路傍の草むらに百合が咲いていた。
鹿子百合のつもりで撮って、帰宅して調べると鬼百合らしかった。画像は27日、鹿児島市平川で撮す。
父祖は海賊島の鬼百合蜜に充ち 稔 典
鬼ヶ島伝説の遺っている島だろうか。
雨催いのウイークディのせいか、薔薇園に人影がなかった。画像は27日、鹿児島市平川で撮す。
薔薇園にすれ違ふとき人若し 青 児
交わした挨拶の声が若やいでいたのだと思う。歳時記の薔薇の項には、若さをテーマにした例句がめだつ。
つぎの掲句はこの日記でも引用したことがあった。
命ある日々が青春薔薇を観に 宏 晃
役所の前庭の噴水は昨今の電力事情によるのか、丈が短く休みがちだった。
画像は26日、鹿児島市谷山中央で撮す。
噴水の内側の水怠けをり 広
噴水の内側を観察するのは、俳人か、よほどの暇人に限られると思う。
集会所の庭の太い蘇鉄の根元に、蘇鉄が生まれていた。
画像は25日、鹿児島市谷山中央で撮す。
奧津城の庭の蘇鉄の刈られけり 鳳 作
奧津城が墓所と同じ意味とは、俳句に親しむようになってからも永いあいだ知らなかった。
緑地帯に枝分かれの多い大樹が生えていた。画像は24日、鹿児島市谷山中央で撮す。
樹のそばにゐて樹になりぬ子供の日 寿美子
上五中七と読み下して意味がわからなかったが、下五の「子供の日」で推測できた。
子供が作者を樹になぞらえて、よじ登り出したのだと思う。
舗道に燕がうずくまっていた。
カメラのシャッターを鳴らすと、カメラを見ながら嘴を少しあけた。画像は22日、鹿児島市平川で撮す。
燕の子つばめ返しをして見せし 芳 子
平川の燕は、巣立ったばかりの燕の子と推測した。
民家の生垣に、木槿か芙蓉らしい白い花が雨に打たれていた。
これまで気分次第でどちらかに決め込み、日記に載せてきたが、この際両花を識別できるようになろうと考え、帰宅して「季寄せー草木花」(朝日新聞社)と「俳句の花図鑑」(成美堂出版)の添付写真を観くらべてみたが、識別に失敗した。
画像は21日、鹿児島市谷山中央で撮す。
道のべの木槿は馬に喰はれけり 芭 蕉
枝ぶりの日ごとにかはる芙蓉かな 〃
元禄期の歳時記には、写真は載っていなかったはず。
昼下がりになってようやく雨がやんだので、目抜き通りの常設の朝市にいくと、まだ多くの野菜類が残っていた。
画像は20日、鹿児島市谷山中央で撮す。
朝市の朝の香りの青蜜柑 和 子
アの押韻が快いが、俳人は韻を踏むことは意識しないで作句しているようだ。
長雨が続いたあと、ベランダに初めて揚羽蝶がいるのを見た。
なぜ高階まで昇ってきたのか、蜜柑の葉にとまって羽ばたいていた。画像は19日、鹿児島市谷山中央で撮す。
蘂につき羽ばたく揚羽嬉しげに 豊 水
引用句からは華やかな舞踊の雰囲気が伝わってくるが、ベランダの揚羽の翅の動きは小刻みで、羽ばたくというよりも震えているようだった。
民家の庭に凌霄が咲いていた。画像は17日、鹿児島市谷山中央で撮す。
風の凌霄楽の終曲高まりつつ 節 子
頭部の字余りは「腸詰俳句」だとの批判に対して、内在律を伴っていればよいという反論を聞いたことがある。
つぎの掲句は引用句と同じ破調の聴覚俳句。
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉 芭 蕉
うしろ姿のよく似た男児と女児が、柵をへだてて麒麟と見つめ合っていた。
画像は14日、鹿児島市・平川動物園で撮す。
双子とはいふも良く似て甚平着て たかし
動物園では、うしろに控えていた母親に聞くと一歳七ヶ月の双子だった。