ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

雪の東大寺

2013年02月20日 22時45分27秒 | 訪問地周辺散策

奈良県に出張でした。19日は雪、20日も寒い日で山の雪は消えませんでした。初日の訪問先は奈良市だったので、雪の中、昨年に続き東大寺に行きました。
途中、雪の奈良にふさわしい名前の、氷室神社がありました。氷室神社は氷献灯や、しだれ桜で有名なようです。奈良といえば鹿ですが、道々で遭遇します。東大寺南大門の手前では集団で雪を避けていました。
南大門。東大寺は728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まりです。華厳宗大本山。741年に聖武天皇が護国信仰に基づいて国分寺の建立を命じられた際、金鐘寺を大和国分寺として金光明寺と称した。743年になり聖武天皇が大仏造顕の詔を公布、745年に金光明寺にて造営が開始された際、東大寺となった。大仏は752年に開眼供養が行なわれたが、大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年になる。その後1180年に平重衝によって、1567年には松永久秀によって伽藍が焼失。現在の伽藍は1709年に再建されたものです。東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されています。
天候が悪くてもさすがに国宝と世界遺産の東大寺には多くの観光客がいました。南大門と中門の間に鏡池があります。中門や大仏殿が鏡に映ったように見えるのでいうのかと思っていましたが、池の中の島が取っ手のついた鏡のようだということで名づけられているようです。大仏殿の前の芝生は雪に覆われていました。
大仏様は大きいだけであまり魅力を感じられませんでした。金堂(大仏殿)は国宝です。当初の大仏及び大仏殿は、聖武天皇の発願により、8世紀に造られたものでしたが、その後2度の兵火で焼け落ち、現存する大仏殿は江戸時代の再建されたものです。大仏は台座と袖、脚などの一部に当初部分を残すのみで、体部の大部分は中世の作、頭部は江戸時代の作です。いろいろなところにある木像が魅力的でした。2月ということで二月堂に上ってみました。東大寺二月堂(とうだいじにがつどう)は、奈良時代(8世紀)創建の仏堂です。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されています。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られています。「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事です。二月堂から降りてくるとまた鹿に出会いました。いつもより鹿せんべいをくれる人がいないので鹿も手持無沙汰?中には呼び込みをしている?ものもいました。
帰りがけ、氷室神社前あたりで、振り返ってみると若草山が一面雪に覆われていました。寒い寒い奈良訪問でした。

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