松の木が悲鳴をあげるほど、北風が強かった。
画像は30日、印西市草深で撮す。
松籟の上に松籟冬そこに 洞 然
広辞苑によると、松籟と松韻は同じ意味。
松の悲鳴などと表現するのは、風趣に欠けると認めざるをえない。
松の木が悲鳴をあげるほど、北風が強かった。
画像は30日、印西市草深で撮す。
松籟の上に松籟冬そこに 洞 然
広辞苑によると、松籟と松韻は同じ意味。
松の悲鳴などと表現するのは、風趣に欠けると認めざるをえない。
新しく作り始めたフレームは、これまで骨組みの段階で野ざらしにされていたが、4人がかりでビニールシートを貼っていた。
強い北風に、支えもつシートがはためいて鳴った。
画像は29日、印西市草深で撮す。
温室に時が許せばなほゐたし 波津女
ビニールを貼り終われば、温室仕事は楽しいと思う。
暖かい日が二日つづいたせいか、臘梅が咲いていた。
歳時記によると、梅の花のうち臘梅と紅梅は冬の季語。
画像は28日、印西市松崎で写す。
咲ききりし臘梅の蠟透き通る 朝 子
漢和辞典によると、臘の字には陰暦12月の意味も含まれている。
歳時記によると、蠟梅と表現してもいいらしい。
栗林いっぱいに、草が青々と伸びていた。
KAWASAKIさんの布佐の葉牡丹園がそうだったように、枯れないように手入れがしてあるのだろうか。
画像は24日、印西市草深で撮す。
胸あつく冬青草が目にありき 楸 邨
回想句と解釈した。冬の忘れ得ぬ想い出のシーンで、いちめんに草が青々としていたのにちがいない。
坂の端に沢山の青竹ならべて切っていた。
なにを作っているのか、聞いてみたかったが、仕事に没頭しているので遠慮した。
画像は23日、本埜村笠神で撮す。
竹伐つて横たふ青さあらたまり 爽 雨
歳時記では「竹伐る」「竹の春」ともに秋の季語。
引用句からは、ほかの植物なら春の色をした青竹が思いうかぶ。
例年にくらべて水仙の開花が遅い、と書いたのは、観察不足だった。
里山のすそに一列の水仙が咲き競っていた。
画像は23日、本埜村笠神で写す。
水仙花耳遠くなるまで生きました 政 雄
水仙は耳をかたむけて、聞いてくれたであろう。
鶸
見知らぬ鳥を撮ったので、専門家に問い合わせた。
「冬鵙か」と題して載せた画像をカワラヒワと訂正された専門家であるが、カワラヒワとの回答をいただいた。
画像は23日、牧の原公園で写す。
石に戯るる水のこゑとも河原鶸 草 堂
鶸の啼きごえはまだ聞いていないので、耳をかたむけたいと思う。
高層マンションの外壁の補修が終わって、足場をはずしていた。
足場を受け渡すとき、作業員は気合いの声を掛けあっていた。
画像は21日、印西市西の原で撮す。
マンシヨンの足場をはずす四温の日 美代子
竣工だろうか。補修が終わったのだろうか。
学校裏の小径に、水仙の蕾がふくらんでいた。
水仙の列には、離ればなれに蕾がふたつあったが、例年にくらべて、開花が遅いような気がする。
画像は21日、印西市西の原で撮す。
水仙の蕾のままに活けてあり 梶 朗
蕾のまま活けても、そのうちに開花するのだろうか。
駐車場のあき地に、千切りに刻んだ大根が干してあった。
車に用があるときは、簡単にどかせるように、切干の台には車輪がついていた。
画像は18日、印西市草深で撮す。
太陽にちぢむ切干大根かな ひさを
春のような陽気だろうか。
草深にも茅葺の古民家があった。
里山に隠れるようにして一軒、屋根だけ見えた。手前の樹木は、庭木のように手入れがしてあるようにみえた。
画像は18日に写した。
一軒のために冬の日ある如し みね子
貼替えたばかりの障子に、日があたってまぶしい状景が思いうかぶ。
婦人がマンションの花壇の手入れに余念がなかった。
花好きの住人が私的に設けて、通行人を楽しませている花壇のようだった。
画像は17日、印西市西の原で撮す。
玉霰花壇はつよき皮膚もてり 道
花壇の土が皮膚のように弾力性があるので、霰を玉のように弾きとばしているのであろう。
少女たちが歩道の端で立ち食いをしていた。
マンションの自治会による豚汁会の催しらしかった。
画像は17日、印西市西の原で撮す。
薬喰わりなき人をだましけり 乙 字
歳時記によると、むかしは獣肉は穢れているとして、薬と称してたべたそうだ。
引用句の場合は狸汁だろうか。どんな仮病をつかったのだろうか。