ターボの薩摩ぶらり日記

歳時記を念頭において

初穂

2006年07月31日 | 俳句雑考

山ぎわの青田に稲穂が出はじめていた。あたりを見まわして、出穂の田はそこだけだった。
その田では昨年の初夏、農夫が草取りをしていたことを思いだした。
その農夫は自分は昭和2年生まれといい、
「大正何年生まれかね」
と、聞かれてショックを受けたと、昨年の5月26日付の日記に書いた。
ところが後日、農夫は、
「大将、何年生まれかね」
と、聞いたのだと気がついた。そのことも日記も書いた。
画像は28日、本埜村笠神で撮す。

    暁の風に初穂の見えかくれ     双 魚

前日までは、風が吹いても吹かなくても、穂は見えなかったのであろう。


浴衣

2006年07月30日 | 俳句雑考

ニュータウンの小学校で夏祭がひらかれていた。
浴衣すがたの幼女とその母親、またはその姉、もしくはその叔母が涼しそうだった。既婚か未婚によって、帯の締め方がちがうらしいが、見分ける方法を知らない。
画像は29日、印西市高花で撮す。

   あどけなき母となられし浴衣かな     みづえ

一読、出産したのにまだ、若くてあどけない母だ、という意味かと思ったが、作者の母親が浴衣を着たところ、あどけなくなったという句意らしい。「なられし」と、軽い敬語を使っているので、そう推測した。


嫁姑とも健在

2006年07月29日 | 俳句雑考

昨年、7月27、28日に2回にわたり「野外のいこい」と題して、案山子の嫁姑の話を書いた。後日談も何回か書いた。
あれから1年たって訪ねると、再会することができた。
画像は28日、本埜村笠神で撮す。

 

 

   供花をきる盛夏のこころ澄みにけり     蛇 笏

姑は休むまでは、背後の花圃の世話をしていたらしく、手に土がついていた。     

 嫁

 

   夏の雲湧き人形の唇ひと粒       龍 太

嫁は日焼けしていたが、紅唇と白い前掛けが鮮しかった。


信楽焼

2006年07月28日 | 俳句雑考

招かれた旧家の庭に、燈籠が建っていた。
「なかなかの、石のこしらえですね」
あいまいな感想をもらすと、女主人は、
「信楽焼です。新築祝いにいただきました」
あらためて眺めたが、どうみても、古色蒼然とした石造りにしかみえなかった。
「散らかしていて、すみません」
女主人はあやまった。庭は手入れのさなかで、うち払った庭木の枝が散乱しており、そのせいで客の眼識が狂ったと思ったのかもしれなかった。
画像は24日、印西市草深で写した。

      草木より虫導きぬ盆燈籠       正 雄

盆の行事、魂迎えのため燈籠に灯を点したのであろう。


酔芙蓉 

2006年07月27日 | 俳句雑考

夕方、庭で洗濯物をとりいれていた主婦にたずねた。
「その花はムクゲですか。フヨウですか」
「フヨウです」
「そうすると、スイフヨウのようですね」
「種類は知りませんが」
「酔っぱらったフヨウの意味でして、朝のうちは白いのに、昼ごろは紅がさして、夕方には紅が濃くなってー」
歳時記に載っているとおりに説明すると、主婦は、
「朝からこんな色でしたよ。張りきっていたのが、元気がなくなりましたが」
酔いつぶれたように、凋んだ花が多かった。
「朝酒を飲んだのでしょう」
無駄口をたたくと、、主婦は笑いながら、洗濯物をかかえて家のなかへ消えた。ひさしぶりに晴れたので、暇人といつまでも付きあっている暇はなさそうだった。
画像は25日、印西市草深で撮す。

   ゆったりと着こなす齢酔芙蓉      晴 山

たとえば「ゆったりと着こなす還暦」などと、年齢を前面にだすと、俳趣が薄れるのだろうか。


胡麻の花

2006年07月26日 | 俳句雑考

雨のふる畑に、白くて小さな花が咲いていた。
帰宅してから、いろいろ調べた結果、胡麻の花のようだった。
画像は24日、印西市草深で撮す。

   胡麻の花夕日隈なくなりにけり     林 火

日輪が無限大になったということは、大夕焼に変貌をとげたという句意であろう。
夕焼は夏の季語。胡麻の花を前景にして、落日の写真を撮りたいと思うが、梅雨がなかなか明けない。いま、ひさしぶりに朝日が顔をだしているが。


みな愉し

2006年07月24日 | 俳句雑考

昨年、通草を青瓢箪とまちがえた棚に、ことしは苦瓜がぶらさがっていた。
眺めているうちに、チャンプル料理が食べたくなった。
画像は22日、印西市草深で撮す。

   苦瓜やぶらさがるものみな愉し     千 晶

テーマは他力本願と受けとった。


夏まつり

2006年07月23日 | 俳句雑考

マンションの中庭で夏まつりがひらかれた。
いろんな出店が並んでいた。よく売れていた。
芝生にシートをひろげて、買った料理を食べている家族が少なくなかった。
正座して食べている家族もいた。
画像は22日、印西市西の原で撮す。

   象潟や料理何くふ神祭      曽 良

7月5日の日記に、

   象潟や雨に西施がねぶの花   芭 蕉

を引用したが、そのときの同行者は、まつりの料理が関心事だったのだろうか。


夏休みへ

2006年07月22日 | 俳句雑考

談笑しながら、連れだって下校中の中学生が、足をとめた。
ひとりの家のちかくに来たのに、別れたくなかったらしい。一学期最後の日だった。
画像は20日、印西市西の原で撮す。

  夏休みありき人生論読みき    風 車

同じ作家の同じモチーフの句、

  薔薇に読む船に始まる物語

を引用したことがある。

病葉

2006年07月21日 | 俳句雑考

花期の終わった椿の根元に、落葉が積もっていた。
枯葉色をしているが、つやつやとしており、最近になって落ちたようだ。冬から春へと、ぎざぎざの端で花を護ってきたが、力尽きた感じだった。
歳時記によると、夏の落葉は病葉と書き、ワクラバと読む。
画像は20日、印西市西の原で撮す。

   病葉の吹き溜まるほかなきところ    下 巌

病葉はこんどは肥やしとなって、後輩の青葉を育てる役をになう。


みせばや

2006年07月20日 | 俳句雑考

ベランダでみせばやが咲きはじめていた。
歳時記によると、秋の季語で、吉野山の法師が山中でこれを見つけ、歌の師に、
「君にみせばや」
と献じたので、優雅な名前がついたのだそうだ。別名は玉の緒。
画像は19日、印西市西の原で撮す。

   みせばやの珠なす花を机上にす     清

門下生から「師にみせばや」と、机上に飾られたのだろうか。


凌霄の花

2006年07月19日 | 俳句雑考

ことしも凌霄の花が咲いた。
鉄柵の内から外へ乗りこえて、通行人を楽しませていた。
画像は12日、印西市大森で撮した。

   凌霄の昇り掩ひて超えゆく花    宏

つぎつぎと花が咲き継いでいく過程であろう。すでに咲いている花まで昇って、掩って、さらに超えて。

ピーナツの花

2006年07月18日 | 俳句雑考

緑の落花生畑。ところどころに、黄色い斑点がついていた。
葉うらに隠れるようにして、ピーナツほどの花が咲いているのだった。
どうして「花落チテ生ズ」と書くのか、調べてみたが、わからなかった。
画像は16日、印西市草深で撮す。

  ひとり剥く夜の落花生陽の匂ひ     高 幸

まず莢をむいて、さらに薄皮をむいて、ひとつぶずつ味わっているのであろう。

山百合

2006年07月17日 | 俳句雑考

けまんそうさんに教わった山百合は、公園の松林のそばで咲き競っていた。
松籟は聞こえなかったが、涼風に百合の花は揺れていた。
画像は16日、印西市木刈で撮す。

   風は海から朝を呼び合ふ谷の百合    竹 翠

俗謡の「立てば芍薬、坐れば牡丹」は、わかるが、「歩む姿が百合の花」の意味がわからなかった。
その意味を調べた。揺れ歩く様子を、微風にも揺れる百合にたとえたのだった。