ターボの薩摩ぶらり日記

歳時記を念頭において

1年が1日のように

2006年03月11日 | 俳句雑考

ブログを始めてから、ちょうど1年になる。
きょう11日の引用句はあらかじめ用意してあったので、北総花の丘公園の屋外の河津桜を見にいったが、ほころびかけていたものの、まだ開花を宣言できそうになかった。
画像はそのとき撮った。

   一年が一と日のやうに過ぎて花    中 正

またたく間の1年だったが、ブログを書きつづけたせいか、ふり返ると、1日のようではなかった。

 不思議

船橋市の小室公園に、早咲きの桜があると知っていたので、見にいった。
その途中、千葉ニュータウン中央駅の近くに、用途がわからないものが配置してあった。鉄の扉には鍵穴や錠前はついてなかった。ちからをこめて開けようとしたが、開かなかった。
うしろに、こまかいジャングルジムのようなものが光っていた。
画像はそのときに撮した。

  あけたてり不思議なけれど葭障子    美 佐

開かないと思った葭障子が開いたのだろうか。

  踏青


農道はすっかり春になっていたが、平行して流れている川は冬景色だった。
画像は船橋市と白井市の境あたりで撮った。

   青草をなるべく踏まぬやうに踏む  澄 子

「なるべく」だから、すこしは踏んでいるのであろう。
歳時記には「踏青」が春の季語として載っている。

  トルネード投法

小室公園の桜は、まだ蕾がかたかった。
公園の芝生が青くなっており、男の子が半袖のシャツ1枚で球を投げていた。
左利きで、野茂投手のようなトルネード投法だった。
画像はそのときに撮した。

   子の臀のまろさ青芝を圧すまろさ    林 火

芝がまだ嫩くてやわらかいので、すわっていた子が立ったあとも、しばらく伏せていたのであろう。

 山茱萸


春の花が新しい家を彩っていた。
生垣は椿、黄色い花はさんしゅゆらしかったが、うすむらさきの花は、帰宅してから調べてもわからなかった。つつじに似ていたが。
画像は白井市平塚で撮す。

   山茱萸やまばたくたびに花ふえて   澄 雄

引用句の作者は、老眼を花眼と表現したと、なにかで読んだことがある。

 苺


街道で野菜を直売していた。
のぞくと、店番の農婦が、
「もう、売れてしまって、あまり残っていません」
と、いった。
菜の花、大根のきりぼしなどに混じって、パック入りの真っ赤な苺が並べてあったので、
「いくらですか」
「これは、近所のひとが差し入れてくれた苺で、売り物じゃありません。どうですか、ひとつ」
と、すすめられた。
画像は白井市と印西市の境あたりで撮した。

   火のやうに苺ならべて食べにけり   高 資

すすめられた苺をひとつ食べてみると、つづけて食べたくなるほど甘かった。