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ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

病院の年末年始生活

2016年01月17日 14時19分21秒 | 身辺出来事

昨年の12月17日から入院して、6月22日に続き2回目の手術を12月28日にしました。この年末年始はまるまる病院生活となってしまいました。

病院の楽しみは食事ですが年末年始いろいろと楽しませていただきました。見舞いのお客様からの差し入れもいろいろとありました。本とお花の差し入れです。

食事は肴の7種盛りに

鯛の姿煮

海老に

白身魚の刺身まがいのシメもの

七草粥に

赤飯まで出ました。

息子が正月らしくとこんなものを飾ってくれました。後はただ外を眺めています。

東京ドームホテルが朝日に輝くまで見つめていました。

朝焼けのホテル

だんだんと日が当たっていきます。

黄金色に輝きました。

あたりも金色に

昼間は雲を眺めたりしています。

雲の下に見えるのは駿台予備校です。我々の大学進学当時はそこら辺の私立大学に入るように駿台予備校に入る方が難しいと言われていましたが、今はどうなっているのでしょうか。

今週の20日には隅田川沿いにあるリハビリテーション病院に転院します。

 

 

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今年のクリスマスイブは病院です。

2015年12月24日 10時19分01秒 | 身辺出来事

近くに東京スカイツリーがあるので、折々にツリーを撮っています。

東京タワーほどではありませんが、いろいろな色彩で着飾ってくれます。

昨年はたまたま、自宅に帰る途中で変色に気が付き、近くまで行ってみました。

今年は残念ならこれから病院に向かうので見ることはできません。

早く退院してスカイツリーが見たいと思っています。

 
スカイツリークリスマス色
住んでいる近くに東京スカイツリーが立っています。時々色が変わるので楽しみに見ています。昨日今日はクリスマス色で緑と赤でした。昨日は錦糸公園から見たらグリーンでした。今日は見事な赤色...
 

 

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再入院の1週間

2015年12月23日 23時03分55秒 | 身辺出来事

腰部脊柱管狭窄症の手術とリハビリでようやく少しは歩けるようになり、会社にも行けたのに、12月に入って症状が悪化し、歩行が困難になってしまいました。12月15日に手術した病院で受診し、16日、17日に専門病院でMRIを撮ったところ今度は胸椎に狭窄が見つかり、再度手術をすることになりました。診断がわかった17日の時点で即入院となりました。手術日の28日までに時間があるので23日、24日と一時帰宅しました。16日は娘の誕生日で祝いをして翌日に入院となりました。入院中は食事と窓の外の景色の移り変わりが楽しみです。食事は結構良いものが出てきます。鯛のかぶと煮や肉野菜炒めとかぼちゃの柚子煮などが出てきました。

窓からは東京ドームホテルが見えたり、神田川を挟んで順天堂病院などが見えます。下の道はイチョウの絨毯ができていました。ビルの間の夕焼けもまずまずです。

本も読みたいのですが、痛みであまり集中して読めません。それでも4日で一冊読み終えました。

一時帰宅で23日はクリスマス会をしました。ケーキです。

しばらくは自宅に戻れませんので、ブログの更新もしばらくお休みです。

良いお年をお迎えください。

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亀戸天神菊まつり・七五三

2015年11月03日 09時58分33秒 | 身辺出来事

孫娘が7歳で、亀戸天神に七五三のお参りをしました。天神さんはちょうど菊祭りの最中でした。菊の塔とスカイツリーが競って見えます。

地方出張の際に菊祭りに出合うことがありますが、亀戸天神の菊祭りは初めて見ました。天神さんは七五三のお参り等で結構賑わっていました。孫娘と孫息子です。昇殿に上がるにも階段があったり、神社に入るにも石段があり大変でしたが杖で参加しました。太鼓橋とスカイツリーです。少し歩き足りないので団地を散策しました。

団地の菊も咲いていました。

団地の黄色い花はいつまでも咲いています。

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聖橋・鳥越神社、東京都慰霊堂

2015年10月23日 20時09分04秒 | 身辺出来事

脊柱管狭窄症の手術した三楽病院に診断書を受け取りに行きました。医療保険に申請するものですが6000円以上もかかりました。御茶ノ水駅の階段が大変なので、リハビリを兼ねて自転車で行ってみました。6㎞弱ということで、最後の登りさえ無事越えられればと思い決断しました。ガード沿いを登りましたが、荒川にかかる橋を登るよりは短い感じでした。帰りは聖橋を渡って神田明神側に行ってみました。

聖橋からみたところです。この写真で思い出すのは田舎の中学生のころ社会の教科書に都市交通発達のものとして載っていたことです。教科書を見る前から知っていたので印象がありました。

聖橋は放物線を描くアーチ橋で、形式は鉄筋コンクリートアーチ橋。関東大震災後の震災復興橋梁の1つで、昭和2年(1927年)に完成したものです。名前は東京府(現:東京都)が公募し、両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことから「聖橋」と命名されたそうです。

湯島聖堂と道路を挟んだところにある東京医科歯科大学にはこんなものがありました。調べてみたら「記念壁画レリーフ」ということで「中央はヴァチカン宮殿「署名の間」に描かれているラファエロ作「アテネの学堂」であり、対話による教育の原点を表しています。左は医学の父ヒポクラテス像とあるべき医師の心得とされる「ヒポクラテスの誓い」、右は1846年マサチューセッツ総合病院で行われた歯科医師モートンによる世界最初の全身麻酔公開実験を描いたロバート・ヒンクリーの作品です。
これらの壁画レリーフは、「教育」「研究」「診療」を題材としており、医歯学総合研究科・保健衛生学研究科の誕生により大学院重点化大学となった本学が、21世紀を迎えた今日、世界的拠点となるべく歩み始めたことを記念して作製されたものです。」と医科歯科大のHPに書かれていました。

神田明神は前に2度来ているので鳥居の写真のみでした。湯島の地名につられて湯島天神をと清水坂下まで行ってみましたが、またの上り坂であきらめて蔵前橋通りを帰途につきました。

途中で鳥越まつりで有名な鳥越神社寄ってみました。

鳥越祭りは鳥越神社の例大祭として毎年6月の中頃に行われます。大神輿の渡御と提灯行列で、千貫神輿といわれる御神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩きます。夜祭りになると、提灯をつけた元祖提灯神輿は、高張り提灯に囲まれ宮入りします。その荘厳かつ幻想的な様は、人々の心をふるわせるそうです。祭りがあまりすくでないのでまだ、見たことがありません。

本殿

通りの名前がついている蔵前橋です。

手前に浅草御蔵跡の碑がありました。

橋の欄干には相撲の像がありました。両国に行く前はここ蔵前に国技館がありました。上流は厩橋と吾妻橋です。

橋を渡って墨田区側にくるとすぐに横網町公園、慰霊堂があります。

東京都のHPに「東京都慰霊堂は、大正12年(1923)9月1日に発生した、関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に昭和5年に建てられました。慰霊堂の設計は、築地本願寺や湯島聖堂を手がけた伊東忠太氏(1867~1954)によるものです。

当初は「震災記念堂」と名付けられましたが、昭和20年3月10日の東京大空襲などによる犠牲者(約105,000人)の御遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、昭和26年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、現在約163,000体の御遺骨が安置されています。毎年2回(春季-3月10日、秋季-9月1日)慰霊大法要が行われています。」と書かれています。慰霊堂は工事中でした。庭のイチョウももう少しで色付くようです。野外ギャラリーです。

何十回と訪れているのですが初めて見るものがありました。

こちらは前回も見ました。

震災記念堂に、大正12年9月1日の関東大震災の慰霊と昭和20年3月10日の東京大空襲の被災者を慰霊しています。それぞれ慰霊の日には屋台が出るので、保健所時代は毎年屋台の衛生監視で出かけていました。

当時はあまり中を見る機会がありませんでしたが、退職してから時々訪れています。

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