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温刺激

2006年03月15日 | 介護日記 -
「ぬくぬくタオル」が大好きな父。

毎朝、寝起きの父は、
身体が固くなってしまって、すぐには動かない。
頭の回転も、極めてゆっくり・・・というか停止気味である。
そういうときこそ、「ぬくぬくタオル」のお出ましである。
タオルにお湯を通して、ただ顔にかぶせるだけの・・・美容院・理容院で使う“アレ”だ。
しかし、あなどるなかれ!
しっかりと目が覚める。
何度となく繰り返すと、意識も戻ってくるのだ。

母の介護中も、(大学病院の外科病棟だったが・・・)
毎日お湯をバケツに入れて、タオルで顔から身体まで、何度も“ふいていた”。
バスタオルで身体をくるんで温めたりしたが、
母はとても喜んでくれた。

最近は、父の「ぬくぬくタオル」を用意するときに、一緒に“自分のものも用意する”。
寝不足で、だるぅ~い身体と頭が、生き返ってくるような錯覚を持つ。
やはり、「ぬくぬくタオル」は、驚異のパワーである。

サウナ大好きの私が、ここしばらくは・・・全くサウナのない生活である。
父と一緒に健康ランド or スーパー銭湯に出向いていた頃が懐かしい。
いとしのサウナ感覚をも、リフレインさせる「ぬくぬく感覚」である。

それに、
  泣き出した父を止める時―。
  いらいらした自分の気持ちを、ニュートラルに戻す時―。
  食後や排泄後の疲れで、ぐったりした父をリラックスさせる時―。
  父の重い身体が持ち上がらず、私が腰と腕に負担を感じた時―。
  乱れた息を戻す時―。
最近は、いろいろなときに使っている。
助かっている。
何でもないようなことだけれど、効果があるのだ。
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ディサービス初日

2006年03月10日 | 介護日記 -
今日、父は初めての施設に出向いた。
オープンしたてのピカピカの施設である。

朝から、精神的に落ち込み、涙に暮れた父は・・・
お迎えの施設員に手を引かれ、泣きながら玄関を出て行った。
その姿を見て・・・
まるで「ドナドナ」に歌われた「売られていく子牛」のようで・・・
すごく胸が痛かった。

「行きたくないの?」と訊くと、こっくりとうなずくので、
てっきり駄目かと思ったら・・・自発的に靴を履こうとしたりして・・・
父の反応と言動、そして行動には一貫性がない。
それでも、「お風呂に入ってきなさいよ」と声をかけると、泣きながらうなずく。

ずっと、ずっと、涙がぽたりと落ちていたので・・・
ものすごく辛かった。
無理やり「行かそうとしている」みたいで・・・。


父を見送った後、
私は、ひとしきり泣き崩れた。
その背景には、複雑な状況と心情が、入り組んでいたからである。
今日出向いた施設の二階には、小規模の(認知症)グループホームがあって、
施設の大家さんにあたるのが父の主治医だったので、そのような経緯から
父の主治医から「グループホーム入所」を勧められていたのである。
この数ヶ月の“寝られない状態”を、主治医は熟知しており、昨年末に
「共倒れにならないように、考えたほうがいいですよ」と言われ、
たまたま準備建設中の新施設の案内をしてくれた。
重度の内臓疾患と、足の関節痛、認知症、内臓疾患からの精神的問題など、
主治医に言われていたように、徐々に父の状態は悪くなってきていた。

医師との深夜連携もあり、“今後のことを考えると心配がない”とのことだった。
聞いた頃は、自分の中ではあまり現実的ではなかったのだが・・・
秋以降の連日連夜のケアによる寝不足で疲れがピークに達しており、
今年に入ってからは特に“私の中にも切実感が増してきていた”。
そして、先月末に内見をしたら非常に良かったので、徐々に気持ちが固まりつつある。
他の施設とは違って、個室をキープすれば、家族であれば(私も)宿泊できるし、
食事も予約すれば、一緒に二人で食べられるという、他にはないサービスが魅力的だった。
仕事に復帰して、自宅と施設を併用しながら、父を介護していく方法もある・・・。
スタッフは、片手間に仕事をしているような立場の人は全くおらず、だいたいが若く、
活気ある人たちばかりだ。何よりもフットワークが良くて、明るいので好感が持てる。
もちろん、まだ正式な申込・契約はしていないが、心はかなり傾いてきている。

そういう背景があり、どうしても泣きながら出かける父を直視できなかったのだ。
父には何も伝えておらず、本人の意志確認もこれからである。
  私は、逃げていないか?
  責任を逃れようとしていないか?
  自分のやりたいことを優先しようとしていないか?
「責める」というよりも、自分の気持ちを確認するために問いかけていた質問だったが、
自分で自分に問いかけるたびに苦しくて、“複雑な心情”に耐えられなくなっていた。
だから、考えないようにしていた・・・というのが、正直なところでもあった。
このことを考え始めると、いつも、どんなときにも、
「なんだか、わからない複雑な気持ち」が・・・幾つも“ごちゃごちゃ”になって、
もっと「わけがわからない感情」に満たされてしまうのである。

今週の木曜日も、朝から「う~」としか声に出さず、身体も動かさなかった父が、
ヘルパーさんが来て、顔を見た瞬間に「もう、いうこときかんでなぁ」と声に出した。
そして、短時間の内に、父は自ら起き上がり、食卓まで歩いてくれた。
肉親である私には、“甘え”のようなものがあるのだろうか。
私の声がけでは、自発性も乏しくなるのだということを、まざまざと目の前にした。
「刺激」を与えられるのは、身近な肉親だけでは厳しいときもあるのだ。

知り合いもおらず、ただ部屋で寝ているだけでは「うつ」にもなりやすい。
身体の具合が悪くなればなるほど、気持ちは下降していくわけで、一般的に考えても、
一人で思い悩むのは、あまり良い結果にならないはずである。
しかし、一人でいると“思いつめてしまう”ものだし、それを避けるのは難しい・・・。
いつも、独りぼっちの父には、「私」しかいないのだから。
たとえアプローチを変えたとしても、私の声かけは、いつも「私」でしかない・・・。

私と、父のために、
双方のために良いことだと・・・思う気持ちはある。
しかし、入所したとしても、父が快適に暮らせる確証はない。
家族的な関係ができあがるかどうか・・・それに関しても、よくわからない。
また、同時に、経済的な不安(毎月の支払い額)や、自分自身の想いがサクレツして、
「本当にわけがわからない」感覚である。

もちろん、入所したとしたって、慣れなくて(なじめなくて)
在宅に戻ってくることも充分考えられることである。
しかし、現時点では、まず「慣れてもらう」ということを念頭に置いて、
私が父に“より優しく向き合える方法”と、私の“身体状況”と、心の限界を加味して、
「入所もある」という選択肢を“大きくかかげはじめた”・・・という感じだろうか。


「何が良いのか」なんて、現時点ではわからないが、
私がくだした決断(選択)は、「いつも私にとってはベストの選択だから」・・・
それを信じて、これからも考えていこうと思っている。
一番の問題は、私にとっては“ベストな選択”が、
「父にとってはどうだろうか」ということだけである。

今日の「ディサービス初日」の感想さえも、ちゃんと伝えてもらえないぐらいなのだから、
「グループホームの入所に関して、どうしたいか」・・・なんて、大きな判断に際して
父の意志反応を得られるのだろうか――。

確実性がないからこそ、一つ一つを、実際「実行していく」しかないようだ。
行動すれば、必ず「その反応が得られるはずである」。
それがたとえ遠回りになったとしても、問題がクリアになることには違いない。

   ・・・・なんて、“もんもん”と慮る夜。
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ウニ思考

2006年03月07日 | 介護日記 -
昨夜は、ほとんど寝られず・・・
その疲れが残って、頭の中が「うに」状態である。
とろりん~として、黄色く変色して、ぼぉ~~~っとしている。
こめかみの辺りがずっと重くて、身体がだるい。
それでも、パソコンに向かえば“お仕事”ができてしまうので、困ったものだ。
深煎りの珈琲と、甘めのお菓子(チョコレート)があれば、“できてしまう”。
つい集中して、お代わり珈琲を求めて階下に降りたら、父がトイレに座っていた。
「あぁ~、一人で座れたんだ」
「さすが、昨日の足の注射がきいているな」
そう思った私は、安心して、そのまま階上へ・・・。

    ――「でも、安心しちゃいけないんだよ、どんなときにも!」――

しばらく集中して仕事に向かったあと、
音がしないので、階下に降りていったら、
父がトイレ前で倒れていた。
動けなくなってしまったようだ。
 (当然、トイレにも壮絶な後が・・・)

頭は打っていなかったが、私はその光景がショックで・・・
胸が締め付けられてしまった。
かなり長い間、倒れていたようなんだけれど、声を出さなかったんだよね。
だから、私も気がつかなかった。
昨夜は“ヘルプ声の嵐”で、私もほとんど寝ていなかったから・・・気を遣ったのか、
それとも自分自身に余力が残っていなかったのか・・・。

     ――「助けを呼べば、いいじゃないかぁ!」――

        せつないよね。

        助けを呼ぶ認知能力もなくなったのだろうか。


いつものように、どっぶりと落ち込み、何度も涙を流す父を、真顔で見ていられなかった。
私も、疲れているから、つい泣き虫になりそうになる。
勇気付けながら、私も落ち込んでいく感覚を味わって、つい「感情制御ボタン」を押した。


一昨日のことだ。
整形外科に出かける直前に、また衣服を汚してしまい、着替えを取りに走りながら、
膝小僧をイスの角にぶつけてしまった。
それは、飛びあがってしまうくらいのスゴイ痛みだった。
「ぎゃー」と声が出たけれど・・・
もだえ苦しむ私に気がつかず、ただ無表情で、私を待つ「父」を横目に・・・
私は「しゃんとしなきゃ!私がキチンとしないと誰が世話するんだよ~」と(  )。
なんだか、無常な父の姿が、とても切なくて仕方がなかった。

あんなに嫌いだった「父」のことが、今こうして特別な存在に見えてしまっていることが、
不思議でもあり、当然のことでもあり・・・。
人間の「ココロ」は、傍若無人だ。

「人を受容するということ」は、かなりの時間と、かなりの経緯が必要なのだと感じる。
そして、何よりも「かなりの自己受容が必要なんだ」と、しみじみと思う。

今、感じていることをキャッチしようとしても、“無理~”!
「うに」だから。
ぐちゃぐちゃだから。
とろとろで、黄色いから・・・。

「無理だぁ」…と白旗!

今日は、頭も感情も、すべて「お休み」。




何から何まで

2006年03月05日 | 介護日記 -
「あいすまんなぁ、何から何までお世話になって・・・」
最近、父は、この言葉を何度も繰り返すようになった。

本当に、その言葉通り、“何から何まで”介助しなければならなくなった。
衣服の着脱はもちろん、歩行も手をつないで助け、トイレに入るときも随分と時間を
かけて手伝わなければならなくなった。
今は“やりたいようにやらせてあげている”から、今日トイレマットは4回洗濯した(笑)。

さっきも、自分の尿意のために階下に降りてきたら、寝ていたはずの父が起き上がって
目線はトイレの方向に向いていた。
すでに立ち上がっていたので、私はそれから25分間は「我慢の子」になるしかなく、
まさに“健康を害するちょっと手前”である。

父の脳細胞は、人が人としてフツーにしている(指令を出している)ことが、
認知・判断できなくなりつつある。
足を交差したまま、立ち上がろうとしたり・・・
手をかけているのを忘れて、ボウダチになったり・・・
私が言っていることも瞬間的には理解できないようで・・・
・・・だから、何でもかんでも“時間がかかる”。

相変わらず深夜作業は二度三度、四度のこともあり、私はへろへろになりながら息してる。
父の「うつ状態」も変わらずで、よく泣き、よく落ち込む。

私は、父の耳元で大きな声で叫ぶ。
頭がキンキンするぐらいまで叫び通す。
なにかが・・・プチッときれそうな感じがするぐらいだ。
そして、同じ言葉を何度も何度も繰り返す。
飽きるぐらい繰り返さないと、「こくっ」とうなずいてくれない。

本当に、厳しい状態にさしかかってきた。

それでも、父にしてみれば、「世話をかけている」という事実は認識できるようで、
そのことが何よりも“ストレスをかけている”ようにも思われる。

「よし、寝たな」と思い、すぐお風呂に入ったら、
“とんでもないこと”になっていたりして・・・そういうことが日々続くために、
私の生活には「ゆったりとした時間」というものが皆無になってしまった。
“皆無になった”といえば、我が家からは「音」が消えた・・・。
完全に無音状態になってしまっている。
心地の良い音楽をかけたい気分だが、父の気配を感じるためには無音が一番!
動物的なカンが働いて、「おや?」と思ったら、やっぱり「おや!」だったりする。

緊張している自分自身は、そう嫌いではないけれど・・・
それが張りつめた状態で続くのは快適ではない。
しかし、それをコントロールすることなどできない“過酷な状況”のために、
やはり“私には自由がない”。
何から何まで、注意を払い、気を遣い、手をかけて介助しなければならないから―。

最近の楽しみ(マイブーム)は、父のおでこのテッペンのつむじを触ること。
数日前に髪を切ってから、まるで「キューピーさん」みたいなヘアスタイルになっている。
なんとも笑いを誘う“愛くるしさ”である。

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男性ヘルパーさん

2006年03月02日 | 介護日記 -
初体験!
男性の「ヘルパーさん」です。

身体は大きくはないけれど、気配りのきく方でした。
定年退職してからなのか、それより少し前なのか・・・
年齢は(若くみても)50代半ばだと思いました。

昨夜も、とても大変で・・・全く手伝ってくれない脱力した身体を、
「うんこら!」と押し上げ、着替えをさせました。
ベッドに寝たままで、シーツを交換したのも初めてでしたが、なんとか成功!
やはり母を介護した経験が、まるで(ヘルパー資格を持っているかのような)知識を、
自然と与えてくれていたようで・・・とてもありがたかったです。
しかし、この“心もとない体力”だけは「どうしようもない」。

今朝は、全く動かない、目も醒めない、何を言っても理解できない・・・という状態。
1時間半をかけて、お湯に通したタオルで顔と身体をあたためました。
やっと現世に戻ってきてくれた頃に、男性ヘルパーさん登場!

一人ではどうしようもできなかった身体が、ひょいと持ち上がります。
「ラクチンだぁ」
「昨夜と比べて、全然ラクだぁ~~」
すごくシアワセな気分に浸りました。

いつも、いつも、感じていることで、どうしようもないこと――。
「一人で介護する大変さ」
このことが、ものすごく現実的に迫ってきました。

  男性独自の視点・・・その人だけの視点かもしれないけれど・・・
  そういうものに触れるのも、ちょっと「可笑しい」もので、
   (台所の流しの蓋に興味シンシンで、すごく反応していました)
  男性ヘルパーさんも“なかなかいいなぁ”と思いました。
  家計のためだけなのか、心在らずでヘルパーケアをしている熟女性も多い中で、
  現実的ではない男性独特の“あたたかさ”が、とてもよかったです。
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転倒

2006年02月19日 | 介護日記 -
最近、父はよく転ぶ。
身体のあちこちに、「アオタン(アザ)」をつくっている。

今朝も、ドスンとベッドから転げ落ちた。
寝たきりになったお正月からずっと足の具合が最悪である。
天候も不安定で、まだまだ寒い日々で、それも影響していると思う。

今日の昼食のときには、今朝以上に大変だった。
トイレに入ろうとして、ゆっくりと歩いていた父が・・・突然、
じ~っと立ち止まってしまった。
包丁を持ち、コンロに意識があった私は、同時にトイレの方に目を向けた。
しばらくチェックしながら、様子をうかがっていたが・・・
パンツをずりさげ、「イザ!一歩」という体勢になったので、ひと安心したら・・・
そこから、スッテンコロリン!ドスン!

悪いことに、後ろに(豪快に)倒れ落ちて、家具の角に頭をぶつけてしまった。
「あぁ~~」と声が出たが、おかげさまで・・・
去年の夏のように、何針も縫うような流血事件にはならず、
「いたいの、いたいの、飛んでいけ~」で済ませられたものの・・・
本当に冷や汗が出てしまった。

「ふぅ~」と、ためいき・・・。

不穏な雰囲気を感じたら、やはり「すぐに飛んでいくべきだった」と反省しきり。
最近の父は(比較的)成功していたので、ほんの少し安易な考えに支配されてしまった。

ガスのコンロなんて、止めればすむことなんだから―。
介助すればよかった。
すぐに走っていって、手を差し出せばよかったのだ。

ところが、最近の私の脳細胞は、本当に“回転が悪い”。
瞬時の判断力は、かなり低下している。
文字通り24時間体勢の介護生活が、体内時計を鈍らせているらしく、
何をやるときも「ドン(鈍い)な感じ」は否めない。
意識は緊張しているはずなのに、緊張していないような行動様式になってしまう。
集中力も途切れ、体力もたよりない感じだ。
私の頭や身体、そして心が、
「少し休ませてちょーだい」と懇願しているみたいだ。
“こんなことではいけない”と戒めつつも、元気が戻ってこない。
今日はお昼寝を1,2時間したが、「まだまだ~~もっとぉ~」と叫んでいるみたいだ。


※ 転んだ父は、トイレ(今日は“大きいやつ”)が間に合わなくなってしまって、
  結局、私の仕事は“また増えちゃった”りして・・・。
  正確に言うと、足が悪いので立ち上がれなくて、
  立ち上がろうと力を入れたら、出ちゃっただけなんだろうけれど、
  私も巨体の父を一人では持ち上げられないために、
  どうしても“間に合わなくしまってしまう”のだ。
  こうして、日々排泄物と格闘する日々!
  掃除と洗濯ばかりで、毎日がくれていくような気さえする(笑)。

遅滞

2006年02月16日 | 介護日記 -
雨。

今日は、雨で・・・
朝からずっと“そぼ降る雨”。

「今日は、暗くなる前に、帰ってくるからね」
父の耳元に口を近づけて、大きな声で言った。
そして、ヘルパーさんに見送られながら、私は出かけた。
“父は理解してくれているだろうか”
         ・・・そう疑問に感じながら。


午前中の予定を処理し終わった昼頃、突然携帯が鳴って、
クライアントからのアポ要求があった。
急遽予定を変更して、私は待ち合わせ場所に向かった。
そして、結局そのアポは随分のびてしまい、どっぷりと暗闇になってしまった。
時計が気になり、落ち着かない私―。
「父は、大丈夫かなぁ」
「とにかく、飛んで帰ろう」
すぐさま、最寄の駅に直行した。

電車に飛び乗った途端・・・車内にアナウンス!
「ただ今、人身事故が発生し、電車の運転を見合わせています」
「お客様にはお急ぎのところ、誠に申し訳ございませんが・・・」
な、なんと!
死傷事故のようで、“レスキュー隊が救助活動をしている”とのこと―。

そぼ降る雨の中、同じようなアナウンスが何度も何度も流れるが、
一向に電車は動こうとしない。
人々は駅員さんに問い合わせている。
みんな、携帯を片手に、電話したり、メールを打ったり・・・
ぎゅーぎゅー詰めの車内から避難して、寒いホームで佇んでいる人の多いこと!
やっと動いたと思っても、一駅移動して15分固まり、また一駅動いて15分固まり、
一時間半以上もこういう状態が続いたのである。


「自殺なんだろうなぁ。はぁ~」
私の口もとからは、ため息がもれて、胸が息苦しくなった。

この国の自殺者は、年間三万人を超えているが・・・その数は、
毎年どんどん増えているらしい。
「高度な競争化社会」が生んだ精神的ストレス&心理的圧力・・・そして・・・
これが、最終的に「負け組(と呼ばれる人々)」が直面する現実なのだろうか。
常に“勝ち続けることを強いられた社会”で生き抜くことは、本当に過酷なことだ。
私は、それを想像しただけで、「ぐげっ」とえずきそうになってしまうが、
アナウンスを聞いている人々の表情は変わりなく、私にはそれがミョウに据わりが悪い。
  (勿論知らない人に感情を吐露するなんて、おかしなことだし・・・)
  (感じていても、感じていないそぶりなのは、ごく常識的なことかもしれないが・・・)
私の目には、車中の人々の表情が・・・能面に見えたのだ。
最初のアナウンスを聞いても、何も変わらない反応に、吃驚してしまった。
 「この雰囲気は、どういうこと?」
 「反応が全く無いのは、慣れてしまっているの?それとも、感じないの?」
だから(正直に言うと)・・・身が凍るような・・・とても居心地の悪い時間だった。



20時すぎ、やっとのことで、辿り着いた我が家―。
門灯が灯っていて、家はいたる場所から灯りが漏れていた。
「電気は、つけられたんだ。よかった!」
真っ暗の部屋で“ベッドで寝ている父の姿”が目に浮かんで、とても心配で心配で、
落ち着かなかった私には、すごく嬉しい“灯り”だった。

「ただいま~」と大きな声で玄関を開けた“私の顔”を見るなり、父は泣き出した。
「おまはん、どうしたん?」
「お前が一番世話してくれるのに(涙)」
「いないから、どうしたんかと思うて・・・(涙)」

      「ゴメン、ゴメン」
      「ホント、遅くなったなぁ」
      「心配したの?ゴメンね」

「今日は、はよ~帰るって言うたから・・・」
  今朝の言葉、覚えていたんだね。
  わかっていたんだぁ。
  それだけで、私は嬉しかった。
  
  理解していたんだな。
  それだけで、感激しちゃったぞ!

  理解したから、心配したんだね。
  理解してなかったら、こんなに心配しなかった・・・かもしれないんだよね。

    ふくざつ~~~。



部屋の中を見渡してみると、一度外に出たような形跡が残っており、
どろどろの土汚れが・・・。あそこも、ここも・・・。
トイレは、いつものように汚れていて、今日は鼻血のオマケ付だ・・・。
洗濯機には洗濯物が放り込まれており、着替えは(どうにか)問題なかったようだ。
当然夕食は、とれておらず・・・台所の机にはジュースがこぼれ落ちていて、
おまんじゅうのパッケージがいびつに開けられ、辺りに“きなこ”が飛び散っている。

父の“ひとりぼっちの悪戦苦闘の模様”が垣間見えて、
また“ぶすり”と胸に突き刺さるものがあり、
それもまた「ふくざつ~~~」だった。

やっぱり、一人で留守番してもらうのが、かなり心配になってきた。
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激変

2006年02月14日 | 介護日記 -
状態は、変わらず・・・

深夜には、何度か起きて、いろいろな“こと”の対処をする。

とにかく、父は“落ち込む”。

排泄に失敗して、「情けない」と繰り返して、泣きじゃくる。
できない事実は、随分昔からなのに(それも毎日なのに)、それでも
同じように嘆き悲しむのだ。

   泣きじゃくる父の顔の正面に、私は座り込んで、ひとしきり大きく笑う。
   まるで、それが「馬鹿馬鹿しいことで」「なんでもないことなんだ」
   「ちっちゃなことなんだ」と印象付けるかのように――。
  

父は、公園に行っても、数週間たつと忘れている。
数日後でも、特別なこと以外は、忘れてしまう。
たとえ同じ場所や同じものであっても、何度も感激してはくれるが・・・
嘆きや悲しみの“負の感情”もまた、何度でも新鮮に体感してしまうのだ。

そして、
「どのようにしたらいいのか」「どういうことに気をつけたらいいのか」について、
私の要望(意見)は伝えるものの・・・やっぱり前後左右間違えてしまったり、
自分流に勘違いしてしまったりする。
「認知能力」がないのだ。
たとえば、夜用オムツ着用や、オムツの使い方なども・・・
何度伝えても、そのとおりに実行はできないようだ。

フツーなら、そういうことはできるはずなのだが、
それぐらいの認知力はあるはずだと思いたいのだが・・・
とにかく欠落してしまっている。
実際には、できない。

隣のYさんに言われた。
「お引越してきた頃は元気だったのにね。草むしりや、庭弄りして・・・ね」
「毎日、お庭に出て、お掃除したりしていたのにね」
「えぇ、ほんとに・・・」
笑顔がよく出ていた“あの頃”が懐かしい。
ほんの数ヶ月(1年弱)で、大きく激変してしまったのは、誰もが認める事実である。
「こんなに、変わってしまうのか・・・」と、自分でも思っている。

私も、変わらず・・・
とにかく現実を直視することにも“心を荒れずに”“その度ごとに対処する”ようにと
ただただモチベーションをあげて、常に鼓舞し続けている。
「大丈夫」と繰り返すのは、父に向けてだけではなくて、
実は“自分自身に向けて”発している言葉だと感じている。
しかし、こうして“単純に言葉を繰り返す”だけではあるが、
パワーは湧いてきたりするので、たいへんありがたい。
自分で自分に暗示をかけるかのように、深く、深く浸透するまで“やり続ける”のだ。

もし、“かすかな救い”があるとしたなら、
「頭がいたい。くよくよ考えるからじゃなぁ」
と、父がこぼしたこと――。
少しは、現状認識ができてきたようだ。
やはり、あきらめずに声をかけ続けることは大切かもしれない。

こうして、“私たち二人の日々”は繰り返されている。

深夜独白

2006年02月12日 | 介護日記 -
トリノオリンピック初日―
初めて“夜中に近所を歩き回った”。
そうして、道沿いの家々では、たくさんの電灯が灯っているのを確認した。
いつものことやら、今夜(トリノ)だからなのか・・・(不明なれど)。

昼間購入した「鳥とブタのミンチ肉500グラム」。
大事なミンチ肉を、車の中に忘れたことを思い出し、深夜とぼとぼ駐車場に・・・
「バッカみたい」と思いながら、とぼ・・・とぼ・・・。
最近の私は、「忘れんぼう」だ。
「静かだ」「暗い」「街灯が少ないなぁ」「こちらも、まだ起きているなぁ」なんて、
どうでもいいようなことを考えながら、お腹がすいたのでりんごをかじりながら・・・
“いつもはしないようなこと”をしたりして(笑)・・・とぼ・・・とぼ・・・。

昨日の「日光浴」で“気分がよくなった父”に安心していたら、
足元をすくわれるように、こうしてまた二度も三度も深夜に起こされる。
「死にたい」を連発されて、よくわからないことを叫ぶ。
排泄は相変わらず失敗して、そのことで天国から地獄へと突き落とされてしまうようだ。
そして、数十年以上も前のことや、少年の頃にいじめられた同級生の名前を羅列して、
心のドロドロをぶつけてくる。
“現在と過去の違いが把握できていない世界”に、すっ飛んでいく・・・。

いつもは、お薬(安定剤)を飲んでくれて、落ち着いてくれるのだが、
今日は口も開けず、自分の思考の世界にどっぷりと浸りきってしまっていた。
私が発する言葉にも反応がないうえに、応えようという姿勢も垣間見えない。
何らかの力に支配されて、我が身を見失っている感じだ。
とにかく、口の中に薬を滑り込ませて、“時間とともに唾液で溶ける”のを待つとしよう。

昼夜逆転生活は、キツイ。
  (昼夜同等生活というべきか・・・)
二十代から三十代前半に経験していた過酷な重労働時代を思い出す。
過去最悪だったのは、「一週間で八時間しか寝られなかったこと」であるが・・・
あれは“時期が見えていたから耐えられたのだ”と思う。
「この仕事が終われば」―そういう確固たる事実に支えられていたし、
「好きな仕事だから」という意識のもとで、どうにか成立していた現実だった。
やはり、今の生活とは背景が違うようだ。
構造も違うし、関係性も違う。
同じ現象でも、全く異質なものに感じられる。

浮き沈みの激しい精神状態に対峙しながら、「疲れ」と「枯れていく感覚」を感じる。
父に対して優しくしてあげられなくなったら、私は“自分を嫌いになりそう”で怖い。
私自身が落ち込みそうで・・・そんな“根拠のない不安”にも威圧感を感じている。

夜が明けたら、お天気で、さわやかな日差しが舞い込んでくるといいなぁ~。
暗闇は、人を追いつめてしまう。だから、夜中はやっぱり、よくないみたいだ。
お腹がすいて寝られなくなる前に、もう少し寝ておこう。

一割負担

2006年02月10日 | 介護日記 -
トイレにいくことが重労働になった父のために、ポータブルトイレを買うつもりで、
数週間前にケアマネジャーさんに頼んでいた。
やっとこさカタログが届けられたので、それを見てみると・・・
「ひゃ~」
「こんなものもある!」
便利そうな介護用具や、アイデア商品のような趣のグッズもあって、
“あったら良いかも”という思いがわいてくる。
ページをめくる手に、自然とリキが入る。

ポータブルトイレも、デザイン性が重視されたものや、
機能が重視されたものまで、いろいろな種類があった。
値段も高価なものから、安価なものまで・・・。

「迷ってしまうなぁ」

「スゴイ」の一言だ。
便座がぬくぬくの暖房付に、まず目がいく・・・。
「これにしようかなぁ」
ほとんど決まりかけてきた頃、他のページにも気がとられ・・・
あれやこれやと商品チェックが始まってしまった。

尿瓶も様々なカタチがあって、寝たきりタイプに便利なバキューム式のものがあり、
カタログは見ているだけでも飽きない。
早々に週明けにでも注文することにしよう。

知らないと「“得する機会”を、逸してしまうことがある」。
介護保険で買物をすることも、その一つ――。
だって、一割負担で買えてしまうのだ。
それは「3万円の商品が、3千円で買える」ということであり、本当にありがたい。
もっと早くカタログをいただくべきだったと、ちびっと後悔・・・。
「よ~し、盛り返すぞ!」
これから、“ちょっと得する情報”を収集しようと思う。
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日光浴

2006年02月09日 | 介護日記 -
「老人性うつ病」の疑いがある(うつっぽい症状がある)父を連れて、
日光浴に出かけている。

今日は、近くの公園に行った。
少し風があったので、展望台らしき建物の中に、長いすを二つ置いて、
お昼寝をしてもらった。
ポカポカとして、日差しが“あたたかい”。
父は、いつになく高揚感に満ちて、いつもなら降参する階段も根気よく登ってくれた。

車イスを持参していたので、展望台内での父は、手押しをしながら「歩き運動」をした。
“前向きで良い感じ”と感想を持ちつつも、同行者もかなり根気のいることだと痛感!
会話もしかり、身体援助もしかり・・・。

何か特別のことなどなくても、「楽しい」という気持ちが自然に起きるようになれば、
良い結果が得られるような気はするが・・・
今はまだ、モチベーションをあげて、見守り、導いてあげるしか“すべ”がない。
日々、少しずつ「刺激」と「変化」、そして、「愛情」を投げてあげようとは思う。

帰宅した父は、へろへろになっているはずなのに、
またまた(久しぶりに)お風呂まで入ったりして、
やっぱり刺激は良好だと感じた。
日光浴も良かったのだろうな。

今日の行動を察したように、近所のTさんが「お赤飯」をおすそわけしてくださった。
お返しに、切干大根を差し上げて、お礼を言った。
自宅でお赤飯をつくるなんて、やっぱり当地は都会ではないようだ(笑)。
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まぐれ?

2006年02月06日 | 介護日記 -
昨日から、驚きの現象が続く。

今朝の驚きは、「ベッド周りの掃除が必要なかった」ということである。
ということは、「昨夜の父は、排泄の失敗がなかった」ということだ。
シーツ、布団、毛布、マットなどのベッド周りのものは、“汚れたら掃除して交換する”
というのが日々の日課になっていて、それは昨年から連日繰り返されていることなのだ。

それが、数ヶ月ぶりに、必要なかった・・・。

     “失敗しなかった夜”に関して思い出してみると、
     前回が何時だったのか、思い出せないほど・・・である。
     たぶん、去年の・・・夏以降なのだが、正確には何時頃だろうか。
     秋の風情が漂いはじめた頃だっただろうか・・・。


最初は、「えっ、間違いでしょう?」と、我が目を疑ったのだが、
やはり大丈夫だった。

私としては嬉しいし、愕いたし、“何故だろう”という好奇心も湧いてきた。

たまたまだったのか、どうか・・・しばらく観察しながら「検証(?)」していこう。

「何がよくて、問題が起きなかったのか・・・」
「失敗するときとは、何が違っていたのか・・・」
これこそ、現状回復のヒントになるかもしれない“素晴らしい情報”だと思う。
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入浴日

2006年02月05日 | 介護日記 -
夜が寝られず、体内時計が狂っている。
だから、本来であれば昼は起きていたほうがいいのだろうけれど、
やっぱり「疲れ」はとったほうがよい・・・。

「寝るぞ~~!」「気にしないで、昼から寝るぞ~~~!」と、
今朝の段階では、決意の弁!!
しかし、やはり寝られず・・・。
友だちからもらった「sleepy time」というハーブティーを飲んでみたが、
やはり寝られず・・・。


ところで、最近の「私の介護生活」というと、
落ち込んだ父を、明るい話題で勇気付ける日々である。
今日は、それが功を奏したのか・・・自発的に「お風呂に入る」と言い出した。
自主的に言い出した時は、かならず成功する。
“「入りたい」という思いが強いから”のことで、過去のケースでもそうだった。
気持ちが乗らない時は、どんなに誘っても「うん」と言わないものだし、
たとえ入浴したとしても、私の言葉に促されて釈然としないままの状態だと、
やはり「イヤイヤ“やらされている感”」があり、集中力も途切れてしまう・・・。

今日の父は、しっかりとした足どりだった。
ほんの少しだけ手をかしたが、ほとんど自分の力で入浴したと言ってもいい。

「やったね」
「気持ち良いね」
声をかけながら、気持ちと体力が切れないようにと祈っていたが・・・
湯船の中では笑顔も出て、久しぶりの解放感だったようだ。

着替えを終えて、ベッドに入った父の口から、鼻歌がわいて出た。
機嫌の良いときに、決まって歌う曲だ。
「ゆぅきぃや、氷はぁ~、つめたぁいけれど~♪」
「わんさん、待ってて~ちょうだぁいねぇ~~♪」
「まんしゅうの春よ、はやぁ~く、こぉ~い~♪」

初めて

2006年02月04日 | 介護日記 -
今日は、「武蔵境」という駅に初めて降り立った。
こんなに長く生きているのに、まだ降りたことのない駅ばかりだ。
「好奇心」と「不安」で、改札出た時から“ドキドキもん”で、きょろきょろしながら歩く。
「何事も、初体験はええなぁ~」
「こういう時間を過ごすのはええもんだ!」
「やっぱり、脳細胞がすっきりするなぁ」
そんな高揚感に満ちて、ゆらゆらと“自分の気分”に浸りきっていた。

同じ場所、同じ道、同じ駅、同じ人、同じ食べ物、同じ話・・・そういう日々ばかりでは、
刺激にも感動にも出会えない。

そんなじんわりとした余韻にひたっているところに、ヘルパーさんから連絡が入った。
「お父様がいないんですけれど・・・」
「お部屋が、すごいんですよ。いつもと違って、すごいんですよ」
いつも奇麗に整頓された部屋しか見たことのないヘルパーさんは、愕いて電話をしてきた。
父が排泄を失敗したのだと、瞬時に理解した私は、
「おそらく二階に上がって、休んでいると思います。二階に上がってみてください」
「いいですか?では、あがらせてもらいます」
それから、電話は途絶えた。
連絡がないので、“二階に居たのだろう”と思ったが・・・
“どうなったのだろう?”と心配で、「ひやひや」「ドキドキ」の時間を過ごした。
1時間半後、やっと詳しい事情がわかった。

申し訳ないことをした。
案の定、父は排泄を失敗して、衣服を脱ぎ捨て、全裸でこたつで寝ていたらしい。
帰宅すると、洗濯物は風呂場にまとめてあり、奇麗に床掃除は終わっていた。
ヘルパーさんが、お掃除をしてくれていたのだ。
今日、担当していただいたヘルパーさんはベテランの方で、おそらく“てきぱき”と
父の着替えを終えて、掃除も食事も“同時進行”でやってくださったのだろうと思う。
直接、何度か個人携帯に電話をしたが・・・つながらず・・・
結局ほとんどの作業を“やっていただいてしまった”。
私は楽をしてしまったが、初めてお手間をかけてしまったことに対して、申し訳なくて
ちょっと居心地が悪い。別に隠す必要もないし、隠していたわけでもないのだが・・・
“ついに、知られてしまったなぁ”という思いもあり、複雑な心情である。

私にしてみれば毎朝の作業内容でもあり、珍しいことではないのだが、
ヘルパーさんにしてみれば「初めてのこと」である。
やはり、「愕いてしまっただろうなぁ」と思っていると・・・
「いつもは、ちゃんとしているし、初めてだったので・・・びっくりしました」
その言葉を聞いて、“やっぱり?!そうですよねぇ”と心の中でつぶやいた・・・。

そして、
「本当にどうもすみません」「お手数をおかけしました」
私の口からは、この言葉しか出てこなかった。
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一人ぼっち

2006年02月03日 | 介護日記 -
この二日間、ヘルパーさんにお願いをして、私は外出をした。

はじめてのヘルパーさんがいらして、芋をつぶしただけの「味のないマッシュポテト」とか、
豆腐とミンチをかつおぶしと片栗粉で仕上げた「味なしマーボー豆腐」とかをつくって
帰っていった。

父が言った。
「あの太った人、だぁれ?」

父は、食事に手をつけなかった・・・。
私は、笑うしかなかった。
そのヘルパーさんは、人間的にはとってもいい人っぽい印象だ。
だからこそ、笑うしかなかった。
「私、新米で・・・まだ資格がないんですよ(笑)。よろしく!」


   昨夜は、深夜の一時、二時、四時、五時と、四度のお呼びがかかった。
   父の「お~いい」という声で、それはスタートする。
   「おしっこ」二回、「「ジュース」一回、最後のは「胸が苦しい」。
   いつものSOSコールだ。
   寝ぼけマナコ状態の父は、特に自分を失ってボケボケになる。
   オムツをしているのに、脱ごうとしたり・・・
   耳元で話しても、それを理解することができない。
   次のコールで階下に下りていくと、奇麗なオムツが捨てられてたりする。
   しかし、時々かなりしっかりもしていて、私自身がその判断に苦しむことがある。
   体調と精神状態のバランスが、読み取れないことがあるのだ。
   「認知症」って、不可思議な病気だ・・・。



私は、うつらうつらとする中で、奇妙な夢をみた。
「荒涼とした砂漠で、ビニール袋らしきゴミを、ただひたすら拾っている」。
きたないゴミは、ピンセットで拾いながら・・・
私は果てしないゴミの山を拾い続けていた。

今日は、医者日だが、外に出る気力が「なえなえ~~」だ。
午後にしようと甘んじて、布団に入ったが・・・また寝られなかった。



明日も外出する。
大丈夫かと心配になる。
ヘルパーさんの連絡確認もできておらず、誰が来てくださるのかもわからない。
こういうサイクルで、メンバーも固定ではないのは“かなり不安定である”。

「○○ちゃん(私)もおらんのに、田舎に帰らして。たのむわ」
「田舎で死なして」
いつもの言葉・・・・・そばに人がいないと不安になるらしい。
でも、ずっとずっと何もしないで家にいることは、かなり厳しかったりする。
「お仕事で、出かけてくるからね」
頭でわかってくれても、耐えられない気持ちが噴出してくるのが父の状態――
冷静に考えて、次の段階への対処が必要になってきた・・・とは感じている。
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