(風神雷神)
京都での自然エネルギー関連のシンポジウムを終え、伊能正孝は東京の事務所に戻っていた。
彼の事務所は、千鳥が淵を臨む三番町のビルの二階にあった。
近くにはエドモントホテルがあり、事務所では差し障りがある面会などの時、ホテルの一室を使うことが多かった。
永田町の先生方は、概ね国会周辺に事務所を構えているので、交渉事が生じた場合ここからならスピーディーに移動できる。
また、資源エネルギー庁をはじめとする役所にも、しばしば情報の確認に行く必要があった。
その点、正孝の拠点とする場所は、中枢にある人びとと付かず離れずの関係を保つための程よい距離にあったのである。
正孝は京都から帰ったあと、関わりを持つ大学や企業の研究施設に自ら電話して、わが国の再生可能エネルギーを取り巻く環境について情報交換したところだった。
いずれ東北や北海道、それに九州や四国における最新の風力測定のデータを入手する計画もしていた。
また、岩手や福島で地熱利用の試掘を重ねる業者と連絡を取り合い、温泉組合との折衝に力を貸す必要もあった。
秘書の艶子は、京都のあと故郷の松江に寄って行きたいということで、週後半の数日間を休暇に当てていた。
しかし、一週間過ぎても艶子は戻らなかった。
連絡用に持たせている携帯電話に連絡したときは、母親がバスの後部座席から転げ落ちて入院したため、さらに休暇を延長したいといっていた。
「出来ることがあったら、なんでも言ってくれ」
「はい。ありがとうございます・・・・」
「いないと困るが、こっちは何とかする」
「すみません」
事務所には、もうひとり受付として雇った女性事務員がいるが、とうてい艶子の代わりは務まらない。
ここ数年にわたって艶子に任せていた一部の大学との連絡も、否応なしに正孝がやらざるを得なかった。
それでも、久しぶりに研究者たちの声を聞いてみると、有力な後援者と認識しているのか、正孝に対する信頼が弾んだ声となって現れていた。
准教授とか研究室の学生など汗を流して働く実働部隊は皆ひたむきで、情熱を持って地方の発展に尽くそうとしている。
風力にしろ地熱にしろ、CO2削減の命題までデータに反映させて研究を推進していた。
事業者は事業者で、政界との有力なパイプ役である正孝に、期待と怖れを抱いている。
正孝が主宰する業界誌に、どのような論調のコラムが載るか、毎月ひそかに注目しているのは明らかだった。
今回、正孝は京都での経過をなぞりながら、風力発電機の設置数鈍化について警鐘を鳴らすつもりでいた。
世界では、アメリカ・中国などが牽引してウィンド・ファームを急速に増やしているのに、我が国の年毎の設置数は横ばいから鈍化の傾向をたどっているのだ。
水力発電に次いで二番目に安いコストで調達できる電力にもかかわらず、普及は伸び悩んでいる。
日本風力発電協会の活動も、非営利ゆえの弱さが意識された。
正孝は、あの男から持ちかけられた風力データを含む内部資料の流失を、はっきり阻止する決心を固めていた。
男の目的が、自然エネルギーの弱点をあげつらい、基幹エネルギーとしての原子力発電を擁護することにあるのは明らかだっだ。
福島第一原子力発電所のメルトダウンで窮地に陥った国の原子力政策を、あらゆる手段を使って失地回復しようというのが目的と思われる。
再生可能エネルギーに対するネガティブキャンペーンを仕掛けるのか。
それとも、推進派の連携に疑心暗鬼の心理を差し挟もうというのか。
現代の俵屋宗達を標榜する正孝は、当然ターゲットの一人で、迂闊にあの男の相手などしようものなら、格好の餌食になることは必定だった。
『風神雷神図屏風』・・・・彼の事務所の応接室には、額装した国宝の模写絵が飾ってある。
鬼の姿をした風神が風袋から地上に風を送り出す図は、雷鳴を発する天鼓をめぐらす雷神の迫力とともに、自然が内包するエネルギーの凄まじさを象徴している。
このことに逸早く気づいた正孝は、原発事故以前から風神・雷神図を自然エネルギー利用のシンボルに据え、国家プロジェクトとしての推進を繰り返し訴えてきた。
国宝という権威を背景に、シンボライズされた正孝の先駆性は思惑通り評判を呼んだ。
しかし、風神雷神図は彼の評価を高めていると同時に、足を掬おうとする者には願ってもない標的になる。
うまい話、金絡みの話は特に要注意で、ヌエのようなあの男は最も警戒すべき妖怪であった。
ところが、シンポジウムの前にあれほど執拗に取引をもちかけてきた男が、一週間過ぎて何も言ってきていないのが不思議だった。
「なぜなんだ・・・・」
正孝は、腑に落ちない心の内を声に出してみた。
やはり、あの男の周辺で何らかの変化が生じたに違いない。
正孝への接触を急遽やめたのか、それとも初めから目くらましを仕掛けたのか。
エコの服を着た詐欺師とまで言われたことのある正孝と同類の男だけに、さまざまの可能性を推理していっそう疑心がふくらんだ。
再生可能エネルギーを正面から叩くような愚かな作戦は、今後も取らないだろう。
むしろ一定の枠を分け合う形で、懐柔に出るかもしれない。
世界的な自然エネルギー利用の潮流に乗りながら、決して主導権は渡さないという狡猾さが垣間見えていた。
一方、母親の怪我を理由になかなか戻らない艶子にも、苛立ちをおぼえた。
正孝の胸中を読み取り、判断の道筋にいつも寄り添ってくれた艶子の不在は、初めて焦燥感となって意識された。
(あいつ、何をしている・・・・)
何か不満でもあるのか、それとも焦らしているのか。
正孝は、自分が本当に求めているのは、艶子による精神的な慰撫のほか、肌のぬくもりであることにようやく気づいた。
母親の看病と聞いて遠慮していた電話だが、我慢ならずにリダイアルボタンを押した。
「もしもし、もしもし・・・・」
しかし、艶子は電話に出なかった。
どこへ行っているのか、何度かけても圏外の文字が表示された。
その夜、宮古島に設置した大型風力発電機のブレードが、根元から折れているのが発見された。
台風の影響だった。
九州から沖縄島嶼部にかけては有力な風力発電可能地域だが、外国のように大規模なウィンド・ファームを目指すのには物足りない部分もある。
その点、東北地方は北海道と並んで最も風況のいい場所で、これまでに設置された風力発電装置は、二つの地域で全体の半数近くを占めている。
もちろん、条件さえ合えばどこでも設置できるが、年間を通して安定した風が得られ、同時にできるだけ人口密度の低い日本海側の海岸が適していた。
風力発電が本格的に代替エネルギーとして寄与するためには、多くの大型発電機を並べられる広大な場所が必要だ。
東北から北海道にかけては、それらを具現させる立地条件が備わっているため、正孝も各自治体に働きかけて啓蒙してきた経緯があった。
場所こそ違え、島嶼部でブレードが破損した事実は、台風という強力な風エネルギーがまだ日本の技術では制御しきれていないことの証明だった。
こうした技術的な欠陥は、タワーも含め、ナセル、ブレード等のローター全体に、設計と材質の両面において変更を余儀なくさせるリスクがある。
将来的に克服されるのは明らかだが、現在盛り上がろうとしている機運にマイナス効果をもたらすことは否めなかった。
テレビニュースと前後して、正孝のもとにもブレード破損の報告がもたらされた。
風力発電機のタワーは、巨大化することで風の発電容量を高められる。
正孝の知る限りでは、地上120メートルあたりにローターを設置することで、発電量は飛躍的に増加する。
ブレードの破損や粉砕は、やがて克服される。
しかし、それらの研究と同時に、生み出された電力を効率的に供給するため、発送電の分離を実現させなければならない。
もちろん、電力会社は既存の権利をおいそれと手放そうとしない。
安定した電力供給という錦の御旗を掲げて新興勢力を締め出そうとする電力会社にとって、今回のブレード破損は願ってもないニュースであったろう。
とはいえ、世界の趨勢は危険な原子力発電所を減らし、各国の事情に適した再生可能エネルギーに置き換えようという方向にある。
一方で、原発に関する技術の温存と、さらなる研究の推進が、日本の将来にとって不可欠であるとの主張も一定の支持を受けている。
国民は、比較の難しい問題に明確な解を見つけ出せないでいた。
(明解・・・・か)正孝は、ひとり群衆に向かって蔑みの視線を投げかけた。
当初は、2020年までに総使用電力の43パーセントを再生可能エネルギーで賄えるという声も上がったが、現状では化石燃料に依存したままだ。
国の方針で、固定価格買取制度が動き出したものの、その後高い買取価格が電気料金に跳ね返るといった理由で、太陽光発電エネルギーは制限されている。
エネルギー政策自体が揺れ動いているものだから、参入する企業も慎重にならざるを得ない。
策を講じて電力業界の勢力図を変えようとしても、原子力ムラと呼ばれる強固な地盤を揺るがすのは並大抵なことではない。
伊能正孝ほどの者でも、正面から挑める相手ではなかった。
ただ、2011年の福島第一原子力発電所の事故により、国内外とも原発廃止の機運が高まったことは紛れもない事実である。
すでにドイツでは、フクシマ原発事故の直後から、原発の廃炉と自然エネルギーへの切り替えが進められている。
日本の原発ゼロ稼働期間は、2013年9月からほぼ2年間続いたが、それらは原発との決別を意図したものではなく、単に安全基準の見直しだけに終わった。
原発温存の方針は、何ら変わっていないのだ。
国民の様子を窺いつつ、各地の原発は再稼働をめざして動いている。
正孝の目から見ても、原子力発電推進派がしぶとく復権しつつある状況は明らかであった。
この狭い列島に48基もの原子力発電所を造り、多くの反対があるにも関わらず依然として不死身の姿勢を堅持している勢力は健在なのだ。
伊能正孝の手法も時に醜さを露呈することはあるが、遥かに超えて人間のおぞましさと恐ろしさを感じさせる蠢きだった。
ブレード破損のニュースが流れた三日後、島根県出雲市の弥山山中で女性の変死体が発見された。
正孝のもとに情報がもたらされたのは、秋の日が傾き始めた午後四時頃のことだった。
地元の警察は、山へキノコ採りに入った住民からの通報を受け、林の奥で倒れている女性のもとに駆けつけた。
身元を調べている最中に、所持品の携帯電話から伊能正孝との通信記録が明らかになり、連絡をしてきたものだった。
「福田艶子さんという方をご存知ですか」
「はい、うちの事務所の従業員ですが・・・・」
「こちらへは、観光で来ていたのでしょうか」
「京都での会議の後、久しぶりに松江の実家に帰りたいということで、一週間ほど休暇を取っておりました」
「弥山に登る計画など、聞いていましたか」
「みせん、というのは?」
「出雲大社に繋がる標高500メートルほどの山ですが」
「まったく知りませんでしたが、そこで何かあったんですか」
正孝の質問に、電話の相手は捜査中を理由に言葉を選んで答えた。
「事件性があるのですか」
「まあ、その点についてもまだ捜査中で・・・・」
わずかに明かされたことは、遺体のそばに空のペットボトルと睡眠導入剤の容器が転がっていたこと。
それに、自殺を思わせる遺書のようなものは現場から発見されていないこと。
要は、これから実家とも連絡を取り司法解剖をするので、少しは状況が明らかになるのではないかという話だった。
「すみません。電話だけでは状況がまったくわかりませんので、明日こちらからお伺いします。それで、失礼ですが、お名前をもう一度・・・・」
正孝は電話を切り、事務員に羽田から出雲空港へ向かう出発便を調べさせた。
何もかもが不明瞭で、不気味な空気が正孝の周りにも漂い始めていた。
(つづく)
風神雷神図をシンボルにいただく自然エネルギーフィクサーが主人公であることが、物語の広がりを暗示しているなと思いながら読み進めていくうち、個人的にも深い関係の女性社員の変死。
この後の展開が楽しみだなあー。
短編で終わらせずぜひ中編クラスの社会派小説に育てていってください。
自戒を首を長くして待っています。
でも、できるだけ頑張ります。
とりあえず、次回のことで頭がいっぱい。
ありがとうございました。