ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

根岸の里(要傳寺・千手院・西蔵院)

2016年07月27日 22時00分54秒 | 歴史の小道

リハビリ病院の帰りに吉原神社から下谷方面、根岸の里の有ったところに行ってみました。言問通りから少し入ったところに要傳寺がありました。

日蓮宗寺院の要傳寺は、法住山と号し、日厳(寛文8年1668年寂)が開山となり創建したということらしいです

山門を入った右手に淨行菩薩像がありました。

本堂のところに日蓮像がありました。

その他は、解放的でなく、入りにくく写真も撮れませんでした。あきらめて次のお寺さんを目指しました。

江戸古地図のように次は千手院で、寄って散策してみました。

★ランドマーク千手院補陀洛山千手院は、初代快實和尚が下谷町(現在の御徒町周辺)に創建して400年以上、城北根岸の地に移って300年以上の歴史を持っております。
 現在では、四季折々に草花が育ち、"下町の花の御寺"とまで呼ばれるようになっております。また、千手観世音菩薩さまをおまつりする伽藍は古い木造建築を保ち、江戸時代の密教信仰を伝える五智如来堂も残しており、古い時代を偲ばせるお寺でございます。(お寺さんのHPより)

 

いつも事前知識なしの散策なので、石塔・石碑をわけもわからず撮ってきました。自宅でお寺さんのHPなどで調べています。

門入ってすぐ右の寶篋印塔は元文四年・1739年のもので、「もし地獄に落ちそうになったとき、線香と花を捧げてこの塔を一度礼拝すると、すべての罪から免れ、地獄の門は塞がれ、解脱の道が開かれると伝わります。」HPには書かれていました。

五智堂です。この前にある石碑

これは、出世大師碑(弘法大師碑)(天保五年・1834年)で、五智堂前の出世大師の由来を当院十五世宥全法印が認めた碑だそうです。また、五智堂は、元は出世大師を奉る大師堂だったということです。

こちらの燈籠は、大師御宝前石燈籠(文政八年・1825年)で元出世大師堂の前に置かれていたものだそうです。

忍屋長春句碑(文政九年・1826年)です。門を入ってすぐ左手に立っています。「立臼も見へぬ野分のあした哉」と書いてあるそうです。

幸福地蔵:半跏地蔵尊(江戸時代1740年代)

六地蔵(江戸時代1670年代)地蔵菩薩さまは、末法の世といわれる無仏の時代に六道(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の世界)を廻って救済されるとのことで、特に水子・幼い子供の霊が迷わないよう成仏へ導いてくださいます。とお寺さんのHPにありました。

なかなな広いお寺さんでこちらが本堂です。

補陀洛山(ふだらくさん)と読むみたいです。

 表に出ると柳並木がありました。

昔からの通りのようです。

次は永稱寺です。難しい字ですが永称寺だそうです。

★ランドマーク永稱寺:浄土真宗本願寺派寺院で長久山と号し、永称寺は、浄念(俗称和久勝之進、宝治2年1248年卒)が開基となり創建したと伝えられます。

門の前の左手にありました。

本堂と

 

鐘楼です。ちょっと入りにくい作りで山門からの撮影だけにしました。

永称寺と西蔵院の間、昔の百姓地は今根岸の里公園になっていました。

江戸名所図会より根岸の里

呉竹の根岸の里は、上野の山蔭にして幽趣あるがゆえにや、都下の遊人多くはここに隠棲す。花になく鶯、水にすむ蛙(かわず)も、 ともにこの地に産するもの、その声ひとふしもありて、世に賞愛せられはべり。

次は西蔵院です。

★ランドマーク西蔵院:天正19年(1591)の書類に記載があることから江戸幕府開府以前の創建と考えられます。

古地図にもありますが、江戸時代、当地周辺は時雨岡と呼ばれ、当寺にあった不動堂は時雨岡不動堂と称されていた他、根岸の三木といわれた御行の松が著名であったらしいです。

お寺さんのHPでは「江戸期から、根岸の大松と人々に親しまれ、『江戸名所図会』や広重の錦絵にも描かれています。 初代の松は周囲4メートル余、高さ13メートル余もあり、大正15年(1926) に東京市の天然記念物に指定されたが、 昭和3年(1928)枯死してしまいました。」ということで 、現在植えられているのは三代目の御行の松となっていうことらしいです。

江戸名所図会 大人の塗り絵より

『回国雑記』 霜の夜あらはれにけり時雨をば忍びの岡の松もかひなし 道興准后

 

 

残念ながら五行松のところまで行けませんでした。

根岸小学校は明治七年二月西蔵院庫裏に第五中学区
  五番小学根岸学校として開校せらる。教員三名生徒
  六十名官給金月十円以外は悉く民費に依る
     昭和六十年二月二十一日
        台東区立根岸小学校第二十三代校長藤原藤治謹誌並書

現在の校舎は 西蔵院の200メートル西, 尾竹橋通りに面したところにあります。

古地図による歴史の小道の散策は、上野の不忍池のハスを見に行きました。

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