震災地へ続く 「配慮」

2011年03月29日 | 社会 -
今日、開催されるザックジャパンと J選抜の「チャリティー試合」が、
全世界に生中継されることが決定された。



 私は日本代表監督として日本に滞在して、
 日本を家だと思っている。
 自分を日本人だと思っている。
 私は、“復興大使”だ。
 復興にかかる時間は短くないと思うが、
 日本は「止まらない国」。「前に進み続ける国」。
 少しでも(復興への時間が)速くなると思う。
 我々は(被災者の方々の)近くにいる。


            < アルベルト・ザッケローニ監督 >



公式戦を除き、日本代表の試合が世界中で視聴可能になることは異例。
ザッケローニ監督は、チャリティーマッチながら「真剣勝負」を掲げる。
選手もそれを理解して、きっと世界中の人々にメッセージを発信して、
「がんばれ、ニッポン!」と、多くの人々を勇気づけてくれるだろう。

こんな時期にサッカーを?という声もあるだろうが、チャリティーという
ことは義援金が集まるということ。 会場でも、募金は募られるだろう。
世界中に放送されるということは、放送料として大金が入り、義援金に
まわされるということだ。 収益をあげれば、それだけ寄付ができて、
東北の被災地に還元されるようになっている。 
だから、不謹慎でも何でもない。 基本的なことを理解してほしい。
被災者のために「できることをやってくださっている」だけのことだ。

地元でも、一人でも多くの人が、観戦できるように願う。



また、サッカー日本代表とイタリア代表が東日本大震災の被災地の
仙台で「チャリティーマッチ開催」を計画していることが判明。
会場候補地は、まだ避難所になっているようだが、ザック監督は
イタリアに帰国している間に、たくさんの有志と会談してくれて、
自らのコネクションも駆使し、日本のために動いてくれていた。
クラブチーム以外、スポンサー関係にも、すぐに協力を仰いでくれた。

日本に興味を抱いて、叩き込むよりも “引き出す”というやり方で、
代表チームを率いてきたザッケローニ監督。
日本人の態度にも影響を受けて、「武士道」を研究したとも聞いた。

安穏と地位を獲得した氏ではない、“心温まる人間性”と行動力に、
本当に感動する。 ありがたいことだ。

「リーダーシップ」という言葉と、「的確な判断力による行為」・・・
このような状況では、特にあからさまになってくるものだ。

サッカーは、日本でも人気のあるスポーツだし、注目度も大きい。
ザック監督が、このような魅力的な統率力をみせてくれるからこそ、
日本代表チームとサポーターは、よりいっそう 「団結」 して、
前に進むことができるような気がする。




ブラジルでは、ジーコやアルシンドが中心になって慈善試合をする。
6割が日本の大震災に寄付されることになっている。


スポーツ界と、エンターティメント界は、特にチャリティーに対する
姿勢が顕著だ。 本当に、有難く思う・・・。 感謝!!



企業「ニトリ」が、16億円相当の寄付をした。
社長の私財5億円と、従業員の寄付と、関連グループからの義援金。
率先して、日本企業としての慈善社会活動の姿勢を示してくれた!
大企業でも1億円の義援金額が多い中で、従業員一人一人の善意の心と
その募金活動が、この金額になっている。 感動的な行為だ。
やはり的確な「リーダーシップ」をとれている企業は、反応が違う。
日本政府も、またしかり・・・。


日本の政治家や、公務員の官僚などの高額所得優遇者は、いち早く
同じように“行動に移すべきではなかったのか”と思う。
給料の10%や15%が、短期間カットされても、支障がないぐらい、
税金から安定収入を確約されているのが、所謂彼らだ。
地元の被災地では、家や家族を亡くしても、不眠不休で復興にあたる
地方公務員の方々がいて、彼らは復興資金を求めている。

命をかけて原発の処理にあたっている作業員の状況は、もっとシリアスだ。
東電のリーダーは、何を優先して、初動作業を誤ったのか・・・。

国民の暮らしと、このような異例の事態にこそ、もっと賢明な判断を
仰ぎたいものである。
被災地の人々の暮らしを、まずは想像してほしいと、切に願う・・・。


トイレットペーパーよ!

2011年03月28日 | ナンセンス -

買占めなのか、品不足なのか・・・

いつまでたっても、手に入らない「トイレットペーパー」。

あと何日、何週間?待たせられるのだろうか・・・ と、
思ったりもするが、ほとんど焦りはない。
テッシュペーパーが何箱かあるので、どうにかなるだろう。

しかし、噂では「午前中であれば、お一人様一つ限り」で
もう買えると聞いているが・・・
真偽のほどはどうなのだろう。



今日も、とぼとぼ・・・真っ暗な節電店から帰宅したが・・・
今日は牛乳が購入できた。
ありがたい。久しぶりの牛乳だ。
できれば、次は豆乳を・・・!



リズ・テイラーの軌跡

2011年03月27日 | 人物 -

ロンドン生まれのアメリカ育ち。
ハリウッドがスターに押し上げた「エリザベス・テイラー」が79歳で逝った。

往年の映画産業の全盛期に、彼女が残した足跡とインパクトは、ただならない。
プライベートでも、マリリン・モンローとともに話題はつきず・・・
自由奔放な「恋多き女優」として知られた。
18歳で、最初の結婚。ホテル王の息子だった。
その後、歌手のエディー・フィッシャー、俳優のリチャード・バートン、
上院議員らと8度の結婚、離婚を繰り返した。
話題にのぼるたびに「そんなに何度も結婚ができるものだ」と思ったものだが、
彼女自身はストレートな人だったのかもしれない。
でなければ、同じ人(R・バートン)と結婚&離婚を繰り返せるはずもない。


映画好きの私は、美しく、輝いていた頃の作品をいくつも観たが・・・
本当に「絶世の美女」だという存在感があった。
年老いてからは、常に豪快な印象がしたが、同時に、強さや優しさが、
同居している印象がした。



マイケル・ジャクソンが晩年に発言してたが、年の差なんて関係なく、
「リズ・テイラーとは思い切りデートをしたい。結婚しても良い・・・」
という衝撃的なコメント!
それだけ、魅力的であり、人を引き付けるものがあったのだろうかと、
今更ながら感じる。
MJとリズ・テイラーの間には、いくつかの共通項があった。
リズは9歳で子役として仕事をしていたし、マイケルもそうだった。
また、二人とも、厳しい父親からの体罰に近い関わりあいがあったために、
人知れず難しい子供時代を過ごしている。
二人の間には、すぐに相通じるものを感じたという・・・。


若くして亡くなる人が多い中で、エリザベス・テイラーは、病気と闘いながらも
人生を全うして、人目もはばからず、公の場所にも老いた姿を現した。
当然のことながら、その毅然とした生き方には、興味が尽きない。
おそらく、大女優だからこその自信が、そうさせたのではないかと思う。

R.I.P.

継続は力なり!

2011年03月26日 | 言葉 -


― 継続は、力なり ―


昔、初めて作った自分の名刺に、この意図をデザインに盛り込んだ。
そんな何気ないことを、とても懐かしく思いだす。

私のように、生まれも生い立ちも特異ではなく、バックボーンもない
「特別ではない田舎者」にとっては、「情熱」と「努力」というものが・・・
大きな岐路にたった時に、いつも肩を押してくれることが多かった。
大都会:東京で一人で暮らし、生き延びていくことは、そう簡単ではない。

恵まれた環境になく、“安易に助けてくれる人がいない” という境遇は、
結局 “自分自身を強くしてくれたのではないか” と、今更ながら振り返る。



たとえば・・・、自分の中に「堅い決意」と「それに対する情熱」があれば、
今風に言えば「モチベーションの向上」につながる。
そういう構図にさえ気がつかない若い頃は、「継続は力なり」という言葉を
胸に抱いて、ただ頑張っていたようにも思う。
“必ず明るい未来が待ち受けているのではないか” という淡い期待をしながら・・・。
それは、いつも・・・・“根拠のない思い込み” だったのは間違いないが、
その一方で、私の “切なる希望” だったのも事実だ。



苦境に立たされたり、悩み抜いたり、人に裏切られたり、軽く扱われたり、
都合良くだまされたり、嫌がらせも受けたし、他人に簡単に利用されたりもした。
本当にいろいろなことがあった。
しかし、私自身が“あらゆる苦難”に遭遇しても、「決して屈しない!」という
強い意思をもっていたときは、必ず乗り越えられたように思う。

そういうことの積み重ねは・・・
今となっては、「自分の人生にもきっとプラスになっていた」と感じる。
人を信じ、自分を信じ、我が可能性をも信じていなければ、継続することは、
無理だっただろうと・・・本当に思うからだ。
継続するということは、「あきらめずに行動し続け、貫き通す」ことでもある。
それは、本当に、簡単なことではないと、今更ながら思う。


世界フィギュア「他国開催」

2011年03月24日 | マイブーム -

「世界フィギュアスケート選手権」東京開催が、泡と消えたころは、
なんとなく「すごく楽しみにしていたこと」を、突然失ったので・・・
茫然自失だった。
大震災とは比べ物にならないが、人によっては「それを目標にして
日々を頑張ってきた」ということもあるので、大目にみてほしい。
私にとっては、そういう「久しぶりの生観戦」(数日分を購入)だった。
チケットもアリーナ(連日、前から3列目ぐらいまで)が取れ、持参する装備を
準備しにかかっていたぐらいだった。



いろいろな噂が飛び交った後に・・・
東京の世界選手権の代替開催に、ロシア、カナダ、米国、フィンランド、
クロアチア、オーストリアの6カ国が名乗りを上げたことを明らかにした。
そして、モスクワを候補地に挙げたロシアに、決定したようだ。
  <ロシアの指定日程期間は、4月24日から5月1日>


今大会は、男女共(高橋大輔選手&浅田真央選手)二連覇がかかっているし・・・
興味深い世界選手権となる。
私としては、代表選手がベストを尽くせるように、期待したい。


もし「東京ワールド」が、開催されていたら・・・
今日は、夕方から「男子フリー」が行われる日だった。
優勝者や入賞者の決まる“その日”だったのだ。
だから、とても不思議な気持ちだ。
私は、アリーナ席の払い戻しには、まだ行っていなくて・・・・
開催中止は完全に決まったのに、まだチケットを眺めている(笑)。

来月にでも払い戻しにいくつもりだ。
払い戻された金額は、「日本赤十字」に義援金として寄付予定。
大震災のため、私の「希望」をお金にかえて、
現地の人々のために使いたいと思っている。


道しるべが見えてこない

2011年03月22日 | 仕事 -

原発と、地震のニュースが、まだまだ続く日々。
さっきも微震を感じた。
いつまで揺れ続けるのだろう・・・
地盤の揺れだけじゃなく、社会の揺れと、我が心の揺れ具合ー。


会社代表から「自宅待機せよ。無理して出社せず、状況をみて報告を!」
全員にメールが送られ、自宅待機が命じられ、自由出社が認められたが、
今日から(一応)通常通りの営業が開始された。

私は、正社員ではないので、相変わらず「気の向くまま、仕事のあるまま」
自分で総合スケジュールを管理し、交渉しながら、それなりの責任感と共に、
毎日の行動を決定している。
いつもとペースは変わりがない。(仕事のやり方も、一任されている)
会社には、代表と総務担当に、メールで報告を常にいれているだけである。


地震のあった「3月11日」・・・
前夜も徹夜をしていたのだが、何故か企画提案書が仕上がらなかったために、
打ち合わせの延期を願い出たのが、11日:当日の朝の9時だった。
当日ドタキャンなんて、今までしたことがなかったが、(結局)難を免れた。
そのために、私は「帰宅難民」にならずに済んだと言えなくもない。
少しだけでも時間がずれていたら、おそらくアウトだっただろう。
偶然だろうか? それとも、私が敬愛する“大いなる力”が守ってくれたのか? 
どちらにしてもラッキーだった。


時間は過ぎ・・・会社が通常通りの回転に戻っても、私の気分はまだ不完全!!
なんとなく「モチベーションがあがらない」。


今週には、別の・・・重要なプレゼンが控えている。
しかし、どういうわけか危機感もなく、虚脱感に近い状態を感じている自分が、
この難関を“どのように乗り切るか”という・・・ある種の言い訳を考えている。
笑える話だ。
実際に危機感を感じているのに、焦りもせず、これまでにない異質な気分でいる。


また、とんでもないことに・・・・
今日は、あえて仕事をせずに、懸案だった“いろいろなこと”を一機に処理してきた。
病院で「親不知の炎症止め薬」をもらってきたのも一つだし、不動産屋さんへ
行って賃貸契約更新条件について異議を唱えてきたのも一つだ。その他には
ネイルサロンに行って息抜きもしてきた。ショッピングをして諸々買い込んで、
夜は美味しいレストランで“食べたいカロリー過多の食事”もしてきた。
ここにきて、なんという「気分転換」だろうとも思うが・・・
すべて必要なことだったのに、できていなかったことばかりだ。
不謹慎だと思う“もう一人の自分”をはねのけて、やりたいことを「やった!」。
心に引っ掛かっていたことを処理してこそ、自由な自分の世界が拓けそうで、
とにかく今日は走り回って、実行できていなかった懸案事項を処理してきた。



その間に、一つだけ重要なことに気がついた。
ずっと書けなかった一つの企画提案書があって、それがどうしても頭にあって
私自身を縛っていたのだが・・・・
その企画は、私がメインとなり、どうしても“やらなければならない”もので、
発注もすでに受けているにもかかわらず、企画書が仕上げられない。
この数週間、ずっと、そうだったが・・・
その理由が、やっと わかった。
「私は、これをやりたくないのだ」。
「できることなら、他のものを担当したい」と潜在的に感じている!
イメージングしても、調整して、心地よく統率している私が見えてこないし、
そういうことを想像すること自体、楽しくない。
気分も乗らない。

そう、まさに・・・・
「ただ、やりたくないのだ」。
それに気が付いたとき、ものすごく納得ができた。
パソコンにむかっていてばかりだったり、ひたすら考え続けてばかりだと、
行き詰まってしまう。 自分の中にも、余裕がなくなる。
仕上げなければ・・・という気持ちだけが、先行してしまうし・・・
余計に、底なし沼に はまりそうで怖い気持ちがした。
客観的判断ができていない私自身が いたからだろう。

「やっぱり、そうだったんだ」
そう自覚でき、納得できた途端に、とても冷静にはなれた・・・
しかし、(当然ながら)これを打破する方法論が、みつからずにいる。

あがいてみても、やらなければならない仕事だ。
それは、重々承知している。
しかし、こういうことは・・・私にとっては、これまでにない経験だ。
奇妙であり、自分でも(かすかに)驚いている。
しかし、自分が「やりたくない仕事だったのだ」という歴然とした事実を
根底から認めることから、私の「行動再生がはじまるのだ」と思う。

今、浮かんでいるのは・・・
気分転換などと一過的で軽いものではなく、根本的な自分の意識の変容と
新しい姿勢(取り組む仕組み)を模索するべきだろう。
将来的には、時期が落ち着いたら「環境を変える必要があるのかも・・」
という・・・単純で、壮大な計画も考慮したい。

仕事として割り切って頑張っていた頃、こんな現状になることは皆無だった。
迷うことなく、「仕事は仕事として受け入れてきた」からである。
今は、微妙に違う価値観で、“仕事と対峙しよう”とする自分を発見した。

一ヶ月半の間に、何が変わってしまったのかーと、いろいろと思い返してみても、
明確な答えはみつからず・・・・そういうことなら・・・
しばらく、考えるのを休むことにした。

「明日は、明日の風が吹く・・・」
「ケセラセラ」




今日、購入した新しいスリッパが、すごく履き心地が良い。
サロンで施したネイルも、今回は気持ちの良い美しさだ。
それだけが、唯一の「なぐさめ」・・・(笑)



昨日から、ずっと父のことを思い出している。
ちょうど救急車で搬送したのが昨日だったので、父の実質的な命日にもあたる。
だから、炎症も止まったというのに、父の主治医に会いに行ったのかもしれない。
イチローが、阪神・淡路の震災日に、毎年黙とうを捧げるように、私にとっては
昨日は“特別な日”でもあった。

この時期になると、私の中には“思い出したくない辛い事実”があるからだ。
だから、けだるい気分になるときがある。
それが原因だとは思えないが、・・・郷愁に襲われているのは 嘘ではない。


私流:義援金の送り先

2011年03月19日 | 自分 -

たった今も、茨城県を震源地として、震度5強の地震がありました。
まだまだ、日々、余震なのか、新しい地震なのかわからず・・・
こうして「突然の揺れ」と対峙しなければならない状況です。


最近、東日本大震災のために、多くの方々が義援金を寄付し、
現在の避難所の救援物資や、復興のための援助活動として
行動しはじめました。

寄付のための呼びかけも、頻繁に目にするようになり、
自然発生的に起こってきている様々な活動は、未来に希望を
託せなくなった人々にも、“新しい価値観”を植え付ける
きっかけになっているのかもしれません。




私事ですが・・・、大学卒業後に就職した会社員時代に、
(たいへん若かった頃ですが)隣家の“もらい火”が原因で、
大きな火災に遭遇してしまい、8棟27所帯が焼け出されました。
数時間のうちに、電化製品のほとんどや、服、書籍、和服一式、
大事にしていた演劇や映画のパンフレットやチラシに至るまで、
あらゆる物品ー全ての「家財」を失いました。

深夜1時ごろに出火したため、鎮火するまで数時間を要して、
それから警察や消防署の事情聴取があり、その数時間後には
また早朝7時から消防署の「今後の対応」についての説明があり・・・
とても悲惨な状況だったのを、はっきりと覚えています。
気が張っているとはいえ、心も身体も疲れ果てていました。

我が部屋は、水浸しで・・・すごい匂いに包まれていました。
小物は壊れ、崩れ落ちたモノが散乱して、足の踏み場もなく、
燦燦たる被災現場でした。
周辺一帯が、燃えカスがくすぶっているような危険な匂いで、
しばらくは水をかけて、様子をみるしかありませんでした。
私の自転車も、気がついたら誰かに捨てられていましたし・・・
何があっても驚かないような状態ではありました。

当時は、まだアパート火災保険をかける義務が無かったので、
失ったものを取り返す方法もなく、本当に無情な現実でした。
保険をかけていなければ、罹災証明書を提出しても、若干の減税が
あるだけで、私などにとってみたら、何の役にもたちませんでした。

それでも、本箱やベッドなど、木材の道具系は若干残りましたが、
鎮火の「炭水」をあびていたため、部屋には立ち入れない惨状でした。 
あの時の無常観と喪失感は、決して忘れることができません。

それでも、私は、まだマシな方でした。
斜め向う側の棟に住んでいた、大学生の女性の部屋は二階にあり、
風下にあったために全焼して、部屋の中には黒い炭だけで・・・
本当にモノ一つ残っていませんでした。
出火元の人には法的に弁償義務がないので、部屋の黒炭のゴミを
運び出して、廃棄処分する費用さえ、被害者が課せられてしまう
・・・そんな、なんとも無情で理不尽な現実でした。
それを聞き、泣きながら訴えていた彼女の姿は忘れられません。


当時、全てを失った私が手にしたのは、下記のものでした。
 ○東京都渋谷区長さんからのお見舞金ー1万円
 ○日本赤十字からいただいたベージュの毛布
 ○友人・知人からの救援物資(使っていない服)
 ○仕事関係者や知人から、善意のお見舞金

住居は、所属会社がウィークリーマンションを借りてくれて、
そこに(厚生費で)住まわせていただきました。
少し遠かったけれど、本当に助かりました。
また、友人からの使い古しの服が、どんなに有難かったことか・・・
数千円のお見舞金で下着などを購入し、なんとか日々を過ごして
何事もなかったかのように、翌日には過密スケジュールをこなしていました。

「なぜ、自分だけが・・・」― 当時・・・私はよくそう思いました。
しかし、今から思い返せばですが、普通では経験できないことを
いろいろと体験でき、人々の気持ちの一つ一つに感謝する心が芽生え、
私自身の中にも“違ったとらえ方”ができるようになりました。
心の奥底に、「負けないで、立ち向かう強さ」が育ったとも感じます。
しかし、それは・・・時間が経って、はじめてわかることで・・・・
あのときは、ただ辛かっただけで、“仕方がない”と諦めていました。
喪失感、無常観、劣等感、・・・そういう思考がほとんどでした。
繊細になっている私だったからこそ、善意の気持ちにも敏感に反応して、
マイナス思考をプラスに転換することが出来たのかもしれません。

また、放り出すことができなかった仕事が、返って有難く、生きるための
忙しい日々が、私の辛い気持ちを忘れさせてくれていたのだと分かります。
悲しく切なかった気持ちを抑えつつ、「平気だョ的な仮面」をかぶり、
(会社に迷惑をかけないように)仕事に没頭していた自分を思い出します。
最初は、日々、ただ「耐える」だけでしたから。
そこから、スタートするしかありませんでしたから。




ずいぶん前のことですが・・・上記の経験から、私の義援金送付先は
日本赤十字と決めています。
災害にあって、すぐに届けられた毛布の中には手紙が添えられており、
「このたびは大変なことで、お見舞いを申し上げます。一日も早く、
 あなたの生活を立て直されることを、心からお祈りしています」
・・・そのような文章が、(日本赤十字から)添えられていました。
なんてことない文章なのに、読んだ直後の私は、とても心に響きました。
罹災後、即効的な対処をしてくださったからでしょう。
不安に打ち震えていた“あの時の私”には、すごく嬉しかったからです。




いろいろな団体や、テレビ局が、キャンペーンをはって、人々に義援金を
募ってくださり、被災地は そのため 大いに助かっています。
私個人は、災害の「義援金の使い道」を確認したことがありましたが・・・
時として使途不明な発表があったり、意図しない団体に寄付されていたり、
そういうことが多かったために、私の義捐の送り先を統一しました。
私は、昔も今も、「日本赤十字」か「ユニセフ」です。

今回も、日本赤十字に義援金を送り、世界フィギュア選手権のアリーナ席の
払戻金二枚分が手に入ったら、(行った事として)4万円をまた送金しようと
思っています。
微量な金額でも、当の本人には、どんなにありがたいものであるか・・・
私は身をもって体験しているので、金額にかかわらず、一人一人の協力を
お願いしたいと、心から感じています。



私たちが使っていた電力は、“福島の原発からきていた”ことを思うと、
都内近郊の皆さんにとっても、他人事ではないと思われます。
今も予断を許さない環境で、救援物資を待ちながら、今後の生活に
不安を感じている人々に、救援の手を差し伸べ、日本全土が一丸となり、
この大震災と大津波を乗り越え、被災地を再生していきたいものです。




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●日本赤十字 義捐金 送金先


義援金窓口1 
■ 郵便振替(郵便局)
口座記号番号   00140-8-507
口座加入者名   日本赤十字社 東北関東大震災義援金
取扱期間     平成23年3月14日(月)~平成23年9月30日(金)

※郵便局窓口での取り扱いの場合、振替手数料は免除されます。
※郵便窓口でお受取りいただきました半券(受領証)は、免税証明として
  ご利用いただけますので、大切に保管してください。
※通信欄にお名前、ご住所、お電話番号を記載してください。



義援金窓口2
■ 銀行振込
三井住友銀行:銀座支店 (普)8047670
三菱東京UFJ銀行:東京公務部 (普)0028706
口座名義 日本赤十字社(ニホンセキジュウジシャ)

ゆうちょ銀行:〇一九店(ゼロイチキュウ店) (当)0000507
金融機関コード 9900
店番 019


大震災から一週間

2011年03月18日 | 出来事 -

東日本大震災から、ちょうど一週間が過ぎました。

今も、暗く、寒い、被災地の避難所に身を寄せて、
日々の生活に不安を抱える多くの人々が、一日も早く、
元気に暮らせるように、心からお祈りいたします。
また、無念にも命を落とした多くの方々が、心安らかに
旅立たれることを願い、深く哀悼の意を表します。


      


関東近郊での「計画停電」は四月末頃までは続くと思われ、
いろいろな防災用品や、暗闇に乗じた必要品などを揃えて、
急にやってくるであろう「停電」に備えています。

昨夜も、田舎のいとこから連絡があり、「不便はないか」、
「何か送ろうか」と、お見舞いの連絡をもらいましたが・・・
「水とお米と梅干があれば、暮らしていける!大丈夫よ」と
私が応えると、安心したように、笑い声が漏れました。
離れていると、報道される情報だけでは心配になるようで、
同級生などもメールで連絡があり、その返事を見て、すぐに
電話連絡があったり・・・日々、皆さんの心配りに感謝です。
その気持ちだけで、たくさんのエネルギーを頂戴いたしました。
本当に、ありがとうございます。

当地に暮らす私などでも、このような気遣いをいただくので、
被災地で避難する人々は、おそらく大変な生活でしょうし、
個々の皆さんがストレスを抱えているのだと予想がつきます。
くれぐれも心を強く持ち、皆で声を掛け合って、この苦難を
乗り越えてほしいと思います。



ところで・・・話題は変わりますが・・・
世界中の多くの方々のコメントや、寄付に、感動する毎日です。
マリナーズのイチローさんからは、一億円の義援金が送られました。
台湾TV局では救援イベントが二日間開催され、20億円の寄付です。
本当に、たくさんの方が、行動に移してくださり、有難いです。

先月、映画「ヒアアフター」を鑑賞した際は、スマトラでの津波の
映像[2004年]を冒頭で大きく取り上げていたので(CG映像と予想)、
水中に溺れ落ちたヒロインの経験が導入映像として衝撃的でした。
東北の大津波によって、すぐにロードショーは打ち切りになった
ようですが、監督のクリント・イーストウッド氏は、アメリカで
発売開始となったDVD・ブルーレイの収益を日本に寄付しようと、
現在オファーを出しているそうです。 この「ヒアアフター」は、
生と死をあらゆる角度から見つめたヒューマンストーリーでしたが、
人が大切な人を失った時に陥る状態や、自分が死を意識した時の
感覚について、とても考えさせられる映画でした。
「生きる」ということと、「死」に対する観念や姿勢は、人によって
違うものであるために、私は より考えさせられたのだと思います。


日本国内のみならず、海外の方々からも、“気にかけて頂いている”
今回の大震災は、住居や仕事や家財道具などを一瞬の内に全て失い、
多くの被災者の人生を一変しました。それは、とても悲しいことで、
ご本人にとっては不本意なことかもしれませんが・・・いつの日か、
このことを(昔話として)笑って話せる日が来ることを願います。
逞しく、何事にも負けない精神性を育んで、さらに大きく飛躍できる
ように、全国の皆さんもサポートしてくれることでしょう。
子供も、大人も、おじいちゃんやおばあちゃんを気にかけてあげて、
自然とふれあいが重ねていける“心豊かな経験を重ねてほしい”です。
どのような環境にあっても、決してマイナス思考にならず、いつも
ストレートに要望を進言して、より良き環境を構築してほしいです。
希望を失わず、生きぬいていただきたいです。

応援するためにボランティアに携わっている人たちも、命をかけて
「原発」の対処に全力をかけている人々も、素晴らしい信念をもって
頑張っておられます。
大変な中でも、あきらめず、やり続けている事実に頭が下がります。



何があっても、人は「生きていく」ものです・・・よね。
生きていてこそ、あらゆることに対する目覚めがあるのだとも感じ、
この日本の状態を打破する時が、近い将来、訪れることを確信して
やみません。
できれば、病院や、避難所などの困っている人々や、助けを必要と
している人々から、先に配慮して・・・生活の基盤を戻していって
ほしいと思います。



たった一週間が、こんなに長かったとは思いませんでしたが・・・
これからの毎日もまた、様々な調整との闘いなのでしょう。
それでも、皆で、声を掛け合いながら、明るく、前向きに、
この一か月を乗り越えていけたら良いのにと、心から感じます。


大津波に襲われた「原発」

2011年03月16日 | 社会 -

今回の東日本大震災にて、大きな打撃をうけたのが 「原発」。
今も予断を許さない状況に、日本国内のみならず、海外でも
様々な対応が検討されている。

福島の原発で何が起こっているのか、これからどうすれば
被害を拡大するのが避けられるのか・・・
そういうことを、頻繁にテレビでは取り上げている。
また、原発が日本の海岸線に乱立してる理由も説明され、
いろいろな疑問も解かれつつ、根本的なエネルギー問題も
考えるきっかけになったと、私自身は感じている。


今回の原発設計者(東芝)が、Web動画で詳細説明していた。
福島原発に対する様々な情報が開示されて、これまで切実に
考えてこなかった「原発」のことが身近になりつつある。

私達は、爆発後の余波を考えると、シリアスなイメージを
持ってしまうのは当然のことである。
日本人は、たとえ低い放射線といえども、神経質になって
しかるべき歴史を経てきた国民である。
無知であることは学びを深め、納得した上で、「被爆」に
ついても「基本的なことを知ることが大切だ」と思う。
それに、「被爆」だけでなく、我々が知りえていない生活の
中に存在している“異変な電磁波”なども、「健康を害する
顕著なものである」ことも、決して忘れてはならない。
電気を膨大に使いながら、便利な生活に疑問を感じないことは、
相反する“異質な健康障害”を もたらす環境に身を置いている
ことに他ならないのだと思う。


今回の原発は、ある程度新しい仕組みと設計ではないため、
施された対応には間違いがなかったとしても、その経緯に
ついては、納得いかない動作(対処)もありそうだ。

最近では、冷却に電源を必要としない東芝AP1000原子炉など
新型の設計原発もあるようだ。

今回の原発爆発問題は終息後に詳細な検討が必要になって
くるだろうし、ちゃんと検討するべき問題だと思うけれど・・・
個人的には、「想定外だった」という「一言」で片づけられた
大津波の到来と旧式原子炉が、最大の要因だったのかもしれない、
と感じている。


今後の日本のエネルギー問題を、少しばかりの自覚を加えて、
「ちゃんと考えていこう」という気持ちが 芽生えてきた。
それは、未来を引き継ぐ「次世代の子供たち」の生活のためにも、
必要なことだと思う。
忘れ去られた頃では、もう遅い。
まじめな気持ちで、今回のあらゆる現象と現実を見直しつつ、
向かい合うべきだと、そう感じる・・・。

未曾有の大災害に思う

2011年03月15日 | 社会 -

知人に医療関係者が何人かいて、それぞれに専門分野は違う。
そんな知人の一人から、やっと繋がったケータイに電話をもらった。

数日して、「大丈夫だった?!」という連絡とともに、
雑談のような話から入って、今回の原子力発電所関連について、
いろいろと具体的な情報と、アドバイスをいただいた。
それは、マスコミにも取り上げられていない衝撃的な内容だった。
突然のことで、愕然とする私が・・・そこには いた。



今や、原子力発電所のある「福島」だけの問題ではない。
大きな社会問題であり、環境問題と化している。

東京をはじめ、関東圏一体に放射性物質は広がっていると
考えられており、実際に科学的な測定でも実証されている。
どの程度まで有害かどうかなどは専門家の言葉を信じるしか
方法はないのだろうけれど・・・ 
もともと原発は“なくてはならないもの”だったのだろうかー
という極論にまで、私個人の中の議論は及んでいく。
自分が自分に向けて発した「大いなる問い」である。
クリーンエネルギーの顕著たるもので「安全なエネルギー」と
言われていた原発に対する概念が、根幹からゆらぎそうだ。



元来、人類は卓越した知能のお陰で、不可能を可能にしてきた。
私たちの体内に取り込むことによって、異変が起こるような
物質が、人類の数奇なる「手」によって、たくさん産出され・・・
利用されて・・・、その結果・・・ 今、こうして・・・
私たち人類が危険に晒される結果となっているのが「現代」だ。
それは、まさに、末広がりのようにして拡大している。
原動力は、人間の欲望そのものだ。
「より便利に、より豊かに」という・・・、背景にあるのは、
経済効果をはらんだ“傲慢な意識”かもしれない。


現在、推進されている“全ての生活様式”が、「何を目的として
考えられ、どのように開発され、如何様に利用されているのか」と
いうことを、今回の件で、私自身は深く考えるようになった。

戦争で使用されている科学兵器だけではなく、あらゆるモノが
私たちの平穏な生活を脅かす要素となっている。
良かれと思って開発して頂いたものが・・・である。




かのアインシュタインが後悔をした科学の力は、その後に、
「原子力爆弾」という驚異の科学兵器をつくりあげていく・・・。
その核となったウランは、当時のカナダの戦争大臣の統率で
極北の原住民が駆り出され、詳しい情報など何も与えられず、
言われたままの手掘り作業をして、悲惨な「被ばく」をしてしまう。
世界最初のウラン採掘所には、痛々しい歴史がある。
そのウランは、数年後、広島と長崎に投下された原爆に使われ、
罪のない多くの人々が命を落とすこととなった。


放射能は、いろいろな種類があって、もちろん一概に
結論のような話をすることはできないし、私には専門的な
知識も全くない。(ケース・バイ・ケースである) 
また、声をあらげて言う資格も勇気もない。
しかし、人間が「安全に、そして、平穏に生きていく」という
とても簡単で、“平和的な日常”を手にしようと希望したなら、
また価値基準は変わってくるのではないだろうか。
そんな印象がしてならない。



原爆を経験して、戦後の焼け野原から復興した日本人は、
世界中の人々が応援してくれているように「頑張り屋さん」だ。
欲を言わず、あきらめないで、前を向いていた民族だった。
それが、少しずつ変化してきて、その特徴的な国民性も
次世代に引き継ぐことなく、時間だけが過ぎている昨今だ。
また、世界で唯一の「原爆を投下された」という経験も、
はたしてどこまで活かされているのかと、はがゆく感じる。
発言力も、世界の中での行動指針も、他国を説得させるだけの
崇高なアイデンティティーを感じられないのは、非常に残念だ。
それは、あらゆるシーンで、私個人が感じてきたことだ。



この世界最大の未曾有の大災害をきっかけとして、
「日本」と、「日本人のあり方」を、再び見つめなおしても
よいのではないかと感じる。
先人の知恵や、日本独特の良さが、決して失われないように、
日本人の誇りとプライドを持って、新しい時代を・・・
共に(国民全員で)生き抜いていくために!
お互いに助け合いながら、いたわりあえるように!
相互扶助の精神と、他人を思いやる気持ちをも復興して、
新しい生活を構築していけるとよいのにと、しみじみと思う。


災害を経験した人々が身を寄せる避難所では、高齢者の姿が、
目について離れない。
高齢者と言っても、寝たきりの方ばかりではない。
70歳以上の苦労を経てきた昔気質の高齢者が、逞しい存在感を
誇示しているようにも感じられる。
戦後体験や、昭和初期の天災の記憶があり、尚且つ、基盤に
自然との折り合い方を身に着けているからこその対応だと思う。
そういう高齢者の方々の意識、行動、言葉、・・・その背中には、
なんとなく“昔の日本の姿”が見え隠れする。
大事にしたい年代の人たちだと思う。
心のケアと共に、彼らの知恵や経験話を、今こそ引き出して、
習得しておきたいと思ってしまうほどの“笑顔の素敵な人”がいる。
何事にも屈しないであろう笑顔には、日本人の底力を感じてしまう。


私も、一人の日本人。
微力ながら、いないよりはマシだと思える日本人だと思うョ。

大震災の影響と現状

2011年03月15日 | 出来事 -

徹夜作業をして、パソコンに向かっていた。

夜中の3時35分ごろには、毎日のように大きな地震が来る。
今朝もそうだった。

そして、たった今・・・5時ちょうどぐらいに、また地震。
今回は、震源地が「東京湾」だ。
マグニチュードは、4,1ぐらいで、それほどではない。
しかし、気になるのは、どんどんと日本列島を南下している。

「もし、大都会:東京に大地震が来たら・・・?」
昨日、そんな根拠のない不安について、隣人と話していたところ、
ついに「東京湾」が震源地の地震が来た。
だから・・・今は、なんだか、座りの悪い感覚だ。




今日も、「計画停電」があるようだし、電車も不規則で・・・
昨日のような混雑を極めるのだろうか。

とにかく、外出するときには、歩きやすい格好の服装で、
歩きやすい靴を履いて、でかけるのに限る。
バッグの中には、オレンジジュースと、チョコレートを
入れて、カロリー補給をしながら、念のため・・・だ。

この「計画停電」を受けて、御所でも天皇陛下のご意向で、
節電と停電が行われるとのことだ。
常に、「国民と共にいたい」という姿勢の天皇陛下らしい
ご対処に、感動を覚える。
過去にも、日本列島に天災があると、ご夫妻で被災地を訪れ、
膝を折って、お声をかけられるのが陛下と皇后の優しさだ。
避難者は、高齢者が多いので、陛下が訪問されると・・・
おそらく皆さん勇気づけられることだろう。



東北地方では、今日、「雪」が降りそうだ。
今週の木曜日まで寒さは続きそうで、非常に気になる。
被災者の皆さんが少しでも暖かく、充分な環境で避難できることを
心から願う。
私は無力であっても、この気持ちだけは送り続け、祈り続けたい。




このたびの大震災と大津波は、大変な被害をもたらした。
原子力発電所の事故と、人災による原子炉の“空だき状態”が原因で、
今日もいろいろな対応を迫られそうだ。
明らかにされていない点を明確にして、これ以上のトラブルがないよう
適切な対策をしていくことを担当責任者には強く希望する。

「原発は安全である」と、国民に言い続けてきた言葉は、かなり重い。

世界中の人々が注目している「対応」だからこそ、安易に考えないで、
少しでも早く安定するために努力をしていただきたいと思う。


世界フィギュアS選手権延期!

2011年03月14日 | マイブーム -

東京での開催予定だった「ワールド」!

「世界フィギュアスケート選手権」が、3月21日から開催予定だったが、
このたび、正式に延期が発表された。


私も延期をした方が賢明だと感じていたので、あがくことなく、現実を
受け止めている。


現在、日本代表の高橋大輔選手は、福井県敦賀市で合宿中。
11日の午前中に練習を公開し、仕上がりの順調さをアピールした。
しかし、その直後、この日本列島を襲った未曾有の大震災だ。
本人の無事は確認されたが、“練習ができているのか”と気にかかる。
彼には、二連覇という大業がかかった、今回の世界選手権だ。
今日、関西大学のHPにコメントを発表したが、まずは練習に邁進すると
いう内容に、私は ひとまず安堵した。
東日本に滞在していたわけではないが、高橋選手が無事で何よりだ。
練習できる環境にあるみたいだから、本当によかった・・・。



私は、東京で3月開催される予定だった「ワールド」に関しては・・・
男子のショートとフリーの両日を、アリーナ席で観戦予定だった。
精魂込めて、取得したアリーナ席のチケット(前から3列目)だから、
心情としては「是非とも観戦したい」と思っていたが・・・
この願いは叶わなかった。
最初、私は“海外での開催が濃厚だと思った”ので、「ワールド」は
リアルタイムに観戦することが、ほとんど不可能になったと感じた。
そんな気持ちが、確信に変わってきている。
現況、こんな状態の日本では、世界中のスケーターをお迎えするのは
厳しいと思われるからだ。 電力確保もままならないのだから・・・。
しかし、「4月の東京開催の可能性もないわけではない」ようなので、
わずかな光明が差し込んできたような印象もしている。
はたして、今後、どれほどの改善がはかれて、地震もどれほど安定し、
人々の生活も復旧していけるのかにかかっている。
しかし、会場が見つけられるかなど・・・厳しい条件もあるようで、
率直には「中止になる可能性」を示唆する人も多いようだ。



オペラか、歌舞伎か、来日Vrのミュージカルか・・・というぐらい、
高額なチケットだったし、手に入れるのも大変だったし・・・
今回は何より思い入れが強かった。
それに、正直に言うと、こんな悲惨な状況だからこそ「観戦したい」と
感じ始めていたのも事実である。


たとえ、他国になってもいいので、できることなら開催をしてほしい。
そして、私たち日本人の想いをくみ取り、代表選手には頑張ってほしいと、
心から切望する。
元気のない日本に、「希望」と「勇気」と「喜び」を与えてほしい。
それは、単に結果ではなく、現在の日本国民のように、「一生懸命に!
できる限りの力を尽くしてほしい!」だけである。



この悲願だった世界フィギュアスケート選手権のプラチナチケットを眺め、
日本:首都圏に沸き起こった“あらゆる現実”を、今、かみしめている。

現実は現実として受け入れつつも、あくまでも個人的希望を吐露した。


 ★ ★ ★

それから、東北の高校に通う羽生選手の無事も確認されたようだ。
個人的に、とても気になっていたので、非常にうれしい。
彼は、フィギュアスケート界の「きら星」だ!
元気に、来期も成長を続けてほしい。



大震災の余波による混乱

2011年03月14日 | 出来事 -

まだ余震は続いている。
先ほどもまた、大きな地震(M6)が起こったようだ。
M6ぐらいの地震が、数日間途切れないなんて、本当に信じられない。


首都圏が動き出す今日、様々な混乱があるようだ。
被災地だけではなく、大都会「東京」もまた、経済活動がマヒしないよう
必死になって、踏ん張っている感じがする。
はじめて経験する大きな事態に、人々は戸惑っているのだ。

私は今、大都会の“落し穴”に陥ったような現象をイメージしている。



この大震災の余波を受けて・・・ 昨日、発表された「計画停電」。
東京電力の使用場所をグループ分けをして、計画的に3時間だけ
強制的に停電をするというものだった。

それを受けて、情報を収集しようにも、最初の発表内容(TV)とは
変更が加えられて、なかなか本当の状況がつかめないのが現実だった。
東京電力のHPもアクセスが集中して、カスタマーセンターも通話中で、
なかなか自分のエリアの確認もとれなかった。
やっと確認できたかと思うと・・・
自分の住まいの場所に関しては、二つのグループにまたがり、
「どっちのグループかわからない」という状態だった。
要は、番地が記されていないので、グループがわからないのだ。
短期間での諸々の決定と調整はたいへんだろうが・・・
そのあたりがわからないと、対処の仕様も変わってくるのに・・・。
このような状況では「仕方がないのか」と、あきらめるしかない。
結局、二つのグループの時間帯を同時に想定していくことにした。 



今朝は、どの駅も混雑をきわめて、出勤する際に1時間待ちの人もいる。
節電のため(運休で)電車のダイヤが乱れ、多くの人々が混乱しながら、
各駅停車の電車で、なんとか会社へ向かっている。
今もまだ、計画停電の影響で、混雑をして ままならない状態だ。

首都圏の風景は、かわらないが・・・いたるところに影響は出ている。
帰宅難民にもなりたくないし、出勤難民にもなりたくはないので、
変更&変更の電力供給の情報にアンテナをはっては、これからの数日を
過ごさなければならないようだ。


このようなことぐらいは、被災地の人々を思えば、何でもないことだ。
とにかく、日本列島の住民が「一致団結」して、これからの生活を
送っていきたいと心から思う。
近隣の人々ともコミュニケーションが増えて、情報交換と一緒に、
助け合うという姿勢を話し合った。
共に生き、共に闘い、共に耐えるために・・・・。


余震の恐ろしさ

2011年03月12日 | 出来事 -

昨日の地震(東北地方太平洋沖地震)は、衝撃的だった。
その後、ずっと微量な「余震」が続いている。
頻繁に起こる小さな揺れは、まだまだ予断を許さない状況を
知らしめるためのものーのようにさえ、思うぐらいだ。

昨夜、興奮していたからだろうか。
寝床は確保できたが、熟睡することはできなかった。
仕方がないので、朝の四時ぐらいまでは情報を得ながら、
パソコンに向かって仕事をしていた。
夜中の3時45分ごろには、大きな余震があったが、
それが、のちに長野と新潟の地震(M6)だと分かった。
たった今も、大きな揺れ。午後10時15分、
またと言うべきか、何度もと言うべきか・・・
東北でM6の地震である。
こうして、日本列島は、まだまだ落ち着くことがない。


昨日から続いて、本日も(終日)、各局「報道特集」ばかりだが、
被害者(死者)や行方不明者は、1500~1700人超とも言われ、
どんどん増える人数は、ただ身が凍る想いである。
安否不明者を入れると、数万人以上になるのではないだろうか。


悲惨な現状を目の当たりにして、生き延びられた人々の幸運と
生命力をありがたく感じながら、その言葉からいろいろなことを
感じる私がいる。
もし命の境界線があるとしたら、一体何なのだろう・・・と。
報道によれば、「生きているのが奇跡だ」と言っている人もいる。
関東に住む私でさえ、危機感を感じるほどの大地震だったのに、
被災地の皆さんの心情は いかばかりかと慮る。
全滅した地域に住む人は、「亡くなった人を思うと、言葉では・・・」
そういって、カメラの前で(気持ちを抑えられず)号泣していた。
私は、信じられないような光景が続いたために、テレビを観るのが
耐えられなくなった。 とても辛くなるからだ。 しかし、一方で、
これらの現実から「目をそむけてはいけない」と、切に思う・・・。




今日は、友人たちとも、いろいろなメール交換をしたが・・・
こんな状況でありながらも、愉快犯が「不幸の手紙」のような
嘘メールを送りつけ、「皆さんに伝えてください」という種の
問題を起こしていた。
いろいろなことを言う人がいて、実際にトラブルもあったりして、
「何を信じていいのか」混乱してしまい、一瞬わからなくなるが、
しっかりと見極めつつ、自分が冷静に情報収集するに限るようだ。


時間が経つにつれて、報道機関も計画的に(各局)稼働してきた。
倒壊現場や津波到来の、様々な壮絶な映像が公開されたり・・・
原子力発電所が爆発して、死亡者や被爆者が出たり・・・
本当に、全国の“切実な現状”が、あからさまになってきている。

こんな時は、何があっても、注意しておくに越したことはない。




恐怖を経て、不安と隣り合わせの今、私の気分は乱れたままだ。
実際、津波で壊滅した街並みをみて、喪失感を感じたり、
昨夜のようにライフラインが分断した生活を経験すると、
物欲にまみれて生活していた“自分の日常”を客観的に振り返り、
複雑な思いにかられる。
便利とは、何だろう・・・そんな気持ちまでも芽生えてくる。


我が家の4台のパソコンのうち、一台はすっかりと崩れ落ちて、
大きな打撃を受けていた。
陶器やガラスなどは壊れて、本箱の中のものは床に散乱。
部屋の中が「私の棲家ではない」という雰囲気をかもしだして、
何か気持ちがそわそわとして、落ち着かない一日。
余震が、余計に重圧感をもたらして、「安心できない」という
確信のような想いが、ずっと私を包んでいたようだ。


ライフラインが欠落した場合を念頭において、冷蔵庫の整理と、
食料の確保と、水の確保をしたが・・・
これさえも、ほんの数日だけの分量である。
被災者の皆さんへの救援物資不足を考えると、誠に申し訳なく、
複雑な気持ちがするが、自分の安全確保は大切だ。

友人から「停電になるかもしれないので、準備を!」という
アドバイスを受けて、食料品、飲料、チョコレート、日用品、
普段は買わないペットボトルの水や保存食料などを買い込む。
まだ、スーパーは平然と稼働していたが、間もなく何らかの異変が
いたるところに起こってくるのは間違いないだろう。
顔をあわした隣人にも、同じアドバイスをして、情報を伝えた。
そして、蝋燭の場所や、マッチ、ライター、懐中電灯などを確認。
早めにゆっくりとお風呂に入って、お水をためておいた。



今回の地震は、NZ地震の影響を受けているとも検証されているが、
日本での地震による津波は、世界各地に到達しているようだ。
インドネシアや、アメリカなど・・・太平洋はつながっているので、
外国まで被害をもたらして、死者や怪我人をだすほどの「大津波」。



他人事で済ますことができない「今回の大震災は、壮絶である」。
世界最大といわれるのは当然で、こんな悲惨な日本は初めてだ・・・。

医者である友人は、ボランティアを検討中で、ルートを探している。
私には「何ができるのか」・・・これから熟考し、検討していこうと
思っている。 
義援金は当然ながら、それ以外にも、何かあるかもしれない。



今回の震災で、被害にあわれた多くの方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

観測史上最大の地震

2011年03月11日 | 出来事 -

驚いた!!

まだニュージーランド地震の記憶が鮮明に残っている今日、午後2時46分頃、
観測史上最大のマグニチュード(M) 8,8と推定される地震があった。
「東北地方太平洋沖地震」である。
三陸沖を震源として、宮城県などでは震度7、東京でも震度5の揺れだった。


       ※ のちに、最初の地震は、M 9と変更された。
         まさに、断続的な世界最大の大震災となった!


まだ報道機関は、各局、地震のニュースを続々と伝えている。

東日本各地には、津波の被害、爆発、火事災害、家屋崩壊、地滑り、等など、
想像しなかった光景が、次々と、テレビを通して伝えられている。


本当に、とんでもない地震の揺れだった。

怖くて、怖くて、胸がドキドキした。


すぐに携帯はつながらなくなって、現在も「圏外」の表示である。
電話本線はつながったので、田舎に電話をしたら、やはり
心配をしてくれていたようだ。
私自身も、連絡がつかない人がいて、「大丈夫だろうか」と気になる。
仙台に住んでいる知人の顔が、浮かんだが・・・
今はとにかく自分の身の安全を確保することを第一として、
ほどよきところで連絡してみようと思っている。


夕方になっても、5分~15分おきに、小さな余震が続いて、
気分は落ち着かなかったが・・・その余震は、今も変わらずだ。


震災直後、私は屋外にいて、余震の状態をみていたけれど・・・
隣にいた見知らぬ男性は、笑いながら、すぐに携帯でアクセスして、
地震の情報をキャッチして教えてくれた。
「震度は、5ぐらいかなぁ」
「えぇ~そうなんですか? もっとあるように感じましたけれど―」
私が怖がって、落ち着かず、おろおろしているのを笑いながら見ていたけれど、
その後のテレビ中継を見る限りにおいては、案の定 非常にシリアスな状態だった。


二日ぐらい前にも、地震があったし・・・
何か不吉な気分に襲われているのは、私だけだろうか。

気持ちをしっかりと持とうーと言い聞かせても、「怖いものは怖い!」



天災は、どうすることもできない。

現況としては、日本全国の被害が最小限にとどまり、
今後の余震が大きくないことを願うのみだ。

余震がするたびに、まだ胸のドキドキがおさまらず、ひやっとする。
私って・・・母の血をひいて、本当に「臆病者みたいだ」。


 ーー ーー ーー ーー ーー ーー ーー

 <追記>

時間が経つにつれて、震災の模様や、被害状況が明白になってきて、
今回の規模の大きさと、死傷者の数の多さに、愕然としてくる。

政府の地震調査委員会は、「震源域は岩手県沖から茨城県沖までの広範囲にわたる。
これらすべてが連動して発生する地震は想定外だった」との見解を発表した。

チリの地震に匹敵するぐらいの“世界でも最大級の地震である”らしい。

今も、閉塞的な(寒くて暗い)場所で、避難を強いられている方々の胸中を想うと、
胸が締め付けられる。

私も、(大型火災で)身一つで放り出された被災者としての経験があるので、
身につまされる。 あの夜は、深夜に鎮火したが、寝巻のまま行くあてもなく、
持っていた家財道具(服や電化製品や日用品の全て)を、数時間で失った・・・。



今回の震災で、被害にあわれた多くの方々のご冥福を心よりお祈りいたします。