政権交代

2009年08月30日 | 出来事 -

実際、自民党政権が、長すぎたのは事実だろう。


「水」も、同じコップの中で長時間放置していたら、確実に腐ってしまう。
          
「風」も、吹き通らなければ、草花の種を運ぶことはできない。


国民の声なのか、希望なのか、はたまた、「期待」なのか・・・。
予想以上の結果(民主圧勝)に、かえって不安を感じてしまう部分もあるが、
国民が政治に興味を抱いてくれただけでも、今日の選挙は意味あることだ。
あとは、今後を見守るのみ!


MJ

2009年08月29日 | 人物 -
多くを語らずとも、MJ(マイケル・ジャクソン)の陰影に満ちた輝かしい人生は、
みんな忘れないはずだ。
少なくとも、私は忘れられないだろう。

くしくも、今日は、マイケル・ジャクソンの誕生日だ。


 
米POPの象徴として君臨しながら、「ゴシップ」と「スキャンダル」にまみれ、
不親切な母国のマスコミに、純粋な心は“傷つききっていたのではないか”と
勝手に想像している。 (特に、後半期は厳しい現実ばかりだった)
彼が出没する場所には、必ず多くのファンと共に、パパラッチが・・・・・。
MJには、私たちが日常経験するような“普通の生活”は難しかっただろうし、
常に世間やマスコミの“恰好の対象”となっていた。

―5歳の時から、彼にとって「自由」はなかった・・・と、本人が語っている。

しかし、様々な問題を引き起こした要因は、彼が存在する事そのものだったし、
弁護できるのも彼本人だけだったわけで、そういう意味において個人の抱える
許容範囲を超えた“立ち位置”にいたのが、マイケル自身だったのだと思う。
実際、MJは、大いなる力を与えられた“選ばれし人”だ。
だからこそ、あえて選択せざるをえなかった対応があったようにも感じるし、
(世界にとって)彼は「それだけ“大きな存在”だった」とも言える。

一人の人間として、彼に与えられた「類稀なる才能」を、のろうしかないだろう。


私の単なる「個人的な印象」だが・・・マイケル・ジャクソンは・・・・・
あれだけの財と名誉を手にしながら、常に「愛情飢餓」だったような気がする。
だからこそ、「愛」に敏感であり、「世界平和」や「子ども達の未来」のため、
「愛を分かち合う活動をし続けていた」のではないかと、感じてしまうのだ。
そして、誰よりもシャイで、ピュアで、トラウマを抱えた“子どものような大人”
だったのだと思う。 (本人は自分のことをピーターパンだと言っている)



今回、「他殺」が正式に発表され、やっと埋葬の日程(9/3)も決まった。
こんなにも薬物に依存していた私生活だったなんて、とても衝撃的だったが・・・
彼の「純で、かぼそい精神」を維持するためには、仕方がなかったのだろうか。
薬物以外に“自己をコントロールする選択肢はなかったのだろうか”と思われ、
本当に残念でならない。

MJは、ある時代の歴史を変えた“不世出のスーパースター”である。


  

私は、彼の「ステージング」と「メッセージ」に心が揺り動かされるだけで、
それ以上の(MJに対する)特別な感情は持っていない。
しかし、何度観ても、彼のパフォーマンスは、群を抜いて素晴しい。
単純に、観るだけで感動してしまうし、自然と涙があふれてくる時がある。
この現実は、パフォーマンスに彼本人の人間性があらわれているとしか・・・
いいようがない。 歌詞に込められた想いなども、そのひとつだろう。
優しい語り口や、曲ごとに変える歌唱、踊りの技術、躍動感あふれるステージは、
あまりにもMJらしく、個性的すぎて、神々しいぐらいである。

「魅せられる」とは、まさに“こういうこと”だと思う。
彼の伝えたかったメッセージや、密かに吐露している歌詞に秘められた願いは、
時として、胸をゆさぶられる強さがある。


99年、ドイツでのステージは、その年齢(40歳)を、全く感じさせない。
素晴しい身体の動き(ダンス)と、舞台演出で、DVD発売してほしいぐらいだ。
今回、公開予定のロンドン公演リハーサル映画は、果たしてどうだろう。
どんなに忙しくても、観に行かなくちゃ!



世紀のスーパースター、マイケル・ジャクソン!
生き方がどうであれ、考え方がどうであれ、死因がどうであれ・・・・・
今の私にとっては、どうでもいい・・・そんな気がしている。
「あなたは、確実に、素晴しい足跡を残してくれた!」
とにかく、繊細に生き急ぎ、かなり疲れ果てていた(かもしれない)MJを、
やすらかに眠らせてあげたいと、今は心から願うばかりである。


 Thank you !   I love you.   I love you more.



愛車

2009年08月27日 | 出来事 -

このところ忙しい日々を過ごしている。

我が愛車「さんきゅー号」は、あまりにもご主人様に“ほっとかれた”せいで、
バッテリーがあがってしまうという事態に(先日)なってしまった。

※「さんきゅー号」名前の由来は「感謝」の気持ちを常に戒めるため、
 ナンバーに3939をつけたためである。

父の介護中は、車は「なくてはならない足」となっていたが・・・その後は・・・
時間がなく、「ドライブもままならない」という毎日だった。
 (日用品や、買い物も、帰りの駅前で、短時間ですませてしまう)


実際、時間がなかったし・・・
父の思い出がつまった車(四国から一緒に乗って来た車:荷物も積んできた)は
ポンコツすぎて、そのうえ(理由を待っていたかのように)近所で軽く事故って、
結局、廃車にしてしまった。



話題は少しだけ飛ぶけれど・・・・今の私には・・・・・
「時間の使い方」の先に、「自分の生き方」という命題がぶらさがり、
その枝分かれの一つに、愛車「さんきゅー号の使い道」というのもあって、
なかなか「選択(決断)」が下せず、実際「時」だけが過ぎていっている・・・。
維持費はかなりかかるし、過日は車検も終えたばかりだ。
あと一ヶ月で保険の更新も控えている。
「さんきゅー号」は、仕事をせずして、今や“金食い虫”となってしまった。

せめて、バッテリーがあがらないように、時々夜にエンジンをかけたりするが、
その時に「大好きなCD(音楽)」を数曲かけて、車中で大音量で聴く。

音楽は不思議だね。
聴くと・・・・「あの時は、ああだったなぁ」とか、「こうだったなぁ」とか
いろいろなことが浮かんでは消えていく。



エンジンをかけるだけではなく、一日中走らせ、遠出をできるぐらいの生活は
私に戻ってくるのだろうか・・・。
近所の人たちと、少しだけドライブして、「うなぎ」や「中華」を食べに
行ったりすることはできるのだろうか・・・。



人は、自分のために生きている。
気を遣い、会社の利益を優先して、自分自身を殺して“生きる”べきではない。
私もまた、我慢をしたり、経験を優先して勉強のために頑張ったりする時期は
もうとっくに過ぎ去っていった。
これからは、「自分自身の生き方」を、最優先として考えたい。
想い描くだけではなく、実行していきたいものである。

処暑も過ぎ、秋に向けて(まだまだ暑いけれど)、一掃したい気分だ。
ホント、「一掃」できると、いいのになぁ。



※大家さんの配慮(?)で、本日は家(庭)に手入れをする方が入った。
 私は、あえて(終日)不在の日程を選び、指定した。
 休日の貴重な時間は、大切に過ごしたいからである。
 しかし、今日は、早朝から起こされ・・・今はちょっと後悔している。
 昨夜の深夜作業の頭痛と、ストレスが残る中・・・・
 庭の作業の雑音を聞きながら、頭の中は仕事のことでいっぱいである。
 今日は意外と大変な一日で・・・選択日を間違った気がしている。
 出発前の「精神統一(?)」ができない我が家だ。ちょっぴり後悔!
 「後悔先にたたず!」・・・・では、「行ってきまぁ~す」。
 


北欧の福祉

2009年08月22日 | 社会 -

今日、亡くなった父の主治医に会った。
今夏は、二週間の休みをとり、診療休止していた異色の(自称)街医者である。


 「どこへ行っていたんですか?」
 「北欧を、まわっていたんだよ」
 「と、いうことは・・・お勉強?!」とニヤリと笑う私に、まじめな声で・・・
 「福祉の現場をみたくてね」


北欧といえば、一般的に「高福祉国家」というイメージがある。
数年前のことであるが、福祉をテーマにしたドキュメンタリー番組をみて、
かなり日本とは違う“人々の暮らしぶり”に驚いたことがある。

北欧では、日本とは全く違う“さまざまな社会保障制度”によって、
「水準の高い福祉が実現されている」そうである。
当然ながら、所得格差が他の国々と比較して小さい。
そのために「貧困率」と「生活水準の格差」も比較的小さいことも特徴である。



先生は、高齢化社会に向けて、福祉の現場をみておきたかったようだ。
やはり(性格的な部分もあるだろうが)若い医師だけあって、志の高さを感じる。
もちろん、だからこそ、福祉関係はビジネスチャンスが多いのも確かだろう。
今の私は、亡父の主治医とは、何でも話せる関係になっている。
私だって、日本の福祉制度が変わり、環境が穏やかになれば何よりだと思う。
(今の日本の福祉は、あまりにも厳しい部分がある)

先生曰く、「スウェーデンなどは、50%近くが税金でとられるが、
将来の不安をかかえるなど、気に病むことは全くない」そうである。
だから、もちろん「国民は、貯金をする必要もない」そうだ。
医療関係の制度も、びっくりするような“待遇面の違い”があったそうで、
熱気を帯びて、いろいろと語っていた。
国民は、病気をしても、様々な心配をする必要がない。
福祉社会と言われる所以だろう。



しかし、50%近い税金とは、すごい額だ。
もし、本当に、将来の不安が全くなければ、(介護貯金をする必要もなく)
最期の瞬間まで“安心して暮らせる”わけで、「高額税金を支払ってもよい!」
ような・・・そんな心持ちにはなってくるが・・・
現代の「日本国」では、・・・まだ・・・絶対「支払いたくない!」。

「日本」に対する“信頼感”がないからだ。
馬鹿らしくなってきて、「一銭も払いたくない」と思ってしまうこともある。
やはり、税金の使い方が不透明で、あまりにも「ひどい」からである。
それは、一つ一つ言及しなくても、国民皆が理解できる事実だと思う・・・。

このような政治のやり方、そして、マスコミ報道の視点が変わらない限り、
北欧のような福祉国家は、ほど遠いことである。



政治家の皆さん、ジャーナリストだと自負している皆さん!
もっとまじめに「日本」と「国民の暮らし」を考えてください。



これから、選挙がはじまる。
「日本の未来」は、どうなるのだろう・・・。

机上の空論で、世の中を判断して、
マニフェストを書くのは “やめていただきたい!”。


婚活

2009年08月22日 | 雑感 -

多くの若者達や、「アラフォー」のかぐわしき美女達が婚活に騒がしい昨今、
自分にあった相手を見つけることは至難の業だと思う。
しかし、凝り固まらず、直感で決定するのもまた、若さゆえに許されることだ。
結局は、お互いが幸せであれば、良いのだから・・・。
人は誰も、「シアワセ」の満足度も、価値も、すべて自分が決めるものだ。


私たちの時代は、「三高」という言葉が流行した。
背が高く、学歴が高く、収入が高い・・・人が、「理想の人だ」と言う。


「結婚」を着地点としたら、何が、今の若者達の基準としてあるのだろう。

現代社会の等身大の現実でもある「婚活」しかり・・・
「肉食女子」に「草食男子」などと、面白おかしくマスコミは取り上げるが、
全くいつの世(時代)も、おバカでインパクトあるキャッチを創作してくれる。
それに食らいつく庶民もまた、おバカで、常に刺激を求めているのだろうか。
たとえば、この私のように・・・。



人の一生なんて、「幸せの量も、不幸せの量も同じだ」と思っている私は、
どっちがどうのという「比較価値論」ばかりに終始していては、今のことも
自分の未来永劫も、見据えることができないような気がする。

「結婚」なんて・・・
結局は、出会いからタイミングよく結論がだせた、聡明で、決断力のある
ラッキーなカップルだけができることであり、かなり幸福なことである。
一生、愛し合いながら、お互いを思いやりながら、そして相手に感謝しながら、
生を全うできるとしたら、こんなシアワセなことはないだろう。
その一方で、婚姻の契りに縛られて、「心」と「身体」が離れてしまっている
夫婦には、枚挙にいとまがない。
「愛し合う生活」よりも、他の何らかの理由によって、婚姻関係が続けられ、
日々の生活に“潤い”のようなものが、完全に欠落してしまっている。
相手を思いやることなどはなく、常に自己主導で動き、完全に隔離している。
また、複雑な関係によって繋がっている夫婦は多い。
彼らは、社会的に結婚していても、真のパートナーと言えるだろうか。




何が、(本当の意味で)「男」と「女」を、結びつかせるのだろうか。
お互いがお互いを、心の底から深く愛し、慈しみ、結びつかせているものとは、
一体何なのだろう。

目に見える条件(容姿など)も大切だが、目に見えない条件(性格など)は、
かなり重要なポイントだと感じる。
たとえ“その人”のことを、よく知らなくても、惹かれる“何か”を察知して、
片時も心をとらえて離さないことがあるだろう。
それは、一体、何がそうさせるのかと思う。
本当に、そう思う・・・。
しかし、あえて、ここでは科学的な脳の仕組みなどを論じたくない気分だ。
そして、今、流行のスピリチュアルな言葉も必要ない。
あえて選ぶとしたら・・・「ソウルメイト」ぐらいだろうか。
生まれる前から、出会うことを希望していた人、あるいは、深く愛することを
抵抗なく受け容れられる人、どこかで言葉にならないような結びつきを感じる人。


 
もしかしたら・・・
魂の部分で、引き合う相手と結婚するようになっているのではないだろうか。
あるいは、結婚しないまでも、そういう相手とめぐり合うようになっていて、
生涯“その人”を愛し、意識しながら、生きていくものなのではないだろうか。
「そう思いたい」という“願いに似た想い”が湧いてくる。


メタボおじさん

2009年08月21日 | ナンセンス -

遅い時間の帰宅・・・
案の定・・・・・ 灼熱の一日を闘った「男たちの汗の臭い」で、むんむん!

とにかく、「汗臭い!」
容姿の美しさに関係なく、とにかく「臭い!」


満員電車の急行は、いつも押し合い、へし合いしながら、乗り込む・・・。
最後の最後に乗り込むと、閉まったドアの隙間から、かすかな冷気!
それに私の鼻をかざして、ただ、ただ、耐え忍ぶ時間。
(冷気があると、風が通って、周囲の臭さを軽減させてくれる)


やっと、鈍行に乗換えだ~~と思って、席を確保したら・・・
両側に「メタボおじさん」が乗ってきて、「どかん!」と腰を降ろした。
そこに冷気はなく、私を救ってはくれない。
接着剤のように、密着している。
満員電車以上の「表現できない臭い」・・・・・いや・・・「くさい!」と
感じる「複雑で、不快な匂い」が充満している。
なんと表現すれば、適切だろうか。 あの「メタボ匂い」は・・・。

左側の「メタボおじさん」は、おとなしく、じっとしていたが・・・
右隣の「メタボおじさん」は、恥じらいもなく、大きなあくびを何度もして、
口から“酒の発酵した匂い”を周囲にふりまき(特に私に向けて)、
身体からは“一日頑張った証の汗の臭い(体臭)”をまきちらしている。

「メタボおじさん」の“それ”は、とにかく「すごい!」



40歳を過ぎると、加齢臭も加わるので、私自身も「すごく心配になってきた」。
毎朝晩、シャワーしているけれど・・・迷惑はかけていないだろうかぁ?!

しかし、現実には(齢に関係なく)朝っぱらから、電車の中で、若い青年が、
“鼻がひんまがるような匂い”をさせていたりもする。
これだけ暑いと、どうしても汗はかいてしまうものだ。
今日も、本当に暑かった。

しかし、だから今こそ、「エチケット」という言葉を、想いおこそう。

みんな~~お互いを、配慮し合おうよネ。


「阿波踊り」の悲哀

2009年08月15日 | 自分 -

四国:徳島で長期入院していた母は、まるで「阿波踊り」のお囃子と賑わいが、
落ちつくのを待っていたかのように、息を引きとった。

母の命日は、8月16日(午前中に逝去)である。


忘れもしないあの日は休日開けで・・・
前日の15日まで、街は「阿波踊り」に熱狂的になっていた。
大学病院内でも、阿波踊り連をつくり、患者を癒す目的か何か知らないが・・・
浮かれ気分で、お囃子を鳴らし、病院内を踊りながら、教授連中を筆頭に、
楽しそうな笑顔で、街にくりだして行った。
(観覧者はほんのわずかで、内科の軽い患者さんだけであった)
当時の私は、その光景を見ながら、「のんきなものだ!」と、嘆いていた。
随分と前のことではあるが・・・・・あの感覚は、今も忘れることはない。
おそらく、患者の気持ちを慮らない「デリカシーのなさ」に落胆したのだと思う。
(踊るのであれば、病院内ではなく、街中で踊ってほしいものである)




私の母は「病院の不手際で亡くなった」と、今も(確信を持って)思っている。
当時、私に、相当なる財力があって、現在のように「疑わしきは罰す」という、
裁判姿勢に流れていれば、確実に(私は)「医療裁判」を起こしていただろう。
それだけ“胸をかきむしられるような病院との確執”があったことを、まずは、
ここに記しておきたい。
私は、全く納得できない状態のまま、母を逝かせてしまった・・・。


詳しくは、書きたくないし、書くにおよばず・・・・・
「過去」の事実として、私の中で(すでに)受け容れられてはいるが・・・
当時の現実は、あまりにも悲惨で、病院側の一方的な状況だったと思う。
(母のカルテさえ、みせてもらう事はできなかった)
私は、親友の東京の大学病院で働く医師と常に連絡をとり、相談しながら、
現地の病院で専門的な言葉と状況を確認しながら、かなり攻撃的な姿勢で、
より明確で詳しい説明を(母の主治医に)求め続けていたことを思い出す。

当時、退職届がすぐに受理されず、仕事を途中で放り出せなかった私は、
(最初の数ヶ月は)毎週末に「東京⇒徳島」間の日帰りを繰り返した。




当時の現状を思い出して、非常に悔しいのは・・・
弱い者が守られる環境(機関)はなく、人間的な配慮をもった説明もなされず、
私の人生に「重要な問いかけ」を残したまま・・・母は逝った・・・・・と
いうことだけである。




当時の母が入院していた病院の「医療現場」は、確実に “すさんでいた”。
ICU:集中治療室の真横で、術後患者や重病患者が臥せっているのに・・・
教授回診があるからという理由で、夜中にドタバタと掃除を始めるナース達。
(うるさくて、患者は寝ることができない・・・)
「いったい何を優先しているのか」と、疑問に感じることばかりだった。
研修医の経験の場とはいえ、1度や2度ではなく、何度も何度も静脈にハリを
刺される母を見るのは非常に辛いものである。(本人も、確実に痛がっていた)
母は実験台ではなく、生きた人間なのだから・・・。
大学病院という独特な環境は、そういうことが許されるのだろうか。
現在の大学病院も、当時と同じような価値基準のもとで稼動しているのだろうか。
(変わっていてほしいと、切に願う・・・)



母が入院していた(当時の)大学病院では・・・・
「手術をしてからの生存率の統計をとること」を最優先として、常に医師は
このような言い方をして、(同じ病室の)患者に接していた。
「手術をしないと、あぶないですよ。任せて下さい。手術しますから・・・」
まるで、「本人の意思など関係ない」というような説明の仕方である。
「手術」も「投与される薬」も、すべてが、医師の“いいなり”になっていて、
その効果・効能・副作用などについても、何の説明も受けてはいなかった。
(患者にとってみれば、一番頼れるのは、医師しかいないのに・・・)
自分の身体の状況の確実な把握もできず、ただ主治医にすべてをゆだねるだけの
人生の選択しかできない人ばかりだった・・・。
実際、担当医に懐疑的な質問をしたり、自分の意見を言う人など、皆無だった。

その後「インフォームドコンセント」という医療姿勢が主張され、社会の認識も
変わってきたが・・・私の母の時代は、まだまだ患者の同意や意志が優先される
状況ではなかったと思い出す。

      ★インフォームドコンセント 【informed consent】
         医師が患者に診療の目的・内容を十分に説明して、
         患者の納得を得て治療すること。




私の母は、「愛子」と言う。その名前のごとく、愛情にあふれた人だった。
地元の町内では有名人で、ボランティアに明け暮れ、社会貢献を続けてきた
母の最期にしては、非常にすっきりとしない死因だった。
本当に、無念な、納得のいかない流れで、数ヶ月に及ぶ入院生活が続いた。
(私は会社を辞め、母のベッドの脇で、終日、八ヶ月にわたって看病した)
私自身としては、失ったものは多かったが、得たものも多かった経験になった。
しかし、母は社会貢献を続けてきたからだろうか・・・管一本にも繋がれず、
おだやかに(苦しむことなく)最期を看取れたことは何よりだと思っている。



しかし、このようなことを書いては、誤解を招いてしまうかもしれないが・・・
休日の8月15日中(深夜)に亡くなった人の多いのが、非常に不思議だった。
偶然にしては、あまりにも偶然過ぎるぐらいの数だった。
(母の病室は6人部屋だったが、その内の2人が亡くなった)
1Fの談話室や、自動販売機が連なる休憩室では、多くの家族が“葬儀”について
話し合っている光景を目にした。夜中も夜中、深夜のことである・・・。
重苦しい雰囲気が伝わってくる中、私自身もまた、数時間もたたない間に、
同じ気持ちと状況を、突然に抱えることになってしまった。

当然のことながら、翌日の月曜日からは、慌しく病室の模様替えが施され、
新しい入院患者を迎える準備で、大忙しの病棟だった・・・・。
まるで“流れ作業”のように、葬儀屋さんを紹介され、母の遺体は病院から
追い出されるように、実家に移送された。
病院関係者の見送りもない事務的な大学病院(病棟)との別れ・・・
私は、実家に着くまで、母の遺体にすがりついて、泣き崩れていた。
私のナミダが涸れることはなく、私の隣で母を抱きしめていた父の嗚咽も、
決して途絶えることはなかった・・・。
長期入院していた病院から、「一緒に帰ろうね」と、常に母に声をかけながら、
吉野川を渡り、実家へと母の魂を導いていった。
あまりにも、切なく、悔しく、悲しい時間だった・・・。



あれ以来「阿波踊り」は・・・
私にとって、楽しい記憶から、哀しい記憶を呼び起こすものとなってしまい、
本当に残念でならない。
地元をあげて楽しむ「盆踊り」であり、徳島を代表する観光の期間なのに・・・。
今も、ちょっとだけ・・・ほんのちょっとだけ・・・母の闘病生活を思い出す。

「時間」は、すべてのことを洗い流してくれるが、中途半端な納得のいかない
結果をかかえたままの現実は、完全に洗い流すことができないものだと悟った。
ただ、自分の中で、現実を受け容れるだけである。
そして、受けとめた現実から派生する、新しい「自分の感覚」との出会いを
待つだけなのだ。
それは、自分自身が毎年変わるように、出会える「感覚」も毎年変わる・・・。
そして、出会えたら・・・また、その「感覚(感情)」を受け容れるだけである。
毎年、その繰り返しだ。



このブログには、我が父と母が共に、「病院とのトラブル」が要因となり、
この世から去っていった事実を明記している。
これは、私が経験した事実であると同時に、重要な「社会的課題」であると
心から感じている。
勿論、病院で働いている人を、決して責めているわけではない。
「病院」と言っても、本当に様々な病院があって、一言では片付けられないし、
また、現状の医療体制に問題があり、多くの不備があることも判っている。
(そして、常にトラブルが絶えることがないことも、いつもチェックしている)
ただ、それを「理由」にはしてほしくないし、「言い訳」にはできないだろう。
だから、より多くの人に考えてほしい。
少なくとも・・・・・私は、常に考えている。
たとえ生が尽き果てるまで「答え」がでなくても、考え続けるだろう。
せめて、あの頃よりも、そして、今よりも、
        人々が“より良い医療環境”を手に入れるために・・・・。



他人のご厚情

2009年08月13日 | 人物 -
人の有難さを感じる時、どのように気持ちを伝えて、どのような御礼をしたら、
良いのかと・・・考える。
今回もまた、心にしみわたる“他人のご厚情”を耳にした。



今朝、親戚の叔母(父の姉)から聞いたことである。
四国にある実家(広い敷地にある古い旧式の家である)の敷地(玄関先や庭)を
隣のおじさんが「お盆」のためだろうか・・・草むしりをしてくださっていたと
いうことらしい。
むしろを敷いて、地べたに座り込んで、ゆっくりと雑草を取り除いて・・・
我が実家の玄関先と庭を、とても綺麗にしてくださっていたというのである。
隣家のおじさんは、父と同い年だから、もうかなりご高齢だ。

このおじさんご夫婦には、お世話になりっぱなしである。

ただ、隣家というだけで・・・ただ、父と同級生というだけで・・・
そこまでやってくださるものだろうか・・・・

年を経るごとに、隣家のご夫婦の「心遣い」が胸にしみるようになった。
本当に、心から有難い。
今回のことも、今年に限ったことではない。


父を亡くしてからは、私が一人で帰ると、顔を見るなり、泣き出すおばさん。
「私も、もういつまでか、わからんけんどな、元気なうちはなぁ・・・」
そう言って、何度か同じような昔話につきあってくれる。


今年も、すでに親戚がお墓参りをしたときには、新しい花が我が墓地に飾られ、
毎日のように、隣のおじさんやおばさんがお水を替えてくれていると・・・いう。
「遠くの親戚よりも、近くの他人!」とは、よく言ったもので・・・
まさに、その言葉のとおりである。



父を介護するために当地につれてきた最初の数年は、3ヶ月に一度は四国に
父と一緒に帰省していたので、そのたびに会っていた隣家のご夫婦である。

おじさんは、いつも言う。
「運動のためじゃけんなぁ。わしが好きでやっとるんじゃけんな、気にせんで!」
「いつまで、できでるかわからんけんど、まあ、できるうちはな・・・」



生前、母を亡くしてからの父が、数年間、四国で一人暮らしをした。
父は、余った時間は畑仕事を趣味として、大根や人参などの野菜が出来ると
隣のおじさん宅に届け、そして、植木鉢造りをおじさんから教わったりして・・・
(時間つぶしのように)頻繁に一緒に遊んでいた。



時間は、もどりはしないが・・・生前の両親がどのような「お付き合い」を
してきたのかが偲ばれるエピソードである。

本当に、有難く、身に余る気持ちでいっぱいになる。

両親から引き継がれた「お付き合い」は、私が守っていくことになる。
遠く離れていて、思うようにままならない「お付き合い」ではあるが・・・
今は、ただ単なる御礼の言葉を連ねるだけでも、いつか必ず、このご恩には
あらゆるカタチをもって報いるつもりである。
思っていることは、言葉にしないと、相手には伝わらない。
有難い気持ちは、伝え続けながら、「御礼」を言わなければ意味がない。
受けた実際のご恩は、同じように返さないと、人間として恥かしいことである。


また、今年中には、ゆっくりと帰省するつもりだが・・・
とても有難くて、またご夫婦に会うと、懐かしさもあり、泣いてしまいそうだ。



我が故郷には、この数日間「阿波踊り」のお囃子が、鳴り響いていることだろう。
           <8月12日~15日>


お供え

2009年08月12日 | 出来事 -

今日は、両親が好きだった「桃」を買ってきた。

「朝バナナ、夜トマト」もあり、私のためのバナナも買って・・・・・
深夜のお供えをした。

そして、蝋燭、お線香に火を灯し、「般若心経」を三回唱えた。
「南無大師遍照金剛 (なむ・だいし・へんじょうこんごう)」もまた、
汗をたらりとかきながら、何度も何度も唱えて、心を鎮める。
(四国出身の人間にとっては、この言葉はかなり身近で、実は奥が深い)

あの世の両親の名前を読んだら、少しだけ目が潤んだ。
孤独感を感じつつ、ともにいることも感じつつ・・・不可思議な感覚!



しかし・・・
今日は、暑かった!
会社から出発して、なんだかんだと飛び跳ねて、忙しかった一日を過ごし、
帰宅したのは、かなり遅い時間だった。
密度の濃い一日だったから・・・・・正直、本当に疲れた・・・。

無常なニュースに、冷夏、地震、ゲリラ豪雨、明るい話題が少ない日々が、
より日常に「憂い」と「疲れ」を呼び起こしている印象がする。


ところで、最近は、スーパーが24時間開いていて、本当に助かる。
今日の内に、お供えして、お経を唱えられたことに感謝!

あとは、今夜の夢で、誰と会えるのか・・・楽しみに待つのみ!


Make a better world!

2009年08月09日 | 言葉 -



There's a place in your heart.
And I know that it is love.
And this place could be
much bighter than tomorrow.
And if you really try,
you'll find there's no need to cry.
In this place you'll feel
there's no hurt or sorrow.


There are ways to get there
if you care enough for the living.
Make a little space.
Make a better place...


Heal the world.
Make it a better place for you and for me
and the entire human race.
There are people dying
if you care enough for the living.
Make a better place for you and for me.


If you want to know why
there's a love that cannot lie.
Love is strong.
If only cares for joyful giving.
If we try we shall see in this bliss,
we cannot feel fear or dread.
We stop existing and start living.


Then if feels that always love's enough
for us growing.
Make a better world.
Make a better world...


Heal the world.
Make it a better place for you and for me
and the entire human race.
There are people dying
if you care enough for the living.
Make a better place for you and for me.


And the dream we were conceived in
will reveal a joyful face.
And the world we once believed in
will shine again in grace.
Why do we keep strangling life,
wound this earth, crucify its soul?
Though it's plain to see this world is heave
Be God's glow!


We could fly so high.
Let our spitits never die.
In my heart I feel you are all my brothers.
Create a world with no fear.
Together we'll cry happy tears.
See the nations turn their swords
into plowshares.



    We could really get there,
    if you cared enough for the living.
    Make a little space,
    to make a better place...


    Heal the world,
    make it a better placefor you and for me
    and the entire human race.
    There are people dying,
    if you care enough for the living,
    make a better place for you and for me.


    Heal the world,
    make it a better place
    for you and for me and the entire human race.
    There are people dying,
    if you care enough for the living,
    make a better place for you and for me.

    Heal the world,
    make it a better place
    for you and for me and the entire human race.
    There are people dying,
    if you care enough for the living,
    make a better place for you and for me.
    There are people dying,
    if you care enough for the living,
    make a better place for you and for me.
    There are people dying,
    if you care enough for the living,
    make a better place for you and for me.
    Make a better place,
    make a better place,
    make a better place.
    Heal the world we live in,
    save it for our children.
    Heal the world we live in,
    save it for our children.
  
               【 by M.Jackson / HEAL THE WORLD 】



「持つ者」と「持たざる者」が明確になってしまった現代社会(世界)。
アカペラで歌うMJを観ていたら、自然と、ものすごく泣けてきた。
ヒロシマもナガサキも・・・。アフリカ諸国も・・・。
それ以外の世界中に今も続く戦闘国も・・・。

まさに、「 Make a better world! 」



人は弱いものだから、自分の弱さに負けてしまいがちなものだから・・・
少しでも辛い気持ちを抱いている人が隣にいたら、気楽に声をかけてあげよう。
そういう、ささやかな一人一人の「愛」が、ひとつひとつずつ積み重なって、
「 a better world 」に繋がっていくのかもしれない。
純粋な気持ちで、その想いが実行できる自分でいられるように、心から願う。



Obamajority

2009年08月07日 | 社会 -

「Obamajority」という言葉が飛び出してきた。
世界唯一の原爆投下国であるアメリカの大統領:オバマ氏が、プラハで発言した
「核廃絶」について言及した言葉を受けた造語である。
しかし、なぜ、昨日の平和式典にアメリカ国関係者は、参加しなかったのか?
これまでならまだしも、大統領が「核廃絶」について衝撃的発言をしたのは、
今年の4月であり、私自身も「これで少しずつ世界の認識が変わるかもしれない」
そう感じた。
だから、とても期待もした。
アメリカのリーダーシップに期待したのだ。
オバマ氏が、何らかの変化を呼び起こし、世界中にも影響を与えてくれる可能性を
感じていたのである。

昨日のヒロシマの平和式典には・・・
せめて、大統領参加は勿論かなわずとも、アメリカ国関係者~誰か一人でも、
参加することは可能だったのではないだろうか・・・と思うと、やはり切ない。
今までとは違うアメリカの態度が、見たかったなぁ。
世界から「核を減らす」というよりも「核をなくす」ことが最終的目的である。
私は、「謝罪」や「過去の責任を問う」ことを期待しているのではない。
今こそアメリカと日本が、「原爆」というものや「核の恐ろしさ」について、
手を携えて言葉を発していく時期がきているのではないだろうか。
そう心から思えるだけである。





以下、今年の「ヒロシマ平和宣言の一部」を明記します。

We have the power.
We have the responsibility.
And we are the Obamajority.
 Together,we can abolish nuclear weapons.Yes,we can.

 2009年(平成21年)8月6日  広島市長

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広島平和宣言より

今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、「廃絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました。

 それに応えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合わせて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々(ますます)高まる日本国憲法に凝縮されています。

神宮花火

2009年08月06日 | 出来事 -

本日は、神宮花火。

会社の屋上からは、とても綺麗に見えて、毎年の年中行事のようになって
パーティ(飲み会)をひらいている。10Fだから、高さも丁度良い。
屋上からは、神宮の“みごとな森”を後ろに見て、目の前に球場と、花火を
眺めることができる。

夕方5時ごろには、すでに、屋上に、「花見」のように場所取りがはじまり・・・
ビルに入っている会社が、ガムテープ持参で何かを貼りつけている。
ここから、ここまでは、「うちの陣地だヨン」という感じで・・・(笑)。
それをみつけて、あせりまくる総務の人々。 突然、机と椅子を運び始めた。
一大事だろうな、彼らにとっては・・・・。



日本の会社は、歓迎会だの慰労会だの、忘年会、新年会、花見大会、
いろいろと理由を見つけては、皆で酒を酌み交わし、親交を深める。
本当に、親睦会として成立しているのだろうか・・・と思いながら、
数回参加したが、あまり溶け込めない自分を感じた。
「お酒を飲めない(飲まない)から」・・・という単純な理由だけではない。
やっぱり、基本的には「フリーランサー」だし、業務委託契約で流れ歩く
一匹狼のような存在だから、正社員とは全く違う立場だからだろうか。

その場での会話で、ある程度楽しむことはできても、心底楽しいかと問われたら、
やはり「No」と答えるだろう。
私自身は、お酒を飲まないでも、その場の雰囲気を簡単に盛り上げられるが、
若い頃と違って、今はその価値をあまり認めないようになった。
これも仕事の一環であり、お付き合いの範疇でしかない今の私にとってみれば、
その領域を越えるだけの喜びにはならない。
正直に言えば、不安定な代わりに、自由な立場を守ることができる・・・
非常に“微妙な”立ち位置にいることは認識している。


会社の担当も、心から楽しんでいるのか、面倒なのか・・・
正直わからない(笑)ところがある。
数日前から、「からあげ」や「かわきもの」・・・いろいろとメニューを
考えていた。毎年の年中行事を、あやふやにはできない。
相当の数のビールが運ばれてきて、お得意さんも“やってきた”。
総務部の方は大変だぁ。

私は、一人、さめた心持ちで、電車が混む前に「帰宅しちゃった!」。
(ちゃんと、屋上の用意は手伝ってからだけれどね)
経理の大御所が、「何?かえっちゃうの~~?」と、私を強くにらむ。
「Yes!」―正社員ではない気楽さが、有難い・・・・この一瞬!!

   
   率直に言うと、本当に「今日は全く気が乗らなかった」。
   心が痛むことが、あまりに多かった。
   朝から、ずっと、ヒロシマ原爆投下を、痛々しく想いおこしたり・・・
   マイケル・ジャクソンのデスマスク報道(心無いデマ報道)が腹ただしく、
   失踪したままの「のりピー」が心配だったりで・・・・。
   政治やマスコミのおろかさ、人の弱さが、胸に突き刺さっていたから。
   今日の私は・・・迷わず、エレベーターのボタンを押してしまった。
   お酒を飲んで、花火を見て、みんなで騒ぐ気にはならなかったのだ。
   そんな気分では、到底なかったから・・・。



蒸し暑い中、とぼとぼと歩きながらの帰り道。
今日は、浴衣姿の若者が街にあふれ、駅周辺はいつもと違う雰囲気だった。
「青春だなぁ~」と感慨深く、街にあふれた人々の方に、気持ちが傾く。
「今」しかない“この時期”を、思う存分に、楽しんでほしい・・・
そう感じながら、若者達の笑い声を聞いた。
シアワセを感じるのは、まだ見知らぬ人々の“驚きの笑顔”を想い描く方だ。

しかし(若者には特に)忘れてほしくない。
「平和」な日本であってこその「みんなの笑顔」であることを・・・・。


勇気

2009年08月05日 | 仕事 -

勇気をだして、一歩踏み出すことで、世界がいっぺんに変わることがある。
今回が、まさにそうである。
そういう経験をした。


「あたって砕けろ!」

昔の“おやじ”さんは、よくそう言ったよね。

最近は、砕けることが怖くて、あたることを避けるケースも少なくない。
問題のない、安全な方法を、まずは選択することが、自分の立場を守ることに
通じるからだろうと思う。

しかし、あたってみて、実際感じることは・・・
相手方も、あたられることを“望んでいた”という事実を知らされたこと―。
何もしなければ、このような出会いは生まれなかったし、真実を知ることも
なかっただろう。素晴しい「縁」が結ばれる結果となった。



世の中、自分が考えるほど単調ではない。
人の心もまた(自分が思い込んでいるほど)狭いものではないということを
感じる結果となった。

キーワードは、“あたる”ための決心を促してくれた「勇気」・・・・・
ただ、それだけである。


テレホンカード

2009年08月03日 | 出来事 -
「いやぁ、余っている!余っている!」  「どうしよう」っていうぐらいだ。

一時期は、好きなタレント物を集めたり、自分の結婚写真を印刷して配ったり、
当時の「テレカ」と呼ばれていた“シロモノ”は、我が家の隅に、たくさ~ん、
眠っているようだ。(もらい物もたくさんある)

自分の過去の歴史ではあるが、たとえ「うすっぺらい」とはいえ、持っていても
使わなくてはそれ相当の金額が無駄になるわけで・・・
(昔と違って、さらぴん―に対する思い入れも何もない)
今日も、携帯を手元に置いて、緑の公衆電話をみかけると、すぐさま財布から
テレホンカードを取り出した。
びっくりするぐらいの速度で、カウントされていくので、ちょっとだけ話すと、
もう一枚を使い切ってしまう。

「文化」といえるかどうか定かではないが、一世を風靡した“シロモノ”だ。

今、私は、それを「使いきろう」と、日々3~4枚を持ち歩き、内容によって
残り枚数を確認しながら電話している。

昔は、後ろに並んでいる人を意識していたが・・・
今は全くその心配はない。
緑の公衆電話を探すのに、一苦労なぐらいである。

時代とともに、生まれては消えていく“シロモノ”は、確実に郷愁を誘うが、
現代社会には(必ずしも)適応していないようである。

私がおばあちゃんになった頃、(もし生きていたとして)
絵柄の違うテレホンカードを、残しておけば「笑い話」の一つにでもなるかな。

そこが、ビール券やデパート券とは違うオリジナルな部分だろう。
懐かしがりながら、日々、緑の電話を探す日々。

私って、相当・・・「せこいよね?(笑)」


心が暴れる

2009年08月02日 | 仕事 -

人は、時々“心が暴れる”ときがある。

いつもの感じ(雰囲気)ではないと、周りの人間には完全に感じるのだが、
当の本人は気がついていないことが多い。
精神状態が、いつもよりはちょっとだけ“過激”になっているように感じる。
まさに、その人の「心」が、“冷たく荒れる日本海のようなもの”である。


思い通りにならない“もどかしさ”が、積もり積もったのか・・・
相当、将来に対する不安を感じているのか・・・
あるいは、個人的なトラブルを抱えているのか・・・
ただ、ただ、身体が疲れているだけなのか・・・
理由は、わからずとも、何らかの要因によって、“心は暴れている”ようだ。



心が暴れている状況を、具体的に列挙すると、
1) 愚痴を、絶え間なく言う
2) 具体的な人の悪口を言う (そして、自分が被害者として主張する)
3) 相手の話を最後まで聴かずに、さえぎる (そして、自分流に解釈する)
4) 人の話は、まずネガティブな姿勢で、聴いている (そして、否定する)
5) 自己を正当化する (自分の意見は押し通そうとする)
6) 他人のプライバシーに興味をそそぎすぎる (そして、自分と比べている)
7) 人に対するデリカシーが欠落する (厳しい、気遣いのない言動になる)
8) 自分以外の他人やモノなど、すべてに対して否定する傾向が強い
9) ささいなことにも、こだわりを主張して、固執する
10)話し合いの時に、すぐ興奮して、喧嘩越しのようになる
   (とにかく、すべてに対して興奮しやすく、キレやすくなっている)



私には、心の奥底にたまっている「自分を認めてくれよ~」という、かすかな
声が聞こえてきそうな気がしてならない。

何に対しても素直な受け取り方ができず、他人の提言や進言にも耳をかさず、
ただ、自分の世界に「壁」のようなものをつくりこんでいる。

本人は、全く“心が暴れている状態”だとは認識していないし、いつものように
時間を過ごしていると感じているので、周りの人間にとってみれば、どうしても
気を遣うことになってしまう。
ミーティングや、プロジェクトの最中であれば尚のこと、相当“気を遣う”。
立場のある人であれば、殊更、周囲の人間のストレスはたまってしまうのだ。

その先に、どのような現象が待っているのかというと・・・
「もう、この人と仕事をしたくない」という感想を、周りに与えてしまう現実!
「説明しても聴いてくれないだろう」「話をするだけ無駄だろう」というような
複雑な心境に、周囲の人々がなってしまうからだろう。
(残念ながら、本人が全く気がつかないところで・・・)



これは、人間関係にかかわるすべての状況に当てはまる。

だからこそ、もしも・・・自分の「心」が暴れそうになった時は、
その予測をすばやく自分自身でキャッチし、それ相当の対処とコントロールが
必要になってくる。
「大人」としての毅然とした対応と判断をできるだけの精神力を維持するために!

それには・・・・
「感じる力」と、「相手を知る好奇心」が、より経験を高めてくれるかもしれず、
何よりも「すべてが自分の思い通りになる」という考えは捨てた方が、楽な生活
&楽な精神状態が送れるように思う。



しかし、心が完全に暴れまくっている人に対して、当方(周囲の人々)としては、
「いやぁ~、暴れていますね~」「今日はどうしたんですか?」とは言えず、
それなりの対応を迫られるのが、この人間社会なので、自分の人間力が問われる
ように、おのずと出来上がっているようである。
それが、ある意味で「社会人」としての力量という判断基準としても評される。


私の経験上、暴れている時には適切な対処をしておき、その人の心模様が少し
落ちついたら、「その時」のことを、冷静に、相手を問い詰めず、否定せず、
分析せず、評価もすることなく、ひそかに伝えてあげるのがベターだと思う。
それも、非常に“おだやかに”・・・・。
心が暴れている時は、本人の中では「何も受け容れられない状況(状態)」に、
なってしまっている場合が多いからだ。


しかし、客観的に判断させていただくと(私的には、物事の流れをとらえる時)
「反面教師」のように、そういう人からは、学ぶ要素が多いのも事実である。

昨日の経験をふまえて、一言、心が暴れていた“ある人”のことを記しておく。
自分が暴れそうになったときのために・・・。