冬眠宣言

2005年12月21日 | 出来事 -

「 -しばらく冬眠します - 」


切り株の根元に、うずくまって・・・
しばらく目を閉じて・・・
私を取り巻く“日々の雑多さ”を、全て神棚にあげさせていただいて・・・
それでも、この「心」だけは凝らして・・・


今日から、冬眠します。

目覚めなければならない時期まで、
この慌ただしい「俗世」から離れて、休眠します。

PCもあえて持参せず、追いかけてくる仕事もない状態にして、それでも・・・
ただただ「頭の中だけが、飛び回っている」ような“自由な時間にしたい”と思います。



土をいじって・・・
玉ねぎの苗を植えて・・・
ほうれんそうの種をまき・・・
雑草をとりながら、庭に水撒きをする日々。。。

温泉に行って、のんびりイオウの匂いをかいで・・・
里山に出向いて、ただただウォーキングをする日々。。。

人と会って、
何気ない話をして、
食べたいものを食べて、
ぼぉ~っとした時間を過ごす。。。

「愛ちゃん(母)」の眠る墓地まで、歩いて五分弱―。
朝夕の運動を兼ねて、毎日出向いて、“独り言”と“世間話”に興じる日々。。。

“今日やること”は、“今日決める”ような生活。。。

そんな冬眠をしたいです。


        もちろん、介護人としての役割は、継続したままですが・・・(笑)。
        田舎の水は冷たそうで、ちょっと心配です。なんてたって、
        四国は雪が降ったそうで、とても寒そうなイメージですョ(笑)。


   
                皆様、メリークリスマス。
                そして、良い年をおむかえください。
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♂+♀=?

2005年12月20日 | ナンセンス -


私をこの世に生み出した遺伝子の結合――その証明写真である。

この二人がいなければ、私はこの世に生まれてこなかった・・・。
この事実は、ゆるぎなく・・・非常に重いことである。
だから、「私」がいる。

「ルーツ」 and 「原点」――だから、こうして縛られもする。


しっかし・・・しみじみ・・・・・「“歴史”を感じる写真だなぁ」と思う。

針の莚

2005年12月19日 | 介護日記 -
今日は、父の「田舎に帰りたい病」が、サクレツ~!
朝から、とってもとっても困り果てた・・・。
まさに「針の莚(むしろ)」である。

先の土曜日(17日)に、担当のヘルパーさんが家事援助訪問を忘れてしまって、
ドタキャンになってしまっていた。(夜は来てくれたが・・・)
それによって父は昼食が食べられず、それも少しばかり影響しているようだ。
私のことを、あれから「うそつきだなぁ~(蔑)」と繰り返している。
「うそつき」というのは、「来てくれる⇒来てくれなかった」という事実(裏切り)から
それを伝達した私が“嘘をついた”ことになっている。
父の中では、“私の嘘”が、何よりも酷い行為として浮き彫りになっているのだ。

また、認知症の父は、(帰省日は何度も伝えてあるものの)それを忘れてしまう。
それもまた、私が「うそつき」になる“大きな原因”になる。
実際、帰省日を勘違いしているので、私が事実を伝えることになるのだが・・・
父は、ダマシのテクニックで、再び“嘘をつかれている”と解釈してしまうようだ。

たとえ納得しても、翌日には再び「今日帰る」という気持ちに変化している。
「今日、帰れるんだ」という意識のまま、「帰れない」という事実に強く反発してしまう。
「何故帰れないのか・・・」などは、娘の勝手な都合であり、父にとっては論外である。
それはそれで当然のことであり、私が責められても“仕方がない”ことではある。

父は、私のことを「うそつき」「たぬき」と罵倒して、とにかく「言うことが変わる」と
強く抗議をしてくる。
今日は、昼ごはんも食べず・・・
「たぬきのメシを食べたら、化かされる!」と、怒鳴り散らした。
我が父ながら、“うまく言うなぁ”と深く感心してしまったが・・・
その一方で、私は常に・・・父の表情を見て、様子をうかがう。
 
            「たぬき・・・・・・かぁ」


父の“勝手な思い込み”は、どんどん拍車がかかっている。
穏やかだったり、興奮状態だったり・・・
私自身もギャンブルに手を染めているような感覚になってきた。
何よりも困るのは、どなりちらすので、“近所迷惑にならないか”と心配になってくる。

父は、時間の流れも理解しなくなって、昨日のことの半分以上は記憶していないようだ。
毎日「これから帰る」という気分を繰り返すので、私は連日のように苦境に立たされる。
「ツライ」と、しみじみ思う。
過激に攻撃されるからだ。執拗に言われるからだ。
そりゃ帰れるのなら、すぐにでも連れて帰ってあげたいけれど、私だって
少しは仕事もしなくちゃいけないし、約束したことがあれば守らなければならないし、
やはり“いろいろなこと”を抱えてしまっているものである。
そんな時、本当に「こんな境遇をのろいたくなるし、逃げ出したくなる・・・」。

「ふぅ」

           ため息がこぼれる。

でも・・・
最近は・・・・・ここで“ひとふんばりする”のが、「私流」になってきた。
                            (“やっとこさ”だけど)

ひとふんばりする理由は、非常に簡単である。
「自分の精神が破綻するから」・・・まさに「破綻するのを避けるため」なのだ。
これまでもそうだったし、きっとこれからだってそうだろう・・・。
私が潜在的に抱えている感情は、複雑でドロドロで、とぐろを巻いたような醜さである。

「なんで私は、こんな目にあわなければならないんだろう?」
「すごく辛くて、哀しい」
「私が何をしたというのだ?」
「これは、何かの罰なの?」
「いつまでこんな生活が続くのだろう」
「これでも、一生懸命やっているんだけれどなぁ」
「頑張っているつもりだけど、なんで報われないの?」
「どうして分かってくれないの?」
「何がいけなかったのだろう?」

過去の事実にとらわれ、自己を責めて、根拠のない不安と闘ってしまうのだ。
自分の思うようにならない現実に、縛られきって・・・げんなりとして落胆してしまう。
そうして、希望を失い、ぐったりと疲れてしまうのだ。
「現状を打開するためには、何が必要なのだろう?」などという前向きな想いが
浮かんでくる余地は、全くない・・・。
余裕がないんだ。

悩むのは良いとしても、苦難に向き合うのも良いとしても・・・
過ぎ去った過去にとらわれて、後悔や自己否定(批判)に走るのは、本意ではない。

様々なケースに該当することだが、「必然でもないのに、必然として受け容れる」のと、
「必然なのに、反抗してしまう」のは、それぞれに“ある問題”をはらんでいる。
人間は、容易に迷ってしまうものだ。
必然でないものを受け容れて、可能なことまでも否定してしまったり、
必然を否定して、不可能を望んだりしてしまう。
現実を見極めて、このあたりの微妙な流れを見分けることこそ、大切なのだと思う。
そのキーポイントになるのが、その人の「理性」なのかもしれない。

私の場合は、とにかく・・・まだ迷っている。
いろいろなことが、見えていない。
だからこそ、もう少し「現実の辛さ」から距離を置いてみる必要性を感じたのだ。
客観的に、「現状」と「我が身」を捉えてみたい。
だから、ほんの短時間だけだけど、時間の流れを(意図的に)止めてみるようになった。
そうすると、現状の感情に「ふりまわされる感」が、多少は薄くなっていくようだ。

でも、正直言うと、泣き疲れただけかもしれない・・・とも思うけれど・・・
たとえそうだったとしても、おそらく違った側面が見えてくるような予感がしている。


「来年の私自身に、期待しよう!」 ・・・・希望だけは失くしたくない。
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意見を進化させる道

2005年12月18日 | 言葉 -
【ソクラテスの思考の方法】

①自信たっぷりに常識だと述べられた意見を据える。

②そのことを主張する人の自信は脇において、しばらくその意見は誤りだと想像してみる。
 その意見が正しくない状況とか、前後関係がないかどうかを探してみる。

③例外が見つかったら、その定義は誤りか、少なくとも不正解にちがいない。

④最初の意見は、例外を考慮に入れる含みを持たなければならぬ。

⑤改善された意見にも、さらに例外が見つかった場合、同じ手順を繰り返すべきだ。

⑥思索の成果は、どんな当てこすりを言おうとも、直感の成果よりもすぐれている。

Moominvalley

2005年12月17日 | 出来事 -

ムーミンのスケジュール帳(2006年版)を買った。
全ページカラーで、様々なムーミンファミリーが描かれている。
ムーミン、ノンノン、ミイ、スナフキン、スニフ、ニョロニョロまで・・・。
(原作では、ムーミントロール、フローレン、リトルミイ・・・という名前である)

   昨年“買おう”としたけれど、一度あきらめて帰った後に、
   やっぱり“買おう”と決心して出向いたら、全部売り切れだったので、
   ちょっと後悔したヤツ・・・。


私はこれまで、革張りのシステム手帳や、薄めの携帯用とかを利用してきた。
年齢のことを考えても、「この私が、まさかムーミンの手帳をもつなんて!」
「人に見られたらどうするの?」と、自制する気持ちが働いていた。
しかし、やがて・・・「そんな体裁など、どうでもいいじゃないか」という想いになって、
“今年は買ってしまった”というわけである。

やっぱり、かわいいムーミンファミリーをいつも眺められるなんて、とてもシアワセだ。
昨年「売切れです」と言われた瞬間から、今年は「是非とも買おう」と思っていた。

「ついに、ゲットデス!」

愛くるしい表情のムーミンファミリーが、日々のスケジュールの中で飛び跳ねている!
メモするのが、とても楽しみになってきた・・・。


こういう何でもないようなことだけれど・・・
「自分の大好きなもの」や、「見ると自分の心がウキウキと踊るもの」を、
できるだけ多く、身近なところに置いておきたい。
おそらく、それらの“心地の良いもの”を目にしたり、手に触れたりすることは、
自分自身の“心のバランス”を保つことにもなるだろう。
こういう“なんでもないようなこと”を、少しずつ大切にして、来年は暮らしたい。


  ※ちなみに、ムーミンをカバだと思っている人の多いこと、多いこと。
   「ムーミンは、妖精のような“生きもの”です」ので、誤解のないように!
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ケセラセラ

2005年12月16日 | 介護日記 -
今日は、病院のハシゴをした。
一日中、~リハビリ、診療、治療~と、“医者三昧”の一日だった。

父と一緒にいて、最近はヒヤッとすることが多い。
それに、見知らぬ人々に迷惑をかけてしまうことが多くなった。
皆さん、大きな声で叫んでくれたり、手を差し出してくれたり・・・
私の目が届かないところで、随分と力を貸していただいた。

今日は、何度も“そういうこと”があった。
たとえば・・・・・
勝手に道を横切って車にひかれそうになったり、 (青年が押さえてくれて間一髪)  
道端で、一人で転んで立ち上がれなくなったり、(高齢者二人に起こしてもらった)
待合室で寝転びそうになってスペースを占領したり、(他人の怪訝な視線と注意で)
上履きに履き替えず、下履きのまま診察室に行きそうになったり、(ここぞと注意)
ここで書けないような言葉を大きな声で話したり、(一瞥だけで完全無視、無反応)
・・・・・いやいや、数えきれない(笑)ぞぉ~。
<これらは全て、“今日の出来事”なり>


現状を主治医(内科医)に確認したところ、
父の症状は「認知症が短期の内に進行したと思われる」ということらしい。
次に、これからの対処方法についてお尋ねしたが、
「将来的には、施設に預けるしかないですねぇ。
 介護する人が、大変ですしね。共倒れになってしまいますから」
と、間髪いれずに答えていただいた。
その言葉に反応して、言いたいことがイッパイイッパイ頭に浮かんだんだけれど、
今日は(とりあえず)飲み込んだ・・・。
とまらなくなりそうだったから・・・。
来年でも、頭を整理して、ゆっくりと(具体的に)ご相談してみよう。


今日は、ホント、ぐったりと疲れて、・・・やっとこさ帰宅した。


だから、今夜の夕食は、大好きな「トマトソース系・野菜スパゲッティ」にした。
                (父は、“赤いソーメン”と言っている)
メシを食べたら、ちょっとばかり元気になった。

いつも大好物を食べると、元気が回復する。
            「単純でいいなぁ~~私の“そういうところ”(笑)」。

介護人生活

2005年12月15日 | 雑感 -
頑張ると、逃げたくなる。

逃げてもよい。
でも、いつも逃げているだけではいけないだろう。
未来の自分が魅力的じゃないのは、とっても淋しいから・・・。
今の自分が屈折してしまうのは、本当に悲しいから・・・。


向き合う勇気を持つこと――。
「六割ぐらいは“向き合う”ようにしよう」・・・そう心に決めて、
実際には「八割ぐらいの割合で向き合っている」というのが理想的である。

すべてを完璧にやることは難しいし・・・
私はとにかく頑張る人だから(無理してしまう人だから)、
極力ゆるめに考えるぐらいが、ちょうどよいかもしれない。

                  ・・・・・・なんてね。
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寝たれ込み

2005年12月14日 | 出来事 -
最近、疲れているのだろうか・・・。
気がついたら、“やぐらごたつ”の中で朝を迎えることばかりだ。
12月になってから頻繁になってしまった。

昨夜もそうだった。
ベッドに入ろうとして、電気毛布のスイッチをつけた。
温まるまでの少しの時間、ちょっと横になろうとして“やぐらごたつ”へ――。
そうしたら、もう朝だった。

少し前のパターンとしては・・・
“夕食後”あるいは“就寝前のひと時(自分の時間が訪れたとき)”、
コタツの中に足を突っ込んで、身体を横たえ、テレビをつけた途端に “寝てしまう”。
そして、夜中の四時ごろ、「ブーブーガーバー」という音で目が覚める。
やぐらごたつは“ぽっかぽっか”で、テレビと電気が“付けっぱなし”である。
「あぁ、またやっちゃった!」と思うが、後戻りはできず・・・身体の軋みと闘う。

これらは、自分の意識をコントロールする以前のことで、
気がついたら、“ぐっすり寝ている”。

   「なんだかなぁ・・・」
   「まいちゃうなぁ・・・」

朝になると、背中の痛さ、腰の痛さを、直接的に感じ、
「また、やっちゃった!」と痛感・・・。

今朝は、のどの奥もイガイガしている状態で、昨日の夜風が身にしみたか・・・。
  (昨日は、特に寒さが厳しかったと思う)

「田舎に帰りたい病」に侵されている父を、できるだけ早く連れて帰ってあげたいのに、
私が体調をここで壊してはすべてが駄目になってしまう。
時期を逸すると、航空券が争奪戦となり、大変な状況になってしまうだろう。
とにかく、できるだけ長く、田舎で過ごす時間をつくってあげたい。

そのために、(時間を短縮して、全てを終えるために)
“詰め込みの日々”が続いている。
年末の慌ただしさというのは、まさにこういうこと――。
しかし、こういうときこそ「健康」の二文字を、常に頭に掲げよう。
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一人の時間

2005年12月13日 | 出来事 -
食べ放題イタリアンブッフェランチに行った。
それも一人で・・・

「淋しい人ねぇ」と嘆かれそうだが・・・
意外と解放的だったりする。

だだっ広いレストラン店内で、
時間を気にしないで、
食べたい料理を、
食べたい量だけ、
自分のペースで、
食べる。

食べ放題やブッフェの場合は、
一人でふらふらと歩き回っても、
誰も不思議に思わない。

「う~ん」

一人だからこそ、味わえる感覚だ。

誰かと一緒だったら、
「これ美味しいね」
「最近、どうよ?」
なんて会話(話題)が目白押しで・・・
自分自身の感覚と、どっぷり向き合うことなんてできないものだ。


     父のことを暫し忘れる。

     食事に集中する。
     目の前の料理を味わう。
     美味しいと感じたら、嬉しい感覚を楽しむ。

     まったりとした“時間の流れ”。

     介護人の立場を忘れる。
     日々の生活を忘れる。
     心の葛藤や切なさを、暫し忘れきる。

  「暫し」でいいから、忘れるんだ。
  浮かんでは消える心の想いを、「暫し」忘れきるんだ。


こういう充足感は、一人だから、味わえるものなんだなぁ。
そして、こういうのは、意外と快適だったりもするんだなぁ。

ぴんく日

2005年12月11日 | ナンセンス -

今・・・ぴんくの「ぱじゃま」を、着ている。
今・・・ショッキングぴんくの「くつした」を、はいている。
何かをするたびに、足元の“ぴんく”がひらひらと目に付いて“心地が良い”。
心地が良いけれど、ちょいとばかり気恥ずかしくて複雑だったりもするのだが、
とにかく“ぴんく”は鮮やかな色合いだし、何より“優しい感じ”がする。


今日は、“お休みをする日”と、決めた。
ときには、心を解放して、身体も休めて、だらだらと過ごしてみるのもいいだろう。
“何もしない”“何も考えない”・・・そういう一日もいいんじゃないか―。

終日、「ぱじゃま」を来て、過ごしてみようと思った・・・。

「トライ、トライ!」


昨日、数人とやった“名刺交換の場面”で・・・
ある人の名刺の前面に、ピンク色のぶたちゃんが印刷されているのを発見!
その人は、とっても太った人だったので・・・それについては誰も触れようとしない。
私だけが、反応した。
             「キャー、“ぶた”だぁ~~」
大きな声だった。
             「わたし、ブタ大好きなんです~」
「そうなんですかぁ」
その人と、とってもいい友達になれそうだと思った。
(うぅ、私だけ?)

水道料金

2005年12月09日 | 介護日記 -
水道料金は、隔月で徴収される。

メーターを確認する職員さんに、今月は訊かれた。
 「ご家族は増えましたか?」
 「いぃえ」
 「そうですかぁ」
怪訝な反応だった・・・。

これまで3409円だった水道料金が、今月のメーターでは・・・
ざっと三倍の料金になってしまったそうである。

そりゃ、そうだよね・・・。へんだと思うはずである。
金額は、一万三千数百~円とか・・・なんとか、おっしゃっており・・・
私はその金額に卒倒しそうになってしまった。

 「いちまぁん、さんじぇん~??えぇ~~っ!」

父が、連日のように排泄を失敗するようになったのは、この夏以降からのことである。
それは「えっ、またなの?」ということもあり、私の洗濯回数はどんどん増えていった。
私の“日々の生活”に洗濯は必須であり、洗濯機をまわさない日はない・・・と言える。
昼も夜も・・・
音を殺して、深夜にだって・・・・

そうか、こういう現実が待っているんだ・・・ね。

納得と驚愕の事実だった。

危険信号

2005年12月08日 | 介護日記 -
体調の激変もすごいけれど、それに則した精神的な激変も“ものすごい”。
最近の父は、ちょっとしたことで、頭が“ぶっ飛んでいく”ようだ。
そして、しばらくすると、再び元の状態にもどったりする。
まさに、タイムカプセルにのっているような印象だ。

昨日は、「田舎に帰りたい病」を通り越して、
まさに“田舎の実家でいる”かのような“行動”をした。
実家の隣人であり、同級生でもある「マサユキさん」に会うために、
玄関を出て行こうとしたのである。
自分がどこにいるのか・・・分からなかったようだ。
「ここは、徳島じゃないよ」
説明するわたしの声に、玄関のドアを開けて、しばらく辺りを見渡していた。
その顔は、無表情だった・・・。

   ヒヤッとした。
   わからないんだ・・・。

   これから先は、徐々に、こういうことばっかりになるんだろうか・・・。


その他にも、昨日はたくさんのことがあった。
たとえば、自分で入れ歯を持って出たのに、何処に置いたのか・・・すっかり
「忘却の彼方」で・・・私は何度もいろいろな場所を探しまわった。
しかし、しばらくしたら、探していたことさえも、すっかり忘れちゃって・・・。
こういうことが連続的にあったのだ。


今日は、今日で・・・
ヘルパーさんから「緊急招集発令」が下り、急遽自宅に取って返すことになった。
「帰ってきてくださいと言っておられます。帰れますか?」
「えっ、これからですか?」
「今、どのような様子なんですか?」
私の頭の中では、赤いランプがまわり、サイレンも鳴り響いている感じだった。
“いつもと違って、ちょっとばかり様子がおかしい”という印象で、父自身も
「体調が悪いので、娘に連絡してくれ」と言ったとか・・・。

帰宅して、よくよく話を聴いてみると・・・
毎週来てくれているヘルパーさんの顔を忘れて、存在も忘れて、
「知らない人が突然台所を使い始めた」という解釈で、警戒心を深めたらしい。
 (先週は、前回着ていた服の色まできちんと覚えていたのに・・・)
この記憶の落差は、一体どこからくるのだろう。

今日の父は(基本的に)、かなり心のバランスを壊していた。
安定剤を飲んでもらって、少し調子は上向いたが、まだ完全な状態ではない。

  果たして、「認知症」からくる現象なのか。
  それとも、肝機能障害からくる脳障害の症状なのだろうか。

娘の言葉にも、目線はぼぉ~っとして、なんとなく浮ついていた。
私自身の存在は理解できているようで、なんとも微妙な「まだらぼけ状態」である。



昨日~今日と、“これまでなかったようなこと”を、いくつか経験した。
幻影を見ているかのような父の姿は、なんとなく数ヶ月先の父を予感させて・・・
私は(徐々に)身体が緊張していく感じだった。

覚悟はできているが、いざとなると“本当に怖いものだ”。
身がひきしまる想いだ。
“ふんどし”はいつも締めていないけれど、なんとなくキュッと締め直す感覚―。
そして、腹から吐き出した息は、すこしだけふるえている・・・。

いろいろなことを、真面目に勉強しなければならない時期が来たのかもしれない。
目をそらさないで、可能な限り向き合いながら “やっていきたい”。

宮沢賢治

2005年12月07日 | 言葉 -
 
  けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう!

「 なにがしあわせかわからないです。ほんとうに
  どんなつらいことでもそれがただしいみちを
  進む中でのできごとなら
  峠の上りも下りも
  みんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。 」


( どうして僕はこんなにかなしいのだろう。
  僕はもっとこころもちをきれいに大きく
  もたなければいけない。
  あすこの岸のずうっと向うにまるで
  けむりのような小さな青い火が見える。
  あれはほんとうにしずかでつめたい。
  僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。 )


                    <「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)より>
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通所介護

2005年12月06日 | 介護日記 -
今日は、デイサービス日―。

父にとっての「デイサービス」は、体調に不安を抱えて毎回出かけては、
やはりいつも“ぐったりと”疲れ果てて帰ってくる・・・というものだった。
そんな不甲斐ない結果の連続で・・・・・ちょっとばかり私自身は頭を抱えていた。

新しいデイサービス施設に通い始めてから、しばらくたつが・・・
今日・・・やっと双方の認識確認ができたような感じだった。

父の体力は、低下している。
施設が提供する運動をしていると、身体が耐え切れず・・・悲鳴をあげてしまう。
デイサービス後の数日間は、必ず“ベッドから起きられなくなってしまう”のだ。
しかし、このような報告にも、「うちは特別な運動はしておりませんしねぇ」という
返事が戻ってくるばかりだった。
施設の体操が問題ではなく“何か他に原因があるんじゃないですか”という言い方で、
私としても自信がなくなりかけていたのである。
「それは“簡単な体操”であって、疲れ果てるようなものではないですよ」。
手足を動かすだけの“簡単なものだから、負担にならない”と繰り返されていた。

先週のことだった。
午前中「元気バリバリの父」が、午後はぐったりして身体が動かず、車椅子状態になり、
やっと施設の方も“理解してくれた”ようだ。
体調の激変を、目の当たりに見て、私の言動も真実味を帯びたようだった。

とにかく、「あきらめず、伝え続けること」が、何より大切である。
担当スタッフメンバーも、ぐるりニ回転三回転を終えると、なんとなく
施設利用者のことも分かってくる。
言動、体調、性格、顔色など、経験した情報量が増えていって、理解が深まり・・・
やっと建設的な会話ができるようになってきた。

今日は、はじめて充分休ませていただき、元気な状態で帰宅することができた。

本当に、良かった。

迎えに行った“帰りの車中”で、父は興奮気味。
「今日は、イエスさんの話を聞いた」
「イエスさんは共産党じゃけんな」
「えらい人じゃなぁ」
「イエスさんは、身体の大きな人じゃわ」
会話は、よくわからんが・・・満足したことだけは分かった。
  
          ※今日はクリスマスの話題がのぼって、
            クリスマスミニコンサートがあったそうだ。
            体格の大きな人が、歌ってくれたそうな。

とにかく、良かった。

元気に帰ることができたのが、何よりだった。
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幸守

2005年12月06日 | 出来事 -
昨日、「幸守」がお出ましになった!      

                    ※「幸福の御守」 11月25日の日記より

  「おぉ~~~」


発見してすぐの反応は、
「やった!みつかったぁ」――再び出会った“喜び”である。

  「今まで、どちらに?」

やっぱり私は、隠れてしまった幸守が恋しかったのだと、あらためて実感した。
根拠の無い期待感に包まれた御守だとは分かっていても、やはり求めてしまう気持ち―。
失くして初めて気がつく大切さ、“存在価値”のようなもの―。
へんなものだなぁ。人間の心理って・・・。
この1~2週間は、久しぶりにヘビーな気持ちを抱えていたので、本当に“有難い”。
それは、幸守がお隠れになった期間に経験した思いだったから、特にそう思う。

  しかし、その一方で、
  幸守がお隠れになっていても、
  ちゃんと立ち上がることができた自分自身に、
  心からお礼が言いたい気持ちもあるけれど・・・ネ。


「幸守」を、よくよく見てみると、すごく汚れている。
真っ白な“ふさ”も、真っ白な“布袋”も、変色してヨレヨレである。

きっと疲れて、しばし休息していたのかもしれない・・・。
毎日、お財布にぶらさげて、酷使していたのは事実だし、乱暴な扱いをしていたのも
事実だから、とにかく“これからは充分穏やかに過ごせる場所”に居ていただこう!
・・・と、現在、模索中なり。