どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(33)

2023-08-24 12:01:00 | 連載小説

 アパートに帰り着くと、さすがに疲れを覚えた。
 病み上がりの身には、きょう一日の出来事はきつ過ぎた。
 ミナコさんの消息が、こんなかたちで明らかになろうとは、想像もしていなかった。心の隅に、安堵に似た気持ちが湧いていたが、大きな愕きに圧倒されて、思考の道筋を辿れないでいた。
(ミナコさんは、いま、どこにいるのだろう?)
 新聞を確かめると、宮城県警によって身柄を拘束されたらしい。
 東京に居られず、ふるさとの山形にも帰れず、中途半端な仙台あたりで一ヶ月あまりを過ごしていたのだろう。
 自動車内装会社社長から逃げ、おれとの約束も寸前で回避し、ひとり不安に耐えていたことを想像すると、おれの胸も切なさに震えた。
(会いに行きたい。・・すぐに、会いたい)
 だが、それが望み通りに叶う状況とは思えなかった。
 おれの身の回りの限られた世界から見ると、ミナコさんは、ほとんど手の届かない場所に幽閉されている。
 日常の慣れ親しんだ場所と紙一重のところに、人の気付かない時空の裂け目があり、そこに足を踏み入れたとたんに、瞬間移動でもしたかのように異次元に運ばれてしまうのだ。
 どうしていいか、解らない。
 その夜、おれが積み重ねた時間の嵩は、ミナコさんに辿り着く道筋を見出せないまま残骸となった。
 こんなとき、ヨシモトのような男がそばに居てくれたら、どれほど心強いかと、無いものねだりをしていた。
 インドに渡ったまま消息が途絶えているヨシモトだが、おれの状況を見かねて、それこそ瞬間移動でやってきてくれたらいいのにと、神頼みにも似た願いを抱いてまどろんだ。
 翌朝、出勤する中央線快速電車のなかで、おれは、ヨシモトの姿を見かけたような気がした。満員の乗客に遮られて、はっきりと見定めたわけではないが、おれの願いに応えて、ヨシモトが来てくれたのではないかと、胸をときめかせた。
 おれは、両手で吊り革につかまったまま、目を閉じて瞑想した。
 そのまま背を反らして、腕を差し伸べれば、外堀を見下ろすキャンパスの屋上でヨシモトと共にUHOを呼んだときの情景と重なる。
 暮れかけた空の奥から、しょうがない奴らだと言わんばかりに光の点が現れ、五つの物体となって点滅した光景が、まざまざと目に浮かぶ。その間、ヨシモトが唱えていた呪文は、真似のできないものだったが、いま、おれの横に寄り添って、力を貸してくれているのだと、ひたすら思い込もうとしていた。
 いきなり、背中を押し返された。
 満員の通勤電車のなかで、はた迷惑な行為をする男を、扱いかねたような力の入れ具合だった。
 おれは、我に返って後ろを振り返り、口先を尖らせた若者に会釈した。
 どうやら異常者ではないと分かって、若者の表情が和らいだ。
 急に、ヨシモトの気配が消えたように感じたのは、おれの錯覚だったのか。それとも、ヨシモトの眼差しらしきものに気付いたこと自体が、錯覚だったのか。
 もともと有り得ないと思われている現象に、自分からこころを添わせていく習性は、いくら説明しても理解されるものではない。
 久しく修行を忘れていたおれのことだから、ヨシモトの念波を受信する第七番目の感覚に、鈍磨がみられたとしても不思議はないのだが。
 出口付近で、人のもみ合いがあり、おれも習性に従って一団とともに吐き出された。四谷だった。無事に乗り換えを済ますことができ、この日も遅刻せずに出勤できた。
「きみ、疲れているようだが、大丈夫か」
 多々良は、インフルエンザがまだ完全に治っていないのではないかと、心配したようだ。それでも、仕事が忙しくなると、互いに気を遣うゆとりはなくなっていった。
 その日、アパートに帰り着くと、ちょうどオデカケの小柄な女性と、それを見送るパチプロの男に、またも玄関先で出合った。
 男の腕はまだ完治していないらしく、包帯は取れていなかった。腫れを抑える膏薬でも貼っているのだろう、その上から巻いたガーゼの端がめくれ上がっていて、一日中鬱々と過ごした様子が窺えた。
 駅に向かう大通りまで送っていったのか、六七分経ったころ、隣人が戻ってきた。
 おれは、愛想よく笑顔を見せて出て行ったホステスであろう女性と、ヒモに違いない坊主頭の男の取り合わせに、心が和むのを覚えた。
 とくに、ヒモである男の、ここぞとばかりの気配りに、おどろきを感じていた。先日ことばを交わしたときには、あたかも相手を支配しているかのように振舞っていたが、きょうは照れもせずに、いたわりの仕種を見せていた。その変容振りに、おれは、ヒモ稼業の極意を見せられた思いがした。
(まあ、もともとマメな性格なのだろう)
 思うそばから、否定する何者かの声が聞こえてくる。
(女は欲張りだから、カネも、セックスも欲しいのだが、一番欲しいものは居心地の好さなんだよ。それらを全部ひっくるめて、愛と呼ぶんじゃがね。だから、カネのない奴、セックスに自信のない奴は、精一杯努力をして、女の居心地がいいような場所を作ってやらなくてはいけない。それのできる男が、ヒモになれるんじゃよ。・・)
 頭の中に忽然と現れた仙人のような老人が、自信たっぷりに説教をたれている。
「ほんとかよ」
 後ろめたい思いで、疑問を投げかけたとき、おれの部屋のドアがノックされた。
「はい・・」
 おれは、物音の移動から推し量って、隣のパチプロの男に間違いないと確信した。律儀にオンナを見送る役目が無かったら、先刻おれと顔を合わせた瞬間に、何かを話したくて止まらないといった口つきをしていたからだ。
 ドアを開けると、予想したとおりだった。
「ちょっと、いいやろか。話しておいた方が、よか気がするけん・・」
 大きな目の真ん中に、善良な好奇心が集中しているのが、見て取れた。
「まあ、どうぞ」
 おれは、背後のドアだけを閉めさせた。「・・それで、どんなことでしょうか」
「あのな、怒らんように聞いてなあ。実は、きょう顔見知りのデカが来て、兄しゃんの家の様子を根掘り葉掘り聞きよるんや。わしは、よう知らんことやし、それに立ち入ったことまで探ろうとするから、令状もないのに、いい加減にしんしゃいよと、文句をいっておいたんやが」
 立ち話で、そこまで聞いた。
 おれは、最初身構えすぎていて、目の前の男の話す意味を、よく理解できないでいた。だが、すぐに、事の重大さが分かって愕然とした。
「まあ、立ち話というわけにもいきませんので・・」
 部屋に上げて、お茶を淹れた。
「失礼ながら、刑事さんと知り合いというのは?」
 おれは、最初に抱いた疑問をぶつけてみた。
「ああ、それは、わしがパチンコを稼業にしとるもんじゃから、店に出入りする流れ者の情報を聞きにくるんや。生活安全課の連中とは、まあまあの関係じゃけん、気安くサグリを入れてきよる」
 言いながら、男はおれの部屋を隅々まで眺め回した。
 思い当たることがあった。
 電車のなかで、ヨシモトを見かけたと思ったのは、あるいは、おれを尾行する刑事の姿だったのかもしれない。
 何のためにおれの行動をチェックする必要があるのか、間抜けな行為にも思えるが、ミナコさんの取調べに平行して、係わりのあったおれをマークし、共犯か否かを見極めるのは、捜査当局の重要なポイントだったのだろう。
「そういえば、前は兄しゃんのところに来ていた別嬪のおなごを、近ごろ見かけんようになったが、どうかしよったかね」
 遠回しのもの言いからみて、ある程度ミナコさんのことを刑事から聞かされているのだろうと推測した。
「やっぱり、そうでしたか」
 おれは、とっさに頭を切り替えていた。
 この男を誤魔化そうとするより、心をひらいて、アドバイスを受けた方が得策だと思った。
 警察の情報屋でもある男と付き合うには、それなりの覚悟が要るが、すべてを知られたところで、罪に値することなどないのだから、間接的に刑事たちの見込み違いを正してやろうと、おれなりの思いを胸に秘めたのだった。

   (続く)

 

(2006/05/24より再掲)

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2 コメント

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これぞ、、、 (知恵熱おやじ)
2023-08-24 23:12:25
隣の男の登場によって新しい視点が見え始めてくる・・・これぞいわゆるトリックスターということなのでしょうか。

上手いですね。
窪庭さんの小説技法の冴えにひきこまれながら、次回の展開にワクワク!!!
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トリックスター (tadaox)
2023-08-25 00:47:46
(知恵熱おやじ)様、ぼくはトリックスターという存在を知らなかったので検索してみました。
なるほど神話などに登場し自然界の秩序を変えたりするんですね。
そのような大それた役回りを隣人に担わせたわけではありませんが、ミナコさんの消息をさぐるにはピッタリの存在でした。
神を味方にミナコさんの許へ行きつける日が来るといいのですが。
おかげさまで勉強になりました。ありがとうございました。
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