日本の驚くべき「借金額」

2012年01月31日 | 社会 -

さらに増えた!
我が日本国の「借金」が・・・。

まぁ、どんなにあがいても、
一秒・一秒ごとに、増えていくことになる借金!

少し前には 「660兆円」 だったのに、
現在の時点では 「887兆円」 になってしまっていた。
「膨れ上がっていく」とは、まさにこのこと!


国民一家庭の負担額としては、「1742万円」になった。
あっという間に、数字が増えていた。
(我が家は、私一人だから、一人で1742万円?)

これは、現実だ。
まぎれもない事実である。



一方通行のツール:mail

2012年01月30日 | ナンセンス -

どうしたものか。
やんわりと、要求を押し付けてくる内容を、
一方的なツールで送ってくる。

丁寧に書いて返信しても、しばらくしたら、
また、送ってくる。

メールには、(その都度)返信しないと、
誠実な姿勢が伝わらないこともあるし・・・
かといって、
何度も同じことを繰り返すのは、正直に言うと
「億劫だ」とも思う。
しかし、基本的な構造から理解していない人に
説明するのは、かなり骨の折れることだ。
それに、それをしないと、
結果は見えている。



今日は、時間が空いたから、突然、映画館に飛び込んだ。
そしたら、期待はずれの映画(日韓合作映画:My Way)鑑賞で、
たび重なる戦闘シーンと暴力シーンに、脳が疲れ果てた。
またまた、自宅に戻ったら、突然、「腹いた」が襲ってきて、
「痛い!」と 鎮痛剤に手を伸ばす。
PCを開いてみたら、夕方送信の「要望 mail」が 二通。
「まただぁ」と、感じつつも・・・
仕方ないと諦めの境地に立ち返る自分。
ため息ひとつ。
今夜は、とりあえず返信をしないでおく。



今日は、体力が落ちていて、気力も落ち・・・
相手を温かく無条件に受け入れる気持ちにいたらず、
さりとて、相手の要望をすぐさま否定せずに、
歪曲もせずに、対応する余裕がない。

今日観た映画同様、「一息つかせてくださいよ」と
言いたくなった。
目の前の仕事について、明らかに関心が薄れている。
そして、熱意も・・・。


実は、PCに向かいすぎて、電磁波の影響か?!
頭の奥がズシンズシンと重かった休日を過ごして、
何もしない週末を過ごしてしまった。
久しぶりに、心だけPCにおいて、身体はベッドに・・・。

身体の中から「電子」が吸い取られていくのを感じたが、
今日も電車の中では携帯電話に興じる人ばかりで、
まるで依存症かと感じるほどだ。


メールなのか、音楽なのか、ゲームなのかはわからないが、
電車の中のかなりの人々が、ケータイに目を向けている。
便利だからこそ、落とし穴があるように感じるのは、
私だけだろうか。
せめて、シルバーシート辺りでは やめてほしいものである。




若年者正規雇用化へ!

2012年01月25日 | 社会 -

たとえば・・・
「正規雇用者かどうかなんて、たいしたことじゃない」 と
思っている方がいるとしたら、それは大きな間違いだと思う。

特に未来ある若者にとって、正規雇用者ではないという立場は、
「未来に対する不安」を 抱かせることにも成り得る。


東京都は、今年から支援事業に乗り出すという。
少し「遅すぎるんじゃないかぁ~!」とは感じつつも・・・
「やらないよりは、全然有り難いことだなぁ」 と、素直に思う。



世間には、社員という肩書にかじりついた “おバカな人” がいる。
契約社員やアルバイトなどに、面倒な仕事を押し付けて、
あげくのはてに「自分のメリットにはならないんだよぉ~!」と
頑張っている契約社員を 怒鳴りつける横暴な人もいるらしい。
つい先ごろに聴いた実話である。



成果主義とうたいながらも、立場にしがみついたり、
保身のために優先順位をつけて仕事をしている日本企業は、
中途半端な印象が否めない。
本当の意味での評価がはかりきれないという現実もある。
だから、徹底的に成果で判断する「サム○ン」などの躍進企業に
どんどんと追い抜かれていくのだ。
結果は、非常に明白である。
そして、その差は、今後、どんどんとひらいていくことだろう。

生ぬるい環境・あぐらをかいた人材・ゆるい企業理念では、
競争社会で生き抜く人材は育たない。


それに、現在の日本では「ゆがんだ体制」が幅をきかせ、
本当の意味での成果主義など難しいのかもしれない。
それであれば、日本独特の美しい「助け合いの精神」が、
なぜ根底にないのか、お互いを思いやるチーム作りは、
連帯感とモチベーションをアップさせることもあるのだが・・・
なかなか現状はうまくいかないことが多い。
コミュニケーション能力のない上司につくと、やる気も失せる。
だから、往年の(伸び率が凄い)日本企業の社員の中には、
今現在のスタンスが受け容れられず、苦しんでいる人もいる。
大企業の中にも存在する閉塞感と、虚脱感・・・。
過去から脱皮できず、さりとて、現状を活かすこともできず、
中途半端な変革では、なんとも微妙な結果がもたらされる。



何かが微妙に変わってきていることにさえも気がついていない
鈍感な企業経営者のもとでは、世知辛い現実が待っている。

どこで、どのようにして、どのような目標をもって働くのか、
それらは、雇用者にとっては大切な要素だと思う。



総務省によると・・・
2010年の非正規雇用者は、1755万人となっていて、
前年度よりも34万人も増加した。
11年度も、就職先が決まらないまま、高校や大学を卒業した
既卒3年以内の求職者支援事業を、東京都は実施していたらしい。


「未来を担う若者たちに、少しでも夢のある安定した雇用を!」



私のように、自分で選択したこととはいえ・・・
不安定な非正規雇用者の歴史が長いと、それはそれで厳しいものだ。

そこから、私が得たことは・・・・「常に学び続けること」と、
「権威とも毅然とわたりあう勇気」と、「自分を鼓舞する重要性」だ。
それがなければ、私は本当に “弱い葦のような存在になる”。





白い世界&踏みしだく音

2012年01月24日 | 出来事 -


昨夜から降り続いた雪で、景色は真っ白だ。
4時45分、早朝出社の頃のアラームが間違って鳴り、
それで目覚めてしまったら、「うう~寒い」と感じた。

すぐに床暖房のレベルをあげて、
だったんそば茶を入れて身体を温める。


ベランダに出てみたら、誰かが雪の上を歩く音。
さくさく、さくさく・・・。
周囲は、うすく雪におおわれていて、
今日も寒い一日になるかもしれない。
今年初の積雪で、現況、空の便には欠航が出ている。



子供の頃、私が育った四国では・・・
地震と雪はほとんど経験したことがなかったように思う。
実際、地震の記憶は、あまりないし、
雪は二度しか経験したことがない。
それも、雪だるまもつくれないほどの「うっすら」だった。
最近の異常気象が原因で、現在は変動があるかもしれないが、
私の幼い頃、四国には雪がほとんどなかった記憶しかない。


地域によって、気温も天候も変わる。

奥深い信越、東北、北海道では、白銀の世界だろう。


さぁ、ちょっとだけ二度寝するか!!



そぼ降る赤坂 ティータイム

2012年01月23日 | 食事 -


ちょうど午後3時、ティータイムのお時間。

上と下のスケジュールを、むりくり開けて、
45分の「ぼ~ぉ~っとタイム」を (意図的に) つくった。
そして、久しぶりのイチゴショートケーキ&ダージリン。

  ※傍に置いてあるのは、二か月前につくった
   ピンクレンズとピンクフレームのかわいいメガネ。



冷たい雨がそぼ降る中の千代田線「赤坂」駅あたり。
この交差点、この通り、
この場所に、私は・・・何度立ったことだろう。

私のキャリアは、この場所からはじまったとも
言えなくはない。

懐かしい場所だ。

周囲の景色は かなり変わったが、角のケーキ屋さん、
インド料理レストランや、韓国料理店など・・・
当時からの店も残っている。

あの頃、このあたりで、深夜宅送のタクシーを捕まえ、
ぐったりとして帰ったものである。


降りやまぬ雨が、ぼぉ~っとした景色を演出して、
余計に昔の記憶を呼び覚ますようだ。



地下鉄キオスクには、「東京直下地震4年内に70%」の
文字が衝撃的に飾られている。
今日は、皆、会社でも この話題に触れようとしない。



   私は、錦織圭選手の全豪テニス「ベスト8」に、
   ただただ心が躍っている。
   いける所までいってくれぇい!

   「がんばれぇ~。にしこ~りぃ!」



首都東京 直下地震?

2012年01月23日 | 雑感 -

昨年の東日本大震災以降、東北・関東・東海の地震の頻度は、
かなりあがっている。
地震活動が、活発になっているのだろう。

自分が気がつかなくても、テレビのテロップに出ていたり・・・
携帯に注意報がメールされていたりするのも度々だ。


そして、ついに、マグニチュード(M)7級の首都直下地震が、
(4年以内のうちに)約70%の確率で発生するという試算を、
東京大学「地震研究所」の研究チームがまとめたらしい。

首都と南関東の地震の発生確率を「30年以内に70%程度」と
発表している政府の地震調査研究推進本部の評価に比べてみると、
とてもシリアスな数字であるし、予想としては何とも言い難い。

正直に言うと、30年というよりも、「10年ぐらいのうちに」
というのが、私個人の勝手な思い込みのような・・・素人考えだった。
常に政府の言い分は、国民を安心させようとする大雑把なものだし、
これぐらいではないか・・・という根拠のない予想はしていた。
しかし、今回の「4年以内のうちに」というくだりは、あまりにも
切迫している期間で、びっくりしてしまう。

本当に、そんな短い期間のうちに、大地震がくるのかと・・・
東北の被災地の暮らしも、他人ごとではないと思うぐらいの
恐怖に似た複雑な感情がめぐってくる。



気象庁の観測によると、12月までにM3~6の地震が、平均で
1日当たり1・48回発生している計算になるようだ。
東日本大震災前の約5倍に上っているということになる。




「地震大国日本」と言われるように、世界中の地震の一割が、
日本に集中して起こっている事実を想えば、珍しくもない。

しかし、ここにきて、また不安な要素が増えたとも思えるが、
情報を開示してくれない政府よりも、準備を怠らず、
何らかの来るべき時のために、心して暮らすのに越したことはない。



避難場所の確認、持ち出す荷物、必要な物資、交通網が遮断された
時のために考えられる方法、連絡の手段、情報の緊急やり取りの仕方、
・・・・なんか、たくさんあるけれど・・・・
やれることはやっておいた方がいいみたいだ。

一時は、毎日やっていた風呂カマに残り湯をためておくことも
また再開しよう。
緊急時にこそ、「水」は、本当に大切なものとなる。



都内からセシウム検出!

2012年01月21日 | 環境 -

昨日は、福島第一原発の四号機に異変があるという・・・
そんな情報があって、密かに“ざわざわ感”が ただよっていた。

また、その一方、東京都下にて「セシウム」が検出されていて、
その理由としては ガレキの焼却などもあげられている。
その量は、日常では考えられない数値だと言っておこう。

最近の「雪」や「雨」を、そのまま身体に受けることは、
かなりのリスクを 知らず知らずに 受けているのかもしれない。


ガレキを焼却するときに、空中に放射能を噴出していけば、
除染を繰り返したとしても意味がない。

福島だけではなく、これは全国での問題になってしまった。



日本が「放射能汚染」と「被ばく被害」に侵されている時、
何が安全で、何が危険なのかの線引きが 難しくなった。

もちろん、福島第一原発の四号機の不穏な情報などは、
まだマスコミは取り上げてはいないし、確証がない状態ではある。
しかし、「何かが起きた後では、遅いのだ」ということを、
私たちは覚悟して、現実を受け取っていかなくてはならない。


特に、若い世代の人々や、子供たちには、
被ばく量を少しでも減らしてあげたいと、心から思う。




   いつも時々出かけていくお蕎麦屋のご主人が、
   「明日も雨? 雪かぁ? まいったなぁ~~」と
   頭を抱えていた。嘆息の声が、店内に響いた。
   お天気によって、売り上げが かなり違うようだ。
   私は、全く同じことを感じたが・・・
   理由は完全に違う観点(理由)からだった。
   そこの天ざるは、定期的に食べたくなる。
   大きなエビも二尾、野菜もふんだんで、
   てんぷらの油配分がちょうどよい。
   蕎麦も、なかなかのものだ。
   今日は、久しぶりに食べられてよかったと
   気持ちよく素直に思って堪能した。
   食べられる内に、こうして食べておこうと・・・
   マジで感じる自分がいた。



福島原発の被災者から

2012年01月21日 | 社会 -


私の知人に会った時・・・・
非常に切実な手紙を見せられた。
それは、福島原発が原因で、育った故郷を追われ、
被災している人からの「心の叫び」だった。

えんぴつで書かれた何枚にもわたる手紙。
そこには、私たちが知りえない現地の状況が、
克明に書かれていた。
不条理で、理解不能な「理不尽」ととらえられそうな・・・
社会には報道されていない現実だ。



  津波は天災で、その点からは被災者に変わらずとも、
  原発からの非難を勧告された人もまた被災者と呼んで
  いいのだろうか。
  私は、罹災者には変わらないだろうけれども、
  あえて「被害者」と呼びたい気持ちが強い。





19日の夜、会社は「新年会」だったが、
私は、その知人との会食会を選び、出向いたのだった。

そこで、こういうシリアスなものと出会うなんて・・・
「世の中」と「被災地」の温度差そのものだ。
私が、新年会「ただ酒が飲めますよ会」に出席しても、
得るものはなく、暖かい懇親もなく、鋭気ある社長の話が
聞けることもない。
そこに参加している人も「ただで食事して酒が飲める」としか、
考えておらず、短絡的で安易な“時間の過ごし方”だ。

福島の被災者の「生の声」である手紙は、胸につまるものがあり、
誰も気にかけてくれない「不透明な未来」についても書かれていた。
「政府も東電も・・・」というくだりがあり、当事者たちは、
もどかしい現実を抱えている。

これこそ危機感に満ちている。
人が生きていくうえで、何が最低限度必要なのか・・・と、
自分に置き換えて考えてしまう。
彼らには、選択権などなく、社会からの向かい風に立ち向かい、
それでも元気を出して、声をあげていくしかないのだ。
切迫感に満ちている。


政府も、東電も、全国民も、
福島原発のことを忘れてはいないだろうか。
あるいは、すでに終わったこととして、
線を引いていないだろうか。


私たちには、思い出すことであっても、
被災者の皆さんにとっては、日常生活である。

何も持たずに家を追われ、安心して暮らしていけない人々の
不安を解消することはできないけれど、せめて「声」に耳を傾け、
その「こころ」に寄り添うことはできるのではないだろうか。

被災している皆さんは、今、感じていることを、どこに伝えて、
誰にぶつけたらよいのだろう。
放射線の恐ろしさと、常に闘いながら、生きていく必要がある。


私が読んだ、その手紙には・・・
マスコミが報道しない「彼らの暮らし」と「切迫した思い」が
書かれていたけれども、もし読むことがなかったら、
現地の人々の考えも、強いられている現実も知ることはなかった。
社会の横暴とか、権威の押し付けとか、そんな疲弊した概念が
私の中に芽生えた時、耐えられない気持ちになった。
疲れている時こそ、感情は多感になる。だからこそ、余計に、
その手紙にくぎ付けになったのだろう。
しかし、その一方で、現実的には「向き合う自信がない自分」を感じ、
チャージしなければ・・・ということを思ったりもした。
けれど、これは、個人が解決できる問題ではなく、
もっと広い意味で、全国民に「現実」を知ってほしいと思う。
そして、「何を感じとるのか」を、全国民が体験してほしい。
まずは、そこがスタートラインだと感じる。



「初雪」に凍える朝

2012年01月20日 | 出来事 -

今年はじめての「雪」だ。

どんどんと降っている。


この数日は、夜明け前にでかけて、高層ビルで太陽と出会い、
分単位の仕事をしていた。
疲れた身体を持ち帰った昨夜22時、あまりにも冷たい雨に
びっくりする自分がいた。

いつまで降りつづけるのだろう。


今日、夕方は・・・大事なパーティが有名ホテルであり、
参加予定となっている。
ハイヒールを履く予定の私にとっては、厳しい天気となった。
着る服もまた考えなければならない。

ベランダから見る「横殴りの白い雪」は、とても綺麗だが、
人間社会では・・・時に不都合な情況になってしまう雪には、
申し訳ないけれど、天候はいつもこんなもの―。
天災もまた、こういうものだ。

見る角度や、立場によって、
色がかわる両生類のように・・・
自然もまた、こういう側面をもっている。



大学の入学時期が秋に?

2012年01月18日 | 出来事 -


今日の日経新聞の第一面は、東京大学の入学時期に関するものだった。

秋入学の可能性について議論してきた東大の検討会は、
中間報告を正式にとりまとめて、「現在、春になっている入学時期を、
秋に全面移行することを積極的に検討すべき」と提言したとのこと・・・。

グロバール化が影響していて、海外の生徒なども意識してのことだろうか。


英国のように、入学までの半年間は、留学するとか、ボランティアをするとか、
インターシップに参加するとか・・・・・様々な方法で、入学までの時間を
学生たちは過ごすことになるらしい。
経済的に厳しいとのリスクが指摘されていたが、そもそも東大に入学するような
学生たちは、この程度のことは どうにかなる環境で育った学生だという気がする。
教育の中の格差ではないが、子供の頃から塾や、新しい教材を使って、
勉強している学生が多いので、ただ短絡的にそう思っただけだが・・・。
 (まぁ、一部の超絶「天才」を除いては・・・)

学生にとっても、学びの前に、社会を見たり、一息入れる時間があるのは、
人間的に“よい経験” になる可能性がある。


でも、やっぱり、一言では結論など出せないぐらいの複雑な背景がありそうで、
日本の大学というものもまた、危機的な状況を迎えることになる。
論文を書かない教授がたくさんいたり、名前だけでたいした成果もなく、
ただ肩書きの先生(教授)も多い中で・・・
大学が生き残るためには、一筋の強い「取り柄」のような・・・
誇れる“何か”が 必要なのではないかと思う。



東大の秋入学は、早くても5年後以降らしいけれど、
社会の価値基準も、徐々に変わっていって、少しでも総合的に優秀な人材が
一人でも多く育ってもらえる環境であることを願いたい。



今年初めての「牛肉」

2012年01月17日 | 食事 -


最近、鶏と豚が中心だった食生活。

今日は、六本木で二時間も空きが出てしまったので、
すごくゆっくりとしたランチと、日用品の買い出しに行った。

ランチは、すごく久しぶりの牛肉だ。
「○○肉のカルビ&ロースの定食」――1500円―
どこかの地方都市の有名牛のようだ。
綺麗な霜降りが、テキスタイルデザインのようだ。

しかし・・・
覚えていないぐらい前に食べて以来の「牛肉」だと思う。
炭火で焼くカルビは、また一味も違って、
寒い外気をガラス張りに見ながら、
風情たっぷりの炭の香り・・・。

やっぱり炭は、いいなぁ。

実家に、囲炉裏をつくろうかと思うぐらいだ。
つくってしまおうかなぁ。


お味も美味しかった。
お値段も、お店の雰囲気も一流っぽいけれど、
霜降りのお肉は、焼くよりも見る方が絶品!!
でも、それ以上に美味しかったのは、白飯。
炊きたてで、くさみがなく、お米がたっていて、
光っていた。
こういうご飯には、何のおかずでも結構!
たまりましぇん~~!


けれど、本当は・・・
身体のことを考えると、やはり鶏が一番なんだよね。



今日は、お買いものも・・・。

買った日用品は、肌荒れ対策の「ワセリン」と、
切れたリビングの「電球」。
こういう実用的なものは、買いたいと思いながら、
いつも忘れてしまうもの・・・。
とりあえず、よかったぁ。


同性婚のジョニー・ウィアー

2012年01月14日 | 人物 -

今年のお正月開けに飛び込んできたジョニー・ウィアーの結婚報道!
お相手は、非常に目を見張るイケメンで、ロシア人男性(弁護士)。

フィギアスケート界においては、彼が「同性婚の先駆者」となった。
ジョニーは、すでに 「I am gey!」 と カミングアウトしていたので、
さして驚きはしなかったが・・・
その後、動画サイトでカミングアウト前後に出演したトークショーを
いくつか観ていたら、彼の “突き抜けた幸福感” が 伝わってきた。
その輝きは、うらやましさを覚えるほどだった。
自分のスタイルを貫きながら、毅然と、主張している言葉には、
昔のような暗い同性愛者のイメージは皆無である。
確固たる価値観を語り、彼独自の世界(意見)を伝えようとしている。
適宜、我流とジョークをきかせては、達観した反応が目を引く。
ファッションセンスがぬきんでている彼のこだわりは、ある意味で、
随所に感じとれて、彼のトーク番組を観ていると 解放感さえ覚える。
とても自分に正直な・・・ある意味でピュアな人だと思った。
真面目な番組には、それに応じたコメントができる聡明さもある。
とても人間的で、繊細で、彼独自の価値観と世界を持っており・・・
一言でいえば、非常に “魅力的な人” だ。


もともと中性的で、ゲイっぽい雰囲気をかもし出していたし、
カミングアウトしても、「やっぱり~ぃ」としか思わなかったが・・・
正直に言うと、結婚するまでの行動力があるとは思っていなかった。
そういう意味では、競技大会でのフィギュアスケーターとしての
彼しか知らなかったので、当然のことではあるかもしれない。

同性婚のニュースを受けて、私は より詳しく情報がほしくなった。
彼に対する興味がわいたのだろう。 
行動力の源と、彼自身の思考が、もっと知りたくなったのだ。
だから、過去に出演したトーク番組をネットで探し、観つづけ・・・
その結果、一人のスケーターの印象は、がらりと変わった。



素敵な身体のフォルム。
芸術的で繊細な表現力。
美しいスケーティングで魅了して、世界中に多くのファンを持ち、
日本にも何度か来日している全米チャンピョン・ジョニー・ウィアー。
その彼が、今、人生を謳歌している。



もともと「結婚」というものは、一般的に、他人である男女間について
法律上認められていた婚姻関係の成立ではあるが、
もっと本質的なことを考えれば、愛する者同士が「家族関係をつくる」
という観点においては、同性愛者の婚姻は何ら不可思議なものではない。
ジョニーたちは、将来、養子をもらって、二人で子育てをする考えで、
違和感なく受け入れたい人生設計も持っている。
愛し合う者同士が到達するであろう “自然な流れだ” と 思う。


元来、同性愛者は太古の昔から存在していたにもかかわらず、
社会的には差別的待遇を受けて、本来の自分を隠して生きていた時代が
長く続き、やっと30年ぐらい前から、具体的にはこの10年ぐらいで、
大きな変化が起きてきたと言えるだろう。
日本では、まだ同性愛者の婚姻が認められていないように、現在も
世界のいたるところで、「同性婚」についての議論が かわされている。
実際には、まだ(偏見に満ちた)マイノリティーの見方が主流だろうし、
現実的なことを言えば、生きていくうえで壁に遭遇することも多いと思う。


しかし、芸術的な志向が強く、それを生業としている人には、
そういうゲイ的な背景がある人が多いのは事実だ。
音楽家、俳優、デザイナー、クリエイタ―やアーティスト全般、
産みの苦しみを味わっているような職業の人こそ、感受性が強く、
特別な感性によって、表現する力を蓄えられるものであるために、
私個人は何ら不思議な想いを抱くこともない。
もちろん、差別なんて、とんでもないことだと感じている。




ジョニーは、本当に幸福そうだ。
自分の人生を楽しんでいて、それが氷の上の姿にも影響を与えている。

昨年(後半)のジョニー・ウィアーのアイスショーの動画を観ると、
エンターテイメントとして、素晴らしいと感じる。
競技生活を休んでいるので、身体の線は少しばかり変わったけれど、
衣装、メイク、表情、目線の流し、手足の動きの細部にいたるまでが、
独特な「彼の世界」を作り出している。
いつものプログラムを、衣装ごとに振付を多少変えて、披露しているが、
やはり目を引くエンターティナ―だと思う。
彼が敬愛する 「Lady Gaga 」 のナンバーは、本当にどれを観ても、
引き込まれる感覚になる。
「Lady Gaga 」の歌詞は、衝撃的で、同性愛者に指示されているが、
まさにジョニーが共感し、創作力をかきたてられる世界観なのだろう。
しかし、それにしても・・・、個性的な彼のセンス!
競技プロとは違って、とても前衛的で、私はどの作品も好きである。






競技大会は、どんどん四回転ジャンプ時代に入ってくるだろうから、
ジョニーのような選手は、ショ―向きなのかもしれないとも思う。
制約のない “彼がつくり上げる世界” を、もっと堪能したいという
そんな欲求にかられるというのは、彼自身がアスリートというよりも、
表現者の域に入っているように感じるからだろうか。
人には、時が経たら、その人にあった環境や居場所が存在するものだ。
彼は、今、充実した時間を過ごしながら、さらなる生き方を探求するため、
楽しい時間を過ごしているように感じる。
誰にもある幸せのピークを迎えているのかも・・・。
彼のイメージは、まさに「美の探究者」だという印象がする。




   ※2014年3月20日
    離婚を発表した。
    わずか二年の結婚生活だった。
    愛し合うことは この上ないことだし、婚姻は重要なけじめだが、
    それを継続できなかったことは残念なことである。



見えてこない社会保障!

2012年01月14日 | 社会 -

「適材適所」を主張していた野田内閣が、内閣改造を終えた。

さぁて、今度は「消費税」ばかりに焦点があたっているが・・・
評価が非常に難しい顔ぶれが並んでいる。

かつて、民主党には、大きな期待を抱いて、投票した国民も、
底をついてしまった政権交代の “ ナレ~の果て~ ”。



社会保障(年金・保険)などが明確にならず、信頼感もない今、
消費税ばかりのことを言われても、なんとも気持ちがついてこない。
社会保障は、国民にとっては大切な要素だと思うけれど、
いつも話題にでるだけで、進展が見られず、明確なものが見えない。
被災地の失業保険などは、深刻な状況のようだ。

まずは、改革するべき部分が、まだまだ多いように感じるのは、
私だけだろうか。
公務員制度や国会議員の待遇などを、あらためて考慮してみると、
民間では考えられないことが多すぎる。
それでも、そこに触れずに、自分たちの“身を削ること”をせず、
体制も制度も見直さず・・・
突っ込みどころの多い現実がありすぎるように思う。


信頼できる柱が、私には見えてこない。
そもそも、そういう柱は、存在しているのだろうか。



「介護人」としての苦悩

2012年01月12日 | 出来事 -

介護生活をずいぶん前に卒業した私は、今でもいろいろと
「介護」ということについて語り合うことが多い。

今日も、午前11時に会って、打ち合わせをしていた人と、
仕事の話が終わった後に、そういう話題になってしまった。
昨年から一緒に仕事をしている30代半ばの女性だ。
田舎から帰京したばかりで、今日は「心」がまだ故郷に
残っていたようで・・・彼女は、ぼそぼそと語りだした。

昔の私とよく似ている境遇で、介護人生活をしている人だ。
まさに、初期時代の“私の感情” が、そこにある感じだった。



彼女の話を、ひとしきり聴いた後で、
私が、長きにわたって到達した考え方を披露したり、
今の状態(感情)を話したりすると、急に彼女は泣きだして、
抱え込んでいたモノを(どど~っと)噴出しだした。
ちゃんと話せる人がいなく、キチンと聴いてくれる人もいなくて、
友達に話しても的外れな発言やアドバイスばかりで
疎外感を感じていたらしい。そのために・・・
いつの間にか(他人に)「話すこと」をしなくなったという。
そして、自分の心を封じ込めていて、我慢していたようだ。

家族との関係や、介護している人との関係、
本当に、私の感じた感情を、彼女自身が追ってきているような
そんな印象を受けた。

故郷を離れ、親の介護のために、一生懸命に働く・・・。

たとえ帰りたくても、田舎には(自分にあう)仕事がなく、
東京でしかできない自分の仕事があるから―。



携帯電話で、他の仕事先の人に追いかけられながらも、
二人で話しこんでいたら、結局3時間半があっという間に
過ぎていた・・・。

彼女のいくつかの具体的な悩みは、私が長い時間をかけて、
到達した結論の一つ一つだった。
だから、過去のことがまるで昨日のように感じられて、
私も感傷的になってしまったりもした。
やはり、似たようなことを経験している人は、似たようなことを
感じたりすることもあるし、似たようなことで悩んだりする。
性格が違ったりしたら、そういうこともないだろうに・・・
気がつかないところで、自分で思い込んでは苦しみを増している。


彼女の介護人生活は、今年で6年目だと聞いた。
刹那的なことに逃げないで、ゆっくりと受け止めてほしい。
まだ、まだ、これからが、長いかもしれない。
体調に気をつけるため、リラックスする方法をアドバイスしたら、
「やってみる」と言っていた。

話してみると気分が楽になったそうだ。
もし、私と話すことで、そういう気持ちになってくれたら、
私は光栄なことだと思うけれど、
何か “きっかけ” がないと 共有し合えないこともある。
特に、仕事関係の人には、必要以上に言えないものだ。
こういう話題は、なかなか突っ込んで話せる機会が少ないだけに、
お互いに貴重な時間だったと思う。



2012年の幕開けに痛感!

2012年01月03日 | 雑感 -


2012年の幕開けだ。

子供の頃の「慣習ばかりを経てから迎える“元旦”の記憶」が、
懐かしい日本のお正月文化を思い出させてくれたが・・・
簡素になってきた区切りの付け方は、旬をなくした野菜のように、
今年は 心地の良い「あけおめ!」にはならなかった。
もしかしたら、年末からずっと続く昨年からの想いと体調不備が・・・
突き抜けた気持ちになれない理由だったかもしれない。
そんな印象がした。


しかし、お正月らしい田舎のお雑煮は、一年に一度の味で、
やはりこの時期にしか食べられない魅力がある。
「郷愁」という言葉がぴったりだ。
田舎の味が、時間を戻してくれるし、思い出を呼び覚ましてくれた。



お正月・・・
除夜の鐘がなると、近所の八幡神社にお参りにでかけていた頃が、
思い出された。 (まだ、私が幼い時の話だ)
いつも誘うのは、父だった。
信心深い人だったから、「どんなときにも真面目に手を合わせ、
素直な気持ちでいたなぁ~」と、今だからこそ、冷静に感じる。

特に、小学校低学年までの風景が、何度となく思い出された。





我家の三が日は、駅伝ではじまり、駅伝で終わる。
それは境遇が変わっても同じだ。

元旦のニューイヤー駅伝は、久しぶりに(私が好きで応援している)
今井正人選手(トヨタ自動車九州)と 藤原正和選手(Honda)が、
四区から五区へのツナギで、一瞬だけれど・・・
同じ画面に収まって観られたことで、なんとなく笑みがこぼれて、
私個人の “地味な喜びの一瞬” だった。


箱根駅伝の二日間は、東洋大学の “ぶっちぎり” の成果を観られて、
感動的な結果となった。
キャプテン・柏原選手の最後の箱根は、素晴らしい結果で閉められた。
1年から注目されてきた彼には「マラソンにトライしてほしい」という、
私個人の期待がふくらむ幕引きになった。
やはり、どうしても「駅伝からマラソンへ」・・・・・というのが、
何よりも楽しみなコースである。
素晴らしい資質を持った選手には、マラソンで世界と闘ってほしい。

マラソンは、厳しく、魅力的なスポーツだ! 
精神力と体力の両方が必要な “過酷なスポーツ” だが、
他に類をみない、その人の全てが浮き彫りになる総合競技――。
だから、“昔から大好きなのだろう” と思う。


今年の箱根駅伝は、首位大学が凄すぎて、タスキが繋がらない現象が
出てきてしまうほど、驚異的な結果をもたらした。
昨年も、昨秋の全日本も観ている私としては、ただただ東洋大学に
賞賛をおくりたい気持ちでいっぱいだ。
往路・復路ともに優勝で、大会記録を更新する結果!
本当に、よく力を尽くして、私たちに見せてくれた。
しかし、(まるで現代の資本主義経済の構図を想像するような) もの凄い
ぶっちぎり感だったので、下位でありながらも頑張っていた選手に
“悲劇” を与えてしまったのも事実である。
通年なら繋がるタスキが、制限時間のため、繋がらなかったのだ。
それだけ、東洋大学は群を抜いていた。
努力して、頑張って、結果を出した者に与えられる称号と名誉だが、
(私自身が)今年ほど下位の選手たちに心が傾いた年はない。

東北出身の選手に注目が集まったり、勇気をもらえる駅伝を観ながらも、
心は被災地にあったりと・・・・いつになく特別な三が日だったと思う。

おそらく、こういう心模様は、全国に多少は共通するものかも・・・。
でも、だからこそ、「今年は有意義な年にしよう!」という気持ちに
させてくれたのだとも思う。


   ※余談だが・・・
    今年の箱根には(昨年よりも増えて)、双子ランナーが
    3組ぐらいは出ていて、どの双子ランナーも実力があった。
    未来の「宋兄弟再来!」を期待してしまう楽しみが増えたなぁ。

   ※これも、また、余談だが・・・
    駅伝のとらえ方を、一人一人の「絆をつなぐ」と解釈するのか、
    参加者一人一人の「団結力での勝ち負け」に帰着するのか・・・
    今年ほど感じたことはなかった。
    考える必要もないことが、頭をよぎる年だったということだ。
    




また、「年が明けたぁ~」と思った途端に、浮かれ気味な気持ちを
「忘れないで」と諌めるような大地震が、東北と関東全域に起こった。
またたく間に「昨年のことが終わっていない現実」を思い知らされ、
とても意味のある地震に感じ、すぐに身も心も引き締まった。

復活や復興、そして、協調体制を持って、皆が歩んでいくことが必要で、
それを達成するため、「自分もできることをやり、前向きに生きていこう」と
マジに感じる年頭となった。
いつもよりも、浮かれていない自分を感じたし、
具体的なことが、日々、次から次へと頭を駆け巡っていた。
しかし、力は抜けていて、無理のない感覚が心地よくて、
「等身大でいこう」 「なるようになるさ!」という気分が大きい。


私にとっては、なんとなく・・・やっぱり・・・
特別な年明けのように感じた。

あとは、ゆっくりと心と身体を休めて、
着実に、生き抜いていくことだけだ。