2009年05月28日 | 出来事 -

ウグイスの鳴き声は、天下一品だぁ。
なんともいえない風情があり、心地がよい。
今朝もまた、そぼ降りだした雨の中、ウグイスの響きで目が覚めた。

毎年のことだが、早朝4~5時半は、鳥の三重奏、四重奏が繰り広げられる。
爆睡しているときを除いて、必ずというぐらいの頻度で(毎朝)「起こされる」。
それというのも(天気が悪くなければ、窓という窓を全開して就寝するので)
意図的に「起こされる」ことを予期したかのような行動をしているワタシ。
自然と添い寝しているようなものだ。

変質者ではない。
この時期にしか味わえない感覚と季節感を楽しむためである。


都心を離れ、郊外に住み始めたのは、父との同居のためではあったが、
今となっては、自分のために「ここに住んでいる」と言えなくもない。
まわりは、こんもりとした木々が連なり、近くの家並みを見えなくするぐらいの
大木が美しい緑の葉っぱを(もこもこと、ふんだんに)たくわえている。


6時を過ぎると、どこかにえさを探しに行くのか・・・ねぐらに帰るのか・・・
すっかりと鳥達の泣き声は途絶え、
私は二度寝の時間を迎える。
うつら、うつら、これがまた、たとえようもなく、気持ちが良い。


不可思議な夢をみたとき、たとえば昨日などは・・・
どぎまぎして、その「夢」のなまめかしい感覚を味わいながら、二度寝するが、
同じ「夢」をみることは(はてしなく)厳しい。
これもまた、日々の楽しみである。
「夢」は、現実と理想のギャップというが・・・
なぜ、この人がでてきたんだろう~~と、ひとしきり悩むような「夢」をみたとき、
それについて追求してみたくなる。
心理学的にも、何らかの意味合いを持つのであれば、それはそれで興味深い。
そして、二度寝して、その“なまめかしい感覚”を再び味わえなくても、
それはそれで、また楽しい経験なのである。

ワタシは、変質者ではない。
くどいようだが・・・(笑)。



新たまねぎ

2009年05月27日 | 食事 -
この時期には、この時期にしか食べられないものがある。
「新たまねぎ」も、そのひとつ・・・

いつものように、田舎(正確には叔母&叔父)から、荷物が届いた。
精米したてのお米がメインだが・・・いつも、無造作に「野菜」が空間を
うめつくすかのように、押し込められている。
(野菜は、新鮮な内に、ご近所におすそわけをするのが私流!)
真ん中に、偏屈なカタチにさせられた「おいしいお米」が入っている。
「うぅ~、おかゆ食べたい~~」
うまい米でしか炊けないおかゆは、やはり精米したての新鮮なお米に限る。


荷物の一番上に「新たまねぎ」。

「すっごい臭いだぁ~~」

さすが、新たまねぎだね。
主張している。
部屋中が、新たまねぎの臭いでい~っぱいだ。
いやはや“くっさい”くらいの主張である。

「旬」のモノは、普通のモノとは、一味違うのが当然!
早速、頭の中は、新たまねぎのメニューがぐるぐると廻りはじめた。


歌舞伎

2009年05月23日 | 自分 -

今夜、「歌舞伎座さよなら公演」“5月大歌舞伎”を観にいった。
目的は、市川團十郎さん(夜の部)――。
3月には、すでに復帰しているという情報は聞いていたものの・・・
あれだけの大病を重ねながら、すごい声量で、存在感がある舞台だった。
本当に、すばらしかった。

歌舞伎には想像を絶する歴史がある。
日本の誇れる「文化」である。

今も、和服のたよやかな女性と、若々しい外国人の人たちが多いようだが、
客層は、本当に幅が広い。
久しぶりの私もまた“異空間”に迷い込んだようだった。



大歌舞伎は、生の照明であっても、とにかく「舞台が美しい」。
色彩的であり、役者の並びのバランスが個性的である。
私には、黒子の動きも、せりふも、何もかもが珍しく感じられ、新鮮だった。
客席と役者がつくりあげる“生きている即席の場”が、何よりも感動的!

テレビ中継を観ると、この“生の臨場感”が感じられない。
媒体を通してよりも、歌舞伎はやはり、劇場に足を運ぶべきだと思う。
(まぁ、舞台全般に言えることだと思うのだが・・・印象が全く違うからだ)



「銀座の歴史ある劇場が、22年4月公演を最後に、立て替えられる」という。
“古い”ということは事実であるが、なんとも“淋しい”現実でもあり、
これは久しぶりに(来年春まで)通ってみようという気になった。

若い頃は、4階の一幕観劇席や立見席をメインとして通ったものだった。
赤いじゅうたんがひかれた急な階段を、息が切れるまで登りつめると、
オペラグラスや、物語の説明をしてくれるイヤホンの貸し出しコーナーがある。
現在も、一幕であれば、900円で観劇することができる。



舞台が大好きな私は、イギリスの最古の劇場にまで足を運んだことがある。
それは、ロンドンから程遠い“綺麗な街”にあった。
英国最古の劇場は「ブリストル」という、非常に歴史のある美しい場所にあり、
(10年ほど前になるが)昔と変わらず「演劇」が上演されていた。
まさに、時間がタイムスリップした感覚があり、たとえようもない感動だった。
建築物としても、貴重なもので・・・そういう“想像力をかきたてる劇場”が、
ウエストエンド(ロンドン)にも、まだたくさん残っている。



「歴史」や「文化」を“引継いでいくこと”は、次世代に向けた現代人の使命。
重要な役割の一つだと思う。
イギリスのように、「文化」に対するサポート体制が整っていなくても、
日本には、日本の「守るべき大切な様式文化」がある。
歌舞伎もそういう使命を背負った、特別の“刺激物”である。
若い頃とは全く違う感覚で、触発された。
あれを観劇すると、「自分は日本人なのだなぁ」と、心から感じる。

だから・・・今日は、貴重で、楽しい一日だった。



蕎麦

2009年05月20日 | 食事 -

四国生まれの「うどん好きの私」が、
今は・・・・・蕎麦ばかり食べている。

うどんは(自宅で)自分で調理するが、外食は蕎麦ばかりである。
それというのも、最初から蕎麦が好きになったのではなく、
どんなにあがいても、関東では四国のうどんが食べられないから・・・。
あの透明で、ダシがきいた“おいしい汁”と、つるつるの「うどん」。
やはり、たまらない。

どすぐろい汁のうどんは食べたくないので、蕎麦を選ぶようになり、
常に食べていたら、いつの間にか「蕎麦フリーク」になってしまった。
美味しい蕎麦屋を探して歩く「蕎麦喰い女」である。


蕎麦は、健康食で、カロリーも低い。
足りない栄養は、他のメニューで、おぎなうようにしている。



最近、しばらくぶりにあった人に、「やせた?」と、よく聞かれる。
たった3kgで・・・と感じるのだが、体重は大差ない。
去年末までの一年半、非常に忙しくしていた頃は、食事する時間が持てず、
デスクにキープしたおやつで(とりあえず)つないで、飢えをしのいでいた。
そして、不規則な時間に、不規則な量の食事をしていた。
今よりは、実際たくさんの量を食べていたと思うけれども、過重労働のため
身体から消費するカロリーも多かったと思われる。

あの頃は、毎日、本当に、無理をしていた。
何より(心身共に)疲労困憊だったので、顔が疲れ果てていたのだと思う。
健康的な表情ではなかったのではないか・・・と。
実際、体調を壊して、薬も頻繁に服用していたわけで、「健康だった」とは
決して言えないスケジュールを、日々こなしていた。
だから、“むくんでいた”というか、“腫れていた”というか・・・。
それが、たった3kgの違いで、「やせたわね」と、皆に言われる理由だろう。
要するに、「すっきりとした」という印象なのだと推察する。


身体も心も、無理をしてはいけない。我慢もよくない。
加重労働は、あらゆるところに負担をかける。

精気をふつふつと感じさせる人でいるためには、生活をコントロールして、
元気に、明るく、生きていくのが一番だ。
しかし、毎日をそんな風に理想的に過ごせる人は少ないだろうなぁ~と、
しみじみ感じるのも事実である。

であれば、尚のこと、「日々の食事」には気を遣いたいものだ。
決して私にはできないであろう「規則正しい生活」も・・・ネ。


「すき焼き」卵

2009年05月20日 | 食事 -

初体験だった。 三つ子の卵である。
決して「うずらの卵」を三つ割って、お皿にいれたのではないよ~~。


夕食に、私たちは、なべを囲んでいた。
今日は、「すき焼き」だぁ。(うきうき!)
しかし、この時は、一風変わったすき焼きで、メインは地鶏のぶつ切り。
薄めのワリシタを注いだところに、地鶏を入れて、
その他に入れるのは、“山のめぐみ”ばかり・・・
「のびる」「のびるの葉っぱ」「わらび」(葉っぱとわらびは均等に切る)、
そして、春菊の代わりに(?)・・・最後に「ちょっと苦いクレソン」を。
一煮立ちしたところで、それぞれの“山のめぐみ”を卵につけて食べるという
オリジナルでユニークな「すき焼き」である。



皆が、一個60円の“ぷりぷり卵”を割った時、雄叫びが・・・「おお~~」

三つ子が入っていたからだ。

双子卵は、よく見かけるが、三つ子卵は(私は)初体験だった。

豪華な「すき焼き」と、愛嬌ある「三つ子卵」だ。

縁起がよいことにして、最後までおいしく、「いただきました!」



薔薇

2009年05月16日 | 出来事 -

「美しい」ものには、みとれてしまう。

足がとまる。

写真を撮る人をみると、「私も・・・」という気持ちにもなる。

道端にこぼれ落ちてくるように、咲き誇った薔薇。 
白、黄色、ピンク、そして、あざやかな真紅の薔薇。

イギリスのバラ園を思い出した。
(息が途切れるまでに、また行きたいものだ)



冬の季節には、前の道の雪かきもしないし、路上駐車にも何の対処もしないのに、
(父の搬送の時に、救急車が入れず、苦労したマンションである)それなのに、
こういう景観には気を遣っているようだ。
結果として、住人だけではなく、そばを行過ぎる人々にも好印象を与えている。



とにかく、「美しい」。

行き交う人が、「プロの人が育てているらしいわよ」と話していた。

美しいものには罪はなく、ただ「そこにいてくれるだけでシアワセ!」。


仕組み

2009年05月13日 | 仕事 -

田舎の四国では、
八十八箇所をめぐる“お遍路さんへのご接待”を日々こなしている。

観光名物だから・・・という理由だけでは、
説明できないぐらいの歓待ぶりだと(時々)思ったりもする。

まさに、昔ながらの素晴しい「仕組み」が、完全にできあがっている。
そして、地元の人々の笑顔が、様々なことを物語っているように思う。


ただ、単に「仕組み」と言っても・・・
「構成」「構造」「組立て」というようなイメージではなく、
人々の心の中に、弘法大師の“衆生につくす”という意識が、
根付いているように思われ、そこから発せられる行為そのものが、
長きにわたる「継続性」を生んでいるのではないだろうか。

「多くの人々と、共にある世界!」



ビジネスの世界で成功を手にしようとしたのならば、
やはり、同様に
“数年では埋没しないような「仕組み」をつくりあげる”必要がある。
それには、「人々が必要とするもの」の本質に迫るものであったり、
「社会の本質的な欲求にかなっていること」であったりすることが、
キーポイントではないかと思う。

皆がシアワセになって、ハッピーになれる方法・・・
そんな「仕組み」を模索してみたい。

本来、皆がハッピーになれるのであれば、実現は可能だろうし、
長きにわたる「継続性」も、可能かもしれない。



死に金

2009年05月08日 | 自分 -

人がつながる。

そんな素敵な場所では、常に「生きているお金」を使いたい。




私は、「お金」というものに、無頓着なところがあったと思う。
今も、そうかもしれない。

平凡に育った幼少期を経ていながら、高校を卒業して以来、親から出資を
してもらったことがない。
(自分の夢をおいかけるために、家出のようにして実家をでてきたからだ)
大学の年間にわたる学費も、奨学金(日本育英会など)と、自分の働きだけで賄い、
もちろん生活費もすべて自分でやってきた。
だからといって、親から毎月数十万の仕送りを受けている(今時の)大学生を
軽視したりすることは決してない。
むしろ、めちゃくちゃ“うらやましい”くらいだ。
だって、学生の本分である「学業」と「人生経験(遊びも含む)」が、想い存分
謳歌できる時間と余裕があるではないか。
アルバイトなどすることなく、ただ勉強していればよいのだから、
こんなにシアワセで、ラッキーなことはない。

今になって感じることは、社会人としての「人間力」である。
それには、これまで(その人が)過ごしてきた人生の“細やかなこと”さえが、
あらゆる要素に、影響をあたえていることがある。
だから、結論とか、持論とか、そういう大層なことではないが・・・
学生時代の勉強の頑張りや人生経験の有無、人間関係の構築の仕方は、
将来“それなりの結果”が、ついてくるのではないかと思う。
豊かな時間を使って、自分の財産をつくることができる大切な時期だと思うし、
ある意味で、若い頃に「人生の骨格の基礎ができあがるのではないか」とさえ
感じるときがある。

学生時代を振り返ってみると・・・
私には、そんな時間的な余裕など全くなかった。
“心のゆとり”さえもなかったように思う。
ただ、「生きる」ことだけに、精魂をかたむけていたように思う。
昼は一生懸命に働きながら、同様に大学に通った。
(大学の選択は、年間の学費額で決定?!笑:我が愛すべき大学時代よ!)

行きたい大学にいくことなど、できるはずもない(選択肢のない)環境の中、
大きく道をはずすことなく、生きてこられたのも、今となっては有難いことだ。
大学時代は、ただ「生きること」と「食べること」にフォーカスして、
たとえお互いの「心の真意」を深く語ることなどしない友達だったとしても、
それでも(当時は)それなりに良い関係を築くことができたと思う。

とりあえず、自分の夢の活動も(一応プロ並みの手前ぐらいで)はじめていたが、
それでもきちんと勉学にはげみ、大学は卒業した。
教職課程もとって、教諭免許(中学1級:高校2級)も取得した。

「余裕のない日々」、そんな大学生活だったけれど、
後悔はしていないし、これが「自分の人生」だと 全てを受け容れている。



そんな大学時代を すごしたからだろうか。
私は「お金」というものに、慎重になるときと、大胆になるときがある。



きちんとした「目的」があって、
将来に回収される可能性がある(自分のためになる)ような性質のお金は、
常に「生きている」と思う。
どんなに時間が経っても「生き続けている」と思う。
決して、「死に金」ではない。
問題は、自分にとって、今“何が必要か”、“何が大切か”ということだろう。
出資をしようと判断したら、それには“勇気”をもって、財布を取り出すべきだ。

そうすると・・・その先には・・・
お金を使いこなすための知識と知恵が必要になってくる。
一言では説明できない、非常に微妙な状況である。

これは、時として「夢」をかなえるための重要な要素となることもある。



もともと「けちんぼう」の私には、
決断するのには、人の二倍の時間が必要なときもある。
熟考することは、悪いことではない。
「死に金」を使わないために考える時間は、無駄ではないからだ。
しかし、考えあぐねて、タイミングを逃さないように!
それだけを、いつも自分に言い聞かせている。