ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

上野東照宮

2017年07月24日 12時20分12秒 | 社寺仏閣

上野の山を散策して上野東照宮に着きました。

水舎門

中に入る前に左手にお化け燈籠を見に行きました。名古屋の熱田神社にもお化け燈籠がありました。

★ランドマークお化け燈籠:上野公園内にある灯籠(とうろう)で、佐久間勝之(さくまかつゆき)が奉納したもの。銅灯籠や石灯籠と離れたところにある。おばけというのは、おばけのように大きく、高さが6.06mもあるからそのような名前がついた。また、笹石の周囲は3.36mで非常に大きい。

門に行く前に普通?の燈籠がありました。

大石鳥居です。

★ランドマーク上野東照宮:寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建した。社伝によれば、元和2年(1616年)、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと高虎と天海に遺言されたという。

現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したもので、関東大震災や第二次世界大戦でも消失を免れている。社殿は平成21年(2009年)1月から平成25年(2013年)まで修復工事が行われ、平成26年(2014年)から公開されている。

参道の両側にもたくさん石灯籠が並んでいます。

向かって右側に五重の塔があります。張り紙がありました。

こちら側が五重塔の参道だったということでこれが正面だそうです。

★ランドマーク旧寛永寺五重塔:1631年(寛永8年)に、江戸幕府の老中で、後に大老となる土井利勝(どいとしかつ)の寄進により、上野東照宮の塔として建てられました。しかし 1639年(寛永16年)の春に花見客の過失によって焼失してしまい、現在見ることのできる五重塔は、その年のうちに再建された時のものです。

その後、明治時代に施行された明治政府が発令した「神仏分離令」により、寛永寺の管理下に置かれています。現在はすでに前述した寛永寺の存在はなく、東京都の管理下に置かれており、名称には「旧寛永寺」と付されています。

手前に神楽殿です。

塔との柵ののところに広島・長崎の火があります。

反対側に銅灯籠です。

銅灯籠は唐門の前にもたくさんありました。銅灯籠はそれぞれ献じ者の名前が刻んであります。手水舎

水盤のところ鈴がありました。狛犬です。

門の前につきました。この日は杖は自転車につけたままで歩いたので、中には入りませんでした。外国の観光客が多くいました。この門の外に自転車を置いての散策でした。

コメント
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