リハビリサイクリングを兼ねて江戸名所図会めぐりとして南蔵院と熊野祠に出かけてみました。ここでは熊野祠をアップします。
わたしの彩(いろ)「江戸名所図会」大人の塗り絵より
中川沿いにありますが、熊野神社は岸からは少し離れています。図会では神社の入り口も川の堤通りから参道になっていますが、昔は舟と堤通りが主な交通手段だったので川から向かっていたようです。図会でも南蔵院と熊野祠を結ぶ道ができていますが、今も残っておりその道を通って向かいました。道路の南蔵院側から撮っています。鳥居と山門です。
★ランドマーク立石熊野神社:立石熊野神社は、平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明により勧請されたと伝えられ、立石村の鎮守社だったということだそうです。
ご案内より:「この辺り一帯には、古墳群をはじめ霊石として知られる「立石」等があり、先史時代から集落のあった場所として、葛飾区内で最も古い神社の一つであります。
平安時代の熊野信仰は盛んで、花山法王が那智の滝で一千日の修行中邪魔をする天狗を同行した安部晴明が封じ込めて助けたと言われ、当社を勧請した安部晴明と熊野の深い関係を知ることができます
鎌倉時代、葛飾に縁りある御家人壱岐守葛西三郎清重の崇敬を経て、更に江戸時代には三大将軍義光や八代将軍吉宗が、鷹狩りに当地にお成りの際や、徳川御三卿のひとつ田安家の度々の参拝の折には、必ず当社より「金烏の守護」を献上したと伝えられております。
当時、紀州熊野三社の神にお使のヤタガラスと宝珠を象った霊験あらたかな牛王宝印は魔除け・厄除け・病気平癒等の守護として、全国に広まっておりました。」山門ののれんに描かれているのが八咫烏です。
中に入ると参道の右手に手水舎と撫で牛がありました。天神様のご祭神菅原道真公は丑年の丑の刻にお生まれになったことなどから、牛は天神様お使いの動物として信仰されています。
この臥牛の像は「撫で牛」といわれ、古くから学芸上達・試験合格のほか幼児の発育保全・病気平癒・厄除海運などの願掛けの信仰があります。(立石熊野神社社務所掲示より)
その奥に富士山信仰の浅間神社があります。さらに天満宮
拝殿の両脇に御神木のクスノキあります。葛飾区の登録天然記念物になっています。向かって左側のクスノキ右側のクスノキです。この木のところに鳥居が
角に水神宮
奥に稲荷神社
がありました。
社殿修復記念碑があります。
こんな掲示もありました。
江戸名所図会より
立石村が描かれています。地名のもととなった古代の遺物のようです。立石祠(遺跡として神社とは少し離れたところにあります)
新月と満月に祈願すると御利益がありそうです。
南蔵院を振り返ってみています。
往復とも荒川放水路(荒川)に架かる四ツ木橋を渡りました。橋の両詰に「平和之礎」と書かれた国旗掲揚塔があります。