ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

桑名城跡・七里の渡跡

2014年10月22日 22時13分32秒 | 訪問地周辺散策

四日市にある施設を訪問しました。こちらも3回目になります。四日市周辺はあまり見るべきものがなかったので、少し早めに家を出て、桑名で途中下車してみました。桑名の城跡が公園になっているというので向かいました。道は整備されていました、平日の午前雨模様ということで静かな町並が続いていました。寺町ということでお寺さんがありました。海蔵寺です:宝暦3年(1753)に幕府より薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられました。宝暦5年工事は完成されたましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬され、ここには平田靭負他21基の墓石が現存し、市指定史跡となっています。次にこんな看板がありました。

桑名は揖斐、長良、木曽三川の河口に位置し、かつては海であった場所に泥や砂が堆積してできた低湿地帯のため、古来から水質が悪く、飲料水を得るのが困難でした。揖斐川の水を汲んで売りに来る「水売り」の商売が成り立っていたそうです。桑名藩第4代藩主松平定行は上水道の建設を命じ、寛永3年(1626)より着手したのが「御用水道」で通称「町屋御用水」とよばれました。町屋御用水は、町屋川を水源とした全長約2㎞の水道です。自然の勾配に従って城下南西の吉津屋御門(今の鍛冶町)まで開渠で通され、ここから先へは地中の樋管を通って城内及び城下の町々へ水が運ばれていたということで、町の所々に水汲井戸を設け、人々は長い竿につけた釣瓶を用いて水を汲んでいたそうです。その井戸を「通り井」よび、文政3年(1820)頃には17ヶ所あったそうで、町屋御用水は明治時代に近代水道(諸戸水道)が開通するまで約260年もの間利用されたようです。次に公園の手前に春日神社がありました。楼門をよく見ると桑名宗社と書いてあります。調べて見たら、ここは桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の両社から成り、桑名の総鎮守社として崇敬されているところのようです。正式名称の桑名宗社より、「春日神社」、「春日さん」の通称がより多く用いられ、親しまれているそうです。また、7月末の石採御神事は天下の奇祭としても有名だそうです。この青銅製鳥居の前は、七里に渡しから続く旧東海道のようです。公園の入り口です。城はなくまりましたが、城の石垣が四日市港を作る際の資材にされたということで、これから向かう四日市との関係を感じました。

ここは九華公園といいます。市の案内によると:「桑名城の本丸跡と二の丸跡に造られた公園で、約7.20haの広さがあります。かつて「扇城」と呼ばれ、海道の名城とたたえられた城の面影を残し、たくさんのさくらやつつじ、花菖蒲が植えられ、市民の憩いの場として親しまれています。4月の「さくらまつり」や5月の「金魚まつり」、6月の「花菖蒲まつり」など、季節に応じて多彩な催しが開かれ、大勢の市民でにぎわっています。また、園内には松平定綱(鎮国公)と松平定信(楽翁公・守国公)を祭る鎮国守国神社があります。」となっていました。石垣も天守もないので何を撮るか悩みんで堀を撮ってみました。こちらは最後まであった辰巳櫓の後です。こちらは桑名郭内地図を保管していると書かれているものです。松平定綱(鎮国公)と松平定信(楽翁公・守国公)を祭る鎮国守国神社です。鎮国守国神社(ちんこくしゅこくじんじゃ)天明4年(1784)白河(現福島県白河市)城内に松平定綱(鎮国公)を祀ったのが始まり。文政6年(1823)白河から桑名へ移封にともない当社も桑名城本丸に移りました。のち松平定信(守国公=楽翁)をも祀り、明治維新後しばらくは本丸の外に移っていましたが、明治40年(1907)本丸跡の現在地に移りました。大正8年(1919)に現拝殿が完成、昭和9年(1934)に楽翁公百年祭記念宝物館が完成しましたそうです。毎年5月2日・3日には例祭の金魚祭が行なわれ、金魚みこしや屋台で大変な賑わうそうです。奥には

公園にはネコさんが二匹いました。ここから七里の渡し跡に向かいました。りっぱな櫓がありました。蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)です。
桑名城には、元禄大火後に再建された時点で51の櫓があったと記録されています。このなかでも、川口にある七里の渡に面して建てられていた蟠龍櫓は、東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボルでした。歌川広重の有名な浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いています。

  「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことです。龍は水を司る聖獣として、中国では寺院や廟などの装飾モチーフとして広く用いられています。この「蟠龍」をかたどった瓦が置かれていることから、蟠龍櫓と呼ばれています。。

桑名市のHPから「熱田・宮の渡から海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せていました。ここにある大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。」川の方から見た渡場跡です。この川を渡って桑名に入ります。鳥居をくぐって旧東海道です。この道を少し行くとさっきの春日神社のところに出ます。四日市に向かう時間になりましたが、適当交通手段がなく、コミュニティーバスが少し待てばくるというので、待つことにして、近くの住吉神社に行ってみました。

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