多忙な日々

2007年12月11日 | 雑感 -
「現代人は、いそがしすぎる!」
「何を目的として生きているのか―と思うほど働いて、どうする??!」

     何が現代人だぁ~!
     “私”が忙しすぎるのだぁ!
     (このブログも、すごい久しぶりですぅ)




ぞくぞくと、クリスマスカードが届く時期になった。
風習は違うものの、この季節の“かの国”の居間は賑わしく、
サンタやツリーに彩られたカードがところせましと飾られている。
近況を添えた「一年のご挨拶」~日本人にとっての年賀状のようなものだ。
今年は、怠惰にもクリスマスカードを送っていない。
「届くかもなぁ」と思ってたりして期待してくれている“かの国”の人々には、
本当に申し訳ない気分になってしまっている。
顔が浮かぶ。
だから、ちょっと気分がブルー。
身体は、多忙な毎日のために、グレー。
(最近は虚弱体質になってしまい、薬に頼りきった生活とも言えなくない)

いやはや、人間は「活きている」ことが何よりで、自分のよりどころとなる場所で
自分が必要とされていることをするのが何よりである―――がぁ・・・・・
「働きすぎはよくない」と思う。
平衡感覚をなくすことが多く、健康的な時間がすごせなくなることが多いからだ。


私のように、「ひとりぼっち」になってしまった「独り者」は、もっともっと
切実である。
「がんばりすぎないで」と声をかけてくれる人もいないし、
そばで「生存確認」と「健康管理」をしてくれる人もいない。
隣のおばさんが、「いつでも言ってね」と言ってくれるのとはわけが違う。
勿論、それは非常に心強いことではあるが、根本的な意味合いが違うのだ。
その深く、厳しい谷底のような「想い」と向き合いながら・・・すでに
長い年月がすぎたものの・・・・・なかなか折り合いをつけるのは難しいようだ。
完全に慣れ親しみ、完全に受け入れられた状況であるとも言いがたい。
のびやかで、自由!
マイペースで、制限もない。
でも、不安定で、さびしい・・・。
それが、私の生活である。

やはり、“何か”が欠けているような、完全ではないような、そんなイメージ。



そこから逃げるために、忙しくしているわけではない。
「忙しくなった」のは、「たまたま」のことである。

ただ、忙しくなって、気がついたことがある。
“何か”から逃げるために、忙しくしている人があまりにも多いことに――。
そして、彼らは“そのことに気がついていない”ことに――。
潜在的な「こころ」が操作している行動だとは思うけれども、
これもまた、健康的な流れとは言いがたい。
意図的な「逃避」は、解決策にはなっていない。
「さびしさ」も「不安」も「心細さ」も、根本から消えることはないし、
向き合うことを避けているために、共にいることさえ厳しいようである。
自分の中に巣作っている「一部」であるのに、共にいられないなんて・・・・。
私は、“ともにいたい”。
どんなに厳しい自分の「一部」であっても、ともにいたい。
だから今、それらを完全に受け容れるために苦しんでいるのかもしれない。

正直に言おう。
私は、まだ・・・苦しんでいる。

 「辛い」んだ・・・。




秋だもんね・・・。
ガラス窓から見える木々たちの葉っぱが、色を変えてしまった。
タクシーの窓から(一瞬のうちに)過ぎ去る銀杏並木は黄金色で、非常に美しい。
カサ、カサ・・・という音が聞こえてきそうである。
そういうときは、つい“観とれてしまう”。

秋は、従来、物寂しい季節だと言われてきた。
そのうえ、寒さが増している「冬」になってしまった最近は、
より凍えてきそうだぞ!
身体よりも、心が凍えないように、
ため息も(時には)つきながら、今日を乗り切ろう・・・・と思っている。
今日の果てには、明るい明日が・・・・
・・・なんちゃって!


         
        「苦しますカード」どうしよう?!
                  今からでも、書くかな?
         う~ぅ~ん。