ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

白鬚神社(墨田区東向島)

2016年06月20日 23時40分03秒 | 社寺仏閣

リハビリの帰りに前にも行きましたが、再度白鬚神社を散策しました。

墨堤通りに面してあります。この道の突き当りが白鬚神社です。

江戸切絵図では

墨堤の桜が描かれています。

通っている病院は木母寺の上のあたりにあります。墨堤通りは病院への通い道になっています。

上の通りからの白鬚神社

白鬚神社:天暦5年(951)の今から千年余の昔、慈恵大師が、琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社の御分霊としてお祀りしたことが、白鬚神社の始まりと伝えられています。蓮花寺を別当とし、白鬚大明神と呼ばれていました。
墨田区の旧寺島町にあたる「東向島・墨田・堤通・京島・八広・押上」地区の氏神様として、地元の人々に祀られてきたそうです。天正19年(1592)には、時の将軍家より神領2石を寄進されました。

白鬚神社は、隅田川七福神の寿老神(寿老人)としても知られています。

正月には初詣と合わせて「隅田川七福神めぐり」も行われています。江戸時代からの習わしで、各神社で御神号・御朱印を色紙に集めたり、各々の神様の御分体を集め、宝舟に乗せて玄関などに飾って縁起を呼ぶものです。白鬚神社の七福神の御開帳は元旦より七草(7日)までとなっています。元旦の0時には、新年開扉が行われます。神殿の扉を開け、新年の一番祈祷を行うもので、役員総代参列のもと、氏子等が一年の幸を祈ります。

主祭神の「猿田彦大神様」は古くから国土開拓の神様として祀られていて、現在では導き・みちひらきの神として商売繁昌や旅立安全・交通安全・方災除の神として慕われています。

5月5日にぼんてん祭、6月に例大祭、11月に新嘗祭などの神事が行われます。ぼんでん祭は古くから行われている神事で、隅田川に水害が起こらないよう祈祷するものです。

江戸名所図会でも土手から階段を下りて社殿には階段を上がってお参りする様子がうかがわれます。

下の道からは

神社に入った右奥の案内版は

寺島ナスの紹介です。実物は切絵図では新梅屋敷と書いてある、現向島百花園にありました。

鳥居の左のところに力石や

石碑がたくさんありました。

だいぶ新しいようですが神楽殿です。

神楽殿の脇にはこの石碑がありましした。

左奥には

富士講のひとつです。

この井戸は、「明治四十三年の大洪水の際には、当時、神主だった今井直は氏子とともに井戸に堤防を築き清水を確保し、人々の飲み水として役立てたという。」ものです。

本殿は一段上の所にあります。

大神の左の石灯籠右の石灯籠はかなりの高さがありました。

上がった右手に由緒書きがあります。

★ランドマーク白鬚神社天暦5年(951)に慈恵大師が関東に下った時に、近江国比良山麓に鎮座する白鬚大明神の御分霊をここに祀ったと、社伝の記録は伝えている。天正19年(1592)には、時の将軍家より神領2石を寄進された。
当社の御祭神猿田彦大神が、天孫降臨の際に道案内にたたれたという神話より、後世お客様をわが店に案内して下さる神としての信仰が生まれた。社前の狛犬は山谷の料亭八百善として有名な八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が、文化12年に奉納したもので、其の信仰のほどが偲ばれる。明治40年には氏子内の諏訪神社を合祀した。

狛犬です。

社殿の左奥には合祀した諏訪社がありました。

諏訪社(諏訪明神)は江戸切絵図によると白鬚神社の隣にありました。

こちらは水神社と三峰社の末社です。

これから下の道を行くと向島百花園に出ました。切絵図では新梅屋敷となっているところです。

 

 

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