カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

韓国映画でカン・ドンウォンとは?

2016-05-17 18:31:59 | 2016その他

韓国映画の中で


カン・ドンウォンはどんな役割なのか?




カン・ドンウォンは俳優、




それもBBクリームを買いにデパートに入ったり


ズボンのすそをロールアップして着ることが一生ない

 

 

 

マッチョらと呼吸を合わせた時に光る 





男性観客にとって


ぎゅっと握ったげんこつを解いて警戒心を緩くする

 

 

  男性観客は彼の成長過程を見てはじめて




ポップコーンを口に入れることができる





女性観客の場合、


大衆文化の最も大きい消費者なので


製作者はこれらに気を遣う理由がない

 

 

 

 

大当たりあるいは千万興行を狙うならば


40代以上の男性観客を誘引する必要がある




おじさんの足の臭いに疲れている女性観客にも




息詰まる男の世界からしばらく息を継げるようにしてくれる





それが





カン・ドンウォン!

 

 

 

 

 

 

 韓国映画に

 

 

カン・ドンウォンが出てこなければ

 

 

 

男性観客は

 

 

 

 

 

ポップコーンを食べられない!!! 

 

 

 

 

 

 

 

らぶゆ 

 

 


 

韓国映画でカン・ドンウォンとは?

2016.5.12記事 翻訳サイト使用
http://www.wkorea.com/2016/05/12/%ED%95%9C%EA%B5%AD-%EC%98%81%ED%99%94%EC%97%90%EA%B2%8C-%EA%B0%95%EB%8F%99%EC%9B%90%EC%9D%B4%EB%9E%80/


最近韓国映画で魅力的な女主人公を見たことがないという不満の声を耳が痛くなるほど聞いただろう。 ところでその空席は驚くべきことに致命的な魅力のカン・ドンウォンと彼と似た役割の他の俳優が代えてしまった。

映画<検事外伝>の中の男たちは映画を通して怒って。 自分の欲望を満たすことにだけに関心がある彼らはエンディング クレジットが上がるまで眉間のシワをなくさないでいる。 サナイピクチャーズで製作した映画だからそうなのか彼らは全ておじさんでマッチョだ。 その中で最も怒りを大きく覚えるとみられるビョン・ジェウク(ファン・ジョンミン)もやはり捜査中に殴打を日常に行って権力と力の武器を前に出す検事だ。 彼が後ほど先輩ウ・ジョンギル(イ・ソンミン)を怒らせた話も“あらゆる男らしさはすべて薬害に陥っている”であった。 オ・ジョンギルが酒の席で焼酎を水で薄めるというのが理由であった(それはちょっとくやしかったようだ). 互いに自分がもっと男らしいとわめきたてる、このぞっとする男の間でそれなりに息が詰まる時にハン・チウォン(カン・ドンウォン)が登場する場面だ。 要領と融通性というキーワードで人生を生きてきたハン・チウォンは力と権力に関心がない。 もちろん小細工と容貌を自慢するが彼には‘無条件やり遂げなければならない’という虚勢いっぱいな名分のようなのがない。 彼はムォンドゥルでなくてもそれだけでしゃあしゃあとしてゆらゆらとしながら自由だ。 彼はビョン・ジェウクにハートを描いて入れた靴で心を表現してウインクも飛ばす。 さらにそでやズボンのすそをロールアップするなど罪修服まで自分だけのスタイルで演出して着る。 お互いをにらんで目が充血しそうな男たちがそれなりにこれを表わす時はカン・ドンウォンと一緒にいる時だ。 思い出してみなさい。 ファン・ジョンミンもカン・ドンウォンの前では笑ったしパク・ソンウンもカン・ドンウォンの前では笑った。 その上彼らは映画の中でどんな女にも注意を一度も与えなかった。

映画<義兄弟>以後忠武路(チュンムロ)のプロメンスの中心に立っているカン・ドンウォンは最近何年間も映画の中で女性の相手役と呼吸をほとんど合わせなかった。 <黒い司祭>では腰が自然に下げるようになる威嚇的なカリスマのキム・ユンソクと出演したし、<群盗:民乱の時代>ではスキンヘッドで男性を強調したハ・ジョンウと、<義兄弟>ではやもめの臭いが立ち込めるソン・ガンホと登場した。 ‘ソン・ヘギョとともに出演した<ドキドキ私の人生>もある’と話す人も多いのは知っている。 だが、その映画の興行は比較的に不十分だった。 カン・ドンウォンは不思議に俳優、それもBBクリームを買いにデパートに入ったりズボンのすそをロールアップして着ることが一生ないマッチョらと呼吸を合わせた時に光る。 これは絶対に誇張でない。 上に長く述べたように<検事外伝>の中のファン・ジョンミンは厳しい捜査で有名な検事であり、<黒い司祭>でキム・ユンソクは他人の話は死んでも聞かない頑固一徹な司祭であった。 <群盗:民乱の時代>と<義兄弟>の、ハ・ジョンウとソン・ガンホは話さなくても皆分かるだろう。 驚くな。 彼が新しい映画<マスター>で一緒に出演する人はスクリーンでいつも最高に格好つけてきたイ・ビョンホンだ。

カン・ドンウォンが女よりさらに美しいというそのような陳腐な話をしようとするのではない。 彼が引き受けたキャラクターと彼が相手俳優と結ぶ関係の方式に対して話すのだ。 <検事外伝>の中で彼は世間知らずの詐欺師が監獄に行っても正常な感覚でない。 彼は監獄で唯一笑って過ごす人物で絶対暴力をふるわない。 <黒い司祭>の中のカン・ドンウォンは司祭服を着たりしたが信仰心がないように見える。 彼は規律と規則にしばられなくて映画でずっと豚をつかんで通う粗雑な人物だ。 <群盗:民乱の時代>で彼は悪役だったがお父さんに認められることが出来なかった少年と同じだったし、始終一貫優雅で繊細に動くことを見せた。 あえてなぜそうしたのか分からないがさらに長い髪まで解き放す。 <義兄弟>で彼は世話をしなければならないような惻隠の心をかもし出す人物だった。 ここまで読んだら何の話をしようとしているのかあらまし感づいただろう。

女性学者はカン・ドンウォンが韓国映画の中で女性キャラクターに代わる人物だと口をそろえて話す。 消耗的な競争に疲れた男性観客に、‘より多くの経験と力で状況を導く兄と彼に従って成長する弟’という図式を作って‘プロメンス’の感情を吹き込むことだ。 男は火星からきたし女は金星からきたとしても火星と金星の間のどこかから来たカン・ドンウォンは特有のボーダーレス性を表わして韓国映画の美しいボーイフレンドになりつつある。

最近の製作発表会や試写会でカン・ドンウォンはよりによってグッチのフリル装飾のブラウスとサンローランのとハイヒールを着用して出てきて人々のこのような不そんな想像力をそそのかした。 女性の視線から眺める叙事の代わりに興行が立証された‘他人同士’主人公の話で劇を導いていかなければならないという件忠武路(チュンムロ)のかたい興行公式になった。 だが、男たちは男と男が対立するのを不便がる。 男たち間の対立を気楽に見るにはその中にある連帯がなければならない。 <内部者>の興行が可能だったのはイ・ビョンホンがペク・ユンシクと対立するが劇の軸がイ・ビョンホンとチョ・スンウの連合だったためだ。 ケーブル チャネルで一日が長いといって解き放す、韓国の男が最も愛する映画<新世界>では組織暴力団の中でも涙が出る友情が存在することを見せてくれる。

男たち間のプロメンスで特に重要なことは分別がない男の役割だ。 マッチョな男とのプロメンスを見せる分別がない男は男観客にとってぎゅっと握ったげんこつを解くようにして警戒心を緩くする。 男性観客は彼の成長過程を見てはじめてポップコーンを口に入れることができるのだ。 カン・ドンウォンの役割は今まで映画の中で多様な姿に変装されてきた。 <隠密に偉大に>でキム・スヒョンに全面的に頼って彼に認められたがるイ・ヒョヌと<延坪(ヨンピョン)海戦>でチングと兄弟のように登場するイ・ヒョヌがそうだ。 <西部戦線>の、ソル・キョングとヨ・ジングの関係は<義兄弟>でソン・ガンホとカン・ドンウォンの関係と似ている。 ハリウッドでは女もジェダイになるのに私たちはいつまでも女は小道具としてだけで登場するこういうプロメンス映画を見なければならないだろうか? 男たち間の友情は地球人とエイリアンの男の間のプロメンスまで拡張されなければ終わらないのだろうか? なぜ彼らは女性観客に微塵も気を遣わないのか?

延世(ヨンセ)大学校ジェンダー研究所ソン・ヒジョン研究員は映画産業紙<韓国映画>でそのような製作傾向が今の映画を消費する観客層の志向と関係あるという分析を出す。 “これら(韓国の女性観客)の場合、大衆文化の最も大きい消費者なので女性再現がどうであれ一応みな見るということだ。 だから製作者はこれらに気を遣う理由がない。 代わりに大当たりあるいは千万興行を狙うならば40代以上の男性観客を誘引する必要がありそうするうちに自然に彼らに合う叙事と女性再現が繰り返されるのだ。” <韓国映画>のパク・アグネス責任編集者は“男性観客はカン・ドンウォンが一人で登場する映画を見に行かないだろう。 だが、女たちはカン・ドンウォンが違う俳優とともに登場する映画も楽しんでカン・ドンウォンが女優とともに登場するメロー映画も楽しむだろう”として男性観客と女性観客の観覧態度差を説明する。 すべての俳優が‘軍隊除隊-突然男性性を強調する刑事、検事、軍人の怒りと嗚咽演技’で自身を証明しようと努める千編一律的構図でカン・ドンウォンは性の役割と境界を行き来して新しいキャラクターを構築している。 この頃めっきりおじさんの足の臭いに疲れている女性観客にも彼は息詰まる男の世界からしばらく息を継げるようにしてくれる。 だが、彼と同時に映画を見るたびにおろかで悪い女のキャラクターのために堪忍袋の緒を切るのではないかとこっそりと心配が押し寄せる。


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