「怒り」の矛先

2009年10月13日 | 仕事 -

世の中で、自分以外の理由によって、理不尽な扱いを受けることは耐え難い。
しかし、社会で仕事をしていると、時々そういう現実に遭遇する。
今日は、まさに、そういう一日だった。

朝起きてから、自宅で電話一本。
ここから“理解しがたい一方的な論理”を突きつけられた。
社会の構図を考えると、どっちの方向から考察しても、先方は不利な論理である。
私は、そういう倫理の落ち度を、間髪入れず“突き上げる”。
そうすることによって、此方側にも「怒り」に似た感情が芽生えてしまう。
スルーすれば、何のことはない話だが、不均等な論理を共有することはできない。
相手に、意図的に認識してもらうのだ。
だから、私は・・・そこを突き上げて、確認する。


今日、一番ひどかったのは、「嘘」なのか「言い合わせ」なのか・・・
「記憶違い」という一文字で、安易に処理しようとする会社の姿勢にあった。
プロジェクトのメンバーの話し合いの場ではあったが・・・
最終的には、代表自らの発言に、かなり幻滅した。
まるで、私に落ち度があったかのように解釈されそうな(?)言い振りである。
しかし、経営者たるもの「会社を守らなければならない」のは理解している。
だからといって、現実を捻じ曲げたり、歪められたりするのは、私にとっては
かなり不快なことである。
「フェアではない」というのが、率直な感想である。
しかし、裏をかえせば・・・これこそ「まさに現実だな」と・・・・。
いつまでたっても平行線の話し合いは無駄だから、私が引くことになる。
それは、やはり立場の弱いものから、ひいていく社会的セオリーがあるからだ。
(私は社員ではなく、基本的にはフリーランサーである)
それに何といっても、現実的に、前にすすめないからである。

いつものことだから「またか!」とは感じたが・・・・しっかし・・・
この「怒り」に似た感情は、どこへ持っていって、捨ててくればよいのか!


そう思った私は、違う新しい仕事を、即効でつくり、営業に走った。
久しぶりに出会う知人に、一生懸命に熱意をもって、別企画を売り込んだ。
その相手の様々な反応や、久しぶりの面会に、心が躍り・・・
いつの間にか「怒り」は消え去っていた・・・・。
☆忍法「すり替えの術!」である。


マイナスの感情や、強い恨みに強い「怒り」は、根を引くことが多い。
できるだけはやく、気分転換をして、明日に持ち越さないことが一番である。

夕食は、アポなしで、信頼できる人を誘いだし、ムリクリ「メシ食べよう~」。
おごってもらって、「しめしめ!」・・・。


それでも、まだ「根」は残っているのを、今、胸の中に確認している。
「人間だもん、そりゃ、一日では無理ですよん~」