ターボの薩摩ぶらり日記

歳時記を念頭において

隼人塚

2011年10月31日 | 俳句雑考


人吉行の帰途、隼人塚を訪ねた。画像は27日、霧島市隼人町で写す。

   海紅豆さつま隼人の血汐なり          羽 公

海紅豆は鹿児島の県木。薩摩人は隼人の乱、時の権力者に楯突いた事件に誇りを持っているらしい。


肥薩線復路

2011年10月30日 | 俳句雑考

  孤客

一両編成のJR肥薩線の帰路は人吉から吉松までの一時間、弧客の身だった。運転手はスイッチバックのたびに通路を往き来した。画像は27日写す。

  火蛾と醒めをりぬ快速車の孤客       憲 吉

泥酔から醒めてみると、終電車にひとり乗っているのに気づいたのだろうか。

 運転手

許しを得て運転手へカメラをむけた。

  道を知る自信に霧を運転す     哲 王

運転手は被写体になった経験が豊富のようだった。

 停車場 

停車駅で乗降口から外の写真を撮っていると、運転手は降りてホームを行き来してもよいと言った。ためらっていると、、出発の遅れはスピードをあげればとり戻せると言った。弧客の扱いには馴れているようだった。

  停車場の大綿たれにかかはりある          草田男

プラットホームが停車場と呼ばれていた頃は、別離と再会の場であったはず。引用句は、たとえば出征兵士を村中総出で見
送っており、離れたところの鄙には稀な美人と兵士の間を綿虫、伊豆地方の方言ではシロバンバがただよっている光景。
想像がたくまし過ぎるといわれるかもしれないが、同じ作者に「停車場の大綿まへる慕情かな」という句がある。

 線路

また運転手を撮っていると、運転手は前方の窓に鹿が現れるから、撮ったらどうかと言って、運転席と乗客をさえぎっていたチエーンをはずした。運転手しか写材がないらしい弧客が気の毒になったらしい。

  花茨平行線の線路かな          かず代

線路はいつまでも平行線のままだった。そのうちに運転手は、今日に限ってどうして鹿が現れないのかとつぶやいた。

 

 

 

 

 


肥後人吉

2011年10月29日 | 俳句雑考

JR肥薩線の人吉駅に降り立つと、盆地のせいか昼下がりなのに肌寒かった。画像は26-27日、熊本県人吉市で写す。

 球磨川

球磨川は秋日をうけてきらめいていた。 

   秋の河うき世の人に遠ざかる        大 魯

濁世を離れての旅吟だろうか。

  鷺

球磨川の鷺を撮っていると、女人から山翡翠を撮ったらどうかと奨められた。このあたりは全国から山翡翠をもとめて探鳥家やカメラマンがやってくるそうだ。
仰せにしたがって上流へ2、3キロ歩いてみたが、鷺、鴨、鶺鴒程度しか見つけられなかった。
帰宅して歳時記をひらくと、山翡翠は夏の季語だった。探鳥家やカメラマンを見かけなかったのは、この時期球磨川にはいないとわかっているからにちがいない。
 

   夕風や水鷺の脛をうつ         蕪 村

鷺は近所の木下川で飽きるほど撮って、飽きるほど日記に載せている。掲句を引用したこともあった。

 枯蓮


青井阿蘇神社の赤い太鼓橋の架かった池は、蓮が半分以上枯れていた。

   ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる        不死男

作者は枯れゆく蓮をひとつずつ観察しているのだろうか。


  濃霧

朝、宿のカーテンをひらくと、球磨川は濃霧につつまれていた。

   雲霧の暫時百景を尽くしけり           芭 蕉

山水画の世界。


肥薩線

2011年10月28日 | 俳句雑考

JR隼人駅から肥薩線に乗って人吉駅まで行った。画像は26ー27日に写す。

                                案山子

霧島温泉駅では案山子たちが出迎えた。

   笠ぬちの顔を略しぬ稗案山子      爽 雨

略したのは「へのへのもへじ」

                 幕の内

吉松駅から乗り換えた列車は全席指定で、団体客で満員だった。

    秋日和駅弁こまかく中仕切         豊 水

団体客はそろって大きな幕の内弁当の紐を解いた。車内では飲食物を販売していなかった。

                 連山

駅のないところに停車して、霧島連山の眺望は日本三大車窓風景のひとつとの車内放送があった。

   芋の露連山影を正しうす        蛇 笏

作者名から推して、連山は八ヶ岳のはず。

                紅葉一本

車窓からの光景は紅葉は時期尚早だったが、紅葉した一樹がみえた。

   一本の桜紅葉や魯迅の碑        英 子

歳時記によると、桜樹は他に先がけて紅葉するそうだ。

 


2011年10月26日 | 俳句雑考

民家のアコーデオン門扉に蕪が干されていた。画像は25日、鹿児島市谷山中央で写す。

   洗はれて蕪は土を忘れけり      寿 寿

蕪は歳時記の秋の部にはなく、冬の部に載っていた。


おごじょ

2011年10月25日 | 俳句雑考

目抜き通りでおこなわれた里祭では、多くの薩摩おごじょが踊った。画像は23日、鹿児島市谷山中央で写す。

   指美しく生まれて踊上手かな     貞 雄

白魚のようなゆび。


里祭     

2011年10月23日 | 俳句雑考

目抜き通りで里祭がおこなわれた。画像は23日、鹿児島市谷山中央で写す。

   見分けられぬ少女と乙女里祭        豊 水

広辞苑の「おとめ」項の漢字は「少女・乙女」と載っていた。     

 


コスモス

2011年10月23日 | 俳句雑考

慈眼寺のコスモスが見ごろを迎えたと、ローカルニュースが報じたので出かけた。やや時期尚早、週末にしては人影がまばらだった。画像は22日写す。

    翳りあふを避けあふ友ら秋桜        照 雄

コスモスの吟行会だろうか。暑から寒への移行期、互いに自分の影が句友に及ばないように配慮しているという句意。
それともコスモスの本質を詠ったのだろうか。自分のために隣の花が翳らないように、それぞれ揺れている(微風に)コスモス。


雨粒

2011年10月21日 | 俳句雑考

畑の豆の青い莢に雨粒が宿っていた。画像は21日、鹿児島市谷山中央で写す。

    紫陽花を挿す雨粒をそのままに         怜 子

雨粒を一滴も落とさずに。

 


藤袴

2011年10月21日 | 俳句雑考

北総の旧居から運んできた鉢植えの藤袴が花をつけた。画像は21日、鹿児島市谷山中央で写す。

    すがれゆく色を色とし藤袴         汀 子

辞書によると「すがる」の漢字は「末枯る」。歳時記によると、その頃もっとも芳香を放つそうだ。別名は香水蘭。しかし、鼻を近づけてみたが匂わないのは鼻のせいか、花のせいか。


谷山港

2011年10月20日 | 俳句雑考

谷山港は晴れ渡って、波のゆらめきが船腹に反射してきらめいていた。画像は18日撮影。

   ふるさとに港ありけり白魚汁         梅 子

助動詞「けり」を調べてみたが、眼前の白魚汁に触発されて、故郷の漁港を詠嘆的に回想したという句意らしい。

 

 


泡立草

2011年10月19日 | 俳句雑考

木之下川が段差をなしている岸辺に、一茎の泡立草が咲いていた。画像は18日、鹿児島市上福元町で写す。

   世の末の花かも背高泡立草          絢

戦後進駐軍とともに日本に来て、帰化してしばらくたった頃の泡立草の吟詠だろうか。その後倭国になじむように丈が縮んで、冠の「背高」が外されることが多くなった。

 


赤とんぼ

2011年10月18日 | 俳句雑考

動物公園の柵に赤蜻蛉がとまっていた。画像は16日、鹿児島市平川で写す。

   赤とんぼ山を思へば山を見ず      克 巳

蜻蛉をとんぼと表したのは、夕焼け小焼けの童謡を連想したからだろうか。思う山は「山の畑の桑の実を  小かごに摘んだはまぼろしか」の山なので、眼前の山はあえて見ないという句意に解釈した。

追記 画像は赤蜻蛉ではなく、屋久島に生息している通称ピンクトンボというとする説があった。


白虎の見合い

2011年10月17日 | 俳句雑考

これまで一頭しかいなかったホワイトタイガーが二頭にふえていた。画像は16日、鹿児島市・平川動物公園で写す。

                プロポーズ

総角だった雄が花嫁を迎えたのかと思って係員に聞くと、別々に飼育していた雄と雌を一緒にさせてみたのだそうだ。見合いさせたのだろうか。視ていると、雄は台上に休んでいる雌にむかった。

               相好を崩す

台の上にあがった雄は、雌をながめて相好を崩した。心底うれしいのか、それとも愛想笑いだろうか。

               穢らわしそうに


相好を崩したまま近寄ってきた雄に、雌は穢らわしそうに大声をあげた。

               憤然として

振られたらしい雄は、憤然として雌を台の外に追いやった。

   神農の虎のじやけんに振られつつ         叡 子

歳時記によると、神農とは11月22-23日に大阪市・少彦名神社で行われる例祭。虎は張子だそうだ。


零余子

2011年10月16日 | 俳句雑考

 

山畑の隅で零余子が栽培されていた。野に出ればいくらでもあるのだから、それを摘んだ方が手っ取り早いのではないかと思ったが、余った畑隅に竿をたてて種さえ蒔けば、ほっといてもまるまるとした零余子が育つらしいから、賢い土地の利用法かとも考えた。
画像は13日、鹿児島市下福元町で写した。

   焙烙の零余子に薄く塩を振り      志 浪

焙烙を辞書で引くと、ホウロクまたはホウラクと読み、素焼の炒鍋のことだそうだ。