頻繁な福島を襲う地震

2011年07月31日 | 出来事 -

揺れると・・・飛び起きる癖ができてしまった。

ニュースで状況を確認して、「原発」の情報を確認することが
習慣になっている。

たった今の地震は、M6.4だった。

震度3ぐらいから、私の身体はしっかりと反応している。



余震は3年間ぐらい続くと言われていたが・・・、本当に
最近、たびたびと大型地震が東北地方を中心に起こっている。


「しらなかったー」
「起きなかったー」
そういう声を聞くたびに、敏感になっている私の体内にある
地震探知機が「我は違うぞえ」と嘆いているようだ・・・。


東北全域もさることながら、「福島ではどうだろう」と・・・
どうしても咄嗟に感じてしまう。
肝心な時に、すぐに「行動がおこせるように」という気持ちが
そうさせているようだ。

自分の命を守るということもそうだが、ある程度の即効的な対応が
ケースバイケースで出来ることが、何よりも大切だと思っているから・・・。

この地震が落ち着くまで、せめて(これぐらい)気にしていることは、
東北の皆さんや、全国の人々と、共有していたい。



緩急ある時間の使い方

2011年07月30日 | 出来事 -

いつものことながら、迫りくる「プレッシャー」と 人知れず闘いながら、
この週末を過ごさなければならない。

大切な書類を 1パターン、作成する課題があるのだ。

午前中、ゆらゆら~として、お昼に構想をねって、身体を休めて
気分転換をしてから、明日は最終的に仕上げる予定である。



最近の「気分転換」は、「ジェルネイル」。
だんだん面白くなってきた。



自分の気分で、色を変えることができるし、ラメやストーンなども含め、
オリジナルとして遊べるようになり、デザインの幅も広がった。

爪が弱い私は、いつもひび割れることが多かったりしたため、
その対処に追われることも頻繁だったが、ジェルネイルにしてからは、
爪の強度が増すために、そういう心配が全く無くなった・・・。

そして、だいたい一ヶ月は持つので、手直しをしないですむのが
何より(不規則人間 or 怠慢人間には)有り難い。

一ヶ月、お付き合いをする「爪のデザイン」のため、スケジュールや
予定を考えて、地味にしたり、派手にしたりして・・・今は遊んでいる。

やり変えた後は、気分も変わって、なんとなく、新鮮な印象がする。
だから、「気分転換にはもってこい」なのだ。



単なるお洒落から、実用的なモノとして意味付けがなされてきたようで、
最近の私にとっては「ジェルネイル」は必要不可欠なものとなった。
マネキュア時代が、今は・・・すごい昔のように感じるぐらいだ。

便利で、長持ちして、強度があり、何より“爪を保護してくれる”ために、
私には何よりのアイテムとなったのが、「ジェルネイル」だ。

何度かサロンに通ったら、あとは自分でトライできるけれど、
技術習得とデザイン決定に関しては、「向き」と「不向き」があるので、
全ての人にはお勧めできないが・・・・だいたいの人は大丈夫だと思う。

手軽になったジェルネイルは、とても良い気分転換になる・・・。



こうして、気分転換の時間は、貴重な側面を要する。
一日の中でも、「集中する時間」と「ゆるめる時間」をつくることで、
持ち帰った仕事の効率も、かなりアップする。

私の場合は、目的なく“だらだらする”のが、一番よくないようで・・・・
最近は、こうして、緩急ある時間の使い方をしている。


「スイカ」 再び到来!

2011年07月30日 | 出来事 -

油断をして、とろとろと・・・前回の大玉スイカを
「もったいない」と思って、ゆっくりと食べていたら・・・

また、たった今、三個のスイカが届いた。


何のたよりもなく、突然、届く農作物。
田舎からのたよりだ。

それも大好きな「スイカ」到来に、胸がおどり・・・
冷蔵庫に、たくわえていた少しのスイカに、むさぼりつく。

また、数日、快適な水分補給が可能になった。

しかし、「これが、今年最後のスイカです」との
メッセージには、ちょいとばかり愕然・・・・。


今年の異常気象と、変動する気候には、誰も文句が言えない。

有り難く、三個のスイカを頂くこととする。

ありがとう!!



必需品となった携帯電話

2011年07月28日 | 雑感 -

今朝、私は最寄りの駅で、ハタと気がついた。

「げげっ、ケータイ(携帯電話)を忘れた!」・・・。

「どうしよう・・・・」

いつも、肌身離さず持っていて、今は仕事にも欠かせない。
自由がない生活にはなってしまうが、何処へでも追いかけてくる連絡は、
急ぎの用事が多いので、ケータイを使うわけで・・・
それは理にかなっている。

いつしか、皆の連絡先も、携帯電話に記録して、住所録、電話帳、
スケジュール管理、すべての情報が、今やケータイに含まれている。



いつの頃からか、「自由」がほしくて、大好きだった時計を
身につけることを止めた。
そうしたら、伸びやかな気分になれたが、時間は要所要所で
確認しなければならず、いつしか時計の役割もケータイが担い、
朝の目覚まし時計もまた、ケータイが努めてくれている。



だから、今朝の私は、「どうしよう・・・」。

そんなケータイを忘れた・・・。
一瞬、引き返そうとも思ったが、今日の予定は、打ち合わせが一つ、
面談が一つ、・・・だから、「もういいかぁ」と、腹を決めた。
初めて会う人がいたので、少し心配だったが、会社の電話番号もあり、
どうにかなるだろうと、安易に考えることにした。
こうして、今日は「携帯電話のない一日」を、数年ぶりに過ごした。



それで、分かったことは・・・
日々の「ケータイに対する依存が、ものすごい」という事実!
ある意味で、「依存しすぎてはいないか」という感想も・・・。

ケータイが無くなったら、連絡先や、そのほかの情報が全て
消えてしまうことに対する “恐怖に近い危機感” 。
また、最初から連絡先を登録する手間を考えると、本当に
ぞぉ~っとしてしまった。
実際、ケータイに登録した電話番号があるからと、仕事関係者の
名刺は持ち歩いていないし、(主要人物以外は)名簿も作成していない。
だから、ケータイを忘れると、半分、仕事にならなかった。




特に、私は、「仕事用」と「プライベート用」とで、携帯を分けて
使用している。
その方が、割り切れるので、何かと便利だからだ。
しかし、その二つともを忘れるとは・・・久しぶりの大失態!

やっぱり、疲れがたまっている証拠だ。 「いかんぞー!」



そして、この街中に多く見られるメール依存に近い人々と一緒で、
私もまた、ケータイがなければ、とても不便であるという事実と・・・、
ない場合に感じる「不安感のようなもの」も少し自覚することができた。

現代人は、電磁波にやられ、健康を害する可能性にありつつも、
・・・それが分かっていながら、どうしてもケータイが手放せない。
そんな日常が、(いつしか)フツーになってしまっている。



ケータイを持たず、メールもしない、根っからの「アナログ人間」を、
希少価値ある「絶滅危惧人間」と言って、皆で談笑した過日を思い返し、
それと同時に、私たちもまた、大多数の人間の部類に入っているだけで、
ある種の情報化社会に支配された側面を感じずにはいられなかった。

ケータイに対する依存度は、便利になると、さらにひどくなるだろう。

ある日、突然、壊れたりしたら、不便だと思えるだけならいいけれど、
それに強い不安を感じるようなら、それは芳しくないことのように思う。
便利機器がなくても暮らしていけていた頃の自分を、時には思い出し、
たまには「のんびり、ゆったり、なんとかなるさ」的な気分を経験することも
大切だと、思ってしまった。


便利な生活は、人の感性も、努力する気力も削り取り、「怠慢な人間」に
することもある。
時々、自覚して、自分を客観視していかないと、イザというときに
パニックにはなりたくないものだ。



仕事のやり方も、いくつか保険のような伏線を張っておくようにしないと、
ケータイがパンクした時は、とても大変なことだと感じた一日だった。

それにしても、「依存」というのは、気がつかない間に・・・・
そうなっているものなのだなぁ・・・と、冷静なもう一人の自分が分析!
ホント、不思議な現象だ。



大好きな「ヒカリモノ!」

2011年07月25日 | 食事 -

私は、お寿司が大好きです。

心身が疲れているような今、正直に言って、食欲はあっても、
本当に「美味しい」と思える食事がとれなくなります。
 (今日のランチも、半分を残しました)
そういう時でも、お寿司は、やはり「美味しいなぁ」と思えるので、
鋭気を養ううえでも、時々気の合う仲間と出かけます。

自分で料理をする際にも、お寿司を選ぶことは多いです。
最近はめっきりと少なくなりましたが、「姿ずし」や「押し寿司」を、
頻繁に つくっていた時期がありました。
先日も、友達から「あれがまた食べたい」と言ってもらったりして、
自分でも忘れていた「味」を思い出したりしました。



今日は、とても美味しいお寿司屋さんに行ったので、顔がほころびました。
ネタが大きく、新鮮なので、「美味満喫状態」でした。

この数年間の私は、いつも「アジ」がスターターです。
「イワシ」の時も、ありますが、だいたいが「アジ」です。
その日の気分で選びますが、やはり好きなネタはだいたい変わらず・・・
一緒にいくメンバーも、同じようなネタを注文しているようです。



今夜は、「三陸サバ」というネタがありました。
絶妙に手が入れられていて、昆布でまかれたバッテラのようなサバは、
とても美味でした。
「がんばれ東北」という気持ちで、注文!

今朝も、早くから東北地方を、M6.2の地震が襲いました。
夜中3時まで仕事をしていた私は、寝付いた途端に また飛び起きて、
思わずニュースに注目しました。
だから、今も、眠い感じデス。


会社に行けば、皆が「ノルウェーの事件」について論じ合っていました。
信じられないような事件が続き、世界中のバランスを壊した人々の姿が
痛々しく伝わってきます。
私の心は安定したいのに、情報化社会は、それを許してはくれません・・・。



寿司は、「安心」で「安全」、そして「新鮮」が、一番です。
活気ある(今夜の)店内は、混雑を極めていました。
このご時世に、満員御礼でした。
カウンターに座った私たちの目の前では、威勢の良い掛け声が飛び交い、
これぞ「ニッポン伝統の味だ」と感じる雰囲気でした。

定期的に行っている寿司屋さんですが、いつも旬のネタを頼むと、
本当に満足することができるので、精神的にも喜ばしいことです。
真夏ですが、「岩のり汁」と一緒に頂く寿司は、なかなかのものでした。


こんな「ささやかな幸せ」を自覚しながら・・・・
こうして、日々、新鮮な気持ちで生きていくことが、
何よりだと思います。

私自身は、食べることが大好きなので、それだけで「シアワセ」です。
そういう観点では、単細胞な人です。



少しでも綺麗な空気を!

2011年07月24日 | 出来事 -

引っ越しをしたのが、ずいぶんと前のように感じるのだけれど、
まだ完全に荷がほどけておらず、一部屋の一角を占拠している。

目の前に迫っている作業を、ひとつふたつ処理をしていくのが先で、
つい「段ボールさん」に 目がいかない。

窓のない部屋があり、空気清浄機を買うために、家電店には出向いたが、
結局何も決められず、そのままパンフレットをもらって帰宅した。
迷ってしまったのだ・・・。



「どれがいいんだろう?」
そんなたわいのない質問を、皆にしていたら・・・
「使ってないから、良かったら使う?」
そう言われたと同時に、倉庫から出してきて、実物をひょいと手渡された。

「えぇ~~!」

それは、フィルターを使わず、「水」にカビ・ほこり・花粉などを付着させ、
ホルムアルデヒドなどの有害物質も吸着させ、洗浄水に取り込むという仕組み。
湿度も調整してくれるという「気化式加湿&空気清浄機」だった。
水を補給したりするのが必要なので、それが面倒だと感じるかどうか・・・
使ってみなければわからないが・・・ドイツの商品で、中の水にはアロマを
入れることもできるので、もし気に入れば“快適な環境”になるかもしれない。
自分の好きな柑橘系の癒しアロマを嗅ぎながら・・・というのは、とても
素敵なイメージでもある。

ドイツの家電は、アイデアや、構造の点で、すぐれているものが多いし、
この加湿・空気清浄機も「エコ」な仕組みにはなっている。
あとは、使ってみてどうか・・・というのが、一番だろうとは思うけれど、
もともと「プレゼントして頂いたもの」なので、とりあえず失礼のないように
ご厚意を受けて、使ってみるつもりだ。


しかし、冷静に考えてみると・・・・
私が「快適な住空間を手に入れるためには、もう少し時間が必要だ」と思う。

とにかく、今は、夏バテのような頭と身体を元気にさせて・・・
目の前の仕事を片づけて、それから始まる「我家の快適空間づくり」。


日々の掃除が優先になってしまう生活だからこそ、掃除しやすい部屋に
はやく整理していきたいものだ。


  「遊びにきたがっているお友達の皆さん、ごめんなさいね。
   もうちびっと、まっちくれ~~。
   柑橘系の癒し系アロマで、お迎えするからネ!」



久しぶりのお天気に・・・

2011年07月22日 | 出来事 -

今日は、お天気。
今、お布団もしっかりと干されている。


全国的な台風の到来により、雨や曇り、肌寒い日々で、
暑かったり、涼しかったり、・・・体温調節をするべき身体が
戸惑っていたようだった。
ものすごい冷気で、すぐ立ち上がりたくなる店もあったし・・・。
自分の身体ながら、どんどん適応能力が落ちているように感じる。

暑さが理由で、すっきりと寝られなかったので、
扇風機をつけっぱなしにしていたら、夜中に「寒い」と感じて、
飛び起きたり・・・・。 
節電をしているので、自然の気候温度にあわせるしかなく、
それが何とも「心もとない状態だった」と思う。


台風と言えば・・・、田舎からまたスイカが届いた。
私の帰宅が遅くて、二日も受け取れなかったので、
まめや、トマトなどの夏野菜の少しが、かなり傷んでいた。
トマトなどは、傷がつくと最後・・・もう駄目になってしまう。
スイカときゅうり・ナスなどは、安全だったので、
すぐにお味をたしかめるごとく、切って、味見して、冷蔵庫へ・・・。



田舎では、この台風で、畑に水が入り、スイカの収穫ができないと
いう不安を抱えているらしい。
おそらく無理だろう・・・ということだった。
一か所、難を逃れた畑があるようだが・・・最近の雨は、
スコールのように激しくて、雨量も多い。
畑に水がたまると、かき出しても、かき出しても、無常な結果が
待っているようだ。

温帯地方だった日本は、どんどん熱帯に近づいているのかなぁ。
天気に影響を受ける農業は、これから知恵を使ってやらなければ
ならなくなってくるかもしれない。
これまでの実績が、通用しないようになりそうで・・・。
台風が去った後の今日は、水道水の味も変わり、薬物系の匂いが強い。
泥水が頭に浮かんだり、濁流の貯水池がイメージされたり・・・。
そんなことを、おぼろげに感じながら、「まだ曇っているなぁ」と
空を見上げている。



司法の場で責任追及!

2011年07月20日 | 社会 -

過去のことですが・・・
私が一部上場会社を提訴して、労働審判を起こしたのは、
上層部が現場の苦労を露とも知らず、低層部に属する労働者を
明らかに軽く扱ったことによります。
何度も、陳述と提言を繰り返して、常務クラスまで上り、
会談をしたのですが、最終的に全てを握りつぶしたのは会社代表です。
それは、私が勇気を持って行動した「たった一人での闘い」でした。
その大企業が、今も何もなかったかのように、横暴をきわめて
低層部の労働者をだましながら、利益をむさぼっている現実が
今も続いているようです。
それを思うと、切ない想いにかられます。
やはり、世の中に出ない限り、“隠れて同じようなことを繰り返す”
体質なのだと感じます。
実際、そういう会社なのに、企業ホームページは、良いことばかり
羅列して、現実とは大分かけ離れたことを書いています。
何人の若人が「泣き寝入り」をして、我慢を重ねていることでしょう。



今回の「東電」の福島第一原発の対処に関しても、上層部は涼しい
部屋の中で会議をして、原発内で暑い防具服に身を包み、被ばくを
しながら作業しているのは、会社でいうと「現場の皆さん」です。
その現状や、苦労を、どの程度、東電の上層部は理解しつつ、
対処しているのでしょうか。
株主総会から、いろいろな批判を浴びても尚、変わらない体質!


決定権をもっている代表者や、管理責任者は、ある程度の知識と
想像力をもって、現状を把握する必要があります。
様々な報道に接するたびに、複雑で、すっきりとしない印象を
いつも抱いてしまうのは、本当の真実を公表していない可能性が
あると思ってしまいます。


やはり・・・
お金が全て・・・経済効率優先、利潤追求などという資本主義的な
考え方を第一とするような時代は、もうこれからの価値観としては
どうなのだろうか・・・と、疑問を感じてしまいます。




このたび、市民団体が、福島の原発事故の対応をめぐって、
管直人首相、清水前社長など、合計6名を対象とした「告発状」を、
東京地検に提出したようです。
これは、福島原発の水素爆発が、原子炉格納容器内の蒸気を放出する
ベント作業を(すみやかに)行わなかったための「人災」であり、
法律にも違反している行為であるということのようで・・・。
原子炉規制法に書かれている作業行程ではないという、明確な指摘です。

その後の国会の答弁などは、問題視する声が聞こえても、どうしても
現実が見えてこないものでした。
関係者と言われる人たちは、常に逃げの姿勢で、明言をさけましたし、
東電の説明責任も果たされることなく、数カ月も放置された問題です。


専門家による検証もされず、その後の現状は、日々のニュースで
伝えられるとおり・・・ 非道で、悲惨なものです。
そして、危機的な状態は、今も変わらず続いているのです。




いつも、真っ先に虐げられ、現実を伝えられず、最終的に傷つくのは、
現場にいる人たちです。
決定権を持っている「一部の人たち」は、決して現場に足を踏み入れず、
ただ、快適な部屋の中で(うわべの情報で)検討しているだけです。
それは、都合のよい解釈に則ったものであり、今も昔も変わらず・・・。

東電の原発問題だけでなく、このような構図は、あらゆる社会の片隅で
見受けられることです。

「理不尽だ」とか、「不公平だ」という言葉さえも、一蹴されてしまう
強力な権力をもっている人たちにとって、何がリスキーなことなのか・・・
全く判断基準が読めません。


こうして「司法の場で、責任をはっきりとさせる」のは、将来の日本の
体制や社会構造を見直すためには、必要なことかもしれないと、切に
感じているところです。
これまでの政治は、常に「なしくずし」「ことなかれ主義」でした。
そのような体質を変えるためにも、緊張感を持って、自分の立ち位置を
改めて認識することが必要です。

私たち、国民一人一人もまた、同様に、自分の問題としてとらえ、
一緒に闘わずとも、関心だけは持っているべきだと、強く感じます。




高級ホテルの喫茶ルーム

2011年07月19日 | 食事 -

行くたびに思う。

お茶一杯に、1500円とは・・・・。

私には、信じられない金額だと、いつも思う。

今日も、それらしい「若返りお茶:1750円」なんてものも
発見して、それに咄嗟に飛びつく感覚にもついていけず・・・。


今日の私は、「チャイ」を頼んだが、1350円だった。
たいして、美味しくもない、スパイスも効いていないお茶が
1350円とは・・・。
それも、たいして大きくもないカップに入っていて、
本当に興ざめである・・・。


お金の有り難さを感じるとともに、何か気持ちが落ち着かず、
お茶も美味しく感じない気分になる。
特に、打ち合わせなどをしていると、口をつけたころには
すっかり冷めていて、せっかくの1350円の味が半減してしまう。
ほとほと、私は「貧乏性」なんだなぁ~と感じる。

値段ばかりを言って、本当に切ないが・・・
喫茶ルームは、予想通り、(昔と比べて)ガラガラだった。
何らかの意図がなければ、高級ホテルの喫茶ルームなどには
決していかないし、フツーのお金の感覚を持ちえているならば、
当然のことだと、思いながら・・・・。
ごくごく当然のように、清算シートを私に渡されたときには、
またまた興ざめしてしまった。


1500円のお茶を飲むならば、私は でぶってもいいから、
スパゲッティを食べる!!
あと数百円プラスすれば、美味しいウナギだって食べられるのだ。

一袋10円のティーパックでも、美味しく飲めれば何より・・・。

美味しい味というのは、美味しい時間と一緒にやってくるものであり、
お茶の味だけで、全てが決まるものではない。

場所代とはいえ、本当に「高い」と感じてしまう。
今の私には、1500円のお茶を飲む贅沢さが、心地悪くてたまらない。



なでしこジャパン、優勝!

2011年07月18日 | 出来事 -

台風6号を迎える日本に、その直前「なでしこ台風」が吹き荒れた。

今朝(フツーなら寝ている時間に)、日本女子サッカーチーム、
なでしこジャパンが、「世界一」という称号を手にしたのだ。

男子に比べて、決してめぐまれているとは言えない女子の世界で、
まさに「疲れ果てている日本」を勇気づけてくれる出来事だった。

最後まで「あきらめない姿勢」と、スポーツマンシップに則った
美しく、潔い、スタイルとイメージは、日本女子らしい。

大きな身体のアメリカ (世界ランク一位) の選手にも、真っ向から
立ち向かっていく姿勢は、本当に素晴らしかった。

大正か、昭和初期の武道の選手のように、身体の落差があっても、
臆することなく、正面から勝負に挑んでいった昔の「武士道精神」を
彷彿させた・・・・女子チーム。

「かっこよかった!」

しっとりと泣くこともなく・・・清々しい喜びの笑顔で、嬉しさを
ストレートに表現する姿は、これから立ち向かうべき多くの難題を
抱える日本を、後押ししてくれる「力強さ」があった。

とても気持ちの良い結果で、とても素敵な姿だった。

女子サッカーも、徐々に、立ちあがってきたけれど・・・
やはり「男子に追いつけ」という気持ちがあったとは思う。
代表選手の待遇も充分ではない現実は、「まけてなるものか」という
気持ちを強くしただろうとも思う。
やはり、人は、「逆境にあって初めて、気持ちも強くなる」ことが
あるのかもしれない。
日本人には欠落してしまった「ハングリー精神」のようなもの・・・。
個人の覚悟と、意志力の強さが、とても伝わってきた。
何よりも、「決してあきらめない」「最後まであきらめない」ことは、
どんなケースにも、学ぶべきことだと感じた。

「お疲れ様、なでしこジャパン!」

やまとなでしこのように、美しい試合姿勢の先に、掴んだ称号!

今日は、一日、元気になりそうだ。


体内時計と体調との関係

2011年07月16日 | 自分 -

「健康的な生活とは、
同じ時間に起きて、同じ時間に食事をして、
同じような時間に寝ることだ」 と、
聴いたことがある。

今の私には、全くもって無理な話で・・・
このような理想的な生活ができたのは、両親の介護時期だけだと
今更ながら振り返る。
 (それも、介護する人の状態にもよるけれど・・・)



時間に合わせて、身体がなじんでいくことは当然のことだから、
脳も身体の機能一つ一つも「ある作業」を記憶していく。
その時間になると、勝手に予想して、働く用意をしていくのだろう。


眠れないほどの暑さが辛くて、水分の補給がよくわからず・・・
今の私は「混乱してる状態だ」と思う。
また、脳は、(仕事柄)多様なイメージをするようになったので、
明らかに「混乱を極めている状態かもしれない」とも思う。


何気なく、フツーのように、携帯が鳴るので、出てみると・・・
それは海外に滞在している人だったりする。
便利になったと思うけれど・・・・
正直に言えば、それは私の経験値以外のことで、
できれば(昔のように)固定電話にかかってきてほしいぐらいだ。
これまでの思い込みと、これまでのスタイルを壊すことなく、
「ず~っと変わらずにいたい」というのが、密かな願いで・・・・
それは、私の中の「違和感がない状態」である。

身体の中にも、脳の中にも、思い込んでいる事実があって、
それに即しているものは、受け容れられるようだ。
しかし、それ以外の時間帯に何かあったり、予想していないことが
起こったりすると、私の精神状態と身体状態は、それに耐えながら、
健康なふりをしつつ、息をしていかなければならない。
けれども、やっぱり、違和感と倦怠感はぬぐえない。
しかし、それでは仕事も日常生活もやっていけないので、
最新のソフトを使って操作したり、対処したりするようになる。
それもまた、新しい経験として記憶されるが、それにかかる負荷も
私の中には着実に残っている。



社会の規格が変わり、最先端の機器がどんどん出てきては、
人々に「変化」を強要してくる。
それは、進歩でもあり、発展でもあり、躍進でもあるが、
そういうことに、慣れていく作業を強いられるのも また、
人によっては、苦悩や苦痛を伴うこともある。

私も、年を経ていくにつれて・・・
そんなことを感じるようになった。
現実と、自分の思い込みのすり合わせが、うまく行えない高齢者を
はたで見ていた者としては、自分の将来の姿をあわせるがごとく、
日々の「老い」に対する準備を、早めにしておこうと・・・
そう思う。
決して、マイナス思考ではなく、「人に迷惑をかけない」という
とてもシンプルな理由による「前向きな思考のためである」と、
書き添えておきたい。


出産による学資計画

2011年07月15日 | 出来事 -

親戚の子が、2人目の子供を妊娠中だが・・・
そのお腹に宿る命が「双子」だということが、このたび判明した。

先の長男あわせて2人だと思っていた状況が、合計3人となり・・・
経済的な負担(教育・学資金)を考えると、頭が痛い部分もあるようで、
何かと家族間で話し合う機会が増えたという・・・相談のような愚痴が届いた。

命を授かるのは、有り難いことで、
一人でも二人でも、授かるだけの命には「それなりの意味がある」ように思う。

ただ、現実として・・・
若い夫婦には、経済的な問題は切実だから、なかなかすっきりとしないようだ。
不安に感ずることも多いのだろう。



最近は、環境問題なのか・・・ 人工受精で子供を授かる夫婦が
増えてきている。
自然な流れにまかせていては、授からないであろう状況のために、
子供のほしい夫婦は、産婦人科に通い、過酷な診療にも耐えて、
高額な治療費にも目をつぶる。
そして、念願の「家の後継ぎ」になる子供を授かるのだが・・・。
場合によっては、複雑な事情が背景に隠れていることも少なくはない。
人工授精で、他人から「種」をもらっていることなどがあれば、はたして、
何人の受胎者がすっきりとした心境で出産ができるだろう。
子供を授かるだけで有り難いと思えればよいが、そうではない人もまた
現実にはいるのではないだろうか。
「家」のために、子供を身ごもることが第一の使命として与えられたら・・・
産まれてくる子供もそうだが、誰よりも母親のストレスと苦悩ははかり知れず、
100%割りきれていないのだとしたら、それは、とても心配だ。
子供は、「血」よりも、「育った環境」の影響が多いのだから、
愛情をかけて育ててあげることで、それだけで心配はないと思うのだけれど、
親にしてみれば「自分の種ではない」という歴然とした事実があったとしたら、
それは乗り越えるのに(受け容れるのに)時間がかかる人もいることだろう。





我が母もまた・・・・違った意味で、出産では苦労した人だ。
子供を授かるために、あらゆる努力をした。
数十年の間、苦悩の日を過ごし、何度も妊娠・出産・死産を経験した。

私の出産の時の逸話は、本当に当時でも珍しい状況だったらしい。
あまりにも、毎回のように激痛に耐えていたので、私の場合は軽く考えており、
病院に行く時間が持てなかったという「劇的な出産」を経験した珍しい人!
自宅出産で、(江戸時代のように)自然に出産した稀有な人なのだ。
私を取り上げたのは、専門家ではない隣のおばさん。
出産後、母の第一声は、「おば、また、死んどるの?」

そして、苦労して産んだ娘(私)が・・・ 背を向けて 東京へ出ていってからも、
子供の誕生日には、毎年「お赤飯」を炊いて、近所に配っていた・・・・という
愛情あふれる母親だった。
   私は、この話を最近聞いた。
   こんなことを、こんな時間がたってから知るなんて・・・・。

「お赤飯でお祝いしてくれて、本当にありがとう」の一言も伝えられないまま、
永遠の別れをしてしまうなんて・・・・。



母親の愛は、本当に深い。
そして、その純粋な愛情は、子供たちにストレートに伝わらず、
終わってしまうことも多いように思う・・・。
この私のように。



親戚の双子を出産予定の夫婦は、仲がよい二十代後半の年齢である。
まるで、家族のように、その長男を可愛がっている私としては・・・
あまり思い悩まず、おおらかに、物事を考えてほしいと感じている。
繋がっている命は、とても尊く、愛しいものだ。
経済的な側面よりも、将来の不安よりも・・・
今は、授かったことに感謝し、皆で幸せな時間を過ごしてほしい。



ちかれるびー

2011年07月14日 | ナンセンス -


 ピロリ菌を殺すヨーグルトをはじめた。
 三日で、飽きちゃった。
 でも、まだ食べている。

 今日、牛乳がいいと、デスクが行った。
 久しぶりに買った。
 珈琲に、加えた。
 カルシウムをとるぞ~~と、叫ぶ。


 毎日、違う相手と、長時間の話しっぱなしばかりで、
 脳みそが興奮して、寝る時間に寝られない。
 「これは話したかいな」と、記憶が前日とダブる。

 身体は、疲れて・・・
 会社のビルは、耐震工事でうるさくて・・・
 なんとなく、しっくりとしない日々。

 元気をださなくちゃ!

 そう思って、帰りがけに大好きなラーメンを食べにいったのに、
 美味しいと感じなかった。
 味覚も、疲れてきたか・・・。



相性が悪い電化製品

2011年07月14日 | 出来事 -

パソコンが出回ってきたころ、タイマイ金を支払って購入しても、
「原因不明です。お取替えさせてください」という理由で、
何度もパソコンの不備を経験した。
友人からは、「パソコンの壊し屋」と呆れられ、そして、笑われ、
自分でも・・・何故か不安に思ったものである。
「私の身体からは、変な低周波でも出ているのだろうか」・・・と。


この度の引越しにおいて、明らかなる引越し屋さんの手落ちにて、
二つの電化製品を壊された。
1)一つめは、扇風機。
  くにゃっと首が折れたが・・・中のコードは安全だった。
  しかし、電化製品なので、廃棄処分とした。
2)もう一つは、デスク脇や柱などに挟むためのライティング。
  小さくて、コンパクトな電球一個が真ん中についているモノ。
  挟む部分の「一番大事な所」が、しっかり壊れて、割れていた。
しかし、私は、どちらも請求することなく、現状を伝えた上で、
破棄してもらった。


前回の引越しでは、大事なワードローブの壁がはげたり、
運搬してもらった家具のほとんどの表面に傷がついたり、
高価な黒檀の硯が壊れたり、もっと我慢ならないことばかりだった。
だから、今回はキチンとコンポしてくれる有名業者に頼んだが、
やっぱり結果は、そう変わらなかった・・・ということだろうか。
引越しに、完璧などないのかもしれない。


また、新居の床は、全部フローリングのため、
旧宅の一軒家のように広くないし、カーペットも畳もないので、
意図的に掃除機を使わないようにしていた。
引っ越し後、一度電気を入れて、稼働することを確認はしたが、
それ以来、節電もあり、手作業でホウキと雑巾でやっていたのだ。
その掃除機が、二度目の電源を入れた時「くぅ~ん」と音をたてて、
突然、動かなくなった。
そして、その後、何度、電源を入れても、動いてくれない。
猫のように、家が変わったので、混乱しているのか・・・
それとも、像のように、寿命を感じて退いてしまったのか・・・
あるいは、単にお引越し作業の影響を受けたのか・・・
どちらにしても、人間側からすると、困り果てた状態だ。


これからも、「エコな掃除方法だけ」にするべきか、どうなのか。
まぁ、エコ掃除でも、私にしてみれば、困ることはない。
運動にもなるし、収納場所も幅をとらなくてすむからだ。

結局、掃除機も高額商品ではないと、粉じんのほこりを部屋に
舞い散らせるだけで、使うだけ不潔な製品がたくさん出回っている。

なんとなく、おぼろげに、これからのライフスタイルを思い描き・・・
かるぅ~く思い悩む日々。


空気清浄器は、是非とも買いたいけれど・・・・まだ、決めかねている。
フィルターが高く、その寿命も様々なので、なんとも言い難い。
もう少し悩んで、いろいろな商品をリサーチしてみようと思う。



寝苦しさに残る「疲れ」

2011年07月12日 | 出来事 -

今朝の差し込む 「陽の光」 「日射し」 の強さは、
なんとも凄かった。

こうして、日々の温度があがっていくのだろうか。

遮光カーテンの隙間からの感じられる 「暑さ」 「熱」。
今日も、暑くなる。


早速、太陽にあてて、熱消毒したタオルやシーツを変えて、
新しいホカホカのものをベッドに設置した。
起きたばっかりなのに、また横になりたくなるのは・・・
寝苦しい暑さに、身体が少し まいっているからかも・・・。
昨日の疲れも、「睡眠」で解消することができず、
そのまま、今日に引き継いでいる感じがする。
こめかみのあたりに、じ~んとする痛みも感じる。
こういう状態では・・・疲れが、蓄積してしまいそうだ。


今朝の「水風呂」は、昨夜の残り湯が、すっきりと
冷めていなくて・・・・
冷たくなかったので、体温を下げることができず、
ただ汗を流しただけだった。

こうして、日々の猛暑日が続いていくのだろう。



節電の責務を感じつつ ・・・ 気が重い。
東京は特に自然の風がないので、とにかく暑い。
す~っと通る「風」があれば、たとえ生ぬるくとも・・・
気持ちが良いのにと、頻繁に思う。
田舎の「緑色に染まる自然」を、思い出す。
恋しい。


東北の被災地では、どのような暮らしぶりが続いているのだろう。
心配になってくる。
知人のように、マンションやアパートが借りられた人もそうだが、
避難所での暮らしが続いている人は、この暑さに、「どのように
対応していくのだろうか」と感じることを止められない・・・。



四季がある日本も、毎年、「夏」が過激になってきている。
摂取した水分は、あっという間に「汗」に変わる。
電車に乗っている人々を見れば、人間の体内に記憶されている
水分の循環がよくわかるようになり、つい汗シミが気になったりして・・・。

この夏を、とにかく耐え抜いて、順応して、
強靭な身体を手にしたいものだ。