指宿の田園地帯では、収穫の作業をおこなっていた。
画像は28日に撮影。
冬瓜
産み月のごと冬瓜を抱へゆく とし子
西瓜、南瓜のようにトウガンは東瓜と書くのだと、ながい間思い込んでいた。
いまでも、なぜ「冬」の字があてられているのか解らない。
オクラ
世を拗ねしごとくに曲るオクラかな 経 子
オクラの花が咲いている畑の作業は、摘花かと思ったが、実を採っているのだった。
指宿の田園地帯では、収穫の作業をおこなっていた。
画像は28日に撮影。
冬瓜
産み月のごと冬瓜を抱へゆく とし子
西瓜、南瓜のようにトウガンは東瓜と書くのだと、ながい間思い込んでいた。
いまでも、なぜ「冬」の字があてられているのか解らない。
オクラ
世を拗ねしごとくに曲るオクラかな 経 子
オクラの花が咲いている畑の作業は、摘花かと思ったが、実を採っているのだった。
干潮時に知林ケ島までの砂の道が見えるという魚見岳に登ると、砂の道は造成中だった。
眺めおろす松には芯が伸びていた。画像は28日10時30分、指宿市で写す。
7分後
魚見岳を歩きながら俯瞰していると、砂の道は7分後にほぼ完成した。
浜道や砂の中より緑たつ 蝶 夢
松の芯が伸びることを、歳時記では「緑立つ」ともいうと最近になって知った。
月桃
魚見岳に群生している花について、同行者からサネンバナだと教えられた。南国情話という唄にでてくるそうだ。
月桃やむかし団子の皮固き 榮 治
帰宅して調べると、サネンバナの別名は月桃で、芳香を放つ葉はモチをくるむ際に使われているそうだ。
バス停にゆったりと佇んでいた和装の婦人が、三回目に現れたバスに乗った。
画像は27日、鹿児島市谷山中央で写す。
羅をゆるやかに着て崩れざる たかし
羅はウスモノと振り仮名。
引用句について山本健吉は「作者は泉鏡花と姻戚関係にあり、その愛読者でもあるが、この句は鏡花の小説の挿絵をよく書いた清方などの明治美人画の匂いがある」
学校帰りの女児ふたりが子猫と遊んで、道草を食っていた。
猫は飼い猫か捨子猫か、または野良猫の子かわからなかった。画像は17日、鹿児島市谷山中央で写す。
猫の子の猫になるまで忙しく 明
捕鼠の学習が厳しいので、道草を食っている暇はないのだろうか。
鉢植えのサボテンに花が咲いた。画像は24日、鹿児島市谷山中央で写す。
へろへろと仙人掌に花精神科 思 郷
サボテンには覇王樹のほかに仙人掌の漢字があることは知っていたが、あらためて広辞苑を引くと仙人とは関係がなく、石鹸の意のポルトガル語サボと「手」の合成語だそうだ。
保育園児たちがさまざまなレインコートを来て歩いていたので、引率者に撮らせてほしいと頼んだ。
新樹ならびなさい写真撮りますよ 左 右
引率者が園児たちを集めたので、記念写真を撮る破目に陥った。
画像は22日、鹿児島市谷山中央で写す。
東シナ海から山なみを越えて、梅雨雲がつぎからつぎに押し寄せてきている。
画像は21日、鹿児島市谷山中央で写す。
笑うてはをられずなりぬ梅雨の漏 暁 水
笑う余裕はなくなっても、作句の余裕はあるのだろうか。
民家の庭を転用した畑に、歳時記には秋の季語として載っている玉蜀黍が育っていた。
画像は18日、鹿児島市上福元町で写す。
几帳面な玉蜀黍だと思はないか 未知子
そうは思えなかったので、念のため広辞苑で几帳面を引いてみると、本来の意味は「面の一種。方形の角を撫角に削り、その両側に段をつけたもの。もと几帳の柱に多く用いたからという」と載っていた。
広辞苑の説明ではイメージが浮かばなかったので、インターネットで几帳面の例を探した結果、つぎの画像があった。
几帳面なコハダ
民家の石垣の隙間に、一茎の見知らぬ花が咲いていた。
一茎だけ育ったのか、家人がほかは雑草として処分したのか、見ただけでは判らなかった。
画像は18日、鹿児島市谷山中央で写す。
美しき花のさかりや昨日けふ ことの
俳句では花といえば桜の約束になっているが、最近になって、かならずしも約束にとらわれなくてもよいという説もあることを知った。
「供花の冷やし場」に菊が浸けてあった。夏菊なのか、薩摩だから秋の菊が早くも咲いたのか、判断できなかった。
画像は17日、鹿児島市上福元町で写す。
黄も白も仏花に清し夏の菊 茂 美
帰宅して歳時記で調べると、夏菊は秋の菊のような大輪はないとのこと、冷やし場の品種は夏菊だったと思う。
11日付の日記に覇王樹の花を載せたが、しばらくすると満開になると考えてすぐに削除した。
画像は10日、鹿児島市谷山中央で写した。
今朝は
今朝はやく撮りに行くと蕾はぎっしりと付いていたが、ひらいている花は二、三輪だけだった。
覇王樹咲き銅板色の海女等過ぐ 臥 牛
ゴーガンの晩年の絵にあるような銅板色だろうか。