三ヶ月の苦難

2005年09月30日 | 出来事 -
一昨日のことだ。
病院から帰宅した時のことだった。

父の両手が、マッチロヶ~になっている。
  「げぇ~、どうしたん?」
  「きたなぁ~。どしたんかいなぁ?」
   父も怪訝な顔で、両手をこすり合わせている。

これは、
・・・ナ、ナ、ナント、
我が家の大家さん(奥様)が、白いペンキを塗ってくれていたのだ。

この家の構造をご説明すると・・・
入口の門扉を開けると、小さな踊り場がある。そして、その下に鉄骨の階段がある。
階段を八段ぐらい降りてくると、我が家の小さな庭と玄関があるのだ。
その鉄骨の階段部分に、マッチロイペンキ・・・
足元のおぼつかない父は、必ず両側の手すりに“しっかり”つかまって階段を降りる。

「良かれ」と思ってしてくれたことだろうけど、
一言・・・言ってくれないと、(はっきり申し上げて)困り果ててしまう!
除光液で(どうにか)ペンキはおちたものの、この程度で良かったと思ってしまった。

今日は、今日で・・・例の大家さん(奥様)が、
勝手に入ってきて、我が家の納戸を開けてスコップを取り出し、勝手に庭仕事・・・。
父がびっくりして、「へんな人がおるよ~」と心配してしまった。
一言・・・言ってくれないと、(はっきり申し上げて)困り果ててしまう!
{いったい何がしたいわけ?}

実は・・・
大家さん問題は、この三ヶ月間“頭痛のタネ”になっている懸案事項である。
世の中には、いろいろな人がいるから・・・本当にいろいろな人がいるから、
とにかく振り回されないようにしなければならない。
父には、余計な心配をかけたくないために、今だ“四苦八苦している”最中である。

引っ越ししてすぐに、「家賃を上げる」「管理費をもらう」という一方的な要求があり、
(その他にも、唐突で理解不能な行為や言動、不当な扱いが、ずっとずっと続いて)
挙句の果てに「うそつき!うそつきぃ~~~」という雄叫び電話があったりもした。
私にとっては、夢にまで出てくるようなオッソロシイ経験を、何度もしてきたのだ。

今日は、頭の中が「ぷつん~」と切れる音がしたので、飛んで出て行ったのだ。
 <突然切れたのではない・・・様々な前段がある:略>
そして、大家さんのご主人と膝を交えて(奥様の行為に対する)話し合い・・・
かなり長い時間を要し、言いたい事を全て吐き出して、相手に伝えた。

   すっきりしたぁ・・・・・

トイレを我慢していて、我慢に我慢をかさね、ついに辿り着いて、
「ふぅ~」というため息と共に、“こと”を終えた瞬間のようだったョ。

大切なのは、たとえ激昂していても、冷静に対処すること。
そして、何よりも建設的な話し合いに持っていくように努力すること。
しかし、言いたいことは我慢せず伝えること。主旨をずらさないように気をつけること。
伝える言葉を選び、明確な姿勢でのぞむこと。信念を曲げないこと。
相手からの“きちんとした返事”を手に入れること。手に入れるまでねばること。
やったことに対する自分自身の心の整理をつけること。

大家さん問題も、最終局面にさしかかってきた。
あと“もうひとふんばり”という感じだ。
仲介業者や代理人を通じて話し合うよりも、“直接”の方がずっとずっと進展が早い。
一日も早く、三ヶ月の苦難に区切りをつけたいものだ・・・。

遅い帰宅

2005年09月30日 | 雑感 -
昨夜の帰宅は、かなり遅かった。
久しぶりに遅かった。
早朝に外出して、渋谷⇒飯田橋⇒川崎と、ぐるりんと東京圏を移動したカタチだ。

「遅くなるからね」と伝えていたが、父は“やはり起きていて、待っていた”。
部屋の明かりをつけ、カーテンを開けて、門柱の方を見ていた。
窓際に座って、(ガラス窓を通して)入口を凝視していたのだ。

これが、きつくて・・・

だんだん帰りが早くなっていった。
そして、いつしかヘビーな仕事が入れられなくなり、もんもんと精神的に苦しむ時期が続いた。
思い返せば・・・実質的に、“全てを一人で抱え込んでいた”という状況が確実にあり、
それは(私にとっては)かなり負担なことでもあった。
だから、徐々に“追い込まれていく”結果となる。

なぜ、きついのか・・・
  自由に時間を過ごしたいのに、気持ちが落ち着かない。
  父が気になって仕方がない。
  一人のときに何かあったら、どうしよう(不安)と思う。
  私の帰りを待つ父の想いが、痛々しく感じる。せつない。
  帰宅後「探した」「心配した」「警察に電話しようと思った」等の発言が繰り返される。
  それを聞くのが、かなりキツイ・・・。

今、ヘルパーさんに頼んで来てもらっても、また同じようなことを経験している。
おそらく「父の存在を気にしないで自分の予定をこなす」ことは、今後も無理だ(限りなく不可能に近い)と思う。

こうして、ずっと“きついことを避けている”と、父にとっては快適かもしれないが・・・現実的には“私がミイラ化してしまう”部分があった。
「やりたいことができない」と思う自分が、“閉塞感”を生んでいる。
だから、“がんばらない介護”を目指した方がより健康的であることに結論は至ったのだが・・・肝心の問題は、周辺の状況ではなくて、私自身の心の中にあるようだ。
“どのような状況なのか”ということは、あまり関係ないのかもしれない。
実際、自分を追い込んでいるのは、自分自身の思考や“この心そのもの”であり、
「私が私自身を追いつめている」からだ。

では、「なぜ、気持ちが落ち着かないのだろうか」・・・。
これからは、この辺りの思考部分を、もっともっと掘り下げていく必要がありそうだ。

やはり“私の心の安定が得られるか否か”が、キーポイントなのだろう。
「感情をコントロールする能力」を、いかに私が駆使して、
・・・この自分自身の想いを克服していけるのか・・・ということなのだと思う・・・。

ニューヴァージョン!

2005年09月28日 | 介護日記 -
父のために、電気毛布(敷き用)を出してきた。
ふかふかの掛毛布は数日前から出してあるが、これで完璧な(冬用)寝具セットが完了した。
ついこの間まで扇風機やクーラーを使っていたのに・・・
今は~もう秋~♪ 
すっかり~秋だから、来るべき冬将軍に向けての準備だ。

これまで父の布団カバーとシーツは、白色がメインで、時おりベージュを使用していた。
排泄の失敗や手足元の狂いなどから、布団カバー・シーツ・足元のマット等は(ほとんど毎日のように)交換している。この数週間は、ほぼ連日の決まりごとになっている。
そういう状況の中では、とにかく「白」は汚れが目立って分かりやすい。
うすいベージュも同様で、すぐに見つけやすいので、本人の自尊心を傷つける前に、てきぱきと行動が起こせるのだ。
とにかく、清潔な印象を与える白は、見ていても気持ちがいい。
だから、いつもそれが定番になっていた。

しかし、今日は、いつもと違うことをしてみた。
何か言われるかなぁ~と思ったが、とりあえず試してみた。

初めて「ピンク色の布団カバー」にしてみたのである。
とても鮮やかで、かわいいピンク色である。
冬用のぽかぽかした肌さわりの布で、何か言われたら“それを理由にしよう”と(笑)。

父は、一言・・・
 
 「ええなぁ~~」

     そうかぁ、ええんかぁ~!? ホンマに、ええの?
     良かった、良かった。

思い起こせば、この「ぴんく」の布団カバーは、母が送ってくれたものである。
一人暮らしを始めて間もなくの頃、宅急便で送ってくれたものなのだ。
母はピンク色が大好きで、洋服にもピンク系が多かったみたいだ。
かつての私は、ピンク色よりも“ビビットな色味”や“シックなテキスタイル柄”を好むタイプで、
このカバーも使わないまま何年も押入れの中にしまってあったのだ。

ピンクの布団にくるまって、すやすやと寝ている父は、なんとなく笑みを誘う。
年齢や性別に関係なく、マッチしているのが、何とも不思議である。

それに、やっぱり“優しい色”なんだね・・・ピンクって。

部屋の中が、若干明るくなったような印象がした。

デイサービス

2005年09月27日 | 介護日記 -
今日は、「デイサービス(通所サービス)」初日。

人にも施設にも相性があるので、どうなるかと思っていたのだが・・・
父は大きなお風呂に“ご満悦”だった。
良かった、良かった。

ここは、半年前に営業を始めたばかりの施設だから、館内は非常に清潔である。
奇麗だし、広いし、とにかく環境(景観)が良い。
将来、ショートステイ(短期入所生活介護)を念頭に置いて、この施設を選んだのだが、
他の施設と比べて“すべてのバランスが整っている”ように感じた。
(実は、いくつも施設見学をして、ここを決めたのだ)
父も私も、この施設の皆さんにお世話になり、これから“素敵な関係”が構築できるといいなぁと思う。

「初日」と言っても・・・これまでに父は、すでにデイサービス(週二回)を利用していた。
今日は“新しい施設”に、初めて出向いた日である。

これまで通っていた施設を辞めたのは、あまりにもミスが多かったから―。
とても満足していたのに、今春にスタッフが変わってから、毎回トラブルが続いた。
それまでフツーに出来ていたことが、新しいスタッフには全く出来なくなったのだ。
問い合わせやクレームの事後処理も不完全で、誠意が感じられない。
だから、信用ができなくなった。
そして、追い討ちをかけるように、面倒なことが続いた・・・。
しばらく我慢していたが、父のケアについてシリアスな事件が勃発したのを“きっかけ”にして、辞めることにしたのである。

一般企業だけではなく、(どこもそうだと思うが)やっぱり「人材なんだなぁ」と思った。
「戦略」よりも、「人材」!
私たちは、人を頼りにする。「その人ならば・・・」と物事を決める。
正確に言うと、「その人が施す(実態ある)適切なケア」を利用したいのだ。
“信頼”と“安心”に裏打ちされたサービスを求めているからだ。
万一の場合は「生命」にもかかわる福祉サービスであるからこそ、よりいっそう(家族としては)そういう気持ちが強くなる。
体力が落ちて、理解力や判断力が落ちた高齢者は、(時として)自分の意志を伝達することが厳しいケースもあるだろう。
たとえば、普通では考えられないような(ありえないような)行動を起こしたとき等である。
そういうときこそ、「何故そういう行動をしたのか」「何を伝えたいと思っているのか」等について推し量る度量が求められる。
経験だけではない“人間力”の問題である。
よくあるのは、人をモノ扱いするケース――、
それから、相手の気持ちを考えず、縛り付けてしまうケース――。
双方共に・・・ルールや規約に則して、従わせてしまうということだろうけれど、
そこには施設側の一方的な圧力が垣間見える。
私としては、従わせるのも良いけれど、納得させてから従わせてほしいと思うし・・・
従わせる前に、(せめて)気持ちを楽にしてあげてほしいと思ってしまう。
誰にも「こころ」はあるのだから。

対象が「人」である以上、マニュアルが全てに通用するとは限らないだろう。

施設を幾つも見学して、それぞれのパンフレットに目を通した。
それらの多くには、「癒し」「くつろぎの空間」「楽しいひととき」という言葉が使われ、とにかく“印象的に”飛び込んでくる。
パンフレットでうたっているからには、(完璧は無理でも)そういう環境を目指してほしいものだと感じる。
「人が、人として快適でいられる環境」・・・たとえ判断がつかなくなるほど状態がひどくなったとしても、人である以上、“そういう空間で時間を過ごさせてあげたい”と思う。
将来、私がヨボヨボのボケボケになっても、“そういう空間で時間を過ごしたい”と思うし、
そういう“アッタカイ時間が過ごせれば、ベストだなぁ”と思うから―。


メシを炊く父

2005年09月26日 | 出来事 -
父が、炊飯器にご飯をしかけてくれている。
体調が芳しくないのに、今日で何日にもなる。

以前から、よくやってくれていたが、具合が悪くなってからは久しぶりだ。
初日は、びちょびちょ・・・・・水が多すぎて、炊き上がった炊飯器のふたを開けたら、
どろどろの炊き汁がこぼれてしまった。
二日目、“まぐれ”かどうか判らないが、ちょうど良い加減で炊き上がっていた。
「美味しいね」「ちょうど良いね」「うまく炊けたね」「ホント、ちょうど良いね」
有難いと感謝して、くそめちゃ何度も何度も褒めまくったら・・・

  三日目も炊いてくれた。

それから、毎日、炊いてくれている。水加減は、ほどほど良い感じである。

いつまで炊いてくれるのだろう・・・。
おかげさまで、“冷凍炊きたてご飯”が、たくさんストックされた・・・。


適応能力を発揮すること

2005年09月26日 | 介護日記 -
さっきまで、元気だったのに・・・
30分前までは、フツーみたいな感じだったのに・・・
急に身体がだるくなったり、動かなくなったりして、息づかいが荒々しくなる。
「はぁ~、はぁ~、はぁ~」
熱があるように顔は赤くほてって、明らかに苦しそうな雰囲気だ・・・。

今日も、近くの八百屋さんまで出かけたら、状況が変わってしまっていた。
しかし、このようなことは本当に“ごく最近”のことで、以前には無かったことだ。
それだけ、“基礎体力が後退している”ということなのだろう。

父は(数日前)風呂場で動けなくなってから、お風呂に入ろうとしなくなった。
我が家の「ウサギ小屋のような風呂場(ウサギ風呂?)」は、特に敬遠したいみたいだ。

だから、昨日「スーパー銭湯」に誘ったら、とても上機嫌でお風呂に入ってくれた。
嬉しそうに笑ってくれて、その笑顔を見ていると、“ちっちゃなシアワセ”を感じてしまう。

   ※父は、大のお風呂好き―。
    昔からスーパー銭湯も行きつくしている。
    四国でいるときも、当地にいるときも、
    スーパー銭湯には(二人で)頻繁に足を運んでいる。

私も、お風呂が大好きだから、たまには「リラックスしましょう」という想いがあった。
しかし、昨日の私は・・・いつものように“平穏な気分”で入浴することができなかった。
以前は、男女別だというのを理由に、のんびりサウナや露天風呂を中心にリラックスできていたものだが・・・、昨日の私は、そういう楽しみ方ができなかった。
館内放送が気になったり、時計の針が気になったり、“何か事故が起きたらどうしよう”と不安に感じたり、かなり精神状態が乱れていたように思う。
「起きてもいないことを不安に感じて、落ち着かない」~なんて、本当に“おバカなこと”だけれど(それは分かっているのだけれど)・・・つい心は、そんな思考をしてしまう。
そのことに気がついたときには、すぐ「やめなさい!」と指令を発するようにしているが、
その頻度が多いと、さすがに疲れてしまうのだ。

私の心が、荒れている。
父の体調が、ほんの少しの時間で激変するために、安心していられないのだろう。
“何をしていても、緊張していなければならない”と、自分で勝手に思い込んでいる。
「緊張している」ということは、ある意味で「ストレスに直結している」ということだ。
“常時、気がぬけない”という不安定さが、こういう気分を引き起こしているのだろう。

刻々と変わっていく父の体調――その状態に合わせて、
私自身の気分や適応体制も、変えていかなければならない。
そのことをキチンと意識していないと、私自身が渦の中に埋没してしまう危険性がある。
現状を把握して、私の「心の状態」&「心の傾向」をキャッチした上で、“状況に適応していくことが重要なのかもしれない”と思う。

今後のことを考えると、父の体調が・・・目を見張るほど良くなることはないだろう。
おそらく、徐々に後退していくことは間違いないし、すでに現存する“体調の波”も(今以上に)大きくうねる可能性がある。
私は、それに適応して、“もっともっと気丈になる必要があるのではないのか”と(おぼろげに)感じている。
決して無理をする必要はないが、努力をしていくことに越したことはない。
そういう自分を客観的に持ちこたえることで、自分の中の適応能力を(多少なりとも)発達させることにもなるのではないだろうか。

私自身も、時間と共に変化して、成長していけると良いのだけれど・・・。

道は遥か遠いが、簡単にあきらめたり、妥協したくはないなぁ。

今、「遣り遂げること」

2005年09月24日 | 雑感 -
今日は、朝一番で「整形外科医院」へ行った。
父は、リハビリとヒザへの注射を施してもらい、自力で歩いて帰宅。
隣のお宅の車が、我が家の前に数台並び(連休だからね)、歩行ルートを妨げている。
「少し歩かなくちゃ駄目だなぁ」
「まぁ、それもリハビリだよ」
自分の中で、私の“思考”がウチワ話しているみたいだった。
雨が降っているので、私が傘をさしかけ、~ゆっくり~ゆっくり~と、足を運ぶ父。
「転ばないように」―ただそれだけを思いながら、その足元に視線を落とす。

昨夜も車列は並び、隣の家からは“楽しげな笑い声”が聞こえてきていた。
パーティでもしていたのかなぁ?
ご友人の家族が訪問しているみたいで、帰り際にも賑やかに挨拶する声が響いていた。

そういうとき、(私には全く関係ないのに) なんとなく“取り残されている感”がする。
「お隣は楽しそうで良かったなぁ」という気持ちよりも、「私も楽しみたいなぁ」という“自分よりの気持ち”が優っている状態だと言えば、わかりやすいだろうか・・・。
これは、おそらく“自分のやりたいことが充分できていないのではないだろうか”という、
“論理的ではない被害者意識にも似た想い”が、潜在的に巣作っているからだろうと思う。
  (実際、友人と食事に行ったりすることが、ほとんど無くなってしまったからなぁ)
そして、実際はそうでなくても、「自分を取り巻く社会から、自分自身が“切り離された場所”にいる」ような雰囲気がしてしまうのだろう。
「疎外感」とか・・・「隔離」されているような「孤立感」のようなものだ。
※これらは全て、“以前の私”のライフスタイルや価値観から感じることである。
  (かつての私は、連日深夜まで仕事をする“仕事だけ人間”だった)
 長きに亘って作られた思考スタイルは、すぐには変わるものではない。
 その思考に縛られ、自由を奪われ、囚われきって、自分らしさを無くしていたのが、
 同居をはじめてすぐあたりの私自身だった。
どちらにしても、「快適か否か」という観点からは、今も(まだまだ)充分ではない。

同様に、現在の“父の立場”に想いをはせてみると、
“若い頃とは違う身体の不甲斐なさに四苦八苦している”ために、同じように「閉塞感」を感じているのではないかと思う。
“思うようにならない気持ち”と、“自分自身の現状”、そして、“むなしさ”・・・。

だから、この二人の精神状態と現実生活に「希望を見出す」のは大変なことだったりもする。
このことは、いつも考えていることだ。
・・・また、あえて見つけようと模索していることが、私の「希望」だと言えなくもないが(笑)。

そうして、こういう行為を、何度も何度も、繰り返していくうちに、
父との生活を“違う見方”で見て、解釈するようになってきた。
完全に受容できているわけではないにしても、うまく一緒にやっていけなければ、
私自身の心の中で “日々粉雪が舞い続ける”だけである。
自己の思考や感情などと、徐々に“折り合いをつける作業”を繰り返しながら、
私の中で、やっと(具体的に)芽生え創めている幾つかの「希望」―。
これらを考えるとき、キーワードのように、いつも忽然と“意識する言葉”がある。
それは・・・
 仏陀が残した「悟り」に対する簡潔な定義である。

   ――「悟り」とは、「苦しみの終わりである」――

仏陀は、これ以上のことは何も語らず、残さず・・・
苦しみが取り除かれた後に“残るもの”についても、あえて言及していない。
もしかすると、これは「悟りの正体は、貴方が自分自身で見つけなさい」ということであり、
「悟りの定義は、人それぞれによって違うものだ」ということだろうか。
それとも、「悟りなんてものは、誰もが到達できるゴールである」ということなのだろうか・・・。

私は無宗教者だし、「悟り」というものに過剰に反応しているわけではないが、
自分にとっての「苦しみ」って、“いったい何なんだろう”と思う。
そして、“苦しみの終わりにどのような境地が待っているのか”に関しては、
“あれやこれやの想い”をめぐらせることがある。
そして、同様に、“介護の終わりにどのような人生(私自身)と出会うのか”についても、
あれやこれやと・・・想像力を働かせて、イメージを膨らませている。
それは父との別れを意味することでもあるが、新しい旅立ちを表わす世界観でもある。

「今、大事だと思うこと」は、後悔しないように「遣り遂げること」・・・これに尽きる。
もしも、自分が納得するように遣り遂げられなければ、
将来出会うであろう“私自身”の中に、大きな“わだかまり”ができてしまうだろう。

だから、いつも思うんだ。
「介護」は、現在の私の中で、“とっても大きなものなんだなぁ”・・・って。

気持ちを吐き出すこと

2005年09月22日 | 介護日記 -
ぽつり、ぽつりと・・・こぼした一言。
「昨夜は、せこかった(苦しかった)。もうあかんかと思うたわ」。

動きは、かなりゆっくりで、象か牛のようなペースだ。
相変わらず、「身体は重くて、だるくて、たまらない」ということらしい。


【今日の好転材料】
①大好きな姉(四国の実姉)に、電話をした。
 ※「おばちゃんも腰が痛くて、たまらん」って・・・言うとるよ。
   みんな大変やね。お父さんだけやないよ。
②ヘルパーさん二人が来てくれて、精神的に刺激になった。
 ※二人で話をしてくれて、(具合は悪いのに)しゃべりたおしたらしい。
③父の象足を、温浴でケアして、マッサージした。
 ※「気持ちがえぇなぁ」ということで、(二度もお湯を交換して)温浴に30分以上をかけた。

信頼している実姉の声を聞いたことは、“とても嬉しかった”みたいだ。
もし四国で滞在していたとしても、近くに住んでいるわけではないし、
頻繁に会えるわけでもないので、“離れて暮らしていることには変わりない”。
しかし、如何せん四国との距離感が、「離れている」という意識を増幅させていると思う。
それは、父にとって「寂しさ」を呼び覚ますことなんだ・・・。

「好きな人」「好きなこと」・・・・・
そういうものと接触することは、「生きる」ことに“前向きさをもたらす”と思われる。
「ぼろい身体で、辛いわぁ」「ほんまに、しんどいわぁ」と、信頼する姉にこぼしたことで、
父の気持ちは多少“楽になった”のかもしれない・・・。
自分の気持ちを“聴いて欲しい人”に聴いてもらうことで、(ほんの少しだろうが)気分転換にはなったのではないだろうか。
私自身もいつも感じることだが、「溜め込むのは良くない」。
吐き出せるときには、“吐き出す準備が整った”ということだろうから、
そういう時こそ「充分吐き出させてあげることが、大切かもしれない」。

血に染まった「アンパン」

2005年09月22日 | 介護日記 -
我が家の朝は、早い。

今朝、すでに父は起きていた。
ふと見ると、食べかけのアンパンが散乱し、父の枕元は真っ赤に染まっていた。
とにかく、ビックリした。
咄嗟に「食道静脈瘤」かと思って、真っ青になったが・・・
「鼻血」だと確認して、ほっと胸をなでおろす。
   [※食道静脈瘤の場合は、命の危険が伴なう]
それだけ、血の量が多く、過去に流した鼻血の“数倍”だった。
かつて経験したことがないほどの規模だと思われる。
ベッドの脇まで、真っ赤に滴り落ちていた。
おそらく、本人もビックリしてしまったのではないだろうか。

私を見て、すでに起きていた父が涙ぐんだ。
複雑な感情が湧いてきたのだろう。
「身体は、動かない」というような状態で、じっとこちらに視線を投げていた。
失禁もしていたようで、一部分が濡れている。
相当に身体がだるい状態と思われ、しばし休ませて、ベッドメイキングをした。

今日は、ヘルパーさんの二日目。
今度は若い方がいらしてくださるとのことで、報告は受けていたが・・・
とにかく運動は控えてもらうようにお願いをして、明るい話題で盛り上げてもらうようにしよう。

父の精神状態が、せつない。
もしも、完全にボケて、わからなくなってしまっていたら、落ち込むこともないし、“自分を責める”こともないだろう・・・に。
非常に生真面目で、ガンコで、せっかちで、他人の影響を受けやすいから、余計に、“深海”まで落ち込んでしまうことがある。
言葉に発しないので、今日の“涙の意味”は分からないが、(これまでの経験からは)おそらく「つらい」「情けない」「申し訳ない」という想いがほとんどではないだろうか。

父は、基本的に「マイナス思考」をする人である。
自分でプラスに転化する術を知らないし、“そういうこと(マイナス思考をすること)”にも気がついていない(意識していないだろう)。
私にとっては、いつも反面教師となってくれ、様々なことを教えてくれている。
しかし、“父の想い”が楽になる“特効薬”は、なかなか簡単に見つからない。
だから今は・・・・・その都度、その都度、湧いてきた“マイナスの思考”を、“違う方向に導いてあげる”ことぐらいしか出来ていない。

これから来てくれるヘルパーさんが、明るい人だといいなぁ。

訪問看護リハビリテーション

2005年09月21日 | 介護日記 -
父の足の具合が厳しいので、ケアマネジャーさんに、訪問看護のリハビリを勧められた。
理学療法士さんをご紹介してくださり、「一度話を聞いてみたら?」ということになった。
自宅に来てくれて、利用者の病状や状態にあわせて“ワンツーマンの専門的リハビリ”を施してくださる医療サービスが、「訪問看護リハビリテーション」ということらしい・・・。

今日お会いした“その人”は、“巨漢”の理学療法士さんだった。
身体が、とっても大きい。
顔も大きいので、笑顔が映えて素晴しい。
髪は短く丸刈りで、お相撲さんのような体型だった。
だから、どことなく“~歩きづらいなぁ~”という歩き方をしていた。

「えぇ?この方が・・・」
頼もしい体型ではあったが、理学療法士さんというのが、ちょっぴり意外だった。
訪問看護リハビリについてのご説明は懇切丁寧で、「ごもっとも!」という内容ではあったが・・・如何せん説得力が薄れてしまうのは何故だろうと探っていると・・・
やはり巨漢の体型からではないかと思ってしまった。

私は、大型タイプの人は、大好きである。
いつしか和んできて触りたくなるし、身体がプヨプヨで温かいし、(いじけていなければ)優しい性格の人が多いからだ。
しかし、医療関係の仕事に関して言えば、少しばかりイメージ的に問題がありそうだ。
決して全ての人がそうだと思わないが、どうしても“自分の身体のコントロールができない人”というレッテルを貼られる危険性をはらんでいると思う。
ダイエットや摂生に努めることは、簡単なことのようで難しいもので・・・
人的な観点から判断すると、「意志の強さ」「信念のあり方」「根性」「自覚の有無」などの言葉で表されるようになってしまう。

私は、決して評価をしているわけではない。
太るのも自由だし、どのような体型であろうと“個性”だと思うけれど・・・
しかし、ある意味では“彼は実質よりも、イメージ的に、かなり損をしているのではないか”と、思ってしまっただけである。
私自身も、ちょっとした違和感から、自分の先入観に気づくことになってしまったし、
そういうことは(おせっかいではあるが)多々起こりうることだと感じてしまう。

「自分は周りからどのように見られているのか」という概念は、かつて“誰もが持っていた意識”である。しかし、最近は、希薄になってしまったような印象がする。
“自分のスタイルを貫く「個人主義」”が台頭して、その果てには「節度」「恥じらい」「思いやり」「健気」「常識観念」など薄れてしまったものもあるのではないだろうか。

とにかく、自分を“効果的にアッピール”して“相手に好印象を与える”に越したことはない。
私自身は、それこそ(無理をしないで)自然と“周囲を巻き込んでいく近道だ”とも思うのだ。

“「アホらしくて、やってられるか~!」ってな気分”の時も、とっても多いけれども・・・
ほんの少しの余裕と、手に入れたい目標が具体的であるならば、いざハカリにかけてみたら、(悩むことなく)明確にチョイスできたりもする。
その「未来像」&「イメージ」が、具体的に描けているかどうかは、大きな分かれ道になってくるようだ。
だから今・・・・・私は・・・・“その未来像”と格闘中である!

今日の父は、一人でお風呂に入ってみたものの、立ち上がれなくなった。
介助をして、どうにか風呂場から脱出。
ヒザの痛みが回復してくれないと、何もできなくなってしまう・・・と、ひとしきり落ち込んだ。


珍客、到来!

2005年09月20日 | 出来事 -
父と同居することを意識したのは、3~4年前ぐらいだ。
それから当地エリアに引っ越しをしたが、それまでは都会のど真ん中で住んでいた。

今年のゴールデン・ウィークに、再び引っ越しをした。
父には住み心地が良くなかった“オートロックのマンション”から脱出して、現在は小さな一軒家(テラスハウス)に住んでいる。

ここは、自然が豊かだ。
電車移動には時間がかかるが、住んでみると快適である。

しかし・・・
たまに珍客が侵入してくる。
イモリのようなヤモリのような・・・本当に大変!
今日も、突然!台所に侵入してきた。
私は、何故か(生理的に)“爬虫類さん”とは、相性が悪い。
「ぎゃぁ~~~」と、また叫んでしまった。
そして、避難。
家の前の道で、しばし座り込んでしまった。
「へたれ」である。

向う隣の和田さんが帰宅して、「どうしたのぉ?」と声をかけてくれた。
昨年奥様を亡くされた一人暮らしの男性(62歳)である。
「うちもいるよ、害ないから・・・」
害がなくても、“相性が悪い”から、駄目なんだ。
「ゴキブリなんかと、一緒だよ」
ゴキブリは、まったく平気だけれど、爬虫類系は駄目なんだ。
ホント、「へたれ」でスンマセン。

父が、格闘してくれた。
“ふとんたたき”を手にして、「バタン~!」と脅かしている様子が、窓越しに見えた。
田舎育ちで、田舎暮らしの父にとっては、なんでもないことだ。
「なにかと思うたわ」と、こともなげに言われた。
しゅん・・・となった。

私は、いつも網戸を必ずしているので、こういう珍客を招き入れるようなことはない。
だが、父は網戸もあけて、全開にしていることが多い。
そのため、蚊や小さな虫が入り、こういう珍客も入ってくるのだ。

“雄叫び”と、“ため息”で、しばし疲労の極地。

お父さん、「持ちつ持たれつ」・・・今日は、助かりました。
どうもありがとう。

一年に一度の「敬老の日」に、洗濯三昧!

2005年09月19日 | 介護日記 -
父の足は、今日もふくれたままだった。
全体的に膨張しており、パンパンにはっているような感じだ。
すぐには、元に戻らないような気がする。

今日は、有難いことに“すっきりとした晴天”で、お洗濯日和だった。
今朝の深夜一時ごろ、父がグレープジュースをベッドに撒き散らかしてしまったために、パイルシーツやベッドパットなどなど、大がかりな“シミとり作戦(基礎編)”を開始!
葡萄100%「ポリフェノール」の威力に、びっくり!(普通の洗濯ではおちないのデス)
その後には、排泄の失敗で、敷きシーツと掛布団カバーなど全てを、またまた洗うことになってしまった。
他の衣類などもあったので、ちっこい我が家の洗濯機は、フル回転!
大変な過剰労働だったのに(壊れることもなく)何の文句も言わなかった。[当然だけれど]
おそらく、「敬老の日」だったから、父のために頑張ってくれたのだと思う(笑)。

そして、たった今・・・
父の鼻血のため、敷シーツが赤く汚れてしまった。
これは、枕もとの部分だけだったので、すぐに汚れを落として、バスタオルを敷いて応急処置をした。あわや「今日、三度目のシーツ洗濯」になるところだったが、明日へ・・・。

父の体調が芳しくないと、思うように動作ができなかったり、手足元が心もとなかったりする。
だから、どうしても、日常生活に支障は出てきてしまう。
ちょっとしたことなのだが、その“ちょっとしたこと”が、一人ではできないのだ。
「鼻血」は、「点滴治療へ行こう」というサインである。

私は、洗濯や掃除や介助などが、頻繁に重なると・・・・・「またかぁ~」と思ってしまう。
「さっき、やったばかりなのに」「また、やんなきゃぁ~~」という言葉が、つい“口から出てきそうになってしまう”。それを心の中に押しとどめて、ただ「行動する」ことを優先して、まず“身体を動かしている自分”を感じる。そういうときには、「相手に言っても仕方ないし、自分が努力しても改善されるようなものではない」という現実を、直接的に感じているみたいだ。そして同時に、父の尊厳を意識して、「どうってことないよ」というポーズをとって、意図的に「行動」と「言葉」でそれを伝えようとする。それは、単なる“その場作り”のようなものだが、そういう“ちょっとしたこと”をケアし忘れると、父が“深海”まで落ち込んでしまう可能性があるからだ。
しかし、私自身が“早急にしなければならないこと”を抱えているときなどは、本当に「いらっ」とする場合もある。瞬時に、もう一人の自分が“その思考”をコントロールしていくのだが、“思い通りにやりたい自分”も明らかに存在していて、多重人格的思考人間の“ちょっと手前”状態である(笑)。頭で分かっていることを、いくつもの“私の心”がせめぎあっているのだ。
このような“相反する二つ以上の考えを抱えたとき”、“未熟な自分自身”を感じてしまう。

だから、いつも思うんだ。
「自分の心と向き合うことの大切さ」を・・・。
いくつもある自分の考えを、「うまく共存させていく“術”の必要性」を・・・。

どんなことが起きても、つねに「おだやかに対処できる」ことは理想的だと思うし、
何よりも“ストレスは軽減できるだろう”と・・・。

「何もないこと」 の “ありがたさ”

2005年09月18日 | 介護日記 -
急な運動は負担になるだろうとの判断で、今日はお買物で「リハビリ」。
近所の大型スーパーを、一周歩いてまわるだけで、なかなかの運動量である。
父は、キャスター付の買物カゴを“手押し”しながら、ゆっくりと見てまわり・・・
食べたい「刺身」や、飲みたい「林檎ジュース」などをカゴに入れていく。
これこそ、究極の「リハビリ」。
身体と脳を、同時に働かせることができるのた。

本日の転倒・・・・・二回。
【1】階段から、オチクレタ!
   頭から床に転げ落ちたが、手でかばい、大事に至らず。
   ヒヤリとした。
【2】お風呂で、しりもち!
   「どっか~ん」と凄い音がしたので、走りこんだが、大事に至らず。
   ※本日、久しぶりに一人で入浴。


今日は、自発的に洗濯物をたたんでくれた。
私は、「アリガトウ」「奇麗にたためたね」と声をかけた。
父の存在を受容して、“居場所を確保する”という意味合いが含まれている。
だから、やってくれたことに対して、お礼の言葉を必ず言う。

象のように膨れた足を見て、かなり心配したが、
「足がだるい」と言いながらも、「いつもと変わらず」。
良かった。良かった。

「何もないこと」の有難さ―。
「ふつうであること」に、感謝の気持ちが芽生えてくる。

そして、今日の父は(足がだるいのに)、庭の石拾いをしていた。
短時間ではあったが、本当に久しぶりのアクションだった。

やはりヘルパーさんに入ってもらうのは、良いかもしれない・・・と痛感!
刺激と変化を与えることで、失いかけている“生命力”が引き出されてくるようだ。
「死にたい」とか、「辛い」「しんどい」などの言葉が聞こえてこない。
身体そのものは、変わらず厳しいはずなのに・・・。

隣の方に、「お父さんは前向きね」と言われ、ちょっぴり嬉しかった。

近すぎて 「見えなくなってしまうもの」

2005年09月18日 | 介護日記 -
昨日のヘルパーさんから、「肉団子をつくったのですけど、お父様は全く召し上がらず、うどんをつくったら半分だけ食べてくださいましたが、ほんの少しでしたので、ちょっと心配になりました」との報告を受けていた。
私自身は、その理由を“硬いものが食べられないのと、初対面だったからだろう”と(短絡的に)解釈していたのだが、それは違うということが今日になって分かった。

やはり、相手に聞いてみないと、判らないこともあるのだなぁ。
勝手に思い込んでいるだけでは、「真実」は見えてこないものだ。

父は、一人で食べることが、心地良くなかったのだ。
ヘルパーさんがいるのに、自分だけが食べることに抵抗感を覚えたのだという。
「食べな~(四国の方言で、食べることを促す意味です)」
「食べな~と言うても、食べられへんと言うてな、食べへんのじゃよ」
うどんを半分だけしか食べなかったのは、“半分はヘルパーさんの分だから”という思い(配慮)からだったそうである。
   ※ヘルパーさんは、規則で「食べてはいけない」ことになっている。

我が父ながら、「かわいい~なぁ」と、思ってしまった。
昔の“ガンコで偏屈な性格”からは想像できないが、そういう“優しい側面”も持っているのだと、あらためて認識!
同居しはじめて感じていたのは、「年を重ねるたびに、どんどん“生まれた状態”に返っていく」ということだったが、まさに“本来持っている性質みたいなもの”が現れてきているのかもしれない・・・。それは、「父にとって、しがらみのない“自然な状態”のこと」である。

一人暮らしになってからの七年間(四国滞在時)は、自分が“家庭菜園で作った野菜”を、頻繁に隣の家に届けていた。ひとしきり喋って帰ってくるのだが、そういう行為やモノが、父にとってコミュニケーションをはかる手段として介在していたのだろう。
当地に移住してからも、毎月ケアマネジャーさんが訪ねてくれるたびに、お菓子やジュースを、どんどんすすめてあげていた(それは“おせっかい”とか、“ありがた迷惑”と思われるほどの、過剰な“すすめ方”だったので、私はいつもヒヤヒヤしながら見ていた)。

父が日頃“何気にしていた行為”と、その“背景”を見極めることで、“父そのものを深く知ることができる”と思い至った。どのような行為にも、それを引き起こした“背景”が存在するものだ。
しかし、実際の“父と私の時間”においては、そういう作業を“すっとばしてしまう”ことが多い。
そのために、“近い関係だからこそ、見えていないものがあったのかもしれない”。
「私自身が、受けとめてあげられなかった“父のメッセージ”」が、幾つもあったのかもしれない。
そんな印象を抱いてしまった。

人は、変わる。
必ず変わっていくものである。
心も、変わる。

昔の父との関係を思い起こせば、本当に信じられないような“現実”である。
かつて私は、父が大嫌いな親不孝娘だった・・・。