自己のコントロール

2011年02月27日 | 自分 -

最近の私をふりかえって、感じていることがある。

期限がぎりぎりになり、追いつめられないと腰があがらない。
性分だったのか、単なる「怠け者」に成り下ったのか・・・
今回は特に顕著だなぁ~と、感じる。
特別の変化はないにしても・・・実は、自分の中で状況をはかりながら、
仕事に対する配分をセーブ(コントロール)しているようにも感じるし・・・
あるいは、単に怠惰になってしまったのかもしれない。

すべてに対して、時間も気力も使い果たして、自分自身の「何か」を
すり減らしていくことに(少なからず)抵抗感を感じるようになったため、
今の私は、自然と・・・仕事関係者に迷惑のかからない範疇で、
自分が駄目にならない状況の中で、「力を抜いていこう」としている。

行動だけに焦点をあてると「怠慢」ということになってくるのだろうが、
精神面に焦点をあてると「余裕を持つ」ということを目指している。

ケース・バイ・ケースで、そのあたりを加味しつつ・・・
日々の生活を楽しんでいるようにも思う反面、言い訳のように
自分を叱咤する側面もあるので、あながちパーフェクトな状態で
毎日を過ごしているようにも思えない。
本当は、「ぎりぎりにならないで(余裕をかまして?!)仕事を
終えていたいのだ」と、真意では「考えている」のだと思う。

このような「最近の私自身」を客観的にみると・・・ある意味で、
甘えているように感じるのは、「熟成してから仕上げる」という
自分の行動パターンが(言い訳と共に)出来上がりつつあること!
明日には、またスケジュールが確定して、プレゼンテーションが入る。
わかっているのに・・・ 落ち着き払っている「現在の私の神経」が、
従来のやり方を貫いていた「昔の私」には、きっと理解できないだろう。
同じ人間なのに、不思議な感覚だ。


とりあえず、お尻には火が付いた!
もう「やらないと、おさまりがきかない」。
切羽詰まった状態で、絞り出して「まとめるアイデア」が、はたして
どのような結果を導いてくれるのか・・・
今はとにかく、全く失敗を恐れないで、ただし、逃げ道もつくりつつ、
ころあいの良いバランス感覚を保ちながら、主張すべきポイントだけ
まとめておこう・・・とは思っている。

最初の一歩が踏み出せれば、あとは流れのまま・・・いつものように
その時の状況で、気持ちのおもむくままだ。

「我が気力に、幸あれ!」




そんなことを感じながら、まずは「これを観てからネ」・・・と
午前中からテレビ観戦していた「東京マラソン」。
市民ランナー:川内優輝さん(23歳)の活躍に、胸があつくなる。
彼は、今夏の世界陸上選手権(韓国)に、代表として内定したようだ。

力の限りを出し切ってゴールする瞬間の映像に、ただ感動!

今日は、実業団とは違う環境で練習する川内さんに、奮起させられた。
もちろん、市民ランナーと言っても、箱根(学連選抜)も走っているし、
昨年の東京マラソンでも4位に入賞している優秀なランナーだが・・・
実業団ではないという境遇は、いろいろな点で環境が違いすぎる。
彼は、現在、埼玉県庁に就職し、夜学校に勤務しているという。
終日働く公務員のために(実業団のように)充分な練習時間はとれない。
金銭的にも、遠征費、備品や装備品購入も、全て自費になってしまうと
いう「市民ランナー」だからこそ、頭が下がる想いだ。 そして・・・
川内さんがやり遂げている“毎年自分の記録を塗り替えていくこと”は、
なかなかできることではない。
まさに、感動と勇気を与えてくれる「市民ランナー」の代表だ。



今年のイチローの仕上がりや、今日の川内さんなどを観ていると・・・
やはり「向上心」の大切さを感じずにはいられない。
自己を静観して、「モチベーションを維持し続けていくこと」。
自滅するほど頑張りすぎず、しかし、常に“それなりに頑張る”という
微妙なバランス感覚で・・・「頑張り通すこと」。
ストイックすぎず、自分を客観視しながら「コントロールしていくこと」。
そうして、このような状態を「継続していくこと」。


今日は、自分のことに置き換えて、いろいろと刺激を受けたようだ。
そして、現況の私自身が、どのような状態なのか、どこを目指しているのか、
“今の自分を冷静に見つめてみよう”と、改めて感じた・・・。
どこかへ向かう過渡期かもしれないし、まだなじんでいないだけかも・・・
あるいは、本当は(自分流の)生活のスタイルや方法を模索中なのかもしれない。
どちらにしても、心地の良い状態には到達できていないのは確実であり、
それがまた、“私を知るための起点”となりそうな気もしている。

ニュージーランド地震

2011年02月22日 | 出来事 -

クライストチャーチに、大きな地震が襲い、現在、シリアスな状況が
続いている。
邦人の被害者も出ているようで、現況、まだ行方不明者が多いようだ。
胸がいたくなる映像と、情報が、どんどんと発信されている。



ちょうど16年前ぐらいのことだろうか。
友人たち二人と、計三名で「クライストチャーチに別荘を持つ」という
計画が出たことがあった。
日本人に対する国の理解があって、保険や年金などがうまくスライド
できることが伝えられ、日本人退職者等の移住を呼びかけていた頃だ。
特定の病院には日本語対応の人を置くなど・・・国として、日本人の
移住に関する待遇面の素晴らしさを押し出していた・・・らしい。

私たちは、働き盛りだったが、ヨーロッパのように時差に苦しまず、
3ベッドルームのプール付の豪邸が、一人150万円強ぐらいで
手に入るらしく、まじめに友人たちと「別荘購入」を考えたものだ。
あまりにも安い大豪邸に、「本当なの?」という意見も出たが、
知人からの紹介で、きちんとした方だったので、非常にリアルだった。
結局は、格安航空券がなかったことと、日々忙しい毎日だったのと、
住まないと損傷が激しく進むことを考慮して、その三つの理由により
「購入はもう少し先にしよう」と皆で話し、あきらめたのだった。
管理する人は探せただろうが・・・やはり買わずによかったと・・・
今は思っている。 
購入していたら、おそらく高額な維持費もかかっただろう。

三人で買っても、いろいろと状況は変わるから、当時はまじめに
悩んだものだが、それはそれなりに賢明な決断だったと思う。
しかし、もし(当時)格安航空券があったら、本当に買っていたかも
しれないとも思う。


三人でいろいろと悩んでいたあの頃は・・・
クライストチャーチは、お花に囲まれた「のどかな街」という印象が、
あったけれども、今回の地震はすごい衝撃だったようで・・・・
崩れ落ちた建物のガレキを観ると、阪神・淡路大震災を思い出す。

天災は仕方がないけれども、こういう形でリアルタイムに映像を
観ることができる時代になってしまったことが・・・・
シアワセなのか、不幸なのか・・・そんな気持ちも芽生えてくる。



地球は生きているから、どうしても・・・
断層がある場所に住んでいる人たちには、地震を避けることなんて
難しいことだと思う。
それは、日本も同じで、突然に襲い掛かってくる天災には、人間は
太刀打ちができない。

我が家は、絶壁の上に建っている住居なので、余計にそう思う。
岩盤も、地盤も、ゆるい・・・という印象がする地域だ。



「クライストチャーチ」という、行ったこともない場所に、
私が思い入れがあるのは、上記のような理由からであるが・・・
とにかく日本の片隅からニュージーランドの「人々の安全」と、
「街並みの復興」を願うばかりだ。
これから、余震などの心配もあるし、まだまだ安心ができない。

少しだけでも、募金ができれば、すぐにでも振り込みたい気持ちが
あるのは、やはり身近に感じているからだろう。
まずは、行方不明の人々と、生活の再生を、人々の支援をもって
やり遂げてほしいと感じる。
今後、詳しくニュースを見守っていきたい。

4CC 男子の表彰台

2011年02月19日 | マイブーム -

客席がガラガラ・・・台湾で開催されているフィギアスケート大会:4CC:
「四大陸選手権」の男子フリーが終わり、やきもきした結果がやっと出た。

参加選手としては、やはり地味めな感は否めないが・・・
その中でも、日本勢が1位&2位を独占!

高橋大輔選手の久しぶりのノーミスのショートプログラムが観られた。
当然のことのように誰もが期待したシーズン初頭・・・
高橋選手は、納得する結果が、なかなか出てこなかった。
おそらく本人も不本意だったかも・・・。
やっと「ここ」に来て、やってくれましたぁ~、「パーフェクトSP」を。
ショートもフリーも、構成を見直したことが良い方向へ導いてくれたようだ。
また、昨年は、ちょっと気落ちしてしまう調子の悪さがずっと続いていたので、
ファンとしては「やっとノーミスが見られた」ということで、「前進した」と
位置づけてはいるが・・・・・まだまだ課題は多い。
フリーの四回転ジャンプ (4T) は、またもや失敗。
来月の世界選手権では、ぜひとも、ショート&フリーともに「ノーミス」で
あればよいのにと思ったりはしている。
久しぶりの東京開催のワールド大会だ。
体調もやっと戻ってきたのだから、もうひとふんばりだ! 
彼は、記念すべき100回目の選手権「世界王者」なのだから・・・。
二連覇は、そうたやすいことではないからこそ、心から応援したいと思う。
本人の自覚と、やる気次第だから・・・よそ見をしないで、せめて今年は、
来月まででも良いから「気を抜かないで、後悔をしないようにしてほしい」。
そして、「歴史をつくってほしい」・・・と、勝手に応援している。
やめることも、あきらめることも、すぐに出来ることだけれど・・・
こんな貴重なチャンスを棒にふるのは、もったいない。
結果だけを期待しているのではないが、やはり満足したい気持ちがあることは
認めざるを得ない。素晴らしい完璧な演技を見たいのだ。
高橋選手は、あらゆる壁を克服して、新しい自分自身と出会ってほしい。
たとえワールドで優勝できなくても、納得のいく結果でありますように!!
とにかく、今回の優勝、おめでとうございます。



今シーズンの男子の収穫は、羽生結弦選手のシニア参戦!
素晴らしい成長だった。今大会も二位になった。
16歳の若さは、これからの大きな希望を背負って、躍進するのみ!
羽生選手は、素晴らしいスタイルと、技量と、「華」をもつ注目株だ。
今大会は、練習時も本番も、きれいな4回転とトリプルアクセルを成功している。
日本男子フィギアS界は、今後、彼がひっぱっていきそうな印象がするぐらいだ。
過去の例を見ても、(もし怪我に苦しめられ、競技生活を休まなければ・・・)
平均して18歳から25歳ぐらいまでが、フィギアSの黄金期だと思う。
基礎体力とテクニックをつけて、高橋選手の後を追いかけ、追い抜くぐらいの勢いで、
今後は「努力して、輝いてほしい」と、心から感じる存在になった。
羽生選手は、まだ身長が伸びそうな気もするが、たとえ背が高くなったとしても、
現在の身体的バランスと、今のスタイルを維持してほしいものだ。
野球のイチロー選手のように、すべてに対する「ストイックで、強靭な意志力」は、
必ず、最終的には、素晴らしい結果をもたらしている。
お酒が大好きな高橋選手のように、年々身体をしぼることに苦労しないように、
「気力」と「体力」、そして、「アスリートの自覚」だけは常に持っていてほしい。
羽生選手は、若いながらも、とてもスマートで、賢明なコメントが目をひく。
人間的にもメンタルの強さを感じるし、より成長しそうな選手だと思うので、
非常に魅力的だ。
今シーズンも、シニアデビュー以来、回を重ねるたびに、どんどん成長していった。 
実際は、いかにも「子供を卒業した少年」だけれど、今はそこが良かったりもする。
村上かなこちゃんと一緒で、本当の大人になっていく過程を見守りたい逸材だ。
また・・・来シーズンが凄く楽しみになってきてしまったネェ!

とにかく、お二人の表彰台! おめでとうございます。

   ※結局、女子の表彰台も、1位&2位が日本人。
    3位は、アメリカ国籍の日本人。独占状態だった。


クロード・モネ

2011年02月19日 | 人物 -


数日前、昨年から東京:渋谷で開催されていたモネとジュベルニーを題材とした
展覧会が、ついに幕を閉じた。

モネとは、もちろん「クロード・モネ」。
印象派の巨匠で、数多くの作品を残している画家である。

モネが晩年を過ごした「ジュベルニ―」にある家は、管理団体が保全しながら、
彼が愛してやまなかった庭園を、専門的な技術をもって、一年中手入れしている。


私が、モネのジュベルニ―の家を訪れようと思ったのは、日本びいきだった彼が、
「浮世絵に傾倒していた」という事実があったからだ。
アトリエは広く、まさに多くの画材や作品をおさめておくには適していたが、
自宅の部屋は(比較的)こじんまりとしていて、各部屋には浮世絵が飾られていた。
それらの浮世絵は、とりあえず額には入っていたが、保管状態が悪く、しみがあったり、
色落ちがひどかったり、日当たりのよい場所に(無造作に)飾られていたりして・・・
浮世絵を愛する者にとっては、少しばかりショックな状態ではあった。しかし、
彼が日本の浮世絵に影響をうけて、手元においていたことが、日本人の私としては
うれしいことだと感じながら、ゆっくりと部屋を一つ一つ見て回ったのを覚えている。
モネは、浮世絵を各部屋に飾り、ごく日常的にそれらを眺めていたことを思うと、
非常に有難く思ったし、彼らの生活に溶け込んでいたことで日本との強い縁を感じた。

家に飾られていた浮世絵は、モネの作風から想像して「花鳥風月」かと思いきや・・・
人物画の浮世絵が多く、非常にユニークな構図のものや、有名絵師の作品もあって、
とても興味深かった。
モネや、奥様の部屋など、どの部屋にどのような浮世絵を飾っていたのか・・・という
こともまた、面白い事実だった。
私は、各部屋にどのような浮世絵が飾られていたのかを、メモを取ったのだけれど、
その量は、なんとノート4枚に及んでいた。
すごい数だというのが分かっていただけると思う。



彼の自慢の「庭」は、本当に素晴らしいもので、あの連作「睡蓮」の池や、
数多くのバランスの良い花々が、訪れる者を迎えてくれた。

私が「ジュベルニ―」に行ったのは、5月ごろだったと記憶している。
モネの家の庭は、本当に美しかった。
気持ちの良い風が庭園全体に吹き通って、睡蓮の池も風情があった。
「彼が、ここに画材を置いて、あの絵を描いていたのか」と想像すると・・・
本当に不思議な感覚に襲われたのを、はっきりと覚えている。


モネが残した作品は、パリの幾つかの美術館などでたくさん鑑賞した。
その後にジュベルニ―に出かけたので、私の想像力は、より膨らんだのだと思う。



以前、こんなことがあった。
日本の有名画家のアトリエを(特別に)見学させていただいたことがあったのだが、
そこは亡くなった時のままの状態に維持(保管)されており、絵の具がそのままで、
書きかけの未完成の絵が、椅子の傍にはおかれていた。
青い線で、輪郭が描かれていて、・・・その部屋には神聖な空気が感じ取れた。
そして、部屋に入った途端、私はすぐに鳥肌が立って、すごい感動を覚えたのだ。
素材としていた花が、花瓶の中で枯れてしまっていたが・・・
その空間(アトリエ)には、恐れ多くて、何とも言えない雰囲気が漂っていた。



もちろん、モネのジュベルニ―のアトリエは、すっかりとかたずけられていて、
モネの息使いなどは感じられないぐらい補修が加えられていたが、
実際に「その場所で暮らしていた」という事実だけは、感じ取ることができた。

現地の説明して下さる方によると、個々の部屋の壁の色などは「そのまま」だと
いうことだったが・・・これがまた、其々ものすごい鮮やかな色使いばかりで、
なんとなくビックリするぐらいのパワフルな部屋が多かった。
家の外装も、内装も、「モネの色(感性)」そのものだったのだろう。

庭も、部屋の壁色も、・・・ 色彩にこだわったモネらしい家だった。

モネの家のウリは、やはり庭園だ。
季節が違えば、別の花が咲いているために、「雰囲気は違う」と教えられ、
今度訪れるときは「秋」に行ってみたいと、私は(当時)思ったものだ。
おだやかな気分になれるであろう秋は、落ち着いた雰囲気が感じられそうで、
今の私には(さらに)興味深いと思う。




日本にいても、マスターピースには出会えるし、観賞する機会もある。
しかし、創造者が「そこにいて、生きていた」という実感のようなものは、
日本にいるだけでは決して味わうことができない。
やはり、その場に、この足で立つことが、何よりも確実な感覚を得られる
唯一の方法だと思う。


最近は、出かけるのが億劫になってしまった私だが・・・
もう少ししたら、「時間を気にせずに、また放浪する旅」に出発したい。
いつになるかはわからないけれど・・・・
必ず、出かけてみたいと思っている。



ジュベルニ―も、少しは変化しているのだろうか。
モネの家は、たとえ二度目でも「感じる雰囲気」は、違うことだろう。
また、出かけてみたいものだ。

そこには、画家が残した絵画鑑賞から得られる芸術性だけではなく、
人物想像という“おまけ”がついた環境鑑賞がある。
私は、こういう何気ない「想像遊び」が好きな人のようだ。

魅力ある人には、必ず、それなりに面白いエピソードが存在する。
だから、想像を飛び越えて、時々(突飛に)妄想したりするのもまた、
楽しいことだったりするのだ。
タイムトラベルが本当にあったとしたら・・・そんなことを空想すると、
余計に面白い時間が過ごせることがあるが、これって、一種の「変な人?」。
それでも、昔からやめられないのは、それなりに楽しいからだ。
想像力の発達や、脳機能の熟練にも、役に立っているとは思うのだが、
はたして実際はどうなのだろう(笑)。

  芸術は、常に、想像することからはじまるものだ!


     ※写真は、ジュベルニ―のモネの家

日本映画の祭典

2011年02月18日 | 雑感 -

昨年は、邦画の興行成績が、とても良かったそうで・・・
話題作が多く、(テレビが若年層向けになった分)内容重視の企画ものや、
個性的な映画が多かったように思う。
制作側も、出演する俳優陣も、層が厚くなって、既存の映画会社だけの
制作配給システムだけではないような形態も生まれてきて、地味に・・・
活性化しているのかもしれない。

映画は時代を反映するものだから、その年を顕著に象徴していると思うので、
映画のテーマ性は「やはり面白い」と感じる。
総合芸術のさえたるもので、その中でもバランスが一番の成功の秘訣だと
思ったりする。
テレビや演劇とは違う視点が求められる所以だろう。

昨今、テレビ局が頻繁に行う「人気のテレビドラマ→映画化」という構図も、
例年通り、昨年はたくさんあったように思う・・・。

しかし、これだけ劇場に足を運んでくれる方が増えたということは、
日本映画界にとって、素晴らしいことである。

この数年で、昔ながらの硬い椅子から、ふわふわの広い椅子に変わり、
映画館もシネコンが主流となってきた。

2月18日開催された「日本アカデミー賞」のテレビ中継を観ながら、
今年のラインナップをチェック!
そして、「昨年はこういう作品が注目を集め、評価されたのか」と、
あらためてタイトルに目をとられる。

いやぁ~本当に、昨年は観なかったなぁ・・・と、しばし反省!



元来、こういう映画賞は、審査する団体と、その傾向によって、
全く違う作品が贈賞されたりするので、それはそれで話題性がある。
毎年、その微妙な差異に興味をそそられたりしていたものだが・・・。



私は、昨年、いつもよりも映画を観る機会が少なかった。
何十年もの間、最低年間80本以上は観て、どんなに忙しくても、
劇場には足を運ぶ時間をつくっていた。
スケジュール帳には、観た映画のタイトルを毎月メモしていたので、
どのような映画と出会ったのかが、毎月わかるようになっていた。
今年は、メモもなく、まだ(「ソーシャル・ネットワーク」ほか)4本しか
ロードショーしていない現実・・・。

本当に、あれだけ好きだった映画鑑賞は、年々減っていっている。
自分的には「残念なことだ」と感じているけれども、なかなか・・・
これまでのように劇場に足を運べなくなった。
なんでかなぁ。


今年は、もっと劇場に行って、ドルビーサラウンドで、大スクリーンを
満喫したいものだ。
そんなことを感じながら、録画したテレビを観終わったところである。


「過去の自分」に回帰

2011年02月17日 | 自分 -

今朝は、寝不足だろうか、・・・ずっと重苦しい雰囲気が続いている。

昨日、早めに打ち合わせを切り上げて、劇場の最終回に滑り込んだ。
そして、観てみたかった韓国映画「私の愛、わたしのそばに」を鑑賞した。
映画がどうのこうの・・というのではなく、あまりにも壮絶な映像に衝撃を受けて、
介護人として病院で母に付き添っていた頃の気持ちが、映画の6人部屋の病室から
感じられて、まるで昨日の事のように思い出してしまった。
主人公ジョンウのベッドは窓際で、まさに母と同じ位置だったし、
あの場所(窓際)にいるということは「入院の長さ」を、歴然とあらわしている。
韓国の状況は分からずとも、少なくとも日本ではそういうことが多い。


私の介護は、ほぼ17年にわたったので、東京と田舎の行ったり来たり・・・や、
独り暮らしだった父と同居してからの生活と、父の最期の見送りまで・・・
それなりの密度の濃い時間を過ごしてきたように思う。
介護は、本当に大変なことだ。
今更ながら、しみじみと感じる。


また、心から愛する人が「死」というものによって、
突然に自分の周りからいなくなってしまう・・・
そんな現実と、その後に襲ってくる「喪失感」「虚脱感」「孤独」。
私は、こういう現実を、何度となく繰り返してきた。
だから・・・
映画のあらゆるシーンが、私の経てきた生活(経験)と、
微妙にダブって感じられた。



もともとは主演俳優の演技と、映画の仕上がりに興味があって、観に出かけたのに・・・
手にしたものは、とても言葉で表せない「過去の自分との出会い」。


今は、ごくごくフツーに生活している。
昨夜、映画を鑑賞後もフツーに電車に乗っていたのに・・・・
涙だけがツツーっと頬をつたって落ちてしまう。
感情とは分断したような感じで、自分でも抑えられない状態。
花粉症のふりをして、下を向いていたけれど、1時間ほど涙が止まらなかった。
久しぶりの現象。
「何だ?!これは・・・」
自分で自分に驚き、起こっている現実が理解できず、
帰宅してからは胸の上に「大きなボール(あるいは石)」がのっかっているような
雰囲気を感じて、また「涙」。
夜中、すっきりと寝られず・・・久しぶりに悶々としてしまった。



今朝は、ほどよき頭痛で目覚め、まだそれが癒えない。

そして・・・ くしくも、今日は「母の誕生日」だと、あらためて気がついた。

まるまるとしていた母が長きにわたる“寝たきりの入院”で、
徐々に(映画のジョンウのように)がりがりにやせていき・・・大学病院の病室では、
ベッド横にパイプ椅子を三つ並べて、毎夜寝ていた「あの頃の私」。
ジョンウの気持ちも、介護する側のジスの気持ちも、病人を抱える家族の気持ちも、
すべて私の想いとリンクした。
長期入院にからんで派生する金銭問題、行き詰まっていく様々な現象、
それらを受け止めなければならない境遇、自分の想い、
家族との関係、病室の人々との人間関係(共感的交流)、などなど・・・
忘れていたことが全て「リフレイン」した。



今日は、この頭痛と、この感覚から逃げることなく・・・ 
ともにいて・・・
亡き母の誕生日を祝い、この世に存在した「母」に感謝の念を捧げる日としよう。


イメージング

2011年02月15日 | 仕事 -

「やる気」は、ふんだんに有り余っている。
しかし、次なる段階へ踏み込めないでいる。


私は、現在「2本+3本」の提案書(企画書)を仕上げなければ
ならないという・・・厳しい状況に、追い込まれてしまっている。

どれから手を付けるかもまた、力関係や時期的な問題があって、
悩みどころのひとつだ。

正直なところ、行動にして、書面にまとめ上げるためには、
頭の中にすでに全体像が見えていないと書けないもので・・・
せめてイメージだけでも上手く構成されていないと、
筆は進んではいかない。

まとまっていないピースを、一つ一つ繋ぎあわせて
丁寧に形をつくっていくように、さらなるリサーチを重ねて、
イメージングしながら構築していく作業が、大変なのだ。

自分で書面に仕上げてみて、疑問点や違和感があれば、
プレゼンテーションの時に「うまくいかない」ことが多いし、
質問されると答えに窮することもある。
これは、自分の中で整理されていない証拠である。



たとえば・・・・
まず、生クリームケーキにイチゴを合体させるアイデアが生まれ、
その後、大福餅のあんにイチゴを合体させたアイデアが生まれた。
最初は信じられないことでも、発想の奇想さや、さらなる大胆さが、
功を奏して、成功に導いていくこともある。
大切なのは、そのアイデアだったり、切り口だったり、
構成意図だったりが、しっかりとしているかどうか・・・だ。


着実に、私のリミットタイムが迫ってくる中・・・
「いつまで時間かせぎができるだろうか」と心配しながら、
それでもイメージング不足で、もう一つ“新しい切り口”が、
発見できずにいる。
これまでの経験では、ぼぉ~っと考えていると、「ふっ」と
浮かぶこともあるけれども、そのままのこともかなりあった。
そういう時は、こう思うようにしている。
「私と縁がなかったのかしらん!」
「きっと、そうなのね」

発想の転換は、機転をきかせてもうまくいくとは限らない。
しかし、頭は常に働かせていないと、いざという時に
動いてくれないし、結果も もたらしてくれない。
脳はどんどんと退化していくので、繊細な感度を保ちつつ、
角度を変えて見てみる(想像してみる)ことも必要だ。
要するに、頭も、考え方(思考回路)も、人間自体(性格)も、
柔軟に越したことはない・・・と思う。

そして、真綿で、ゆる~く、わが首を締めつつあるのは、
この「やらなくてはならない」という義務感のためだろう。
人は、のんびりと生きて、「やりたいときにやる」というような
スタンスで仕事ができればこのうえないが・・・・、一般的に、
そのようなことは社会が許してはくれない。
私を取り巻く「ありがたい人たち」が、私自身の生活の糧となる。
結局、のんびりと生きたいのであれば・・・・
職業を変えるか、仕事のやり方を変えるか・・・・
どちらにしても、フリーランスの性が、私の根底にはあるようだ。
仕事があるだけ、ありがたいと思うべきかもしれない・・・と。

そして、同様に・・・・
手放せるオファーであれば問題ないが、そうではないという
関係性が、私の居場所と精神状態を不安定にしているようだ。
「断れない」は、イコール、「やらなければならない」だからだ。



まぁ、正直、もう少し「時間」と 添い寝したい気分ではあるが、
甘いものを食べて「力んでみるか!」と 心する本日なり~~!
  ・
  ・
  ・
そんな気分でいたら、今日、お呼び出しの連絡が入ってしまった(ゲゲッ)。


バレンタインデー

2011年02月14日 | 出来事 -

今日のような特別なイベント日に、うろうろと世の中をさまようと・・・
いろいろと気を遣うことが多そうに感じる。
それは・・・ まるで、お正月に親戚(母家)に出向いたりすることと、
類似しているようにも思う。
ただ、ぽち袋が、チョコレートに、変わっただけのこと!


「お付き合いもあり」・・・・なんとも気まずい空気だけは避けたいものである。

誰がやり始めたのだろうか、
八方美人のような「義理」のつく“チョコばらまき”を!

関係ないといいながらも・・・
先週はこんなことがあった。
「ちょっとしたお土産」に用意した「茶色い箱」を、
一目でチョコだと勘違いされたのだ。
手渡した相手に「いやぁ~今年、一番だなぁ~」と、
ぬかよろこびされ、すごくバツが悪かった。
まぁ、チョコではなく、クッキーだったので、そう変わりはないのだけれど、
やはり「義理」がついても、男性にとっては喜ばしいものらしい。
誰からでも、いくつになっても・・・まんざらではないようだ。
(それで、私は「少しばかり早めですがぁ~」と、急遽コメントを変更!)
もちろん、男性の全員が、そういう反応をするとは決して思ってはいないけれど、
先週そんな印象を持ってしまったために「今日は足音をしのばせて歩くに限る」と
感じている。


まぁ、この年になると、本当は「全然、関係ないんだけれど(笑)」ネ。


「愛すること」の大切さ

2011年02月09日 | 自分 -

その人は、今年で70歳になる。
非常に感性が豊かで、繊細でありながらも、同時に、
武道の達人であり、男らしい正直な人である。
古くからの知人でもあり、仕事関係者でもあるが、
付き合いが長いので、私にとってはフランクに話せる人だ。

その彼が、今日、「特別な一日」を過ごした。
珍しく、とても興奮していて、とても感動していた。

そして・・・
彼は、真顔で・・・こう言った。
「今日は、愛されることよりも、愛することの大切さを
 教えてもらった。本当に、鳥肌がたつことばかりだった。
 私は、これからの10年間で、愛することを考えながら、
 生きていこうと決心したよ!」

70歳になっても、彼のように「感動」を感じることができ、
人生に大きな影響を与える「変革(事柄)」と出会うことが
できるのだという事実は・・・ 私にとっても、非常に
素敵なことだった。

その感動の一つ一つを、あったかい湯気があがっている状態で、
彼から(直接)話を聴くことができて、私は幸福者だと思う。
その雰囲気と、事実の凄さが・・・手に取るように伝わって、
私も泣きそうになる瞬間が(何度か)あった。
人が経験したことなのに、まるで自分のことのように感動でき、
その感覚を分かち合える喜びは、本当にたまらないことだ。

今日の彼は、終始、笑顔で、とても幸せそうだった。



おいしいお茶を飲みながら、仕事の打ち合わせをした後は、
彼の「特別な一日」をお祝いする食事会をした。
彼を含めて、たった4名の小さな宴席だったが・・・
久しぶりの(彼の)満面の笑顔を見ていると、とても気持ちの良い
長年の苦労を吹き飛ばしてくれるような出来事だったのだろうと、
容易に想像できた。


楽しく感動的な食事会の後、別れ際のことだった。
いつも彼の滞在先ホテルのロビーで別れるのに、彼は・・・
帰路につく私たちを(わざわざ)見送ってくれた。
ロビー階からエスカレーターに乗って、一階下まで降りて、
寒いのに・・・出口から外に出て、笑顔でずっと見送り、
私たちの姿が見えなくなるまで、ずっとずっと玄関先で立ち、
見送ってくれたのだ。手を振りながら・・・。
しばらくして振り返ってみると、彼はまだ、立って見送ってくれていた。
これは、なんとなく胸が熱くなる光景(出来事)だった。
自分よりも目上の人に、そんなことをされると、本当に・・・
恐縮してしまう。
そして、私自身が感動してしまう。
言葉に窮する行為だ。
これは、まさに、彼の言っていた「愛」が感じられる行為だと思った。

単純なことだけれど、「愛」を分かち合うことは、人々にも
変革を与えることでもあると、そう感じた。

偽りのない「愛」にあふれた行為は、波及していく。
そして、いつしか周囲の人々を、巻き込んでいくのだろう。



彼は、言っていた。
「こういう特別な日に、古くからの知り合いの人と、
 こうして美味しい食事と、素敵な時間が過ごせるのは、
 素晴らしいことだよ」
その言葉は、私にとっても素晴らしい感情を呼び覚ますもので、
感謝の気持ちと、人とのネットワークの有難さを感じた。


私も、いつも、「愛を感じてもらえる人でありたい」と、
心から思っているので・・・・ 今日は、満足感と充足感で
満たされた時間を過ごした。
彼と、彼の経験した事実と、今日という日に、心から感謝する。

 

「鉄は熱いうちに打て」

2011年02月07日 | 仕事 -

迷走を続ける「日本相撲協会」のニュースと、
混迷を極めるエジプト情勢から、目が離せない。
そして、退屈で無気力な国会の模様と、
本当の事実が公開されない政治の世界・・・。

そして、何よりも、すっきりとしない我が体調と、ハナミズの嵐!

昨日は、記憶をなくしたように、午後2時頃まで
寝屋(布団)から「オッキ!」できず、身体を横たえたまま・・・
仕事も手につかず・・・ 私こそ「無気力な時間」を過ごした。
一週間の疲れを、寝だめでリカバリーするかのような状態で、
本当にアラームを鳴らさないということの凄さを思い知る。

しかし「寝られる」・・・ということは、「若い証拠だ」と言い聞かせ、
一見、怠惰ともとれる事実を甘受し、私の意識は次の段階へ・・・。



人の心も、企画も、提案も、「ここぞ!」と思った時には、
即決 動くのが私流。

大切なことが目の前にあっても、優先順位は簡単に決められる。
自分にとって、「今、やるべきこと」から 手を付けていく。
今だからこそ 価値が倍増する働き掛けというものが、必ずあるからだ。


週の初めだし、スタートする日だし・・・
怠惰な昨日の自分を振り払い、「行動」・「行動」・「行動」だ。

収穫は、稲作でいえば、苗ぐらいのレベルだが、
手にした情報と、ネットワークは、大きく化けていきそうな期待がある。


一番の問題は、私のモチベーション。
今年はゆったりとして、休みたいと考えていたのに・・・
また、自分から(頼まれもしないのに)種まきばかりをしている。

               性分なのかもしれないなぁ。

しかし、まいた種から、(将来)どのような作物が育つのか、
どのような花が咲くのか・・・・もしも、本当に種が生きながらえて、
実りをもたらしてくれるのだとしたら、この上ないシアワセである。
だから、やはり、「今、できることはやるに 越したことはない」。

「鉄は熱いうちに打て!」

人の心も、つかめるうちに、しっかりとつかんでおく!
これは、非常に大切なことだと思う。


チャンスは、「今」

2011年02月03日 | 言葉 -
 

    「 機 失うべからず、 時 再び来たらず 」


                         <北宋 五大史>



突然、到来するチャンス!
遠い場所から放たれた「一本の光」あるいは「何か」があったとしたら、
それを「災い」と感じるか、「絶好の機会」と解釈するかでは、大きな差がある。

結局、時がたってみれば、鋭い矢のようで、痛手をおうこともあるが・・・
ただ逃げないでその場所にいれば、手にできるプレゼントになったりもする。



人との「出会い」も、またしかり。
重い腰をあげて、会うことから始まる「何か」があることも・・・。

久しぶりの会合は、自分の交友関係を広げたり、また再び戻したり、
忘れていた関係性を呼び起こしたりもする。
性別・年齢・仕事などの差異を飛び越して、一緒に楽しい時間を過ごせたら、
それは私にとっては最高のプレゼント!


今日、私が経験した二つのアポのどちらもが、素敵な出来事だった。
午後の仕事関係の重要な会議と、夕方からの懐かしい仲間のアポと・・・
満ち足りた時間をもらって、私は時間を忘れてしまったぐらいだ。


体調が悪くても、出かけていくものだ。
今日は、とても素敵な一日だった。
貴重なチャンスを手にしたような気分に(確実に)なれたし、
楽しい時間を過ごすことができ、多くの情報も手にできた。
たとえ雑談だけでも、目の前の人から感じ取れるエッセンスなどで、
私の生活に「潤い」が、足し算される。

それも、これも、私が行動を起こさないと、手にできなかったものばかり。
無謀にも「ある人」を呼びとめ、自己紹介して、思わず差し出された手・・・
その一つの握手から始まってくるものもあるのだ。

やはり、襲ってくる体調の不備よりも、「今」優先すべきは、目の前のチャンス!
これに尽きる。
そして、このチャンスを活かすも殺すも「私次第」だ。


風邪はホンモノだった

2011年02月03日 | 出来事 -

「風邪は予兆」ではなく、ホンモノだった。
昨日は、頭が痛くて、くしゃみとミズバナ攻撃がすごく、
気力がついていかなかった。
漢方の葛根湯をアレルギー(くしゃみ・ハナミズ止)漢方薬と
一緒に、何度か服用。
今朝の起き具合の体調からすると、なんとか、くしゃみが止まったようだ。
しかし、まだのどの奥のひりひり感と、ミズバナは多少残っていそうだ。
とにかく、絶食して、ゆっくり睡眠をとるのが一番だが、
絶食も睡眠もとれなかったので、まだまだ調子がもうひとつだ。

内臓は、薬を体内に入れただけで、疲れ果てるようだ。
今朝も、胃に優しい食事ではなかったのが災いして、違和感が走る。
私にとって、こういうときは・・・油ものは禁物。
しかし、昨日は「からあげ」を食べてしまったので、
たった一食だけなのに、もたれているのがわかる。
体調が悪いのが、よくわかる。

意識を、自分の内臓や頭、いろいろな部分に集中していくと・・・
調子や、具合などが、手に取るようにわかってくる。
ただ状態が明確に伝わってくるだけのことだが、
なんとも「負担をかけてごめんね」と言いたくなってくる。

寝起きの白湯。
今日も、葛根湯と一緒に・・・。


「風邪」の予兆

2011年02月01日 | 出来事 -

今週が、インフルエンザの、な、なんと、ピークだそうな。
病原菌の猛威が、世の中を襲っている。

一昨日にメールした相手から、返信が届いており、
 「今日、病院でインフルエンザと診断されました。
  詳しくは、回復した後に・・・」
という短いメールだった。

私も・・・昨日の疲れがあってのことだろうか。
今朝は、起きてから喉が痛くて、ひりひりとして、
きつい「うがい薬」で対処療法をした。



そのあと、赤坂に仕事で出かけたが・・・・
一緒に 会議室に こもった4名のうち、半分が「風邪」。
3時間半もの長い打ち合わせ時間だったので、
小さな会議室には、多くの風邪ウィルスが浮遊していただろう。

「怖い!」 「あぶない」 
そう思って、“今日は帰宅を早くして休もう~” と 決心。
電車に飛び乗ると・・・ラッシュタイムで・・・・
密着した人々の間から、ゴホゴホと咳き込む声が聞こえた。
混雑したエリアには、病原菌がウヨウヨとハビコッテいただろう。



危険な予感というか、いやぁ~な予感は、あたるもので、
22:30きっかりを過ぎると、乾いたくしゃみが続いて、
透明なミズバナ攻撃にあった。

「やられたかな?」
寝る前に、漢方の風邪薬を服用することとしよう。

明日も、昼は会社。夜は、仕事関係の仲間と会食。
翌日も、同じようなスケジュールが続く。
誰かにうつすと、風邪は治るというけれど、
人様にご迷惑はかけたくない。

今週は、波乱万丈の一週間だ。

自分の身体を守りつつ、乗り切ろう~~!

充分な睡眠をまずはかり・・・少しばかり内臓を休めるために
絶食に近い(セーブした)食生活をしよう。