『落石注意』の本当の意味
昨年9月の画像
もうかれこれ五年も前のことだが、ぼくは『落石注意』の怪(2007・8・26)というタイトルで次のような小文を書いた。
<・・・・切り立った崖にコンクリートを吹き付けたり金網を張って落石を防御している様子は、あまり気持ちの好いものではない。
大雨の後、日本各地で崖崩れや落石による被害が報道されるが、長雨や台風の後このあたりをクルマで通過するときは首をすくめてしまう・・・・。
それにしても『落石注意』の立て札に出くわすと、いささか憮然たる気持ちに襲われるのは私だけだろうか。
狭い一本道を往くドライバーに、どう注意しろというのか。あぶないと思ったら引き返せというのか。
そんなことをする者はおそらくいないはずで、みんなおのれの幸運を信じて「エイヤ」っとばかりに突き進むのである。・・・・>と。
そしてご丁寧にも、自分の思い込みを疑うことなく興奮した様子で意見を述べた。
<・・・・おそらく事故に遭った人も自分が岩の下敷きになるなどとは夢にも思っていなかったはずだ。
「信じるものは救われる」というが、この程度の信じ方では神様は許してくれないのだろう。
豪雨の日に例の立て札がある絶壁の横を走り抜けながら、少々不遜なことを考えた。こっそり看板を書き換えたらどうだろうかと。
『落石覚悟』・・・・。
昼間なのにライトを点けたクルマが、猛スピードですれ違っていった。>
さて前置きが長くなったが、実は最近ぼくはとんだ勘違いをしていたことをラジオに教えられた。
『落石注意』とは「路上に落石がある場合があるから注意して進行せよ」の意味だと。
なるほど、言われてみればそういうことか・・・・。
ぼくと同じような勘違いをしている者が他にもいて、それを正すためにパーソナリティーが取り上げてくれたのだ。
(ヒャーッ)
思い込みの怖さが、いきなり頭上から降ってきた。
このブログにもいろいろなことを書いてきたが、中にはぼくの思い込みによる間違いが少なからずあったのではないか。
頭の筋肉が強張って、しばし思考停止の様相を呈していた。
ただ、後から気づいたのは、ヒャーッという思いが頭上から落ちてきたことである。
あるいは恐怖というものは、足もとに転がっているというより頭上から降ってくる感覚の方がピッタリするのか。
お化け屋敷の仕掛け人も、客は前や横からより頭上からの出現に一番驚く・・・・と言っている。
思い込みに言い訳するわけではないが、「見えないものに対する恐怖」は生理的な反応として生体に組み込まれているのではないかと思った。
(おわり)
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で今、改めて見ると、本文でも指摘されているように「落石」がクルマを直撃するから注意せよ、というよりも、落石が道路を塞ぐから注意、が正解でしょう。
落石の直撃を喰らわないために、建設省か、どこかの当局は、直撃されないように防御壁を立てています。
それで直撃を吸収(?)するつもりでも、落石が稀に自動車道にハミ出すことも考えられるのでしょう。
それを「注意しなさい」のつもりなら分かります。
それと、もしクルマが直撃されたにせよ、道路上にせよ、ダメージを受けた場合の役所流の責任逃れの〈注意板〉のような気もしますね。
「近い将来」と「近いうち」の違いも、似たようなものだな?
頭のいい連中には敵わないね・・・・。
何となく以前読んだような不思議な感覚で読んでいったら、、、そのコメント欄にとっくに亡くなられた私たち共通の友人「丑さん」のコメントがのっていて!!!
慌ててタイトルのところの日付を見返しました。
なんと7年も前の日付にびっくり。
しかも狂ったような気象現象が当たり前のようになってきた今でもそのまま通じるせいか、気付かず読んでいたようです。
文章の力は凄い!
幽霊コメントも立派!
丑さんがコメントを書いてくれたこと忘れていましたが、実はこれより5年前の2007年に最初の「落石注意!」を取り上げたことを覚えていてくれたんですよ。懐かしいですね。
今でも落石注意の看板を見かけますが、反射的に頭上を見上げてしまうのは、理屈を超えた本能なのでしょうね。
足元の落石に注意というのが正当といわれても、いまだにピンときませんもの。
それはともかく、自然災害はますます激しくなって、洪水や土石流の恐怖が年中行事のようになってしまいました。
こわい、こわい。