使っていた「髭剃り機」、日常的に毎日チェックしていた「血圧計」、
まくら、毛布、下着や服、パジャマや入院していた時の備品にいたるまで・・・。

かなりの量である。



父は、しまり屋だったので、無駄使いはしなかった。
当地で同居するようになってからも、家にいる時が多かったし・・・
外出する時も、面倒くさいらしくて、部屋着のまま出かけてしまっていた。
もちろん、外出先は、いくつかの病院と、福祉施設と、私との遊びが主で、
公園や遊園地、お風呂(健康ランド)ばかりだったので、着替えることもなく、
部屋着のままで出かけていたのだった。
Tシャツや、スウェットスーツや、トレーナー、フリースばかりだ。

だから、外出着は、新品のまま・・・・多くの服や下着・靴下がある。
本当に、「もったいない」ことだ。




新品のまま田舎から持参したスーツやネクタイ、夏用のシャツに下着などは、
全く「もったいない」ので、田舎のお世話になっている親戚(何軒か)に
分けて、宅急便で送ることにした。


そのほかのものは、ケース・バイ・ケースで、選別して、
再利用を考えていくことにして、現在、処理&整理中である。



それと・・・かなり大きいが、父のパジャマは、私が着ることにする。
まだ新しいし、ぶかぶかで快適な感じだし、色もシックでおじゃれだ。
それらは、洋裁で身を立てている叔母さんが作ってくれたパジャマで、
とても他人には手渡したくはない。
布地のあたたかさと、冬らしい もこもこ感があって、本当に温まりそうだ。
二種類の紺色のパジャマで、色は似ているが・・・柄は違う。
まさに、父が拒否をしないような(地味な)生地のデザインである。
これをいただいたとき、父はとても喜んで・・・・本当にうれしそうだった。
着たときも、その着心地に感嘆をあげていたものである。
とても大切にしていたので、日常では着用せず、入院した時だけ着用していた。
ありがたいのは、男性用だとは、わからないズボンになっていること!
 (前が空いていないのだ:前空きタイプは全て男性陣に送った)
それで、私にも着られるという利点がある。



「捨てるもの」と、「残すもの」・・・、そして「再利用するもの」と分け、
今、いろいろと検討しながら、選別しているところだ。

今日中には、整理し終わっていたいものである。



自然の摂理

2010年12月23日 | 言葉 -


ダーウィンの法則

 「 強いものが生き残るのではない。
   生活環境に合わせて自分自身を変えることが
   出来たものだけが生き残る。
   それが淘汰の原則だ。     」


                    <by ダーウィン>

「わが道を行く」

2010年12月22日 | 社会 -


最近 特に、「世の中には、不公平なことが多い」と 思う時がある。
弊社では、“その人の存在”や“働きの具合”が、正当に評価されていないからだろう。
このような傾向は、社会全体に じりじりと はびこっているような印象がする。

また、「世の中には、理不尽なことが多い」とも、よく感じる。
常識的な判断基準では、納得ができない現状が、あからさまに押し通されているからだ。

同様に、「判断する立場や、見る方向によって、結果は全く違うものとなる」 という
非常に奥深く、意味深な “混沌とした状況が多くなった” ということも、つとめて非常に
頻繁に感じることである。




昔のように、簡単な論理で通らない状態になり、社会そのものが混迷を極めてきて、
その中に生きている一人一人が 「尊重されていない」・・・そんな印象を持ってしまう。

個々に、夢もあり、願いもあり、進みたい道もあったであろうけれども・・・
いろいろなものに阻まれて、自分自身を見失ってしまうことが珍しくない環境になった。
それは、自然に、そのような状況に追い込まれていく人が、単に多くなったということだ。




昔の日本人の誰もが(おそらく)持っていたと予想される「信念」や「意志力」のようなものが、
影をひそめてしまった現実――。
いや、そうしなければ、生きながらえていけないかのような錯覚をもってしまう現代社会の
構造と、それに対応した (全体にひきずられている) 国民の価値観。
大きく変化してしまった自己本位な「生き方(考え方)」 も・・・しかり。


何か大切なものを見落としているようだ。
それは、それぞれが「自分の支柱として持っていたいもの」なのだろうけれども・・・
今、それが探せない人が多いようだ。

支えてくれる何かと、勇気づけてくれる何かと、喜びを与えてくれる何かがあって、
人は初めて 「自分を受容できる」 のかもしれない。
周囲の人々の言葉や評価、あるいは、視線にまで気を遣って、疲れ果ててしまっていたら、
シアワセな日常とは程遠い時間を過ごさなければならない。
そんな生活は、気が付かないところで、自分で自分の首を絞めているようなものだ。
可能性を削いでいるようなものだ・・・・と、思う。



とりあえずは周囲と上手く協調しながらも、「わが道を行く」のが、私流である。
時として、他人には、「マイペース」にうつったり、「自分勝手だ」と解釈される
可能性は秘めているが・・・・「自分で、納得したことを貫く」のが、私のスタイルだ。



最近の私は・・・・・・ 
自分を守るために・・・
極力、不快な空気感を感じる場所には出向かないようにしている。
だから、無頼にも、会社の忘年会は欠席しようと思っているところだ。
これを私は、「ひそかなレジスタンス」と、考えている(笑)。
その時間、きっと私は映画館のふかふかの椅子に もたれかかっていることだろう・・・。
去年と同様、この「ひそかなレジスタンス」は、今年も決行される予定である。



父の見守りを受けて・・・

2010年12月19日 | 自分 -

最近、二階の和室で寝ている。
その横に、洋室の自室があり、ベッドがあるのだが・・・
寒いので、暖かくした寝屋を、和室にセットしてあるからだ。



今日も、これから出かけるにあたって、
とてもたくさん父のことを思い出した。

隣のシャッター音を聴いて、「あんなことがあったなぁ」とか、
「昔は、こうだったなぁ」とか・・・
そんな 取り止めのないことを、時々思い出す。
それは、母についても同じことだ。
夢をみて、目覚めることもある。



こんなときは、「父が会いに来てくれた」と思うようにしている。
今日は、仕事だから・・・
「がんばれよ」って思ってくれて、来てくれたんだなぁ・・・と。

そうでなければ、思い出さない時は、本当に思い出さないし、
自分の頭に自然と浮かぶ時しか、ちゃんと会えないんだから!
きっと「そういうことなんだ・・・」と、思っている。



   お父さん、大丈夫だよ。
   今日の仕事も、ちゃんと うまくいくからね。
   心配いらないから。

そう胸の中で会話して、そっと仏壇エリアに目をやると、
そこに父がいるような気がした。


「許すこと」の意味

2010年12月18日 | 言葉 -


 弱者は、人を許すことができない。

 許すことは、強さの裏返しである。


                        <by マハトマ・ガンジー>


  


「もう何年もボーナスが出ていないですよ」と嘆いていた「熟男の仕事関係の人」。
正社員でありながら、現実は厳しいのだろう~と、慮っていたら・・・・
社長の自宅ですべてが決まっているようで、息子の会社の資金の使い方について
愚痴や不満をもらしていた。
「モチ代も出してもらえないので、正月がこせなくて・・・(笑)」
そう嘆いていた人に、スーパーの店頭に、お供え餅が出回っていたので、
その会社の人:二人に(もちろん自腹で)プレゼントをした。
モチを飾るときに使う紙に、わからないように小さな文字を書いて・・・・
「モチ代がなくても、心が豊かであれば、年は気持ちよく超すことができます。
 お互いに、幸せな日々をすごしましょう。来年もどうぞよろしくお願いします」
大爆笑となり、私のブラックジョークも大うけに受けてくださり、何よりだった。
こういうことも、嫌味にとられない人たちだと思ったので、心ばかりの気配りだったが、
そのまま受け取っていただいて良かったと、(ひそかに)思っている。

私としては、単なる冗談ではなく、「元気を出してね」という意味合いが強かった。



しかし、弊社も、その会社もそうだが・・・・
会社の資産や資金は、会社のメンバー全員のものであり、会社経営者だけが、
自由に使える権利を擁するというのも、間違った話である。

会社の私物化は、家族経営会社には ありがちなことではあるが・・・
せめて数万円のモチ代ぐらいはボーナスに出してあげてほしいものである。
変な仕事に出資したり、御曹司のわがままで「大赤字」を だすぐらいであれば・・・。

なんとなく、身につまされる話だったので、ついモチをプレゼントしてしまった。

モチにかけて、「モチベーションは、いかがですか?」という問いかけに、
「そんなもの全くないですよ、モチベーションなんか(笑)」と答えられた。
これもまた、ビジネスマンとしては切ない現実だ。
もし、本当であれば・・・・仕事や、日々の生活状態に影響を与える事実である。



しかし、彼らも、私たちも、「立場」というものがあり・・・

思ったことも言えず、行動にも起こせないのが、特に長い年数の間、所属している
正社員に言えることかもしれない。
彼らには、気楽な立場の私とは違う“何か”が存在するようにも感じたし・・・
会社に対する「割り切り」や「あきらめに近い感情」を感じ取ってしまったのも
事実である。

足元を見つめる作業と、天秤にかけて判断することと・・・・
何よりも「許すこと」。
でなければ、ストレスがたまってしまって、どうしようもなくなってしまうだろう。

人それぞれに、最善の方法を選択して、自分の対処方法を考えていくしかない。

今年も、家族全員で、穏やかに年を越すことを一番に考えた場合は・・・・・。




明日も、私は・・・より前向きに生きるために、いつくか「許していくこと」に
挑戦しながら、仕事をしなければいけない。

日曜日だが、大切な仕事がひかえている。

「許せるもの」なら、「許すこと」も大切で、自分の中で 一つの線を引けばよい。
そうすることで、自分も周囲も・・・楽になっていくのであれば・・・・・ 実は ・・・
こういう作業も、自分の精神状態の保持のため(あるいは現場を円滑にするため)
必要なことの要素に成り得るときがある。

私が、穏やかに・・・・この年を越すためには・・・・。



年末の経理処理

2010年12月17日 | 仕事 -


今、私は、経理関係の事務処理に、終日・・・おわれている。

会社で、まるで一斉に重なるように届いてくる請求書と格闘して、
責任者としてのハンコを押して、今年の収支を締めなければならない。

人によれば、「今年中の収入として処理したい」という希望もあり、
すでに来年春の確定申告が頭をもたげてくる。

莫大な金額の仮払い清算は、やっと終った。
胸につかえていた「借金のような意識」は、消え失せて・・・
これからは手元に残る立替金だと思うと、私の気分はかなり違う。



しかし、一つの小さなプロジェクトでも、全体予算を管理して、
収支表を作成するのは大変な作業だと感じてしまう。
必要な仕事だとは思っていても、退屈だと感じてしまう背景には、
私が感じている「面白さ」に欠ける仕事だからというー明確な理由がある。

自分が管理するプロジェクトが黒字だったということは、
非常に素敵なことで、うれしい事実ではあるが・・・・
それを証明する作業は、かなりつまらないことだと、私は感じているようだ。

しかし、これも仕事、あれも仕事、「私の仕事」である。



今年を気分よく終えるために必要な・・・・様々な仕事は、
できるだけ早く処理していくに限る。


それは・・・自分を来年に飛躍させるためには、必要な過程であり、
責任あるビジネスウーマンとしての姿勢を、会社には明確に示し、
落ち度なく、つきあえる関係を保持していかないと・・・・
フリーランスには痛手になってしまう。
“バックボーンがない人”には、一つ一つの仕事や、人との関係が、
今後の自分の未来を構築する要素となりえるからだ。
こういう小さなことにも、細分と気遣いをはらっていかないと、
人からの信頼は得られない。
見ている人は、ちゃんと見ていて・・・・いざという時に、
その印象や評価は、功をそうするものである。


現代人の傾向

2010年12月16日 | 社会 -

一般的に・・・
最近の現代人の傾向として、「人の話を聴けない」「人とうまくやっていけない」
「他人の意見は、まず否定して、自分を正当化していく」「協調していけない」という
コミュニケーションの問題点が指摘されている。

熟年の世代には「自己正当化」の傾向が見受けられ、若年の世代には「マイペース」で
「他人と協調不能」な例も見受けられる。

たった少人数でも、そういう顕著な態度をとる人々によって、「世代の傾向」として、
相対的にとらえられ、決め付けられるのは、遺憾なことかもしれない。

人々の心の中や、他人との付き合いの質感の中で、「あきらめに似た喪失感」が・・・
ただよいはじめたら、危険信号だ。



私の仕事仲間の一人は、せっかちと自己正当性が重なって、すぐキレてしまうし、
上司にも(お酒の力もあって)かみついて、トラブルを起こすことが多い。
自分にとって、それがマイナスになっているということを判断できるようになる前に
(まず)キレてしまうので・・・性質的には どうしようもないようだ。
言い争いや、喧嘩の手前で、私は出ていき、発言をして止めてしまうのだが・・・
酒好きの泥酔からくる“意味不明なやりとり”には 本当に辟易する。

昨日もちょっとしたことで、彼に かみつかれそうになった。
私は、毅然と主張した。
「私が違和感を持ったという感想を、ただ現実として受け止めてください」
そう言い放って、彼の言い訳の連呼に 歯止めをかけた。




一般論として、現代人は・・・・
余裕がなく、心が切羽詰っていて、自分を守りたい人が増えたのは、切実に感じる。

過剰に反応して、それも自分の価値基準で一方的に思い込んでしまう人も多い。
確認作業と、相手の意思尊重の姿勢が、薄くなってしまったようだ。

“何か”が、その人の中に欠乏していて、それがゆとりを失くしてしまっているのだろうと
冷静に感じるときがある。


人は、“豊かな方が、幸せだ” と思う。
その「豊かさ」の定義は、人それぞれだとしても、現実的に世知辛い世の中だからこそ
せめて「心」だけは 常に豊かでいたいものである。


正岡子規の「生きる力」

2010年12月12日 | 雑感 -

NHK「坂の上の雲」で、ついに正岡子規が、逝ってしまった。

体重を落として(おそらく13kgぐらい)、熱演した俳優:香川照之さんの演技は、
当時の正岡子規を適切に表しているのではないか・・・と思うぐらいの前向きさと、
苦しみの現実が、画面から伝わってきた。

正岡子規の“生き様”は、俳優をそうさせるだけの事実の積み重ねがあり、
そのうえに、それを忠実に演技として伝えられる演技派の名優がいてこそ・・・
あのような「素晴らしいシーンが出来上がることができたのだ」と、しみじみ感じた。

子規が逝く今回のドラマの中で、印象的な彼の台詞がある。
 「じゅんさんにとって、世界は “広い”。
  わしにとって世界は “深い”んじゃ! 」。
彼の創作活動への意欲が伝わってきて、生きる原動力を最期まで失わずに逝った子規を
あらわした一言のように感じる。



すごい昔のことになるが・・・・
ひと時、「俳句」というものに触れていた私は、このドラマを通して、
時間ができた近い将来に、再び「俳句」をはじめてみようという気になった。
若い頃の私に影響を与えてくれた「父のような人(故人)」が「俳句」をやっていて、
彼が使い込んでいた季語集などは、今もすべて手元に置いており・・・・
それを目にするたびに、いろいろなことを思い出したりしていた。
仕事で一緒に旅をすると、車や電車の中で長時間にわたって坐っているときは、
急に黙りこくったかと思うと、一俳句ひねりだしては、その説明をしてくれた。
限りある狭い「車窓」からも、日本の豊かな自然や、うつりゆく季節は感じ取れて、
想像力一つで、短い言葉の中にでさえも、凝縮された「世界」が漂っていたものである。
私が俳句を作ると、ちょっと時間をおいて、「それは、こういう表現の方がいいな」と、
同じ内容で、自分流の言葉の並びを披露してくれて、まるで俳句教室のようだった。
そんな日々を過ごしているうちに、当時の私は、俳句を多少たしなむようになったのだ。
多忙になるまでの20代の若かりし頃の多感な時期に、そんな風にして“四季を見つめる
豊かな時間を過ごせたこと”は、ありがたいことだったと、今更ながら思う。

狭い車窓ひとつを前に経験した若い頃の出来事が、まるで子規の晩年の創作活動を
連想してしまったのかもしれない。
「わしには、この狭い庭しかない」と言いながら、家に篭もりきっていた子規の人生――。
しかし、それでも創作活動は精力的であったという。



子規の句は、意外とたくさん耳にしている。
「これも」「あれも・・」というものばかりだ。
松山という土地も、私にとっては、とても縁がある場所である。

なのに、今まで・・・正岡子規とは縁なく、時間を過ごしてきたのが不思議なくらいだ。
山頭火、高浜虚子、一茶、松尾芭蕉ほか、何人かの俳人のほか、近代文化人に関しては、
ゆかりの場所を尋ねたり、書籍を読んだりしていたのだが・・・・。


病気を患い、寝たきりになっても前向きに文学活動(創作活動)に熱を入れていた子規は、
現在の私にとっては、とても興味深い「人生観」を与えてくれた。

あの前向きな姿勢と、生き方、考え方、彼自身の病床生活を支えた家族間の関係も、
あらゆるものが深く心に響いてくるものであった。

根岸の家で、寝たきりになってから書いた『病床六尺』は、少しの感傷も暗い影もなく、
死に臨んだ正岡子規:自身の肉体と精神を客観視し、描ききった「人生記録」として、
現在まで多くの人々に読まれているらしい。

ぜひとも多忙な日常から抜け出せるであろう(と予想している)来年には、
ゆっくりと読んでみたいものである。


GPFの高橋大輔選手

2010年12月12日 | マイブーム -

フィギアスケート「グランプリ ファイナル」が、終わった。

高橋大輔選手の結果は、本人としては・・・おそらく、
決して満足のいくものではなかっただろう。

その原因が、「コンディションが万全ではなかった」という現実を
誰もが感じているにもかかわらず、「練習不足だ」と答えた彼の行為に
尊敬の念を抱きつつ、今後の調整を見守っていきたいと、あらためて
強く感じた次第である。


自分も、周囲の人も、関係するすべての人が傷つかない方法を選択して、
その対処をしながら、胸の中で昇華していく・・・・そして、自然に、潔く、
自分自身の精神状態や体調管理に徹していく姿勢は、本当に素晴らしい。
「これを糧にして、頑張っていきます」と、彼は毅然と、強く言い放った。
すべての過程も、現状も、結果も、受け止めて、かつ、受け入れての言葉だ。

「一人の人間としても、アスリートとしても、感動的な姿だった」と、私は思う。




彼の次なる焦点は、来年3月の「ワールド」だ。
世界選手権の二連覇!
記念すべき東京(日本)開催に向けて、ベストな演技ができるように
歩みを進めていってほしい。

人間は、浮いたり、ちょっとばかり沈んだり・・・
紆余曲折のある人生を経験するものだし、彼の場合はその特徴が、
誰よりも顕著で、ある意味では「波乱万丈」的な人生を経験できる星のもとに
生まれているような印象さえする。

だから、成長を重ねていく彼の姿や言動は、人々の胸を打つのだろうし、
感動を与えられるのだろう。
そして、あらゆる“何か”を、伝えられる位置に・・・やっと、立てたのだと思う。



私も、次の焦点は・・・「ワールド」だ!
結果は、どうでもいい。
彼にとって、後悔のないようなシーズンを終えてほしい。


満員電車での出来事

2010年12月07日 | ナンセンス -

今日の帰宅時・・・ほんの少し遅くなって、くたくたのところに、
明日から使う備品を購入して、私は「大きな荷物」を抱えていた。
疲労困憊のうえに、身動きができないし、体力も残っていない状況だった。
電車を待っている列では、ほとんど放心状態だったようにも思う。

ところが、とても混んでいる電車なのに・・・・・幸運にも座れたのだ!



しばらくすると、私の左側から強烈な匂いがしてきた!
すごい匂いだ。「耐えがたいなぁ」と・・・そう思いながら、
そ~っと見ると、60歳手前のビジネスマンが、強烈な整髪料をつけて、
その頭を私の左肩においている。
まるで、韓国ドラマの恋人どおしのような体制だ(?!)

「えぇ~~」


   誤解されちゃうじゃん!  おじさん、おきてぇ~~~



もじもじしても、おじさんは起きてくれない。



しばらくすると、鮮烈な青色のダウンを着た茶髪の若い男性が、
私の右肩に頭をのせて、気持ちよさそうに、寝息をたてて、ぐっすりと寝ている。
はっきりと分からないように、そ~っと顔を右に振ると・・・・・
鳥のとさかのように、ピンピンとはねた茶色い前髪が、肩の上に乗っかっていた。

「えぇ~~」

「またぁ~~」


両側の肩を、二人の男性に寄りかかられて、なんとも恥ずかしい限りだった。

車内には女性の姿がなく、ほとんどが男性で、私の前にも「男ばかり!」

見ないふりをしていながら、見られているのは感じつつ・・・・
なんともはや、複雑な体制(状態)で、しばらく肩を二人に貸していた。




そして、整髪料の匂いに耐えながら、両側の肩を貸しつつ・・・・
なんとなく思い出してしまった。
先月、同年代の女性ばかりと食事した時のことを・・・。
その会は、ほとんどが同年齢で、本当に楽しく盛り上がった。
「職場の誰がさんが、とっても素敵」とか、「タレントの誰々がかっこいい」とか、
・・・・・そんな“たわいのない話”をしていたときだった。

ある専業主婦の友達が、平然と言い放った。

  「男性だって、若い女性が好きなんだもの。
   私たち:女性だって、若い男の子が良いに決まっているよね。
   かっこいいし、ねぇ。 若くて、ピチピチだし・・・
   当然だよね~~」




今日の私は・・・・・「ノーコメント!」


知人との仕事で学んだこと

2010年12月06日 | 仕事 -

何十年もの間、知人としての付き合いをしてきた人と、今回初めて 仕事をした。

ちょうど二年前の最初のプロジェクト依頼から、その後に状況は一変して・・・・
その人は、(次男という立場でありながら)母親の介護をするため、住所を引き払い、
母親と同居をして、毎日家事をしながら世話を始めた。
離婚して、今は独身なので、家庭持ちのお兄さんや息子さんには、頼めないようだった。
そういう事情もあって、私はビジネスライクな話に もって行きたくても、それを理由に
スケジュールは「週末だけ」とか、「兄の都合が悪くて頼めない」という理由を挙げて、
仕事のスケジュールについて (途中から)自己主張を強く始めた。
「この日は無理だ」「今月は、この日だけしかない」とか――。
そんな状態で、条件を一方的に提示されては、仕事のスケジュールが組み立てられない。

私自身は、介護経験があるので、介護人としての苦労がわからないでもないので、
つい甘くなってしまう部分があった。
しかし、「仕事」という関係になってしまうと、それは一変する。
一人だけで回転しているわけではないし、自分だけの判断で決定できるものではない。
私は、それが分かっていたので、介護人をしているときは、「できる仕事」だけを選び、
最期の1年半近くは(ほとんど)仕事という仕事はしなかった。
いや、「できなかった」というべきだとも思う。それだけ、ヘビーなのが介護人生活だ。
私の場合は、身をおかなくても収入になる資格をとったり、新しい保険のようなビジョンを
考えたりもしていた時期である。
結局は・・・経験上、介護人としての気持ちも分かるし、大変な環境も全て受け容れて、
あえて仕事の依頼は続行を決意した。
そして、当方が、かなり折れる形で、これまで遂行していったように思う。



しかし、今回、学んだことがある。
●やはり知り合いと仕事をするときは、要注意だ。
 あらぬ長年の付き合いからの感情が、自分のなかに芽生えてくる。
●「後だしじゃんけん」のように、最初に決めたことを、自分の都合で裏切ってくると、
 仕事としては成立しない。 厳しく言ってしまえば、約束違反だ。
相手も、知人だからという理由で、私に“過度に甘えていた”ように思ったりする。
 そのような性格の人だとは、私自身が思っていなかったが・・・・・
 プライベートと仕事は違うし、何よりも生活の環境が変わった時点で考えるべきだった。



条件を考え直すことや、体制を整えることは、いつも必要なことではあるが・・・・
現場で咄嗟に対応することが必要になることも、また(経験上)多いことである。


私は相当のことがない限り、声をあらげたり、諍いのような話し合いをすることはないが、
自己中心的な流れは、プロジェクトの団結力そのものや、完成度の質感を変えてしまう。
プロジェクトのチームワークに、微妙に影響を与えていくものである。



今は、言いたいことを、きちんとビジネスライクに伝えるために・・・
いつも電話でコミュニケーションを常としている私が、あえてメールを利用している。
特別の感情が、のっかったりしないためだ。
そういう意味では、メールというツールは、本当に無機的で一方的な情報伝達手段だ。



仕事関係の付き合いと、プライベートの付き合いは、その人の根ざしたものが一緒なので、
大きく離れることはないけれど、 何か「自分の力ではどうしようもできないトラブル」が
起きたときに、人は「自分を守るために、一生懸命に努力する」ものである。
今回、そういう大変なトラブルが起きてしまったのだ。
やはり、数年前の彼ではない現実があったことと、“身体の疲れ”や“日々の愚痴”が、
口から突いて出てくる状況では、ベストコンディションとは言えない。
失敗は誰にでもあることだが、その発生する確率は、ぐ~んと挙がっていたように思う。
それだけ「介護人生活」というものは、目に見えない部分で、身体的にも、精神的にも、
負担をかけているものだと、しみじみと感じた。
だからこそ、私としてはフォローしたい気持ちがあったのだが、トラブルが起きてしまうと、
やはり現実的に支障がきてしまうし、お互い“あと味が悪い”のが、どうしようもない。


好意的に捉えつつも、現状としては、ストレスフルなメールのやりとりは本当に疲れる。
事後処理の問題は、特に“やりきれない感情”が伴うため、大変な作業だ。

今回の印象は、あまり良好ではなかったので、仕事仲間としては、タイミングが悪かった
・・・・そんな気持ちを抱いている昨今である。
そして、こういうときこそ、冷静に判断する勇気も必要なのだと思ったりもした。


知人や友人を、こういうことで失いたくないので、今後は「公私のけじめをつけよう」と
思っているところである。


「山の神」 福岡でデビュー!

2010年12月05日 | 人物 -

私が応援しているランナー「今井正人さん」が、今日、福岡でマラソンに挑んだ。
「福岡国際マラソン」で、彼にとっては実質的なマラソンデビューとなるらしい。

顔をみると、精悍になって、よりたくましい印象がして、最初は期待がふくらんでいた。
実質的なマラソンデビュー戦だから、招待選手ではなく、一般参加という立場で走り、
結果は五位。 (現在、26歳)
予断だが、来春には、福岡の2歳年上のアナウンサーと結婚が決定しているらしい。

しかし、とにかく、業界の注目度もすごかったし、人気もかなりあるように感じた。


九州で、現在は地元ということもあり、沿道から「今井、がんばれ~」という声が聞こえ、
とても臨場感にあふれた福岡マラソンだったと思う。
ペースメーカーが、一人突っ走っていて、何か・・・面白さと違和感を感じつつ、
流れを見守っていきたい――と思っていたが、やはり30キロ地点で走るのをやめた。
(過去には、ペースメーカーが興奮し、優勝してしまったということもあったから・・・)


私は、箱根駅伝を観るのが好きである。
今井さんの衝撃の登場「5区 (2年)」から始まり、「山の神」と呼ばれる由来となった
箱根の山登り(5区のごぼう抜き)を続けていた数年間は、本当に彼が大好きだった。
最後の4年の時は(また必ず5区を走るだろうと予想して) 箱根に行こうと思ったほど
入れ込んでいたように思うが、諸々の事情で、その願いは かなわなかった・・・。




あらゆる「マラソン」と、お正月に開催される「駅伝(特に箱根駅伝)」好きの私は、
思い返してみると、これまで何人ものランナーへの熱狂的な応援を繰り返してきた。
「マラソン」は、昔から大好きな競技で、子供の頃から特別に注目してきた・・・。


最近、私が抱く希望は、箱根駅伝で魅せられたランナーがいて、その応援している人物が、
マラソンの世界で(将来)活躍するのを観ること――。

ただ、これには、まず二つの “私自身の中での難関” がある。
(1)私が、箱根駅伝を観て、心を奪われる選手がいること
(2)その選手が、順調に育って、マラソン界に進み、大いに活躍をしてくれること

これが、双方ともマッチしないと、我が “ひそかな望み” は、実現しない。
少し前も(他の選手が注目されても)私にとって一番だった藤原正和さんが常にいた。
藤原さんと、今回の今井さん以外に、私が心を寄せ、応援をしてきたランナーはいない。
 ※藤原さんのマラソン界での活躍は嬉しかったし、彼が世界陸上選手権出場を断念して、
   現地に入ってからの出場辞退の公式発表は非常に残念だった。
   彼も、今年優勝しているし・・・当然、今後の期待が つのるランナーである。
   <勿論、私も、まだ応援しているョ>
そういえば、藤原さんも(今井さんと同様に)箱根の山登りを経験したランナーだ。


たとえ専門家が「能力がある天才!」「可能性がある」と言ったとしても、私の感覚で
心が燃えるかどうかが一番なので、上記の二つの項目が重なる―というのは難しいのだ。
現在の「山の神」の称号を手にしている東洋大学の柏原君も、私の “好みではない”。
柏原君がマラソンに進んだら(その可能性が強そうだけれど)、きっと日本を背負って、
活躍してくれそうな存在になり得る選手だと思う。
しかし、私の好みではないだけで・・・(本当にすみません)・・・
それでも、きっと「一人の日本人ランナーとして応援はしていくだろう」と、確実に思う。

「好き」に理由はなくて、ただ感覚的なものなので、それだけは説明ができない・・・。




今井正人さんの走る姿は、久々にテレビ中継で観戦!
時々にしか見られないからこそ、今日は見損ねず・・・・・とても良かった。
ほかの事をしようと思いつつ、その前に、よくぞ「テレビ欄」に目を通したものだ。
「ラッキー!」

実質的な彼のマラソンデビュー戦を、好意的な気持ちで見守れて良かったと、心から思う。
まだまだこれからだと感じたし、30キロを過ぎてからの走りに、今後は期待したい。
身体の小さな今井さんだからこそ応援したいし、それを活かす走りもあるはずだろうし、
彼自身が(私をはじめとした多くのファンや)監督の期待にも応えてあげて欲しい。
身体をつくり、スタミナをつけて、是非とも「世界と戦える日本人ランナーに!」。

陸上でも短距離と違って、長距離のマラソンは高年齢の人でも 結果がだせることが多い。
彼の競技人生は、はじまったばかりだ。


CLASSICAL MUSIC

2010年12月02日 | 出来事 -

私は、昔から、全日空(ANA)を よく使う。
機内に乗り込むと、すぐに音楽を聴くことにしている。
  11ch:クラシカルウェーブだ。


先月と違って、今月(12月)の選曲は素晴らしかった。
「今年を彩ったクラシック」ということで、生誕200年のショパンとシューマン。
そして、生誕150年のマーラー「交響曲第3番ニ短調」。


次には、「バンクーバーオリンピック冬季オリンピック」というタイトルで、
フィギアスケートの二人のメダリスト(高橋大輔さん銅メダル&浅田真央さん銀メダル)の
華麗な演技を盛り上げた曲を紹介していた。
高橋さん:「ニーノ・ロータ:道~ラ・ストラーダ」。
浅田さん:「トキャトリアン:仮面舞踏会」。
やはり、原曲を聴くと、迫力がある。
(子供の頃からの)フィギアファンとしては、嬉しい時間だった。


その後は、FIFAワールドカップから、ベルディの「凱旋行進曲」。
カラヤンが指揮したアルバムで、まさに勝利の曲だ。
サッカー好きには、たまらない印象的な音楽だろう。


最後は、年末の定番であるベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調作品125『合唱』」。
日本では、わが田舎(徳島:ドイツ捕虜収容所)で初演された「第九(だいく)」。
歓喜の歌である。
世界での初演では、ベートーヴェン自身が、自ら指揮台にあがったが・・・・
すでに聴力を失っていた彼は、演奏後の聴衆の大喝采が聴こえなかったという逸話がある。
この曲を聴くと、私は・・・・・いつも活力をもらう。
単純な話だが、とても幸せな気分になるから、好きなのだ。



12月に入ると、押し迫ってくる年の瀬を、強く感じる。
あわただしく、にぎやかで、華やかでもあり、活気にあふれてもいる。
これから怒涛のような「勝負月:12月」が、はじまってしまうのか・・・・と思うと、
身が引き締まる想いである。